表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/169

Act23.「白ウサギと不思議の国」

 ジャックの館で過ごす四回目の夜。今夜、夢子はここを去ることになっている。体はもうすっかり全快しているものの、常盤からはまるで病人のように過度な心配をされ、帰りは馬車が手配された。夢子はじきに到着するという馬車を、エントランスホールのソファで待っている。


 常盤はジャックと共に地下水路に行っていた。アリスの異変である青バラの棲み処となっていた地下には、世界の“バグ”……つまり何かしらの不具合が起きている可能性が高く、それを発見し修復するのが常盤の仕事であるらしい。


(ジャックはもう大丈夫なのかな?)

 最後に見たのは、和解した時の具合が悪そうな彼。夢子は結局、あれからジャックの顔を一度も見ていなかった。今この時もそうだが、徹底的に引き離されている。


 ジャックが夢子にしたことは、夢子の希望によりここだけの話で終わらせることになった。しかし彼が青バラの存在を隠していたことについては、そうもいかない。既にピーターから城へ報告がいっている。


 本件では、幸いにも死亡者が出ることはなく、意識不明だった者も青バラの消滅と共に目覚めた。原因の青バラが消えたことで、全てはただの悪夢だったかのように元通りになりつつある。国王から贔屓にされているジャックには、それほど重い処分は下らないだろう……と常盤は不満そうにしていた。


(常盤さんがジャックに何かしなければいいけど……)

 夢子は今回のことで改めて、常盤が自分に対して過保護であることを実感していた。だが客観的に見れば、自分に危機感が無さ過ぎるのが問題なのもしれない。……だから彼は、馬車だけではなく“お目付け役”まで用意していったのだ。


 夢子はお目付け役とは名ばかりで、全くこちらを見ようともしない男をちらりと窺う。男は夢子の視線に気付き、鬱陶しそうに顔を顰めた。


「なに」

「なんでも」


 はあ、とピーターはこれ見よがしに溜息を吐く。


「どうして僕が、君のお守りなんて」

 心底面倒そうなピーターに、夢子も溜息を返して、一人でエントランスを出た。外の空気を吸おうと思ったのだ。夢子は一人になりたかったが、ピーターは常盤からの頼みを無碍には出来ないらしく、渋々付いて来る。


 外は静かだった。何人かの使用人はいるものの、彼らは盤上に配置された駒の如く同じ場所に張り付いている。客人に丁寧なお辞儀をしただけで、必要以上に接してくることはなかった。


 エントランスガーデンの中央では、大きな噴水が涼しげな飛沫をあげている。夢子は服を濡らさないようにその淵に腰かけた。深く息を吸うと、冷たいマイナスイオンの味が肺を満たす。


「君は少しも大人しくしていられないの? 子供じゃないんだから」

 ピーターに馬鹿にされ、夢子はムッとした。しかし彼にだけは反論できない。出会った時に彼に見せた姿は、まさしく落ち着きのない子供だったのだから。


「すみませんね」

 夢子は投げやりに返す。ピーターはそれを完全に無視して、少し離れた淵に座った。離れてはいるが、会話には困らない距離だ。それが逆に夢子を困らせる。


 こうして二人になると、夢子は彼とどう接していいか分からなかった。ピーターは隠すことなく敵意や不信を向けてくる。関わり合いたくないという意志がヒシヒシと感じられるのだ。最初に出会った時は普通に会話をしていた気がするが、その時の感覚はもう思い出せない。


 夢子は重苦しい空気を追い出すように、また深呼吸する。より上の方の空気が新鮮で美味しい気がして、自然と空を仰ぎ見た。澄み渡る夜空だったら良かったのだが、空は曇っていて、月も星もどこにも見当たらない。この間見た月はどのくらい満ちていただろうか? この世界に来てから、あっという間に時間が過ぎている。きっと何をしても何もしなくても、こうして時間は過ぎていくのだ。


「あの……残されている時間はどのくらいあるんでしょうか?」

 世界が消えてしまうまでに、どれほどの時間が残されているのか。自分はいつまでにアリスを捕まえなくてはならないのか。その問いに明確な答えがあるとは期待していなかった。ただ、元白ウサギの彼の考えが聞きたかっただけだ。


 ピーターは最初、夢子は空に向かって話しかけていると思っていたが、その遠い目が自分の方に降りてくるのを見て、だるそうに答える。


「ああ……最初に言わなかったっけ。次の満月までだよ。次の満月までにアリスを捕まえられなければ、この世界は終わる」

 想定外に具体的な回答に、夢子は首を傾げる。言葉の意味がよく分からなかった。いや、分かっていたが、受け入れられなかった。


(え……今、この人、なんて言った?)


「いや、いやいや……聞いてないですって。次の満月って!」

 もし雲に隠れている今夜の月が、欠け始めの月だったとしても、そこから約一ヶ月で満月になる。つまり最大であと一ヶ月しか猶予がないということになるのだ。


「それ、本当ですか? そもそも何でそんなことが分かるんですか?」

「本当だし、分かるんだよ……」

 食い気味の夢子に、ピーターはしっしっと手で追い払う仕草をした。


 ――この世界の期限は、ほぼ確実な予知をする予言士グリフォンが予言したものである。彼女にグリフォンの予言について一から説明することを考えると、ピーターはそれだけで疲れた。自分がここで説明しなくとも、きっと後で常盤か黄櫨が教えるだろう。だから彼女にこれ以上訊かれても、無視するか彼らに訊けと返す気でいた。


 しかし夢子は何も訊いてこない。

 ピーターは妙に静かな彼女を不思議に思い、その横顔を盗み見た。


(……何を考えているか、さっぱり分からないな)

 戸惑っている。焦っている。不安を感じている――ように、見える。だがそれはどこから湧き出る感情なのか。たった数日間過ごしただけの世界、それも自身を危険にさらした世界に、どうして当事者みたいな顔ができるのか。


 そんな夢子を見ていると、ピーターは何故か「まあ、大丈夫だよ」という迂闊な言葉をかけてしまっていた。夢子の目に驚きが浮かぶ。言葉の意味に期待しているのか、唐突な慰めを訝しんでいるのか。


 ピーターは夢子と目が合う度、難解な問題を突きつけられた気分になる。彼は考えるのを放棄し、先程の夢子のように空を仰いだ。雲は分厚く空を覆っている。だが完全な暗闇ではない。空全体に薄明るい月の気配が漂っている。


「まだ当分、月は満ちない。月が満ちるのは月がそうしたい時だけで、いつその気になるのかは分からないけど……空気ぐらい読んでくれるでしょ」


 多分、次の満月はまだまだ先だ。そこに至るまでの物語が充分に紡がれるまでは。世界が満足するまでは。


 この世界はそういうものなのだ。


「……なに、それ」

 夢子は気が抜けた。


「この世界の月には心があるんですか?」と夢子が訊けば「じゃあ君の世界の月に心はなかったの?」とピーターは返す。夢子は当たり前……と言いかけてやめた。必ずしもそうとは言い切れない。自分が知らなかっただけで、本当はそういうものなのかもしれない。


「期限がハッキリしてないってことは、ずっと先かもしれないし、明日かもしれないんですよね?」

「明日ってことはないし、ずっと先ってこともないよ。虚無化の進行速度は上がってる。……虚無化のことは知ってるよね?」

 流石にそれくらいは、というニュアンスで言われて、夢子は少しムキになりながら「はい」と頷いた。


「時間がないなら、急がなくちゃ……アリスを捕まえる方法は、彼女の起こす異変を追う以外にないんですか?」

「さあ? 前例が無いから」


 王城ではアリスと虚無化について調査を進めている部隊があるが、まだ碌な成果は出せていない。残留思念に触れた夢子の方が前進しているくらいだ。やはり時間くんが選んだだけの何かが彼女にはあるのだろう。


 ――時間くん。

 ピーターは、今回の青バラの一件でもその存在の気配を感じていた。

 地下水路にいた時間と、夜明けまでの体感時間が一致しないのだ。

 あの夜はあまりに都合よく、妙に早くに終わった。


「異変って今回みたいな幽霊騒ぎとか、色々あるんですよね? 一つ一つ回っていくなんて、時間が足りなくないですか?」

「そうだね。でもまあ、虚無化が進めば……異変自体も探す場所も限られてくる」


「なんで……」

 どうしてこんなにも、彼は他人事なのだろう? 夢子は眉を顰めた。

 虚無化は人も空間も、全てを消滅させてしまう恐ろしいものだと聞いている。それは大災害のように取り返しの付かないことではないのか。それともそうではないのか。


「虚無化で消えてしまった人や場所を、元に戻すことはできないんですか?」

「無理だよ。アリスの虚無化で存在を否定されたものは“無かった”ことになる。一部、間接的な記録は残る場合もあるけど、それが真実だと確かめることは難しい。誰も覚えていないからね」


 無かったことになる。覚えていない。

 昨日まで隣にいた誰かを、今日忘れているかもしれない。

 大切な何かが、自分の知らないところで奪われているかもしれない。


 夢子は考えるだけで悲しく、恐ろしくなった。


 何故ピーターは平気でいられるのだろう。何故、常盤も黄櫨も平然としていられるのだろう。……当事者であるが故の防衛反応だろうか?


「急がなくちゃ」

 夢子は自分に言い聞かせるように呟いた。

 少しでも被害が拡大する前に食い止めなくてはいけない。自分に優しく接してくれる常盤や黄櫨、良い関係とは言い難いが奇妙な縁ができたジャック、それから目の前の彼も……消えてしまうのは嫌だった。今この時を目覚めの悪い夢にはしたくはない。


 急がなくちゃ、と時間に追われる夢子。

 ピーターは彼女の方が自分よりよほど、白ウサギらしいなと思った。


 会話が途切れると、噴水の水音と森のざわめきが戻ってくる。そしてそこに新たな音が混じった。一定の規則で弾む、揺れる音。馴染みがなくてもすぐに分かる、馬車の音だ。馬車は使用人に誘導され門の付近で止まる。夢子は立ち上がった。


 艶やかに黒光りする二頭の馬。馬車は四輪で、香炉みたいな形の小さな部屋を乗せている。御者席に座るコートと帽子の紳士が丁寧に挨拶をした。


 夢子は折角初めて馬車に乗るというのに、全くはしゃぐ気持ちが湧かず、タクシーかのように乗り込んだ。ピーターも続いて夢子の斜め前に座る。馬車は背の高い彼には窮屈そうだった。夢子が常盤の家に戻るまで監視は続くらしい。


 夢子は硬い皮のカーテンを開け、窓の外を眺めた。ほどなくして馬車が走り出すと、景色が流れる。暗い森を背負う厳めしい邸宅が、遠ざかっていく。


 数日前に訪れた時、夢子はここで自分がどんな目に遭うかなど、想像もしていなかった。これからもきっと色々な出来事が待ち構えているのだろう。もっと危険なこともあるかもしれない。けれど、不思議と逃げ出したい気持ちは無かった。


 進みたい。すべきことをしたい。アリスを止めたい。

 それがアリスの残留思念の影響か、白ウサギのアリスネームがもたらす義務感なのか、はたまたヒーロー気取りで舞い上がっているだけなのかは分からなかった。



 ――マンホールを抜けた先にある不思議の国。


 アリスを追う白ウサギ。

 終わらないお茶会。

 人を喰らう青いバラ。


 奇妙で理不尽な世界。


 怖さもあるけれど、それ以上に好奇心が疼く。心が魅了される。



(わたしは、この世界を守りたい。今を素敵な思い出にしたい)



 ……そう。いつかはただの思い出になるのだろう。

 すべきことが終われば、アリスが夢から目覚めたように、自分も元の世界に帰るのだ。退屈で温い、生きた心地のしないリアリティの中で、一人のキャラクターではなく有象無象に埋もれていく。酷くつまらないが、それが現実。




 どうして夢は、醒めなくてはいけないんだろう。




 ―― 第一章『白ウサギと不思議の国』完 ――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
一旦ここまで一気に読ませていただきました! ジャンルをなんとするか、とても迷われるのが分かる作品でした……!笑 夢見がちな夢子ちゃん(イラストとても可愛い)があのアリスのファンシーでどこか奇妙な世界へ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ