赤ちゃんをバシバシ叩く母親
「早く来てください!」
わたしは警察官の手を思い切り引く。警察官が大きく態勢を崩すのも構わず、とにかく引く。
急がなければならない。さもないと、あの赤ちゃんの命にかかわるかもしれないから!
「走りながらでいいので、何が起きたのか、手短に教えてください」
「この先の公園にあるベンチで、母親が、赤ちゃんのことをバシバシ叩いているんです!」
「そ、それは止めないといけませんね!」
警察官とわたしはさらに速度を上げる。何かあってからでは遅い!
程なくして、現場に到着する。
ベンチには赤ちゃんを抱えた母親が、まだ現場に残っていた。あろうことか、まだ赤ちゃんのことをバシバシと叩いている!
「早く来てください!」
わたしは警察官の手を、より強く引く。
しかし、警察官は逆にわたしの手を引いてきた。わたしはよろけ、転びそうになる。寸でのところで、警察官が支えてくれたので、転ばずには済んだ。
「どうしたんですか! 早く、止めましょう!」
「いや、止める必要はなさそうですよ」
止める必要がない?
警察官の目には、間違いなく赤ちゃんをバシバシ叩いている母親が映っているのに?
「もう一度、よく見てください」
言われてよく見るが、母親が赤ちゃんを抱き上げ、その背中をバシバシと叩いている様子に変わりはない。
「見ていても状況は変わりません! 早く、止めに行きましょう!」
わたしは警察官の手を全力で引く。だが、それでも全く急ごうとしなかった。むしろ、わたしが行こうとするのを、手を引いてきて止めてくる有様だった。
もう、わたしだけで止めよう!
そう決心したと同時に、警察官の言葉が耳に入った。
「あれ、赤ちゃんのげっぷを出そうとしているだけです」
「……げっぷ?」
わたしは眉間に皺を寄せた。赤ちゃんの背中を叩いて、げっぷを出させるなんて、聞いたことがない。
警察官は、わたしの反応を見て、どこか納得したような表情を見せた。
「ご存知なさそうなので、一応、説明した方がよさそうですね。赤ちゃんは母乳やミルクを飲む際、空気も一緒に飲み込んでしまうんです。それをああやって、背中を叩いたり、さすったりして、げっぷとして外に出してあげるんです。そうしないと、寝返りなどをした際に、吐き戻してしまうことがあるんです。場合によっては、それがのどに詰まってしまうこともありますから、げっぷを出させることは、大切なことなんです」
初耳だった。だが、警察官が嘘を言っているとは思えなかった。
それによく見れば、公園を歩いている人の多くが、赤ちゃんとお母さんを見るなり、少し頬を緩めているようだった。虐待が行われていると思っているのなら、到底出るはずのない反応だ。
全然知らなかった。わたしはてっきり、母親が赤ちゃんが言うことを聞かなくて、叩いているのだと思い込んでしまった。
急に顔が真っ赤に染まる。熱くなる。
恥ずかしい! 恥ずかしすぎる!
そんなわたしを見て、警察官は優しく笑いかけてくれた。
「恥ずかしがる必要はありませんよ。今回は勘違いで済みましたが、勘違いで済まなかった場合、通報することで、子供の命を救えるかもしれません。通報することはなかなかハードルの高いことかもしれませんが、あなたのような人がいてくれると、より多くの人の命や安寧を守れるのです。警察官がいても、数は限られます。全員を見守り続けることは不可能ですから。なので、恥ずかしがる必要は全くありませんよ。最も、悪戯の通報はダメですけどね」
警察官とわたしの視線が交錯する。
「それにこの件で、あなたは一つ、物事に詳しくなりました。それはあなたがレベルアップした、ということです。素晴らしいことじゃないですか!」
わたしは警察官の言葉に面を食らった。誤通報を咎められることがあっても、まさか褒められると思っていなかったからだ。
なるほど、失敗は成長につながるってことか。それに、失敗を恥じるよりも、それを糧にした方が絶対に自分のためにも、世の中のためにもなる。
すべき反省はする。その上で、わたしはこの出来事を自分の成長の肥料にする。
でも、それだけで終わらせるのは、もったいない。
家に帰ったら、お母さんやお父さんから、赤ちゃんのときのわたしの話を聞いてみよう。本やネットでも、赤ちゃんのことを少し調べてみよう。
そうすれば、わたしはもっと成長できる!
「さて、わたしは、一応、赤ちゃんとお母さんに声をかけておきます。何か困りごとがあるかもしれませんから」
そう言って、警察官はベンチに座る母親と赤ちゃんの元へと歩いて行った。
~FIN~




