Act21-2.「眠りネズミと三月ウサギ(上)」
――その日以降、ミツキはラファルから魔術の基礎を学び始めたらしい。そして黄櫨は度々、庭でミツキと遭遇するようになった。恐らく偶然ではなく、ミツキが会いに来ていたのだろう。最初は素っ気なくあしらっていた黄櫨だったが、接触回数が増えれば慣れ、慣れは親しみを生むもので、会えば話をするようになっていった。お茶会でも、彼女に話し掛けられれば黄櫨は大抵の場合は起きているようになった。
以前は余計な存在にしか思えなかった彼女が、日常の一部として溶け込んでいく。更に一月経つ頃には、黄櫨は彼女の持つ静かな雰囲気に自分と近いものを感じ、それを心地良さと認められるまでになっていた。
今日もまた、ミツキが庭に駆け込んで来る。彼女が走っている時は、大抵がヘイヤのちょっかいから逃げて来た後だということを、黄櫨はもう知っていた。
『あの人、本当にイヤ!』
「ヘイヤは、知らない事に執着するから。もっと異世界のことを知りたいんだよ」
“だからミツキ自身に興味がある訳ではないんだよ”と心の中で続ける位には、黄櫨はまだ彼女に複雑な感情を抱いている。
異世界という言葉に、ミツキは遠い目をした。そこには深い悲しみが讃えられている。懐かしむような、諦めたような、遥か彼方を見つめる瞳。
「……帰りたい?」
黄櫨の問いかけに、赤い瞳は揺れなかった。ただ暗く沈んで、首が横に振られる。
『帰れない』
「そんなの、分からないよ。ヘイヤなら何か方法を見つけられるかも」
『ちがう。元の世界に、私の居場所はないから』
「居場所がない?」
ミツキは涙の枯れ果てたような顔で、微笑んだ。
黄櫨は彼女がこの世界に現れた日の事を思い出す。煤に汚れ火傷を負い、体力的にも精神的にも限界を迎えていたのかすぐ気を失ってしまった彼女。この世界に来る前に彼女に何があったのかは分からないが、決して良いことではないだろう。彼女が口を利かない理由も生まれ育ってきたその世界にあるのかもしれない。……ただその顔は故郷を恨むものには見えなかった。
黄櫨は彼女の痛みを背負う気も自信も無く、無興味を装って「そう」と流す。ミツキは安心した顔で『黄櫨のそういうところ、好き』と書く。黄櫨も彼女の、画数の多い自分の名前をいつも面倒がらず丁寧に書くところは、好きだった。
散歩を続ける二人は、ふと庭の先が騒がしいことに気付く。数人の楽しげな声の中に、一際響くラファルの声があった。組織の男連中で馬鹿騒ぎでもしているのだろう。MARCHの構成員には若い男が多い為、時折この手の集いに出会う事があるのだ。そして、黄櫨の予想通りだった。薔薇の咲き誇る庭の片隅では……ラファル達数人が大きな焚火で、吊るした肉を炙っている。何ともミスマッチな光景だった。
「おんやあ、黄櫨さん、ミツキさん。お二人も焼き芋食べますかあ?」
「芋? 肉じゃなくて?」
「芋も焼いてるんですよう。あ、マシュマロもありますう」
そう言って串に刺したマシュマロをブンブン振るラファル。昼食を寝過ごした黄櫨は空腹を思い出した。
(ミツキは、どうするかな?)
彼女は人見知りなのか、自分達以外と話しているところをあまり見たことが無かった。しかし世話役のラファルが居るなら少しは安心できるだろうし、これをきっかけに他の者とも交流を――黄櫨が振り返った時、彼女の表情は凍り付いていた。
その目にはただ焚火の炎が燃えている。轟轟と、赤く、黒く、燃え盛っている。
「ミツキ、どうしたの」
ただならぬ様子のミツキが心配になった黄櫨は、彼女に声を掛ける。が、黄櫨の声はミツキには届かない。彼女の赤い瞳は炎に釘付けで、呼吸は荒くなり……
「うわっ!」
焚火を囲んでいた一人が声を上げた。炎が、ミツキの乱れに呼応するように大きく揺れ、激しく燃え上がる。その炎はまるで生き物だった。怒り狂った火の龍は宙で渦を巻き、近くの男達に飛びかかっていく。いち早く察したラファルが咄嗟に仲間を引っ張り、彼らは間一髪で逃れた。
「ミツキさん!」
ラファルの呼び掛けに、やはりこれはミツキの魔術で間違いないのだろうと、黄櫨は思った。以前も、無自覚に魔術を放ってしまったらしい彼女を見ている。だが今回は規模が違い過ぎた。
苦し気に地面に蹲るミツキ。しかしその目が炎から離れることはない。燃える赤に囚われたその瞳は、炎をより強大に、凶悪にさせていく。炎が再びラファル達に襲い掛かろうとした時、火の手は見えない壁に妨げられたように横に広がり、一気に勢いを無くして焚火台に戻った。
「面白いこと、してるね」
ラファル達の前に立ち、焚火に向かって手を翳しているのはヘイヤである。彼がミツキの魔術を打ち破ったのだ。慣れ親しんだ彼の魔力に、ミツキ以外の全員が安堵し脱力した。
「ぜんっぜん面白くないですよう」
「そう? 良い魔術だったけど。術者の炎に対するイメージが、よく表れてた」
魔術は、術者の意識エネルギーが反映されたものである。ミツキの炎に対する強い意識が獰猛な姿になり、人を襲ったということだ。黄櫨はミツキが火に対してトラウマを抱えているのだと察する。もしかすると彼女の火傷は、その原因に関係しているのかもしれない。
青い顔で唇を震わせているミツキに、ヘイヤは首を傾げた。
「褒めたのに、喜ばないんだ。サンガツちゃんは火が嫌い?」
「あの火を見れば分かるでしょ。ミツキはきっと、火が怖いんだ」
「そう。じゃあ、面白くしよう」
ヘイヤはパチンと指を鳴らし、殆どの者が聞き取れない複雑な呪文を唱えた。魔術の発動には、手で印を組む、呪文を口にする、地面に陣形を描くなど、術者が何かしらのトリガーとなる行為をすることが必要だ。ヘイヤ程熟達すれば、指を鳴らすだけである程度の魔術は発動できる筈だが、二つ組み合わせるということは相当なものに違いない。……ヘイヤが空を仰ぎ、薄く笑みを浮かべる。すると彼の視線の先を彩る様に、焚火から小さな花火が上がった。
赤、青、黄色。火の花が、パッと咲いては散っていく。花火とはこんなに簡単に、即席で作れるものだっただろうか? 材料は? それとも花火とはまた違う何かなのだろうか? 時にヘイヤの魔術は難解過ぎて、他の者にとっては理解不能な“魔法”なのだ。
黄櫨は友人であるヘイヤを誇らしく思いつつも、どこか手の届かない寂しさを覚えた。が、火の粉が当たったのか「あつっ」と小さく声を上げているヘイヤに安心する。
ミツキは、呆然と空の花を見上げていた。その呼吸はいつの間にか穏やかさを取り戻している。
「どう? こういうのは嫌い?」
ヘイヤに問われ、ミツキはあどけない瞳で彼を見た。“嫌いじゃない”と口の形だけで伝えるが、ヘイヤは首を傾げる。黄櫨は代弁しようと口を開きかけたが、その必要は無かった。ミツキは今度は分かりやすく“好き”と唇で紡ぐ。
パン――と一発の花火が、開く前に弾けて消える。ヘイヤでも失敗することがあるんだな、と黄櫨が彼を見た時、そこには自分の知らない顔をした男が立っていた。
恐らく、その時からだったのだろう……と黄櫨は思っている。その日以降、ヘイヤはミツキを好奇以外の目で見るようになった。彼は異世界人ではなく、彼女自身に心を惹かれたのだ。
――ミツキが現れてから一年。エシラの国は大きく変わった。
ミツキに以前とは違う角度で興味を持ったヘイヤは、一方的ではない対話をするようになり、彼女から聞いた“ミツキの国の文化”を好んで、端から取り入れていった。……恐らく彼女が元の世界を想い、恋しさに泣くことを避けようとしていたのだろう、と黄櫨は思っている。ヘイヤはミツキに、この世界への愛着を持たせたかったのだ。
国で一番の武力を有する組織、MARCH。その統領を務めるヘイヤは、国を治めることには興味が無かった。その為エシラには一応の王が居る。しかし誰もが実権を握っているのはヘイヤであると知っていた。物、金、知識、武力、そしてアリスネームを持つキャラクター、全てがMARCHに集結している。ヘイヤを恐れている王は彼に逆らえず、文化の変化を止めることは出来なかった。
ヘイヤの身勝手な思い付きで、国名“ecila”は“永白”と漢字表記に。組織名MARCHは“嘉月会”へ。どちらもネーミングセンスのないヘイヤが、ミツキに「サンガツちゃんの国っぽい感じで」と名付けさせたものだ。嘉月は三月の異名らしい。
名前だけでなく、人々の服装や街も様変わりした。レンガ造りの落ち着いた街並みは、半分が瓦屋根の木造建築に浸食され、雑多な印象に。これまでは一部の者が趣味で着る程度だった着物も、多く出回るようになった。魔術で他国を牽制し国を守るMARCH……嘉月会の意向に人々は逆らうことなく、寧ろまたヘイヤがおかしなことを始めた、と面白おかしくそれを楽しんだ。
色とりどりの花で華やかだった庭は、静けさに満ちた白黒の石の庭になり、お茶会の紅茶は緑茶へ、洋菓子は和菓子へ。常盤は整然とした庭は気に入ったようだが、一人だけ頑なに紅茶を飲み続け、黄櫨は感心と呆れ半々だった。
「次は、何をしよう」
ぽつりとヘイヤが言う。淡い藤色の着物姿は、最初からそうであったというように全く違和感が無い。妙に似合っている。ヘイヤの呟きにミツキが疑問符を浮かべた。――ちなみに、着物を着ているのはヘイヤだけで、発端となったミツキは洋服を着ている。彼女曰く『こっちの方が動きやすいから』らしい。
「サンガツちゃんの国の、面白いコト。何かない?」
『もうない』
ミツキはまだ何かする気なのか、と呆れた顔をした。とはいえ嫌な訳ではなさそうである。
「……モブくん達の新しい制服でも、考えようか」
「え。僕、今の黒いスーツ気に入ってますよう? 悪の組織みたいで」
「でも、ただの着物じゃつまらないよね。サンガツちゃんは何が良い?」
『なんでも』
「うん。じゃあ……兜。鎧? あ、褌……」
ヘイヤがラファルを上から下まで眺め、恐ろしい言葉を口にする。ラファルはサッと青くなりミツキを見るが、ミツキは面倒半分、意地悪半分でそれを無視した。その横顔は笑ってはいないものの、目はどこか楽しげである。黄櫨は、彼女も大分馴染んできたな……としみじみ思った。嘆くラファルを見かねた常盤が、助け船を出す。
「ミツキ、ヘイヤを止められるのは君しかいない。助けてやってくれないか」
ミツキはぽーっと気の抜けたような顔で常盤を見た後、大きく頷いてスケッチブックにペンを走らせる。彼女が出したいくつかの案の中から、ラファルが「一番悪っぽい!」と絶賛し選んだのが、黒装束と怪しげなお面の組み合わせだった。ミツキ曰く“ニンジャ”をイメージしたらしい。ニンジャ――影に忍び、闇に生きる者。それは、ラファルの嗜好のど真ん中に突き刺さったのだろう。一人で盛り上がる彼を見て、ミツキは珍しく小さく肩を揺らせて笑った。……いや、珍しくはないかもしれない。以前は表情の乏しかった彼女だが、最近は時々、こうして笑顔を見せることもある。そんなミツキを、ヘイヤが彼らしくない熱い目で見ていた。
黄櫨は面白くなく、隣のミツキの肩をつついて、その耳元に他愛のない話を囁く。誰に聞かれてもいいようなことを、敢えてヘイヤに聞かせないように。内緒話をする二人をヘイヤが焦れたように見る。黄櫨はそれに少しだけ良い気分になった。……彼女の存在に影響を受けているのは、ヘイヤだけでなかったのだ。
ミツキを交えた日常は、黄櫨にとってかけがえのないものになっていた。恐らくお茶会の面々、ミツキにとってもそうだっただろう。しかしその平和は、長くは続かなかった。
それから間もなく、国外から不穏な噂が聞こえてくる。それは――“ハートの女王の国”で、異世界人が問題を起こしているというものだった。




