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Act1.「おいしい紅茶」

『おしろのぶとうかい?』

『そう! ステキだとおもわない? いっしょにいきましょうよ』

『きみいがい、いないならね』

『なにいってるの。おしろなんだから、おうさまとかおうじさまとか、いっぱいいるわよ』

『じゃあいかない』

『どうして?』

『きみこそ、どうして? ふたりでいいじゃない。ふたりだって、おどればぶとうかいだし、おちゃをのめばおちゃかいだよ』

『そんなのちがうもん……あなた、ぜんぜんわかってない!』

『べつに、わからなくていい』

『もう! いいもん、ひとりでいくから!』

『あ、そう』

『う……もういい! どこにもいかない!』

『……ふふ、どっち?』



 ――二人の子供の夢。夢子はまどろみの中、心地良い余韻に浸っていた。それはアリスの残留思念を手にした時に見る夢によく似ていたが、どこか異なる。客観的に映像を見ているようなあの夢より、二人を身近に感じた。

 新たな残留思念を見つけていないのだから、これは“ただの夢”なのだろう。残留思念に影響を受けた、無意識の描く虚像だ。




Act1.「おいしい紅茶」




(うーん、爽やかな夕方!)

 夜が明け17月34日の夕方が始まった。ベッドを抜け出た夢子は、窓を開けて朝焼け然とした夕空を胸いっぱいに吸い込む。清々しい空気に目も頭も冴え渡った。

 トランプ王国に戻って来てからずっと風邪で寝込んでいたが、三日目の今日はもうだるさの名残もない。全快である。充分な休息を得たからか元よりも元気な程だった。……もしかするとモスの風邪薬には、何か気分を高揚させる作用でもあるのかもしれない。


 ――夢子が不思議の国に来てから二十六日目。セブンス領でのループ期間も含めれば、この世界での生活時間は約一ヵ月にもなる。世界の期限と知らされていた満月の夜はまだ訪れていない。以前ピーターが言っていたように“月が空気を読んでくれている”のだろうか。なんとなくその感覚を理解し始めている夢子は、この世界に大分染まっている。

 夕方と夜を繰り返す度、元の世界には無い国名、居ない人物、独特な文化や街並みが、夢子の普通になっていく。夢子は自身の適応力の高さに感心した。


 楽なワンピースを脱ぎ、着慣れた緑色のシャツを着て、ショートパンツを履きサスペンダーを付ける。髪に櫛を通すと一気にちゃんとした人間になった気がした。流体から個体に変化したみたいな感覚。身嗜みを整えることは、自分が自分であるために必要な事なのだ。「よし」と夢子は色鏡の前で最終確認を終え、部屋を出る。……とりあえず、常盤か黄櫨に快復を報せよう。


「あれ、黄櫨くん」

 先に会ったのは黄櫨だった。階段を下りた先の廊下で、まるで誰かを待つように玄関の方を見て立っている。黄櫨は夢子の姿を認めるとトコトコ近付いて来た。


「夢子、もう大丈夫なの?」

「うん、おかげ様で。体も頭もすっかり軽いよ!」

 頭が軽い、は別の意味にも聞こえそうだ。黄櫨の「そうみたいだね」という返事にどういう意味か訊いてみたくなったが、黄櫨に他意がある筈もない。


「黄櫨くんの看病のおかげだよ。本当にありがとう。ところで、こんな所で何してるの?」

「新しい本が届くのを待ってるんだ」

「へえ……」

 最早黄櫨の自室と化している、書斎を超えた図書館。連なる本棚に隙間なく詰められた本達。あの壮観な眺めは、まだ進化の途中らしい。

 黄櫨が待っているという本は、絶版となっている入手困難な本で、長いこと書店に取り寄せを依頼していたのだという。黄櫨が物に執着し探し求める姿は意外なような、そうでないような……。夢子は微笑ましく少年を見る。


「それは楽しみだね。……常盤さんは?」

「部屋で仕事してるよ」

「そっか……」


 夢子が不思議の国に来たばかりの頃――青バラの一件に巻き込まれるよりも前、常盤は不在がちだった。普段は外で仕事をする事が多いのだろう。だがこの三日間は毎日、看病に訪れる黄櫨の後ろからそっと夢子の様子を見に来ていた。

 夢子にとってベッドの上の整っていない姿を彼に曝すことは、黄櫨に見られるのとはストレスの度合いが段違いで、正直迷惑だった。が、嬉しくもあった。きっと心配して、今も家に居てくれているのだろう。


「挨拶してこようかな。邪魔になるかな?」

「ならないから、行っておいでよ」

「そうしよっと!」

「……なんか、元気になり過ぎてない?」

「あ、やっぱり?」

 なんだろう。病み上がりハイだろうか? ろくに動かず喋らずにいた反動が来たのかもしれない。夢子は照れ笑いを浮かべる。


「常盤の部屋に行くんだったら、今お茶を淹れるから持って行っ、」

「いいよ、黄櫨くんは大事な本を待ってるんでしょ? わたしが淹れて持って行くから」

「あ、」

 黄櫨は何かを言いかけたが、本をいち早く受け取りたい気持ちには勝てないのか、キッチンに向かう夢子をそのまま見送った。

 

 夢子はキッチンで、棚に並んだ茶葉の缶を眺める。缶の形状はどれも殆ど同じだがラベルが違った。どれがどういう茶葉なのか分からない夢子は、とりあえず目に付いたものを手に取り蓋を回してみる。……うん、紅茶だ。茶葉をポットに振るい入れ、沸かしたお湯を注ぐ。ポット、ミルクポット、シュガーポット、カップを二つ、トレーに乗せる。常盤がミルクや砂糖を使うところは見たことが無いが、今日の夢子は甘いミルクティー気分なのだ。



 ――コンコン。前回訪れた時より緊張は無く、夢子は堂々とノックする。しかし夢子が声を掛けると、やはり中からは前と同じく少し慌てたような音が聞こえてきた。……ドアが開く。


 夢子は、今回もラフな格好の彼を見ることができるかと若干の期待をしていたが、出てきた常盤はいつも通りに整った身なりで、眼鏡も掛けていなかった。残念。


「夢子、もう起きて大丈夫なのか?」

「はい。そのご報告と……あと、お茶でもいかがかな? と思いまして」

「君が淹れてくれたのか? ありがとう」

 常盤は夢子の手からトレーを取ると、並んだカップを見て一瞬だけ何か考えた様子を見せたが、夢子が部屋に入りやすいようドアを大きく開ける。


「お邪魔します」

 部屋の中は、以前来た時より幾分片付いて見えた。前は本や書類で埋もれていた床がちゃんと見えている。机の横には夢子が座るために発掘された椅子がそのままになっており、本置き場と化していた。常盤はトレーを机の上に置いてから、本を本の山の頂上に重ねて椅子を空ける。夢子は、このようにして彼の部屋の山々は構築されていったのだろうと思った。


 紅茶を注ぐため、夢子がポットを手に取る。常盤は席に着き、それをじっと見ている。


(いや、見過ぎじゃない?)

「夢子」

「は、はい」

「注ぐ前にティーポットの中を軽くかき混ぜると、濃さが均一になる」

「はい」

「待て、混ぜるのは一二回でいい」

「はい……」

 いつもは見守るようなその視線が、今は監視にしか感じられない。夢子は失敗できないテストを受けている気持ちで慎重にポットを傾ける。ただ注ぐだけ、単純な作業だと思っていたそれに何か小難しい作法でもある気がして不安になった。ドキドキしながら、二つのカップに複数回に分けて注いでいく。白磁のカップに赤褐色が満ち、チューリップ状の曲線を描く縁から香りが立ち上った。どのくらい入れるのが正解なのだろう……と悩んでいる内に、なみなみの紅茶でカップの内側の流麗な模様が隠れる。


(こんなものかな?)

 何とか二つのカップに注ぎ終え、軽くなったポットをトレーに戻すと、夢子はそっと息を吐いた。


「ど、どうぞ」

「……ありがとう」

 常盤がカップを手に取る。夢子は緊張の面持ちでそれを見守る。彼は紅茶を一口含むと……静かにソーサーに戻した。ことりと乾いた音が耳に触れる。常盤は何も言わずにミルクポットに手を伸ばすと、紅茶に注いだ。カップの中にもこもこと白い花が咲く。夢子は彼がミルクティーを飲むのは珍しいなと思った。その理由に不安を抱き、確かめるために自らもカップに口を付ける。


(あれ? 普通だな……)

 もしかしたら渋過ぎたかもしれないと思ったが、普通に紅茶の味だ。普通。まあまあ苦くて硬いお茶の味。以前常盤に淹れて貰った時の感動はそこに無い。


「あの、美味しくないですか?」

 おずおず口にしたそれがずるい質問だと、夢子は自覚している。こんな訊き方をすれば絶対に美味しいと返って来るに決まっているのだから。と思っていたが……


「茶葉は蒸らし過ぎると渋みが強くなる。君が使ったこの茶葉なら、三分が最適だ」

「は……はい」

「ポットも温めないまま使っただろう。紅茶の味は湯の温度に左右される。どんなにいい茶葉でも、淹れ方次第で――」

 突然の紅茶講義が始まる。夢子は彼のスイッチを押してしまったらしい。最初は機嫌を損ねてしまったのかと思い、大人しく聞いていた夢子だが、どうやらそうでもない様子。饒舌に語る彼はどこか活き活きして見える。夢子が徐々に熱の入っていくそれを愉快に思いながら、顔だけは真面目に聞いていると、常盤はハッと我に返ったように話をやめた。


「……折角淹れてくれたのに、すまない」

「ふふ。今度、美味しい紅茶の淹れ方、教えてくださいね」

 紅茶が好きな常盤、本が好きな黄櫨。彼らの事を知っていく度、この世界がかけがえのないものであることを実感する。無かったことになんて、してはいけない。(だからアリスを、止めなくちゃいけない)


 夢子は机に重ねられた書類に目をやる。そこに記されているのは各地のバグや異変の報告資料だった筈だ。それらは一度城に集約され、使いの者により常盤の元に届けられているらしい。実際に誰かがそれらを運んで来るところを、夢子が見たことは無かったが。


「何かアリスに関連しそうな情報、ありましたか?」

「いや……」

「そうですか……。わたし達がこの間会ったのが、アリスですよね? 顔は分からなかったけど、普通の女の子に見えました。ジャックが言うには会話も出来るみたいだし……話し合いで解決できたらいいのに」

 夢子の言葉に、常盤は何も言わず卓上に視線を落としている。夢子は楽観的過ぎて呆れられたかな、と思った。


「アリスの残留思念も、この間ので四つ目ですよね。最初にピーターが言っていたみたいに、やっぱりこれはアリスへのヒントなんでしょうか。集めるごとに……」


 なんだろう?

 夢子はその先に詰まった。残留思念を集めるごとに自分の中に蓄積されていく何か。アリスを捕まえなければならないという強い義務感。それは単にこの世界への愛着から来るものだけではない気がする。


「えっと。とにかく、また次の異変に向かわないとですよね。わたしも資料、見ていいで、」

 ぐう。夢子の言葉を夢子自身の腹の虫が邪魔する。空腹にお茶だけ入れたのが悪かったのだ、と咄嗟に弁解が浮かぶが、恥ずかしくて何も言えない。気まずそうな夢子に、常盤の方が申し訳無さそうな顔をする。


「食事にしよう。少しだけ待っていてくれるか? 急ぎのものだけ片付ける」

「は、はい。待ってます」

 常盤は喫緊の対応があるらしく、それに取り掛かる。世界の終焉という大きな危機だけに関わってはいられないのだろう。この脆弱な世界には小さな綻びが多数あり、それを放置することも出来ないのだ。

 

 常盤は開いたままの本の書きかけのページに、ペンを走らせる。大量の書類に埋もれて、何かを書き記す謎の仕事……子供が大人の仕事を抽象的に理解したみたいなそれは、世界の修復作業だ。夢子が何度見ても読み解けそうにない難解な記述が、紙面上から立体世界のバグにどのような作用をもたらすのか。さっぱり仕組みを理解できていない夢子だったが、なんとなく“それらしい”とは感じていた。



 ――カリカリ、カリカリ。インクと紙の匂いに包まれながら、夢子はペン先が紙に引っかかる音を聞いていた。波や雨音のようにヒーリング効果がありそうなそれらは、しかし今の夢子を癒してはくれない。油断してまた無様な音を響かせる訳にはいかないと、落ち着かなかった。

 夢子は空腹から気を紛らわせようと、机の端に丸められていた不要そうな紙をそっと手に取り、押し広げ……折ってみる。三角形に折って、もう一度三角形に折って、袋状に広げて潰す。ひっくり返して同じことを繰り返す。落描きや折り紙をするとリラックスできるのは何故だろう? 夢子は小さく手を動かしながら、よそ見したり考えに耽ったりした。


 近くに広げられている資料に目をやると、そこには安っぽい都市伝説じみた内容が書かれている。どれもある程度本物っぽく、偽物っぽい。例えば突然人が消えたり――現れたり。


 夢子の頭の中に“異世界人”の存在が浮かんだ。

 先日会った異世界人のミツキは、この世界から消えかかっていたという。それはロールネームを持たないからだろうか? 


 夢子もまた、白ウサギの役によって存在を維持している。白ウサギの役目を終えることで元の世界に帰れるとピーターは言っていたが、それはロールネームを手放す事とは違うのだろうか? それに、全てのキャラクターの役目に明確な終わりが存在するとも思えない。元々白ウサギであるピーターが、アリスを捕らえたら白ウサギでなくなる、存在意義を失うというのは、おかしな話の気がする。


 ……そもそも役目を終えずとも、この世界が消えれば夢子は解放され、元の世界に戻れると言ったのは常盤だ。だとしたらその時、ミツキも彼女の世界に戻れるのだろうか?


(どういうことなんだろう?)

 夢子は常盤の横顔を盗み見た。今となっては彼を疑う気持ちは無いが、疑問はある。そのペンが止まったら訊いてみよう、と思った。


 が、その時が来ると共にドアがノックされる。分厚い木の向こう側で少年の声がした。


「招かれざる客だよ」

「酷い言われようだな」

 黄櫨の声だけではない、聞き覚えのある低い男の声。ジャックだ。常盤は「また来たのか」と嫌そうな顔をしながら、渋々ドアを開ける。ジャックは「よう」と軽く手を上げ、部屋の奥に居る夢子に目を丸くし、笑みを引き攣らせた。


「……いつも部屋に連れ込んでるのか?」

「妙な言い方をするな」


(連れ込まれてるんじゃなくて、わたしが押しかけたんだけどね)

 夢子はそう思いつつ、面倒になりそうで何も言わない。ジャックの言葉で改めて客観視すると、確かに自分と常盤の距離感はおかしいのかもしれないが、不思議とそれに違和感も危機感も感じないのだ。彼と過ごす時間にはどこかしっくり馴染むような心地良さがある。


「それで、お前は一体何をしに来たんだ」

「疑問符が付かないあたり、早く出て行けと言わんばかりだな。夢子の見舞い、じゃ駄目か?」

「駄目だ」

「……お前と、それから夢子にも用事があって来たんだよ」

「わたしにも?」

 夢子が興味を抱いて立ち上がると、常盤はジャックを睨んだ。自分を通してからにしろというその視線に、ジャックは意地悪くニヤつく。今回の用事は、常盤を通せば夢子にまで話がいかないだろうから、直接彼女に言ったのだ。ここに夢子が居るとは思っていなかったが。


「まあ、立ち話も何だし」と客人らしからぬジャックの発言で、話は談話室に場所を移してからすることになった。夢子は部屋を出ようとして、手元に完成した小さな折り鶴をどうしようか悩む。そしてほんの悪戯心で、そっと机の棚の奥に忍ばせておいた。いつか常盤が何かの拍子に気付いた時の反応が楽しみだ。……棚が書類で埋もれなければいいが。


 黄櫨は心待ちにしていた本かと思い玄関のドアを開けたところ、そこに立っていたのがジャックだったらしく、無表情ではあるが最大に不機嫌なオーラを放っていた。「珍しく機嫌が良いと思ったら」というジャックの言葉から、嬉々として開けたのだろう黄櫨が想像できる。夢子は同情しつつ、そんな黄櫨が可愛くて堪らない。ブツブツと小さく文句を言いながら、また廊下の民になる黄櫨を見送った。




(うーん。お腹空いたな~)

 常盤とジャックのピリついた空気も、もう慣れたものだ。夢子は常盤の隣に座ってジャックと向かい合う。顔色の良い夢子に、ジャックは含みの無い笑みを浮かべた。


「もう体調は良さそうだな」

「うん。すっかり」

「なら良かった……これをお前に」

 そう言って差し出される、一枚の封筒。ざらざらとした肌触りで重みがある。表面には複雑な図柄――円みを帯びた逆三角形の盾が冠を被っているものが描かれていた。盾の中心にはハートが描かれ、その周りをダイヤ、スペード、クローバーが囲んでいる。繊細で複雑なトランプ王国の国章だ。

 封筒の中には、分厚い二つ折りのカードが入っていた。夢子はそれをそっと開き、書かれていた予想外の(何も想像できていなかったが)内容に驚く。

「……えっと」と反応に困っている夢子に、ジャックがわざとらしい台詞調で言った。


「姫、舞踏会にお越しくださいますか?」


(……この国、なんでこんな時にこんなことしてるの?)


 封筒の中身は、パーティーの招待状だった。

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