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Act18.「彼女の機能不全」

 夢子がいつもの場所に辿り着いた時、そこに彼女の姿は無かった。……当然である。この場所に偶然通りかかるだけの橙が、こんな時間まで留まっている理由がない。だが夢子は、自分の目で確かめずにはいられなかった。


(今夜こそ、ループのことを話そうと思ってたのにな)

 勝負は明日に持ち越すしかない。夢子は肩を落とし、その場を後にしようとした。


 その時、近くでカサッと草が揺れる音がし、夢子は肩を跳ねさせる。

 反射的にそこを振り返ると、木陰に誰かの姿があった。その誰かは、今眠りから覚めたような顔で、胡坐をかいて伸びをしている。


(どうして、まだここにいるの? なんで)

 信じられず立ち尽くす夢子を、橙が蕩けた半目でじとっと睨んだ。


「遅かったじゃない! 待ちくたびれたわ」

「へっ……えっ!? 橙、わたしのことが分かるの?」


「……誰よ!?」


 その返答に、夢子は盛大にコケたくなる。これがギャグなら心行くままにオーバーリアクションをすることができた。だがギャグではない。橙の目は真剣そのものである。


 夢子は何と答えようか悩んだ。また『観光で来たのですが、道に迷ってしまって』と答えるべきだろうか。しかし今の彼女に、そんな説明が必要だろうか。


「わたしは夢子だよ」

「そう、アタシは橙よ。……あら? さっきアタシの名前を呼んでなかったかしら?」

 どうして知っているのかと怪しむ橙。夢子が「そうだったかな」と曖昧に笑えば、素直に煙に巻かれてくれる。


「ねえ。一緒に前夜祭に行こうよ」

 夢子がいきなりそう誘うと、やはり元気な二つ返事が返ってくるのだった。


 橙はこんな時間まで一人で何をしていたのか。夢子にはもう、その答えが分かっている。彼女はまだ出会う前の知らない相手を待っていたのだ。


(……わたしの存在が、橙を変化させてる)


 アドルフがこれを知った時、どういう反応をするか考えると恐ろしかった。だから夢子は、橙が家に寄っていくと言ったら離れた場所で隠れていようと思ったが……いつもより遅い時間だったことで、早く祭りに行きたい気持ちが急いたのか、今回の橙は真っ直ぐ街に向かっている。


 それはそれで、娘を探しに来たアドルフと鉢合わせになるかもしれない。と、夢子は落ち着かなかった。


 こうして二人は、四回目の前夜祭へと繰り出すのだった。




 *




 夢子と橙はいつものようにお揃いの髪飾りを付けて屋台を巡る。橙が選ぶ夢子の髪飾りは、回を増すごとに夢子のお気に入りランキングを更新していた。橙の方がどうかは分からないが、似合っているという尺度でいえば彼女も今日が一番である。


 屋台の食べ物は今日も今日とて魅力的。だが夢子は、自分がループの対象外だと知って、いつもより控えめにしていた。しかし橙が「もう食べないの?」と不満そうに唇を尖らせて、隙あらば何かと食べ物を口に突っ込んでくるため、思うようにはいかない。


 差し込まれたポテトフライを、困り顔でもぐもぐする夢子に、誰かが声をかけた。振り返るとそこには、つい先程ぶりのマーマレードの姿。彼女を前夜祭で見かけたことは無かったが、面識がなかったから気付けなかっただけだろうか?


「夢子ちゃーん! 今日は本当にありがとね! おかげで前夜祭を楽しむ余裕ができちゃった!」


 どうやら、いつもは疲れ果てて祭りどころではなかったらしい。夢子は思いがけない後日談(当日だが)を知ることができて嬉しくなった。笑顔で挨拶をし、橙の方に目を向けたマーマレードに、彼女を紹介しようとする。


「マーマレードさん、この子はわたしの友達で――」

 ちらっと橙の方を見た夢子は、驚きで固まった。橙の顔が、まるで幽霊でも見るように青褪めていたからだ。唇は微かに震え、見開かれた目はマーマレードに釘付けになっている。


 夢子は、二人は知り合いだったのかと思ったが、マーマレードも夢子同様に驚き戸惑っていた。


「ねえ、あなた大丈夫? 随分顔色が悪いけど」

 マーマレードが橙を心配そうに覗き込む。橙はビクッと身を縮めると、逃げるように顔を伏せた。怯えた様子の橙に、夢子は訳が分からないまま、とりあえず二人を引き離した方が良さそうだと判断する。マーマレードに失礼にならないよう、さりげなく自分の背に橙を隠した。


「ちょっと、体調を崩しちゃったのかもしれません。わたしが家まで送っていきますから、大丈夫ですよ」


 心配そうなマーマレードに頭を下げ、夢子は橙の肩を抱くと、その場を離れた。



 ひとまずどこか落ち着ける所に行こうと、夢子は賑わいから遠ざかる。人気のない道に出た時、橙を引いている方の手がぐっと後ろに引っ張られた。橙が立ち止まったのだ。


 橙は肩を上下させ、荒い息をしている。どれだけ吸っても足りないというように、喉をぜいぜい鳴らしていた。苦しさからくる生理現象なのか感情の現れなのか、その瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


 これは過呼吸だ、と夢子は気付いた。だが気付いたところで、どうすればいいか分からない。紙袋を口に宛がうといいとか、それは逆効果だとか聞いたことがあるが、そもそもここにそんなものはない。


 とりあえずその場にしゃがませ、背中に手をやり……さするのは良いのだろうか? 駄目なのだろうか? 結局、手を置くだけ置いて祈ることしかできない。


 どんどん荒くなっていく橙の呼吸に、夢子は橙が死んでしまうのではないかと気が気ではなかった。焦りが見せた幻か……“視界が歪んで見え、眩暈がした”。まるで真夏の陽炎みたいに、コーヒーの中に溶けていくガムシロップみたいに、空間が捩じれて溶けている。木々の葉が、それを揺らす風が、やけに急いでいた。キュルキュルと何かが巻き上がるような音――


 うっ、と橙がえずき、夢子は我に返った。世界が元に戻る。今のは一体何だったのだろう? いや、今はそれどころではない。夢子は「大丈夫、大丈夫だよ」と橙に声をかけ続けた。それは半ば自分に言い聞かせるものだった。



 五分、十分……幾らかの時間が過ぎ、橙の呼吸はどうにか落ち着きを取り戻しつつある。それに比例して夢子も冷静になり「深く、ゆっくり息を吸って」と助言できるまでになった。橙の虚ろな目からは意思が感じられなかったが、言葉は届いているのか、夢子の言葉に合わせて懸命に深呼吸をしている。


 それからまた暫く経ち、呼吸が正常になっても、橙はぼうっと座り込んでいた。腕はだらんと下に降りている。


 早く連れて帰って、ベッドに寝かせてあげるべきだろう。夢子はぐったりしている橙の腕を担ぎ、背におぶろうとした。上手くおぶれる自信は無かったが、橙が無気力ながらに協力してくれたため、無事に背に乗せることに成功する。その状態から立ち上がるのは中々難儀だったが、それでもどうにか一度立ち上がってしまえば、歩くのはそれほど辛くなかった。


 自分とそう体格の変わらない少女を背負いながら、夢子は街を抜けていく。背中越しに、時々小さくしゃくりあげるのが聞こえていた。



 橙が静かな寝息を立て始めた頃、彼女の家が見えてくる。ちゃんと道を覚えていたことに安心する間もなく、夢子は身体を強張らせた。家の外に、どこかに行こうとしているのか、どこかから帰って来たのか、アドルフが立っていたからだ。


 彼は夢子とその背の橙に気付くと、物凄い勢いで駆け寄って来た。その様は凶暴な野犬の如く。唸りを上げ、噛みついてくる。


「橙! 一体何があった!」

「事情は説明しますから、とりあえず橙を部屋に……」


 橙が目を覚ましてしまいますから、と言えば、アドルフは渋々ながら黙った。彼は橙をそっと夢子の背から掬い上げると、その荒い風貌からは想像もできないくらい丁寧に大切そうに、家の中まで運んでいった。


 夢子はこの隙に帰ってしまおうかと思った。アドルフと一対一で会話をするのは気が引けるし、あの調子なら自分が責められかねない。だが結局、橙のことが心配で立ち去ることはできなかった。橙を寝かせ終えたアドルフが戻ってくる。その全身からは、沸き立つ怒りが感じられた。


「貴様、橙に何をした」

 夢子は生まれて初めて『貴様』などと呼ばれた気がした。


「何もしていません。前夜祭に行くまでは、いつも通り元気だったんです。でも前夜祭で、ある人に出会ってから様子がおかしくなって……」

「それは誰だ。誰かが橙に危害を加えたのか!」

「違いますよ! その人はただ、わたしに声を掛けてきただけです。でも橙はとても怯えている感じで……急いでその場を立ち去ったのですが、途中で過呼吸になってしまったんです」

「声を掛けられただけで、そんなことになる訳がないだろう!」

「わたしに言われても困ります! その人は橙のことを知らないみたいでしたが、橙は知っていたのかもしれません」

「だから誰なんだ、そいつは!」

「街のカフェテラスの店主さんですよ! マーマレードさんっていう」


 夢子がその名を口にすると、アドルフは最初はピンと来ていないようだったが、何か思い当たることがあったのか徐々に顔を暗くした。夢子は彼につられてヒートアップしていた自分を落ち着かせる。


「何か、ご存知なんですか?」

「お前には関係のないことだ」

「とてもそうは思えません」

 何? とアドルフは口元を引き攣らせた。夢子は続ける言葉を悩む。ループ問題に巻き込まれている身として、その原因に関わっていそうな橙は、無関係と言える存在ではない。だが……そうではない。言うべき言葉は、心が強く感じているのは、それではない。


「橙は、わたしにとって大切な友達です。関係ないなんてことありません」


「……もうこれ以上、橙に関わらないでもらえるか」

 たっぷり余白を取って告げられたそれは、最初の晩にも聞いたものだった。夢子は全く進展の無い彼に苛々する。


「それはどうしてですか? 橙のことで知られたくない秘密があるからですか? 時間のループが終わってしまって、何か不都合があるからですか?」

 捲し立てる夢子に、アドルフの纏う空気が変わった。激しさが鳴りを潜め、凍てつく敵意を感じる。夢子は“やばい”と感じ、一歩後ずさる――


 と、その時、頭上に違和感を感じて見上げると……空が薄赤い。夕方が訪れつつある。まだ日が暮れてから数時間も経っていないというのに、夜が明けようとしていた。


(いつの間に?)

 唖然とそれを見上げる夢子に、アドルフは「フン」と鼻を鳴らす。


「見ろ。これがお前の不用意が招いた結果だ」

「どういうことですか」

「これが最後の忠告だ。橙にこれ以上関わるな」

 アドルフも突然の空の変化に、気を削がれたのだろう。彼はそれだけ言うと家の中に戻り、乱暴にドアを閉めてしまった。残された夢子は整理の追いつかない頭で、とりあえずずっとそこにいる訳にもいかず、街に向かって歩き出す。


 ――マーマレードと出会い、尋常ではない様子で過呼吸を起こした橙。数時間分を早送りして明けてしまった夜。アドルフはそれを夢子の所為だという。橙の状態と時間が密接に関わっていることは分かるが、仕組みが分からない。そもそも人間が時間をどうこうできるものだろうか? 時間を操作できる者なんて……


(あ、いる)

 そうだ。この世界には“時間くん”という存在がいるのだ。

 時間くんが、白ウサギや眠りネズミと同じロールネームで、誰かがその役割を演じているのだとすれば、それが橙だということはないだろうか?


(頭がこんがらがってきた)

 時間、時間くん。それについて考える時に、自分の世界での時間の定義や常識に惑わされてはいけない。この世界の時間を知ろう。知りたいことを知るには、やはりピーターが言っていたように図書館が良いだろうか。


 林と街の境界。戻ってきた夢子をそこで迎えたのは、ピーターだった。木に凭れて不機嫌そうに腕を組んでいる。彼は夢子を睨み、開口一番に「君、何したの」と言った。当然、時間の早送りに気付いているらしい。(何故、誰も彼もわたしの所為にしたがるのか)


「さっき、侯爵様にも同じこと言われた。わたしに何か出来るわけないでしょ。でも、気になることはあったよ」

 夢子は昨晩の橙の様子を説明し、彼女の異常が早送りの原因ではないかという見解も話した。


「それで、どうする気?」

「図書館に行ってきます」

「は? なんで」

「あなたが言ったんでしょ。時間くんについて知りたいなら、図書館にでも行けばいいって」

 夢子の返答に、ピーターは何か言いたげな顔をしたが、結局何も言うことはなかった。それはまるで、姿も声もない誰かに諭されたかに見え、夢子は眉を顰める。何にしろ、やはり彼から時間くんの話を聞くことは出来そうにない。


「じゃあ、またね」

 夢子はそれだけ言って、ピーターの前を通り過ぎる。


 立ち去る夢子の後ろ姿は、いつもさっぱりしたものだった。振り返ることの無いその背をピーターが見ていると、頭の中で“声”が『僕について調べるんだってさ! 付いていってみようよ』と無邪気に言う。


 ピーターは特に嫌そうにすることもなく、彼女の後を追った。

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