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Act31-1.「帰還」

 二度目のワームホール。夢子は時空間ナビゲーターをピーターに託し、数歩後ろを大人しく付いていく。その素っ気ない背中を眺めながら、夢子は思った。


 彼がいなければ、こうして無事ではいられなかっただろう、と。


 ヴォイドとの戦闘。最初にワームホールに飲まれた時のこと。そして、セブンス領で時間のループに巻き込まれてからのこと。振り返れば、いつもピーターに助けられていた。優しい言葉はなく、始終面倒そうな態度だったが、彼は守ってくれたのだ。


(わたしに何かあったら常盤さんに怒られるから、仕方なく、だろうけど)


「もう少しだよ」

「え、あ、ほんと? なんだか帰り道の方が短く感じるね。……ていうか、どこに出るの? 入ってきた場所?」

 ワームホールに飲まれる前、夢子は戦場のど真ん中にいた。またあの場所に戻るなら相当の覚悟が必要である。


「心配いらないよ。安全な場所を指定してる」

「流石! よかったあ」

 夢子は胸を撫でおろした。しかしすぐ、その言葉に罪悪感を覚える。戦場に残してきた人々のことを考えると、手放しで喜ぶことは出来なかった。


 だが、自分が戻っても足手纏いにしかならない。それに、時計塔での戦闘を終えたばかりのピーターも万全ではない筈だ。アドルフのボロボロ具合に気を取られて気付けなかったが、彼もあちこちに傷を負っている。


(そういえば……わたしはテントで寝てたけど、この人はずっと起きてただろうし、絶対疲れてるよね。大丈夫なのかな?)


「見えたよ」

「あ、出口」

 暗闇の先に、白い点が現れた。夢子は気持ちが逸り早足になる。

 その時、ポケットに不思議な重みを感じて、何気なく手を差し込んだ。


 指先に伝わる、熱くて冷たい不思議な感覚。脊髄反射でビクッとなるが、触れても大丈夫そうだと、恐る恐るそれを掴んで取り出す。


 ポケットから出てきたのは、尖ったところの無い丸みを帯びた石だった。明るく燃えるその色は、赤というより橙色に近い。夢子はもうそれが何であるかを知っていた。


(なんで“アリスの残留思念”がここに? いつの間に?)

 今回のループは、アリスではなく橙が引き起こしたものだった。アリスは関係していなかった。……いや、違う。


(そうか。ヴォイドは、アリスの意思が具現化したもの。侯爵邸を襲わせたのはアリスなんだ。オレンジさんが死んでしまったのも、アリスの所為。全部アリスの――)


 夢子は大きくふらつき、その場にしゃがみ込んだ。残留思念が体に溶け込み、眩暈のような眠気のような靄が体を支配していく。

 先を歩いていたピーターが、夢子の異変に気付き駆け寄った。


「なに、どうしたの」

 ぶっきらぼうだが、冷たくはない、少し焦った声。


「……ピーター」

 彼の名前をちゃんと呼んだのは、初めてかもしれない。


「アリスの、残留思念が……大丈夫、少し、眠るだけ……」

 夢子は自分でも何を言っているのか、よく分からなかった。とりあえず心配は無用だと伝わっているのを願うばかりだ。


 ピーターは、アリスの残留思念によって一時的に気を失い、眠りにつくということを知らないかもしれない。もっと色々な話をしておけばよかった。まあ、これで終わりという訳でもないのだから、目が覚めてから話そう。


「ごめん、あとは、よろしく……」



 とりあえず今は、おやすみなさい。




 *




『あら、あなた……きょうはないてるのね』

『だって、かなしいんだ。きみはどうして、きょうはないてないの?』

『だって、かなしくないんだもの。みてよ、こんなにきれいなほしぞらよ。どうしたってなけやしないわ』

『それがかなしいんだ』

『かわったひとね。あなたって、なんにでも、ないちゃうんじゃないかしら』

『そうかもしれない。あさのにおいも、ゆうがたのむしのこえも、ぜんぶかなしい』

『“してき”ね。でも、どうして?』

『だって、ちょっとまえまで、ここにはそんなものなかった。ここには、じかんなんてなかった。かわってしまうものなんて、ひとつもなかったのに。えいえんだったのに』

『かわってしまうのがこわいの?』

『そうだよ。なにもかわらなくていい。きみも、かわらないでいて』


『うーん……それはむりだわ。わたし、いまよりもーっとあなたと、なかよくなるんだもの』

『……!』

『この“かわってしまう”もこわい?』

『……こわくない』


『よかった。さあ、もうおそいから、かえりましょう』

『……やっぱりじかんは、きらいだ』




 *




 夢子は息苦しさに目を覚ます。どうやらどこかに突っ伏して眠っていたらしい。授業中の居眠りを思い出したが、それと混同するほど寝惚けてはいなかった。ここは学校でも、元の世界でもない。


 顔を上げると、テーブルの向かいには久しぶりに見る青年……大きなハートの描かれたゼッケンが最早名札になっている、エースの姿。テーブルや椅子、周りの様子を見るに、ここはカフェなのだろう。


 目の前にはすっかり冷めた紅茶が一杯。店内は広く、優雅なクラシックミュージックが緩やかな時間を作り出している。客席には、エースと同じ兵士らしき者、いかにもな給仕服からエプロンだけを取ったような者、礼服を着た紳士。様々な人が各々の時間を過ごしていた。


(……これ、どういう状況?)

 

 エースは目を覚ました夢子に「おはようございます」と爽やかに挨拶する。夢子は「おはようございます」と早口に返して、早速彼に説明を求めた。


 ――エースの話によると、ここは王城の敷地内にあるカフェ。今は17月22日の夜で、既に十二番地区での戦いは終わっているという。

 21日に夢子達が姿を消してから、一気に勢いを失ったヴォイド。騎士団とトランプ軍は何とかそれを退けることに成功した。死傷者は出たが、ジャックと常盤は無事とのことだ。


 まだ現場の後処理は続いているが、前線で戦っていたエース達の部隊は、他の部隊と交替して戻ってきた。ほんの少し前に城に着いたばかりらしい。


 そんな彼が、何故夢子とカフェにいるのかというと、城に戻る途中でピーターに遭遇し、眠っている夢子を預けられたからだという。ピーターは、失踪していた間の報告や諸々の確認をしなければならず、それを終えて戻るまでの間、夢子を見張っておけと言ったらしい。


(見張っておけって……)


「本当は救護室にお連れしたかったのですが、先日の負傷者でいっぱいで、このカフェに。横にさせていると僕が攫って来たみたいに見えるので、いい感じに座らせてみました」

 ……突っ込みたい気持ちを抑え、夢子は迷惑をかけたことを謝罪する。


「色々とすみません。エースくん……さんもお疲れのところ」

「いえいえ、僕はそんな大した怪我もしてないですし、こう見えて鍛えてますから! あと別に敬語じゃなくていいですよ。名前もお好きに。歳も近そうですしね。僕のこれは癖みたいなものですから」

 エースは力こぶしを作り、少年っぽく笑った。(服の下で全然見えてはいないけれど)


 訊けば、エースは夢子と同い年だという。気さくで話しやすい相手で、夢子は最初に殺されかけた時のことが嘘のように感じた。


 ピーターを待つ間、エースは十二番地区での出来事を夢子に話して聞かせる。彼はジャックに並々ならぬ憧れを抱いているようで、熱っぽい語りには若干脚色が混ざっている気がしなくもないが、とりあえずエースの胸を震わせる熱い戦いだったらしい。


 エースは一頻り話すと満足したのか「夢子さん達は、あの後どうなったんですか?」と夢子に水を向ける。


「エースくんほど上手く話せる自信はないけど……」

 夢子は、話せばどこまでも長くなりそうな今回の一件の、要点だけを説明した。エースは、元から丸い目を更に丸くして聞き入る。


「そんなことが……。そういえば、セブンス領は先月ヴォイドの襲撃に遭っていましたね。あそこの自警団は中々の装備を揃えていますし、近隣領からの迅速な援軍もあり、虚無化はほんの一部で済んだとのことですよ」

「……あっ」

 エースの話に、夢子は思わず身を乗り出す。


(そうだ! ここは未来だから、彼はあの後のことを知っているんだ!)


「だいだ……公爵夫人は? 侯爵様は? 無事だったの?」

「え、ええ、はい。お二人はご無事のようです。ただ侯爵邸は虚無化の被害に遭ってしまって……今は別の場所に、新しく建て直し中なのだとか」

「無事、なんだ……」


 夢子は深く安堵の息を吐き、椅子にぐったり座り直す。そして記憶の中から“侯爵邸”がすっぽり抜けていることに気付いた。時計塔の隣の大きな館……そんなものがあった気はするが、なかった気もしてしまう。ただ、恐らくそこで出会ったのだろう(でなければ辻褄が合わない)メイドのことはよく覚えていた。


(なんでだろう? ……残留思念という“消失後の状態”で、わたしが新たに認識したから?)


 夢子は自分が何を覚えていて、何を忘れているのか怖くなり、一つ一つの記憶を丁寧に掘り起こした。橙、アドルフ、橙の家、キルクルスの街……ユリリオもマーマレードもしっかりと思い出すことが出来る。その鮮明な記憶は、彼らが無事だと夢子に教えてくれた。ホテルもカフェも図書館も、壊れかけていた時計塔も思い出せる。


「夢子さんは大変な時のセブンス領にいたってことですよね? 本当にお疲れ様です。結構しぶといんですね」

「しぶとい……」


 エースは、悪意のないやんちゃな顔を覗かせている。礼儀正しそうに見えて結構遊び心があるらしい。


「まあね。といっても、わたし一人じゃ戻って来れなかったと思う」

「ああ、確かに。ピーターさんが一緒で良かったですね。あの人、頼りになるでしょう」

「えっと……うん」

 そう。確かに頼りになった。だが、それをエースが言うことに違和感を覚えた。


 夢子の知る彼ら二人の接点といえば、この世界に来た直後。エース率いるトランプ兵に捕らえられた夢子を、ピーターが連れ出したときのあの一件しかない。あの時ピーターはトランプ兵を脅し、恐れられていた。とても友好的な関係とは思えない。


「どうかしました?」

「いや……エースくん達とあの人は、もっとギスギスした関係かと思ってたから」

「え? ピーターさんとですか? そんなことないですよ。なんでそう思ったんですか?」

「だってほら、わたしがこの国に来た時……」

「あ、ああ。その節はすみませんでした」

「いや、わたしはいいんだけど」

 よくはないが、今はどうでもいい。あの時ピーターは、エースの仲間を撃っていた筈だ。まさかそんなことが日常茶飯事であるくらい、この世界は物騒なのだろうか?


「まあ確かに、あの時のピーターさんはおっかなかったですけどね。威嚇射撃された奴なんか、泡吹いて倒れてましたし」

「威嚇……?」

「あ! さては夢子さん、ピーターさんが本当に僕らを撃ったと思ったんでしょう? まさか、そんな訳ありませんよ。貴重な城の兵を悪戯に減らすような真似、あの人はしませんって」

「へ……はあ」 


 エースから知らされた事実に、夢子は無性に安心した。

 ピーターが自分の知らない誰かを撃っていても、正直なところそれがどうしたという話だが……そうではなかったという事実に何故か喜んでいる。


「あの人、怒ると怖いんですけどね。普段は割と話しやすい人ですよ。他の偉い方みたいに威張り散らしてないので」

「そうなんだ」

 夢子の顔に明るい笑みが咲いた。思わず綻んでしまった、とでもいうようなその笑顔にエースは視線を彷徨わせ……話題の人物を見つける。

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