Act12-2.「Nameless」
キャンプの賑わいに参加せず、テントの中で一人、ルイは自分の腕に包帯を巻いていた。枯草色の髪がランタンに照らされ山吹色に輝く。瑠璃色の瞳は、仲間に傷付けられ、仲間を傷付けた自分の腕を見つめ重く沈んでいた。
ジャックも狸も、仲間に傷が残るような攻撃はせず、また彼ら自身も目立った怪我をしていない。他の騎士達も自分よりは上手く立ち回っていた。ルイは不甲斐ない気持ちでいっぱいになる。
気分が下がりきっているところに、テントの外から控えめな声がかけられた。「あの」と切れ間から顔を覗かせるのは夢子だ。驚いたルイの手元から、余った包帯の塊がコロコロと転がる。
「スープが出来たので、よろしかったらどうぞ」
おずおず入口の布をめくった彼女の手には、湯気立つ木の器。ルイが何も反応できないでいると、夢子はテントの中をさっと見回し、適当な置き場所が見つからなかったのか仕方なくルイに近付くと「見た目はあんまり良くないですけど、味はまあまあですよ」と器を差し出した。ルイは反射的に受け取った後で、複雑そうな顔で器と夢子を見比べる。
「毒なんて入ってないですよ?」
「いえ、そんな」
ルイは首を横に振るが、正直……素直に感謝する気になれなかった。こんな自分の態度に、彼女も流石に気分を害して出ていくか、何か不満でも漏らすだろうと思ったが、少し眉を下げるだけである。テントを出て行こうとする夢子は、足元の包帯に気付いたのか拾い上げ、広がったそれを巻き直した。そして無言を埋めるように口を開く。
「お怪我は大丈夫ですか?」
「頼りない騎士だと、辱めようとしているんですか?」
「……まさか。皆さんが居てとても助かってますよ」
暖簾のような女だな、とルイは思った。こちらの事など気に留める価値も無いと思っているのだろうか? やり場のない感情に、ルイは苛々を募らせる。夢子はそれを感じ取ったのか、巻き終えた包帯をそっと足元に置くと逃げるようにテントを出ていった。
ルイは器を傍らに置くと、夢子の気配が遠ざかったのを確認しながら、テントの入口に近付きそっと外を窺う。中央の焚火に戻った夢子は、ジャックと何か話をしているようだった。楽し気に見えるその光景に、ルイは自分の中に怒りと憎しみが渦巻くのを感じる。
(団長はどうして平気でいられるのだろう?)
あの女は異世界人なのだ。かつて、自分達の主を奪った“あの男”と同じ……。
ルイは俯き、過去に想いを馳せるように目を閉じる。
――現在、ルイ達騎士団はトランプ王国の王に仕えているが、彼は二人目の主君である。一人目はかつてのハートの女王、ロザリアだった。騎士団は女王の国が誕生するよりも以前に、彼女の元に集まった志を共にする者達である。
彼らはロザリアが異世界人の男……タルトに狂わされ、臣下達から見放された後も、最後まで傍に付き従っていた。彼女への忠誠心が強い分、異世界人への恨みは深い。
ロザリアの死後、女王の国はトランプ王国に吸収された。侵略ではなく援助という形で、女王の不在にかこつけて戦いを仕掛けて来る他国から国民を守り、王は瞬く間に支持を得た。
女王の剣であった騎士団は、反逆の種になりかねない。ルイは、自分達の処遇は良くて国外追放かと思っていたが、王は騎士団をも受け入れた。それも体裁上は、騎士達に選択権を委ねて。
騎士団は戦う術を持たない家族や友人を守ってもらった恩義から、殆どの者が彼に従った。王は実力、成果主義者であり『心からの忠誠を誓う必要はない。やるべき仕事をこなしてもらえればいい』と言い、その淡々としたビジネスライクさは騎士達の主君を変えることへの罪悪感を軽減させた。
それでもルイは、他の誰より強い忠誠心で、一番近くで女王に仕えていたジャックは、国を出てどこかへ行ってしまうのではないかと思っていた。しかし意外にも彼は王に従順だった。もしかするとジャックには、ロザリアの遺していった“次のハートの女王”を見張っておきたい気持ちもあったのかもしれない。王の元に委ねられたその娘は、外見こそロザリアの面影が強かったが、中身には忌まわしき父親の血を感じさせるような醜悪さがあった。だが騎士団の誰もがきっと、完全に憎み切ることが出来ないに違いない。……憎しみを向ける対象が他に居た、というのもある。それが異世界人の存在だ。
稀に迷い込んでくる異世界人。世界に災厄を呼ぶ不吉な存在。これまで騎士団は、数多の異世界人を“処理”してきた。出現の情報を得るとすぐ現場に向かい、顔も名前も確認せずに息の根を立つ。異世界人がこの世界に及ぼす悪影響を未然に防ぐための王の命令だったが、それは騎士団のやり場のない感情のはけ口にもなっていた。国の平和の為という大義名分のもと、これからもその復讐は続いていくのだろうと思っていた。
しかし一番最近現れた異世界人が、そのバランスを崩す。
国王補佐の白ウサギが連れて来た異世界人。どういう訳か新しい白ウサギとなり、救世主のような名誉ある役目を任されたあの少女。王からは抹殺どころか彼女への協力を命じられてしまった。冷淡な印象のあった帽子屋が過保護に接し、警戒心の強そうな眠りネズミも懐いており、嘉月会の狸男も気に入っていそうな彼女。自分以外の騎士達と打ち解け始めているように見えるのも腹立たしかった。(それが嫌で、俺が彼女の世話を率先していたというのに……)
何よりルイが信じられないのは、ジャックが彼女に友好的に接していることだ。あれほど異世界人を憎んでいた彼が、夢子とは冗談を言い笑い合ったりもしている。
ルイにはそれが、ロザリアの二の舞にしか思えなかった。人の心を惑わし狂わせる異世界人。鏡よりよほど恐ろしく、凶悪な存在だ。
(俺は絶対に……異世界人に魂は売らない)
ジャックと話していた夢子が、狸に声を掛けられてそちらの方に歩いていく。ジャックは彼女の後姿を少しの間見守った後、その視線をテントの僅かな隙間の向こう、ルイに向けた。目が合ったルイはこそこそしている自分に極まりが悪くなる。ジャックはどこか呆れたような顔でテントに近付いてくると、ルイを押しこむようにするりと中に入って来た。
「随分、熱い視線だったな」
「すみません」
「……まあ、お前が言いたいことは、よく分かるぜ」
ルイは本当だろうか? と疑うように、探るようにジャックの顔を見上げる。
「団長。俺はあなたが心配なんです。あなたがあの異世界人と関わるのが恐ろしくてならない」
「俺があいつにどうにかされるとでも思ってるのか? 安心しろよ、俺は前から何も変わっていない。ただ……」
ジャックは言葉を途切れさせる。閉じたテントの向こうを透かすように見るその目は、愛憎のどちらともつかない。本人も考えあぐねているような、複雑な色が浮かんでいる。
言葉の続きは、いつまでも語られることは無かった。
「とりあえず、それ食っとけよ。味は中々イケる」




