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【アリス事変】-不思議の国の終焉が、今始まる。-  作者: 夢咲 咲子
第四章「アノニマスの白昼夢」
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Act9-1.「地下の秘密基地」

(マンホールの中には不思議がいっぱい。ってね)

 丸い蓋を開けると、中にあるのは下水道ではない。少なくとも、夢子が人生で二度下りたそこはそうではなかった。一回目は不思議の国へと繋がる入口。二回目は――秘密の地下通路。


 エリの手引きで門を抜けた夢子達は、街の様子を眺める暇もないまま、マンホールから地下へと下りる。リアス教国の地下にはデータセンターやエネルギー供給所など様々な施設な点在しており、それらを繋ぐ通路が迷路の如く張り巡らされていた。


 天井と足元に点々と続くネオンブルーの照明。鮮やかな青に照らされた壁や床は滑らかな金属で覆われている。歩く度コツコツと音が響き、それに気付いた敵が追いかけてくるのではないかと、夢子は常にヒヤヒヤしていた。


 進んで、曲がって、進んで、曲がって、また曲がって……。道を一本くらい余計に作っても誰にもバレないだろうと、夢子は思った。まさに今進んでいる道も、そうして作られた隠し通路の一つである。


 暫く歩くと行き止まりにぶつかった。しかしエリが小さく何かを呟くと、声紋認証により壁が左右に開かれる。その奥は――


(宇宙船のコックピットみたい。見たことないけど)


 薄暗い部屋。黒光りする床や壁には、無数のパソコンが放つ光が反射していた。床や壁の一部は薄く透けたガラスパネルで、その奥には複雑な配線が見えている。マシンの温度上昇を防ぐための空調は、冬の寒さとは違う独特の冷たさだ。


 部屋の中央には丸テーブルがあり、エリはその上に出しっぱなしにしていた空き箱を慌ててゴミ箱に投げ、甘い匂いのする食べかすを床に払う。橙が「相変わらずドーナツ?」と揶揄った。夢子はそれを耳の端に入れながらも、パソコンに気を取られている。


(わたしの世界のパソコンと同じなのかな? 見た感じは似てるけど……。でもこの世界ではこういう高度な技術の……“現実的”なものは駄目なんじゃなかったっけ?)

 まあ、最早この国にあるものは“近未来的”であり“ファンタジー”に近いのだが……と考えたところで、夢子は自身の思考に疑問を抱く。


(現実的、なんて誰か言ってたっけ?)

 高度な技術による発明が、世界に悪影響を及ぼし災害を引き起こす。夢子がエースから聞いたのはそれだけだ。どうして自分が現実的だなんて解釈をしたのか分からない。夢子の考える現実とは夢子の世界のことで、この世界の現実とは別物なのだから。


 夢子はすっきりしない顔で、勝手に文字を入力し続けているモニターを見つめていた。


「え、ええと、えと、ウウンッ……あの、誰?」

 エリが咳払い混じりにぼそぼそ言う。夢子は、ちゃんと挨拶をしなければと彼女に向き直った。無言ではあったが、ずっと一緒に歩いて来たから今更な気がした。それにしてもなんて下手な挨拶の切り出し方なのか。


 エリは自分に視線が集まると、橙の後ろに逃げた。常に猫背な背中をより丸めているが、女性にしては高身長であるその体は全然隠れていない。胸の前で手を組み、誰とも視線を合わせないよう床を見つめるその姿は、恥じらっているというよりバリアを張っている。随分人見知りらしい。


 夢子は名前だけ名乗る。エリにどこまで話すべきか判断が付かなかったからだ。しかし橙は彼女を信用しているのか、ここまでのいきさつをペラペラ話した。が、夢子が白ウサギである事や、異世界人である事はしっかり省いている。橙の友人だという説明だけだった。夢子はそれに、必要性の有無以上の気遣いを感じた。

 ピーターは名乗らなかったが、橙が適当に代弁する。エリの自己紹介も橙が代弁する。もう、殆ど橙の独り舞台だ。


 エリは自分の言葉が原因で橙が乗り込んで来たことに「そんなつもりじゃなかったんですけどね」と嫌そうに言う。初対面の夢子にも、何となくそれは本心では無いと分かった。


「アタシ達はリアスの異変を止めに来たの。エリ、知っていることを教えてちょうだい」

「……異変を止める、ね。信徒達に聞かれたらタダじゃ済みませんよ」

「ここに盗聴器でもあるって? エリが盗聴器に気付かないわけないでしょ?」

 橙がニヤッとすると、エリも小さくニヤッとする。

 エリは部屋のあちこちから書類をかき集めると、テーブルの上に広げた。


「いいですよ……教えます。ウチもこの異変には、開発者の一人として責任がありますから」

 エリの手が卓上で書類をスライドさせた。すると壁一面がスクリーンとなり、書面が拡大され映し出される。夢子は感心しながら、ちらっと橙を見た。彼女はこういった物を見慣れているのか特に何の反応も無い。ピーターはどうだろう……と盗み見ると、興味深そうにスクリーンとテーブルを見比べている。意外に思ったのが顔に出ていたのか、夢子の視線に気付いた彼は“なに”と声もなく不満を漏らした。“なにも”と返し、夢子はスクリーンを見る。


「この異変は自然発生ではなく、人工的なもの。教会が推進している、あるプロジェクトが引き起こしています」

「アンタが言ってた新プロジェクトってやつね? そう、確か……」



 ――楽園アルカディア・プロジェクト。



 エリは元々暗い顔を更に翳らせ、話を始めた。




 *




 ――アルカディア・プロジェクトは、リアス教国の国家統治機構である教会が発足したものだ。教会の最高指導者であり教国の君主である教皇が、神の意思を受け、信徒達に命じて進めている。彼らにとっての神とはアリスであり、アリスの意思とは世界の消去だ。


 世界の消去――虚無化を、教会はあるべき結末と捉えている。アリスに従順な彼らにとって、トランプ王国のように虚無化に抗う者達は、神に逆らう“穢れた自我”だ。その烏滸がましい自意識を、夢という無意識下の世界に取り込み眠らせる。邪魔者を排除し、虚無化を一気に進めることが、プロジェクトの目的であるという。


「どうして、世界の終わりを望むんですか?」

 夢子がまず気になったのはそこだ。話を遮られたエリは眉を寄せて、夢子ではなくテーブルの端の方を見つめながら答えた。


「その疑問が、そもそも無いんですわ。……抗いようのない世界の意思。誰だって生まれつき、その存在が本能に染み付いている。神に逆らうトランプ王国が特殊なだけ」


「特殊なのは陛下だけだよ。周りが陛下の影響を受けているだけ。口にはしないけど、うちにもここと似たような考えの者は多い」

 ピーターが夢子に向けて補足する。橙も頷いた。夢子はまさか二人もそうなのかと不安になる。だから世界の終焉が近付いていても、皆どこか悠長に構えているのだろうか。何故?


(世界の意思ってなんなの? 納得できないのは、わたしが異世界人だから?)


「信徒達にとっては……終焉は悲観的なものではない。教会の考える終わりとは“神の物語の完成”。幸福な結末」


 ――不思議の国の観測者、世界を創る意識エネルギーの所有者、アリス。物語の采配を振るうその存在を、リアス教国は神と崇めている。


 神の紡ぐ物語は時に人を苦しめ、残酷な運命で翻弄するが、それらは全てより良い結末に至るために必要な展開である。人々は身を任せるのみ。神を信じ、自らに与えられた役割を全うすれば、神が導いてくれる。

 リアスは虚無化を、待ち望んだ幸福な結末だと信じていた。物語から解放され、神の元に還り、そしてその先には永遠の安寧があるのだと。


 それは……かつての戦乱の世、そして度々起こる人智を超えた災害やバグに苦しめられた人々が、苦境を受け入れながら生きていくために生み出した、救いの夢物語である。と、その背景まで語ったエリに、夢子はホッとした。


「エリさんは、信じている訳じゃないんですね」

「……エンジニアが不確かな神話に縋るなんて、ナンセンスですわ」

 エリは肩を竦めてみせた。


「で、そのプロジェクトって何?」

 ピーターに促され、エリがビクッとする。まあ、彼の視線は鋭く冷たいから、逃げ出したくなる気持ちは分かる……と夢子はしみじみ思った。夢子も最初は結構苦手だった。その赤い双眸は睨んでいるか見下しているかに見えるし、溜息交じりの声は苛々して聞こえる。だがこれは元々だ。割と、デフォルト。


「こ、のプロジェクトは、」

 エリはスクリーンを指差す。そこに映るものは複雑な機構の巨大な……丸い投影機と、細い電子管で繋げられた四角い箱。エリはこれこそが、アルカディア・プロジェクトの核となる、異変の元凶だと言った。


 それは、アルカディアへと誘う“方舟はこぶね”。人間を無意識下の夢の世界に隔離する装置だ。電子管によって繋がれた対象者の意識エネルギーを抽出し、深く眠らせる。睡眠中の脳波を特定の周波数に合わせ“共通の夢”を見せる。その夢こそが楽園だ。


 完成された一つの夢を複数人で共有することにより、共通認識を得た夢はただの夢ではなくなる。表世界を現実たらしめるものが認識であるならば、それを覆すのもまた認識だ。方舟は夢という疑似現実を認識により拡張し、表世界の現実を覆い隠そうとしていた。


 教会は人々を方舟に乗せ、意識エネルギーを集めている。方舟に意識エネルギーが充分満たされた時、キーが発動し、夢が現実になるのだ。

 贄となる人々が眠る箱。夢子にはそれは船ではなく、棺桶に見えた。


「あなた達も道中、空や景色がおかしなことになっているのを見たのでは? この国の周辺はもう大分、現実が曖昧になっている。その内なにが夢か現実か分からなくなって――バックグラウンドと一体になる」


 表の世界と、この世界の根幹となるバックグラウンドを分けるものは意識。それが弱まることで、二つを隔てる境界が曖昧になっている。


「バックグラウンド……? 一体化したらどうなるんですか?」

「バックグラウンドは全ての源。神の在り処。正直、どうなるかなんてさっぱり分からないですよ。でもきっと、人間が触れてはいけないものだ。だって前の時だって……」

 エリはしまった、と口を噤む。橙は彼女から視線を逸らした。

 過去に橙が進めていたリューズ・プロジェクトもまた、巨大な時計によりバックグラウンドの時間エネルギーを引き出すものであった。


「この国は、まだバックグラウンドの研究を続けてたのね。神への理解を深めるため……なんて崇高なものじゃない。リューズ・プロジェクト同様に、軍事力強化のためでしょう? 信徒達は分からないけど、トップはそういう連中だもの。都合の良い言葉ばかり吐いて」

「リーダー、大分賢くなられましたね。……でもまあ、今回のプロジェクトはそうでもないんですよ。今の聖下はリーダーが居た時とは違う」

「代替わりしたんだったかしら」

「はい。先代の教皇聖下は五十年前に身罷られました。現在は先代が養子として迎えられた、アオ様が継いでおられます」

 “五十年前”という点に、夢子以外は誰も驚きはしない。夢子はやっぱりこの感覚には慣れないな、と思った。この世界の時間は夢子の世界の時間と違うのだ。


「……アオ? アタシは会ったこと無いわね。狸ジジイ二代目ってわけ?」

「いえ。聖下は実直なお方で、誰よりも敬虔な聖職者ですよ。だからウチも言われた通り、プロジェクトを進めてしまった。聖下が、人々を苦しみから解放する方法だと仰るから。あの方のお言葉には不思議な力があるから」


 しかし、実際に人々が眠り、目に見える世界に影響が出ると、エリは怖気づき後悔してしまった。


「ウチ以外のプロジェクトメンバーは皆、教会に捕らわれている。……きっと、方舟の仕組みが外部に漏れないようにするためです。聖下は自らの正義を貫くためなら何をも厭わない」

 エリは青ざめた顔でズボンを握り締めた。仲間達と連絡が付かなくなり、自身も追われる身で、変わっていく世界を眺めているしかできなかったエリ。孤独と不安がその顔に染みついている。橙は優しい声で尋ねた。


「エリ、プロジェクトの進捗はどうなってるの?」

「……完遂間近です。目に見える変化が現実に現れるのは最終段階なんですよ。もう三日も持たないかもしれない」

「なっ……三日後に世界が終わるってこと!? それを止めるにはどうすればいいのよ!」

「方法は二つあります。一つは、発動キーを奪うこと。でもウチはそのキーがどんな形でどこにあるのか分からない」

「開発に携わってたんでしょう?」

「キーの設計は、聖下に忠実なエンジニアに一任されていました。そしてその彼も姿をくらませている……」


「もう一つは?」

「方舟が見せている共通の夢の“モト”を断つこと。モデルとなる夢を見ている人柱が居るんですよ。その人を目覚めさせれば食い止められるかと」

「それが誰かは分かってるの?」

「……あたりは、付いてる。とにかく、止めるなら方舟のある大聖堂に忍び込む必要があります。明日はちょうど定例礼拝――“黄金の昼下がり”が開かれる日。教会従事者でなくとも、信徒であれば門は開かれる。潜入するなら、最後のチャンス」


(……なんか、ますます凄いことになってきた)

 舞踏会に行って、空が割れて、敵国に侵入して、ロボットに襲われて……今度は本拠地に潜入しなければならない。短い期間でよくもこう、色々なことが立て続けに起きるな! と夢子は感心した。この世界で一生分のイベントを消費してしまうのではないだろうか?


「あの、エリさん……あなたはアリスがここに居るって言ってましたけど、あれはどういう意味なんですか? アリスも教会に?」

 夢子の問いに、エリは顔を赤らめた。盗聴器に吹き込んだ独り言を、初対面の夢子にどこまで聞かれたのか考え、火を噴きそうになる。


「きょ、教会に居るかどうかは……。ただ最近、国内でアリスを目にしたという話が尽きない。ウチ自身も……一度見てしまった。アレは、幻なんかじゃなかった。命が震える、圧倒的な――」


「やっぱり居るのね。ここに」


 橙は拳を握り締める。その目に憎しみが燃えているのを見て夢子は驚いた。


(そっか……橙は……)

 彼女は、アリスを憎んでいるのだ。ヴォイドによって命を奪われた大切な人のため、敵を討とうとしているのかもしれない。今回の橙の行動力の源は、エリを助ける事だけでなかったのだ。 

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