Act14-2.「君だから」
(……あれ? どっちから来たんだっけ?)
森はどこを見ても同じに見えた。そうだ、この森は迷いの森なのだ、と夢子は思い出す。これまでの道中他人に頼りきりだった夢子には、この森の進み方が分からない。右に左に視線を彷徨わせる夢子の手を紫が握り返す。『そっちよ』と一方を指差す彼女。短距離走も長距離走も苦手な彼女は肩で息をして、赤い顔をしていた。
紫の指し示す方向には、より一層深まる森。隙間なく生い茂る木々の下は月明りも届かず、まさに一寸先は闇だった。不気味に構える暗闇に、夢子は足を竦ませる。熱くなっていた頭が冷えていく。……紫は本当に道を覚えているのだろうか? 彼女はどこへ自分を連れて行こうとしているのだろうか?
『夢子? ほら急いで! 捕まっちゃうわよ』
緑色のコート。オレンジ色のマフラー。紫に似合わないその色は、ピーターの服装を彷彿とさせる。そして今の夢子の色でもあった。
緑とオレンジは白ウサギの色。ピーターの“ウサギと言えばニンジン”という安直なイメージから来ている色の組み合わせ。……どうして紫がその色を身に着けているのだろう。紫は“何者”なのだろう。
夢子はこの世界に来てからの事を思い返す。マンホールを落ちていた時。トランプ兵に囲まれた時。青バラに襲われた時。キルクルスの街、時計塔……確かに、そのどれもに紫の姿があった。しかし言葉に出来ない違和感もある。
「あの、さ」
『なに?』
「なんで……紫がここに居るんだっけ。紫は、こっちの世界に来てたっけ?」
紫の顔が、悲しみの色に染まる。触れてはいけないものに触れてしまったようで、夢子の中に後悔の念が沸き上がった。紫は傷付いた顔を誤魔化す様に、不機嫌そうに眉を寄せる。
『何言ってるのよ。呪いでおかしくなっちゃったの? 私達は、二人でこの世界に来たんじゃない。それで一緒に白ウサギになって……二人でアリスを捕まえようって、決めたじゃないの』
『そう、だっけ』
『そうよ。ほら、急いでキャンプに戻りましょう。あの腹黒狸のこと、言いつけなくちゃ』
「そう……だっけ」
『そうよ。私が信じられない?』
……紫を信じられるか否か。そんなことはどうでもよくて。
きっとわたしは、君の味方で居たいだけ。
「そっか。そうだったよね」
夢子が頷くと、紫は安心したように緩く微笑んだ。
紫が夢子の手を引く。森の奥は先程まで恐ろしく暗く見えていたが、一歩踏み入れれば、朝陽のような白い光が満ちていた。夢子はこれ以上進んではいけないと理解しながらも、気付かないふりをして彼女に付いて行く。彼女を否定する自分を殺し、二人の今を守ることを選ぶ。
眩しすぎる光に包まれて、夢子は目を閉じた。
「夢子!」
茂みから小さな体が飛び出し、夢子を追いかける。雪の積もった黄朽葉色の髪、丸い耳。長いマフラーを靡かせ、幼い少年は暗闇に手を伸ばす。そして共に、光に飲まれていった。
(今度こそ、君を守ってみせる!)
*
狸はすぐに夢子を追おうとしたが、狼がそれを許さなかった。先程までは押され気味だった彼女が、まるでこちらの行動パターンを見切ったかの如く先読みするような動きを見せ始める。……まるで“もうボロが出てもいい”と言わんばかりだ。狸の攻撃は空回りするようになり、狼は的確に嫌な所を攻め込んでくる。
狼の刀が真上から振り下ろされ、狸はまずい、と身を引いた。しかし間に合わず、刀身がお面を割り、彼の額を切り裂く。鮮やかな赤がぽたりと雪に落ちた。笑顔に見えなくもない狸の面が取り払われた下、その男の血濡れた素顔は、確かな笑顔を浮かべている。
狸は狼から間合いを取り、手の甲で雑に血を拭った。
「へえ、やっぱり相当な手練れですねえ。騎士さん方や羊くんが手も出せず、あの狼ちゃんが負けた相手だ。期待してたんですよう?」
狸の言葉に狼が溜息を吐く。そして彼女も、顔を覆う面を外した。そこに現れたのは狸の記憶とも一致する“同僚の女の顔”だが、それを自分の目で確認してもなお、狸の態度は変わらない。狼は暫く“彼女らしい無表情”を浮かべていたが、やがて諦めたように肩を竦め、薄っすら暗い笑みを浮かべる。見る見る内に、女の姿は男に変わっていた。頭から足先まで全身を覆う様な黒のマントコート。目深に被られたフードで、顔の半分は隠されている。
「なるほどなるほど。これは確かに“フードの男”ですねえ」
やはり狼は、休憩地点に戻って来ていなかった。キャンプで狼のフリをしていたのは別人だったのだ。狸は自分の予想が外れていなかったことに安堵する。
「ハァ。なんで分かった? 俺の演技のどこがダメだったんだ? ちゃんと本物を見てから真似したんだ。完璧だっただろ?」
「確かに、目が見えない彼女のフリはお上手でしたよう」
狼は視力の代わりに、自分の魔力を周囲に放出しその反響で物の形や位置を把握する。些細な空気の揺れで人の動きを知る。そんな並外れた力を持つ彼女を、狸は時々、目が見えている自分達よりも鋭いのではないかと思う程だった。しかし狼は姿形の無い視線には疎く、目だけのやり取りには気付かない。だからテントの中でのように不躾にじっと見つめ続けても、動じることが無いのだ。偽物の狼はそんなところまで忠実に再現できていた。しかし……
「でもねえ。やっぱりなんか、空気が違うんですよねえ」
「それだけで分かったって?」
「いえいえ。確信を得たのはあの時ですよう。テントであなたがスープを飲んだ時」
「……何もおかしなことはなかった筈だ」
「狼ちゃんは、僕の料理を絶対に食べませんからねえ」
カラカラと笑う狸に、フードの男は「そんなもん知るかよ」と吐き捨てた。
「それにしても、よく敵の差し出したものを食べる気になりましたねえ。毒でも入っていたら、とは思わなかったんですかあ?」
「あいつが毒なんて盛れるかよ。お前らが盛っていたとして、あいつの手を汚すとも思えないしな」
「あいつ……夢子さんですかあ」
夢子が狼と共にキャンプを離れた時、狸は嫌な予感がした。それと同時にチャンスだとも思った。アリスネームを持たないモブの自分が、特別な彼ら、キャラクターに力を示せるチャンス。長年抱いていた劣等感から解放される為に、狸は一人で手柄を立てようとしたのだ。強敵を一人で倒し、夢子を無事に連れ帰ること。その為に夢子を追った。
狸は、もし彼女達が本当に手洗いに行っただけなら、雰囲気を察した時点ですぐに戻ろうと思っていた。しかしいつまで経ってもその感じはない。夢子は何もない方向を、何故か恋するような熱心な目で見つめ、まるで闇に呼ばれるように進んでいく。それを後ろで静かに見守る狼。狼からは魔力が漏れ出ており、懐のダウジングが強く反応を示していた。きっと夢子を魔術……もしくは魔法で唆しているのだろう。
『どこ行くの』と姿の無い誰かを追おうとする夢子を、止めに入る。
『狸さん、脅かさないでくださいよ。何か用ですか?』
『いえまあ。別に夢子さんに用は無いんですが、そちらの方にはありましてねえ』
狸はちらりと彼女の後ろに立つ狼を見た。するとどうしてか、夢子の様子が一変する。強い警戒と敵意をむき出しにして立ちはだかる彼女。彼女らしからぬ様子に、落ち着いているように見えるが実は錯乱状態だったのだろうか? と疑った。しかしどうやら、それとも違う。
何にしても、とにかく夢子を狼から引き離すことが先決だろう。狸は、下手に動けば狼が夢子を人質にし、傷付けるかもしれないと思ったが、狼は夢子に手を出すことはなかった。最後まで夢子を自分から守るように動き、彼女をどこかへ逃がしてしまった。
「あなたの目的は、一体何なんですかあ?」
「お前に話してやる義理はない」
「夢子さんを攫うことだったとしても、もっと効率の良い確実な方法はいくらでもあった筈ですよう? 何なら最初に街で仕掛けた時、そのまま攫ってしまえば良かったんですからねえ。さっきだって、彼女を気絶させて運んでしまった方が早かった」
「……ふん」
「あなたは夢子さんを意識のあるまま、あくまで彼女の意志で、自らどこかへ進むように誘導した。夢子さんの様子がおかしかったのは、呪いが進行したからですよねえ? 遅効性の強力な呪いだ。何故そんな手間暇かかることを? 他の者のように錯乱では駄目だったんです? あなたにとって彼女は、何なんですかあ?」
「よく喋る男だな。話す気は無いと言っているだろうが」
フードの男がマントの下に手を忍ばせる。そこから抜いたのは、狼の脇差より長い太刀だった。二人の間に流れる一触即発の空気。狸は歓喜した。
――ああ、強敵だ! 思う存分打ちのめせる、正真正銘の敵だ!
「あっはっは! 僕はずっと、この瞬間を待っていたんですよう! 強敵と相まみえる瞬間! 僕が僕を証明できる瞬間を!」
高揚する狸とは真逆に、フードの男は冷え切った声で言った。
「粋がるなよ、モブ風情が」
狸はニヤッと笑った後、目の色を変えて男に切りかかっていった。




