18.行商人レディア
アッシュブラウンの髪を緩やかに束ね、人の良さそうな笑顔を浮かべた青年が、クレアの家を訪ねていた。青年は整えられた薔薇のアーチが見事で、ある場所の庭師を思い出して苦笑した。
「お久しぶりでございます、レディア様。今日は何をお持ちくださったのですか?」
「肉はあるか!?」
裕福な商人らしく、そこそこに仕立ての良い服を着た青年をソフィーとクロエは「レディア」と呼んだ。
その後ろで書き物をしていたクレアが立ち上がって、「久しぶりだな」と声をかける。
「新しいペンはあるか?多少高くとも物持ちする方がいいな」
「あるよ。あと、試作品のインクの試し書きをお願いしても構わないかな?」
「……レディア殿、何かにつけて融通してくれているが、店のものに怒られたりはしていないの?」
「経営者は僕だよ?君が試して改善点をレポートして貰えばより良いものができると知っているのに、文句なんて言わせはしないさ」
ラピスラズリの瞳が悪戯そうに細められた。その様子を見て、クレアは肩をすくめる。引く様子が見られないし、高級品であったとしても試作品を貴族に納められはしないのだろう、と受け取った。試し書きを、と差し出された紙に買うペンにインクを入れて軽く文字を書く。書き心地に満足いったのか頷いて、「これを」と会計をする商品と一緒に置いてもらった。
食料品を吟味するクロエは真剣な顔である。いくら、氷魔法を応用してクレアが作った保管庫があるとはいえ、少しでも保ちが良いものを選びたいと、金色の瞳が爛々と輝いている。
ソフィーはクレアの周囲を見張ることに徹していた。クレアは一向に気が付いてはいないが、彼女はそれなりに整った見目をしていた。それは、感情を表出しづらくなって、明確にとは言えずとも旅をしている時にあまり手入れもできずボロボロになってくすんでしまっていたけれど、今の穏やかな暮らしとソフィーの執念と呼ばれるまでの熱意をもって磨かれて再び輝き出した。そのせいか、クレアに下心を持って近づく人間も増えていた。
(リヒトがいたときは虫除けにもなっていましたけれど)
妹を探しに行った青年の旅はそうすぐに終わることはないだろう。勇者の襲撃を受けたエルフ族の多くは捕らえられた、奴隷にされたりしている。無論、クレアが逃した親子のように逃れたものもいるが、それは少数だ。クレアは当然のように彼らを逃していたがコルツ王国の人間のほとんどは彼らを騙してでも売り払う。金になるからだ。彼女たちもその無事を願っているけれど、売られているか隠れているであろう少女を一人見つけるのは非常に困難だ。
主人第一主義のソフィーにとっては虫除けが居なくなってしまったこともまた大問題ではあるが、それで引き止めたりはしなかった。幼い頃に引き離された為かまるでそういった事を真に理解できないが、家族が大切であることはわかる。
「最近は変わったことはない?」
「そうだな……。男が増えたか?」
レディアの問いに少し考え込んで、それからこの下賜された家の近くに男が増えたと言ったクレアに浮かべていた笑顔が少し剥がれたのを感じる。
そもそもこの邸宅は、王家が少し問題がある王族などを療養等の名目で閉じ込めるための離宮の一つだったところを改築したものだ。彼女が出している利益は莫大な上、王女も懐いている。リルローズが訪れることや、その警備の一環もあってこの土地は王家の管理下にあった。
「警備兵以外で、という意味で間違いない?」
「多分そうだな。陛下がつけてくれている警備兵は皆、一度は第二王子殿下と挨拶にくるから顔は把握している。それ以外だ」
毎回丁寧に説明しに来なくても、と思っていたクレアだったが、防犯上必要だったのだなと今更ながら思って苦笑した。自分のことは割と蔑ろにしがちな彼女だったが、美しい容姿のメイド二人を危険に晒したいと思ってはいない。
ちなみにであるが、女王は別に挨拶をしろなんて言っていない。エリアスが彼女に会いたいがためのことだった。
一瞬顔の引き攣ったレディアであったが、瞬時に立て直したあたりが辣腕を振るう商人らしい。
食料品と生活用品を売って、彼らはクレアの邸宅を後にした。
クレアの邸宅を離れ、商人一行は裏口から王城へと入っていった。使用人すらあまり通ることのない通路を通ると、隠し部屋にたどり着く。
レディアは髪飾りをするりと取り外すと、その髪は白銀の髪へと戻った。侍従が本来の彼が着るべきであろう最上の仕立ての服へと着替えさせるとようやく一息ついた。
「アレーディア殿下、どうなさるおつもりですか?」
侍従の言葉に振り返ったレディア……第一王子アレーディアは柔和な笑顔を浮かべて頷いた。
「そうだね、とりあえずエリアスの暴走が多少プラスにも働いていたようだけれど…。リルローズもあそこには寄り付くし、とりあえず隠密を増員。それから報告書は直接私へ」
笑顔なのにどこか圧がある。
誰かが地雷踏んだのかもなぁと苦笑して、侍従は「かしこまりました」と頭を下げた。