9.少女の良心を裏切り/救いと呼ぶ
ある日を境に、コルツ王国には異種族の奴隷があまり入ってこなくなった。それは、魔王を倒した勇者一行の一員である魔導師に辺境の森を与えた時期と一致する。
王は苛立っていた。
せっかく手に入れたエルフの王女はどんなに手を尽くそうと口を聞きすらしない。苛烈な炎のような瞳は美しいが、怒りを宿した目線は触れることすら躊躇わせる。
絶世の美女と噂だった妖精族の女王は勇者を向かわせる前に逃げ去っていた。
それも、もしやあの平民のせいか、と思うと苛立ちが募る。
せっかく“たかが平民”に財を与え、領地までくれてやったというのに自身に牙を剥いたのか。そう考えればあとは早かった。
「オーガスト・ブレイズを呼べ」
勇者を呼べと命じて、続いて聖女や戦士を呼び出す準備をした。その後で、クレアという赤髪に青い瞳の少女もまた、“それなりに見られる”見目をしていたことを思い出して口を歪める。
王から話を聞いたかつての仲間の行動に、彼らは裏切られたような顔をした。
どこからどう考えてもクレアの行動は倫理的にそう間違ってはいないのだが、その良心をこの国の貴族は理解できないし、それを裏切りと捉えた。それは教育が彼らのような考え方を作ったといえる。
一方で辺境の森を越えた先の竜の国。
狼の耳を持つ黒髪の少女がそこにある城の謁見の間にて槍を向けられていた。メイド服を着た少女は少し乱暴にその短い髪をガシガシと乱した。
(あー。ソフィーじゃなくて俺に頼んだご主人は正解だったぜ)
淑やかな外見に騙されがちではあるが、クロエよりもソフィーの方がだいぶ気が短い。今のような状況になれば主人を馬鹿にされたと多少暴れていたことが予想される。
とはいえ、クロエもそこまで気が長い方ではない。クレアからのお願いだから我慢ができている。むしろ、クレアのお願いでお利口にできるからお使いに出されたとも言える。そのあたり、クレアの人選はシビアだったともいえる。
「それで、妹は無事なのだろうな」
「俺が出てきた時は元気に林檎齧ってたぞ」
黒い髪に厳しい冬を思わせるアイスブルーの瞳。精悍な青年が赤い椅子に座ってクロエを見据えた。
「それで、その人間とやらは何が望みだ」
「早くあの嬢ちゃんを迎えに来てくれることだな」
手紙に書いてあるだろうに、と面倒そうに口に出す。信用されないというのは想像がついていた。でなければ殴りかかっていたかもしれない。
「あの国の人間が隷属もさせずに竜をそばに置くか?」
「うちのご主人は、そういうのにうんざりしてんだよなぁ」
奴隷商の食べ残しを荒んだ目で見ていたクレアを思い出してしみじみとそう言う。
その反応に思うところがあるのか、少し目の厳しさがマシになったと思った瞬間、美しい白銀の髪の美女が飛び出してきた。
「おまえ、その言葉に嘘はないな?」
「ない」
乱れた髪、血走った目で自らを落ち着けるようにそう問いかけた女は、「案内しろ」と噛み付くように言う。
「母上」
呆れたような声が謁見の間に響く。
「構わない。というか、本当にさっさと引き取ってほしいんだよ。こっちは。人間の生活区域と近い場所だから、何かあると責任取れねぇってご主人もボヤいてるしよ」
クロエがそう伝えれば、女は泣き崩れた。それを慰めるように青年はその背を撫でる。
「無事に娘が帰ってきたならば、褒美は望みのものをとらそう」
女はそう言うと光り輝く。次の瞬間、そこに現れたのは白銀の鱗を持つ美しいドラゴンだった。
まだ娘が帰ってきていないが故にまだ何も言わないが、ドラゴンの女王は少女の良心を救いだと思った。愚かな人間に捕らえられ、隷属の魔道具に縛られてしまえば厄介だった。良心が少しでも残っている人間に保護されていたのは幸運としか言いようがなかった。
彼女たちがそう思ってしまうほど、コルツ王国の人間は腐っていた。
クレアが聞けば「他国はもっとマシだよ」と言ったかもしれないが、この場に彼女はいない。人間の国を他に知るものはいなかったのでツッコミは入らなかった。