Act4-2.「永白の国」
宿は街中とは打って変わって、静かで品のある老舗旅館だった。重厚感のある柱や梁、い草の香る畳に、夢子は心が安らぐのを感じる。ジャックや騎士達は和の文化にそれほど馴染みが無いのか、落ち着かない様子に見えた。
ひとまず食事にしようと、人気のない貸し切り状態の宴会場で夕食を囲む。深夜の突然の客にも関わらず、旅館の人々は嫌な顔一つせず充分過ぎるもてなしをしてくれた。とても即席とは思えない料理の数々が卓上を華やかに飾る。
夢子は常盤とジャックと同じ座卓を囲み、騎士達は少し離れたところに座っていた。彼らとの間に壁を感じている夢子は少し安心する。気が楽だ。しかし楽なのはこちらだけのようで……黄櫨はジャックと同じ席に着きたくないのか騎士達の中に混ざっており、騎士達は幼い少年にどう接していいか分からず戸惑っていた。
「ねえ、ジャック。本当に、黄櫨くんに何もしてないの?」
「何もするわけないだろ」
ジャックは、黄櫨のあからさまな態度に腹を立てるでもなく、ただ少しぐったりして見えた。彼が子供相手に怒り出すような人でなくて良かった、と夢子は思う。
黄櫨がジャックを嫌う理由について、常盤なら何か知っているかもしれないと思ったが、語られない以上聞き出すべきではないだろう。(気にはなるけど……結局、わたしには関係無いしなあ)
「ま、いいか」とわざとアッサリした調子で言う夢子に、ジャックが「おい」と突っ込みを入れる。
「夢子も結構、俺に冷たいよな」
「お前のどこに優しくされる要素があるんだ」
夢子の隣で、常盤が呆れたように言った。ジャックはわざとらしく項垂れる。
「あー。ここに俺の味方は居ないんだなー」
「ごめんごめん」
「ホント、傷付いたぜ。これは可愛い女の子にお酌でもしてもらわないと、立ち直れないな?」
悪戯な表情でそう言ったジャックに、夢子はポカンとする。どこからか女を連れて来いとでも言われているのかと思ったが、どうやらその言葉は自分に対して向けられているらしい。それを本気に受け止めては、たちまち彼の玩具にされてしまうだろう。夢子はスン、と取り澄ました表情で「そっか」とだけ返した。それから当てつけのように卓上の徳利を手に取り、隣に微笑みかける。
「常盤さん、お注ぎしましょうか?」
彼の前にあるお猪口が最初からずっと空のままだったので、そう声を掛けたのだが……何故か常盤は不自然に固まり、ジャックは黙ってニヤニヤとこちらの様子を眺めている。夢子は予想と違う彼らの反応に首を傾げた。なんだろう、この感じ。
「あ、いらないですか……?」
「い、いや、もらおう」
そう答えた常盤は、どこか覚悟を決めたような顔に見えた。注ぐ気満々で構えに入っていた夢子は、とりあえず受け入れられてほっとする。そして慣れない手つきで、溢れるギリギリまで注いだ。お猪口の中に透明の、それでもどこか水と違う液体が満たされる。
夢子に期待の目を向けられて、常盤はそれを零さないように慎重に呷った。ジャックが「おー、良い飲みっぷりだな!」とはやし立てる。夢子はすぐ空になったお猪口に嬉しくなり「もう一杯、どうぞ」と勧めた。どんどん勧めた。少し後に、自分の行動に後悔することになるとは露ほども思わず。
それから暫く、舌に馴染む和食をゆっくり楽しみながら、外から聞こえる和楽器の演奏に耳を傾け、騎士達の会話を盗み聞きし、ジャックと他愛ない会話をしていた夢子は――常盤が全く会話に入ってこないことに違和感を覚えた。元から多弁な人ではないが……と隣に目をやると、彼は机に肘をついて頭を押さえていた。俯くその横顔はやけに血色が良い。耳まで赤く色づいていた。
「えっ! 常盤さん、大丈夫ですか? もしかして酔いました?」
夢子は驚きながらも、気遣うように声を抑えて話しかける。常盤は少し顔を上げて、どこか定まらない目で「いや……大丈夫だ」とぼんやり言った。具合が悪そうには見えないが、ひどく眠そうに見える。
「ほ、本当に?」
「ああ、ちゃんと、起きている……」
夢子は彼の返答に、駄目だなこれは、と思った。ジャックが堪えきれず吹き出す。
「ハハハ! お前、やっぱ酒に弱いんだな!」
そう言って笑うジャックも、よく見れば仄かに赤い顔をしていた。意識ははっきりしているようだが、酔っ払いだ。夢子はジャックを一瞥してから「うわー、ごめんなさい、お水お水」と慌てる。するとこちらの状況を察した黄櫨がトコトコやってきて、水の入ったグラスを常盤に手渡した。
「大丈夫?」
「ああ……」
「全然大丈夫じゃないよね。全く、飲めないって分かってるくせに」
溜息交じりに言う黄櫨に、夢子が「わたしが注いじゃったから」と言うと、黄櫨は納得した顔でより深い溜息を吐いた。それから少しぞんざいに常盤の背中をぺしっと叩く。
「ほら、もう部屋に戻るよ」
「いや……」
常盤は、夢子をジャックと二人には出来ない……というような事を言っていたが、聞く耳を持たない黄櫨に促され、ふらつきながら広間を出ていくのだった。
夢子は恨めしそうにジャックを見る。
「ジャック……分かってたなら止めてよね」
「いや、知らなかったぜ? ただあいつ、今まで俺がいくら勧めても、一滴も飲もうとしなかったからな。飲んだらどうなるか気になってたんだ」
以前、ジャックの屋敷で食事を共にした時もそうだったのだろうか? 全く気が付かなかった。悪いことをしたな……と夢子は落ち込む。(いらないって断ってくれれば良かったのに)
「常盤さん、大丈夫かな」
「流石に、明日に響くようなことはないだろ。あいつならそれくらい考えてるさ」
ジャックは、思ったより夢子が深刻な顔をしているのを見て、眉を下げて頭を掻く。
「まあまあ、怒るなよ。お前も一杯どうだ?」
「わたしはまだ飲めません。さっき子供扱いしたくせに」
「ん? ……ああ、そうだったか? 何かお前、年齢不詳なんだよな。子供みたいで、妙に大人びてるっていうか」
ジャックの反応に、夢子はこの世界にも“お酒は大人になってから”というルールがあるのだと知った。……無かったとしたら、飲んだだろうか? 飲んだかもしれない。窓の外にちらつく雪と、その向こうに浮かぶ街灯り。それを見ながらの一杯は、さぞ風情があるだろうと思った。
夢子は気分だけでも、とコップの水を舌で転がす。つまみにはジャガイモの煮っころがしを楽しんだ。
「うーん、やっぱり和食はいいなあ。醤油の味って落ち着く」
「俺はあまり馴染みが無いけどな。……っていうか、お前の世界にも和食があったのか?」
「うん。っていうか、わたしの国の料理だし」
何気なく返事をした夢子だったが、異世界に和食があるのは何故か、という疑問が後からやって来る。味も見た目も、和食という名称も一致しているが……自分の国の料理とはまた違うものなのかもしれない。醤油は醤油なのだろうか? 味噌は? 不思議そうに卓上の料理を見つめる夢子に、ジャックは静かに尋ねた。
「……元の世界に、帰りたいとは思わないのか?」
その顔はすっかり酔いを潜めている。夢子は箸で掴んでいたジャガイモを口に入れ、しっかり噛み、飲みこんでから、ゆっくり口を開く。
「なんか……あなたにその話をされると、色々怖いんだけど」
「いや、悪い。他意は無いんだ」
「ならいいけど。うーん……」
異世界人を快く思っておらず、元の世界で生き死ぬべきだと言っていた彼。角を立てないためには“帰りたい”と答えるべきかと思ったが、彼には既に、故郷への執着の無さを知られてしまっている。夢子は無意味な嘘を吐きたくなかった。
「思わなくは、ない」
「……お前、変わってるよな。普通は帰りたいと思うものじゃないか? 平和なところだったんだろ。この世界よりよっぽど」
「帰れる時が来たら、帰らなくちゃいけないって思ってるよ」
「帰らなくちゃいけないと、帰りたいは別だろ。あっちに大切なものは無いのか?」
夢子は、ジャックはきっとこの世界に大切なものが沢山あるのだろうと思った。そして今の彼は、価値観の違う自分を責めているのではなく、心配しているのだろうということも察する。(何もない寂しい人間だとでも思われたかな?)
「それなりにあるよ。会いたい人も居る」
「え。まさか男か?」
「違う違う!」
即座に否定する夢子に、ジャックは「はあ」と一息つく。
「家族か?」
「家族もまあそうなんだけど……一番は親友かな」
「親友? 何だか意外だな。お前は、友達とベタベタつるむタイプには見えない」
「ベタベタかどうかは分からないけど、いつも一緒に行動はしてたよ。……あーあ、あの子も一緒に来てくれたら良かったのにな。でも」
「でも?」
「なんでもない」
紫はこんな不思議な世界、特に魔法の国なんて嫌いだろうと思った。それに自分は――現実的な彼女の存在を、水を差すものだと感じたかもしれない。窮屈だと、邪魔だと、思わないとは言い切れない。
夢子は自分の中に嫌な感情が芽生えていることに気付いて、完全に認めてしまう前に振り払った。紫が居たら居たで、楽しかったに違いないのだ。彼女も、何だかんだこの場に馴染んでいたに違いない。(それはそれで、わたしだけの親友が取られたようで嫌だけど)
「ご馳走さまでした。明日も早いだろうし、そろそろ部屋に行くね」
「なんだ、もう寝るのか?」
そう言いながら自分のお猪口に酒を注ぐジャックは、もう少し雪見酒を楽しんでいくようだ。「おやすみ」を交わして、夢子は宴会場を後にした。




