処刑場に手向けの花を
やっとこの時が来た。
これまでの屈辱、恨みを募らせた時間がやっと報われる。
民は怒り狂い、怒鳴り声で場を満たしている。
(そうだ。もっと怒れ。俺たちの敵であり全ての元凶のあの男。惨めに喚いて恐怖に晒され、最後は苦しんで死ねば良い。
それでも苦しみはすぐ終わるのだから、気は晴れないけど)
まだあの男は来ない。後数時間はかかるだろう。王都の牢獄から公爵領の処刑場まではそれなりに距離がある。それでも待ちに待ったこの日を、誰も落ち着いていられない。
この処刑場までの道も民衆で溢れている。
瘦せ細って、目だけをギラギラさせて、あの男が連れて来られるだろう方向を見つめている。
まだかと怒鳴る者、感極まって泣いている者、静かに道を見つめている者。自分もその中の一人だと嫌でも思い知らされる。
「なあダグ、この柵もういらねえよなあ」
「え?…ああ」
「次の領主にダグから言ってくれよ」
「俺が?」
「俺たちのリーダーだろ?なあ。この柵があると、いつまでも前を向けない気がするんだよ」
「そうだな。もう罪のない人が処刑される事もないよな」
処刑場は柵で囲まれている。
10年以上前の柵のなかった時代、罪のない民が公爵の命令で処刑される時、親や恋人が処刑の邪魔をする事があった。
そうなれば当然その人も処刑される。
だから中に入れないように民衆で柵を作った。そこからは柵の外側で騒ぐだけで処刑の邪魔にならないから、一緒に処刑される事はなくなった。
そのかわり罪のない人が処刑される度に、道端に咲いている花を添えるようになった。
どうしても助けることが出来ないのなら、せめて手向けの花を、民衆の意思表示をと。効果はなかったけれど。
(そういえば柵の中に入れたのはお嬢だけだったな)
冷たい柵を撫でながら公爵家のご令嬢と初めて会った時を思い出す。
あの日、また子供が処刑されると聞いて、花を摘んで処刑場へ向かった。
まだ幼い少年が手に縄を掛けられて処刑場にいる。せめて助けられない少年の最後を見届けようとした時、処刑人が罪状を言って耳を疑った。
少年の罪は公爵家のご令嬢を誑かそうとした事。それは公爵家への裏切りと同じらしい。
最期の一言を処刑人に促された少年は、
「僕はお嬢様に恋をしただけだ。何度やり直しても僕はお嬢様に恋をすると思う。これが罪ならこうなった事に後悔はないよ。でも、あまり痛くしないでね」
そう言って、膝をついた。
怖がって泣くこともなく、現実を認めないのでもなく、微かに体を震わせている。そんな罪人を初めて見た。
そうして顔を伏せる直前に、俺の持っている花を見て微かに微笑んだ。
そのまま手向けの花を見つめて、静かに顔を伏せた一拍後、軽い音をさせながら首が飛んだ。
花を置く事も出来ず、立ち去る事も出来ず、晒される首をその場で見つめていた。
足が地面に縫い付けられたように一歩が踏み出せない。
その間に処刑場の掃除が終わる。その時、遠くから馬車の音が聞こえて慌てて振り返った。
公爵家の家紋を付けた豪華な馬車がこっちへ向かって来るのを確認し、すぐ花を置いて建物の影に隠れる。
公爵家の馬車からはメイドと少女が降りてきた。
(あれは公爵家の一人娘か。自分に恋した少年を笑いにでも来たのか…)
公爵家に人間はいない。妹はそう言っていた。きっとあの少女も人じゃない。
憎い相手を歯を食いしばって見ている事しか出来ない事が悔しく、もっと早く仲間を集めて公爵家の人間を全員処刑台へ送ってやる。そう改めて決意を込めて睨む先で、少女は柵の扉を開けさせて中に入っていく。
少年の首のところまで行くと、処刑人に首を渡すように言っている。
(まさか首で遊ぶつもりか。どこまで死者を馬鹿にしているのか)
更に憎しみを込めて見つめる先で、少女は首を抱きしめて座ったまま動かなくなった。
笑うでもなく、遊ぶでもなく、無表情のまま少年の首を幼い少女が抱きしめて動かない。
綺麗な服が少年の血で汚れていく。
それは異様な光景だった。
少女の隣にメイドが座る。
少女も、メイドも、俺も、誰も動けなかった。
長い時間そのままだったと思う。風が吹いて少年の髪がなびいた時、少女の顔が自分が置いた手向けの花の方を向いた。その瞬間、その大きな瞳から涙が溢れた。
何かを呟いては首を抱きしめて泣いている。大きな声ではなく、諦めと絶望と憎しみを抱えて。
その泣き顔を見たことがある。いや、ここでは良く見る顔だ。
誰かが処刑される度、その親や、子供、恋人が柵に縋り付いて泣く表情。
(まさか、俺たちと一緒なのか?公爵家のご令嬢なのに?大切な人が殺された?)
奪う側だと思っていた。奪えるだけ奪って笑っている様な人間しかいないと思っていた。
良く見る表情だが、幼い子供がするような表情ではなかった。
気付いたら手向けた花の場所まで戻ってきていた。
そのまま少女を見つめる。
大切な人を殺されて、泣く事しか出来ない少女。自分達と同じ憐れな犠牲者。
その時、少女が顔を上げて目が合う。
(終わったと思ったんだよな…)
公爵家の人間に見つかったら殺される。見ていただけで気に障ると目を抉られた者がいた。
その後いつもより少なく税を納めて処刑された。
泣き顔を見つめていたのがばれたのだから、結果は分かる。
「そこのあなた」
覚悟を決める。大丈夫。俺が殺されても後を継ぐ仲間がいる。
「ねえ、そこのあなた」
「……はい」
「手伝ってほしいの」
何を言っているんだと思った。何を手伝うのかと。
「そっちに行くわ」
少女はそう言って、もう一度少年の首を撫でた後、髪の毛を一房切り取る。
首を戻す直前に、額にキスをして丁寧に戻す。
メイドはその手伝いをしながら、少女をただ見つめている。
ゆっくり柵から出て来て、少女が処刑場へ振り返る。
柵の向こう側が大切な人の最後の場所だ。
「皆この景色を見ているの?」
「まあ、そうですね」
「遠いね」
「え?」
「あの場所は遠いね」
「はあ」
良く分からない事を言う。
最後に涙を拭いて、こっちを振り返った時には少女は泣いてはいなかった。
「手伝ってほしい事なんだけど」
「あ、ちょっと待ってください。ここじゃ危険なので場所を変えさせてもらっても?」
「…良いわ」
「じゃあ、えっと、こっちへ」
そこでずっと黙っていたメイドが少女の前に出てくる
「そこは安全ですか?」
「何?」
「お嬢様は公爵家の一人娘です。今から行くところはお嬢様にとって安全でしょうか?」
「……まあ、話を聞くまでは俺が安全を保障しよう」
「そうですか」
「リサ、下がって」
「ですがお嬢様」
「下がって」
メイドはこっちを探りながら少女の後ろに下がる
少女は俺を見上げて言った。
「服はこのままで大丈夫?」
「服なんて皆汚れてますよ」
それがお嬢と俺の出会い、俺が19歳の時だった。
あの日と同じ風が吹いている。
生暖かく頬を撫で、火照った体を冷やしていく。
(今日は花はいらねえな)
あの男の死を悲しむ人間なんてここにはいない。
今日だけは罪のない民が処刑されるわけじゃない。
処刑場の中で処刑人が準備を始める。
確認、準備、今までにも嫌というほど見た動作。
そこから視線を逸らし、柵に寄りかかる。
(確かに遠かったな)
あの男をこの処刑場まで連れてくるのが、こんなに遠いとは思わなかった。
お嬢が協力してくれなければ絶望的だっただろう。
足掻いた時間は無駄ではなかった。
周りにいるのは一緒に奔走し、恐怖を共有し、衝動を抑えあった仲間達。
一番危険なところでやってきたんだから、悲願達成する時は特等席で見せてやりたかった。
本当は殺された仲間達も一緒に。
この日を一緒に迎えたかった仲間達を思い出し、何を供えに行こうかと考える。
すると隣で何か言いたげにこっちを見ている事に気づく。
「なんだ?」
「いや、ダグがリーダーで良かったと思って」
「なんだよ急に」
「俺たち頭悪いから、ダグがいなかったらここまで来れなかったんじゃないかって」
「お前たちは勉強していないだけで、頭が悪いわけじゃない」
「…今更だけどよ、ダグは誰に教えてもらったんだ?難しい事知ってる奴らは、皆あっち側だっただろ」
「…俺が子供の頃には、子供に学問を教えてくれる親切な人がいたんだよ」
よく分かってなさそうな間抜けな顔に微かに笑う。
こんなに危機感なく話が出来るのは初めてだ。
いつも周りに怯えて、神経をすり減らしてきた日々。
これからが大変なのも良く分かっている。
次の領主も良くないかも知れない。
でも、その時はまた動けば良い。今度は犠牲が出る前に。
…まだあの男は来ない。
「そういえば」
呟きに間抜け顔がこっちを向く。
「いや、同じ質問をされたと思ってな」
「あー、あの家のメイドさんか」
「侍女頭な。いや、質問したのは違う人だが」
「もしかして、もう一人の協力者か?結局誰なんだよ」
「今日が終わったら教えてやるよ」
お嬢と直接情報の交換が出来るようになったのは、確かお嬢が13歳の時だった。
それまでは自由に外に出ることが出来ないお嬢の代わりに、あのいけ好かないメイドが情報の橋渡しを担う。
公爵領に貴族が集まれる場所をと、大きな庭園を造った時、あのメイドから連絡があった。
庭園の工事には仲間が参加していた。また庭園には大きな建物や迷路のようなところもある。
密会するには最適な場所だ。
あの男が視察に行く前日に、お嬢が視察をするらしい。そこで会おうという事だった。
メンバーはお嬢といけ好かないメイドと俺と親友のマーク、マークの妻のクレアだ。
お嬢が協力者だと知っているのはこのメンバーだけ。協力者と言っても公爵家の血筋だ。どうしても憎しみを抑えられない人もいる。内通者は歓迎されたけど、正体を明かすわけにはいかない。
この人数なら大丈夫だと思っていた。
今までが上手くいっていたから、油断していた。
密会当日、工事に参加した仲間に案内されて着いた場所は広いスペースを高い草木の壁で囲んだ所だった。
その仲間も長く場所を離れられないと言って、一目では分からない隠れる場所として作った小さなスペースを伝えて持ち場に帰る。
「おいマーク、クレアどうした?」
「この前、公爵にやられた奴の治療をしてから来る。なんとかなりそうなんだ」
「そうか」
そう言って黙る。ここではあまり声は出さない方が良いと分かっているから。
しばらく静かに隠れていると、遠くの方からお嬢様が侍女と責任者とメイド達を連れて歩いて来た。
そうして隠れたスペースの近くに置いてあるベンチに座る。
侍女の指示でお菓子と紅茶の用意をして、メイド達は控える。お嬢様の隣で責任者が熱心に説明をしていた。すると今まで黙っていたお嬢様が
「ねえ、うるさいし景色をゆっくり見たいから邪魔なのだけど。見えないところに行ってくださる?」
その言葉に責任者は慌てふためき、前からいなくなる口上を言って去っていく。
すると今度は控えたメイド達に向かって、
「だから邪魔だって言ってるの。意味わかる?あなた達がこの花よりも美しいと思って?直ぐに私の視界に入らないところまで下がりなさい」
マークと顔を合わせて笑う。
なんて生意気なお嬢様だ。
メイド達も急いで遠くまで移動していく。
お嬢様の側にいるのは侍女だけだ。
静かな時間が流れる。周りの音を敏感に感じる。
草木の擦れる音、お菓子を咀嚼する音、カップを置く音。
近くには誰もいない。
「もう出て来て大丈夫ですよ」
その声にマークと顔を合わせて頷き合う。
ゆっくり狭いスペースを出ると、あのいけ好かないメイドがこっちを見ていた。
「メイドは皆いなくなったんじゃないのか?」
「失礼な。私はお嬢様の侍女になっています」
「へえ、昇進したんだな。侍女様?」
「私は不美人ですから」
(胸を張って言う事か?)
疑問が顔に浮かんだのだろう、マークが背中を軽く小突いてきた。
「なんだよ」
「ほら、お嬢様に挨拶しよう」
その言葉にお嬢様の方を見る。
お嬢様は無表情にこっちを見ていた。
自然と体に緊張が走る。
するといけ好かない侍女がお嬢様に俺たちの紹介を始めた。
「お嬢様、こちらがダグとマークと、あらクレアはいないのですか?」
「ああ、クレアは遅れてる」
「そうですか。お嬢様、もう一人女性がいます。待ちますか?」
それにお嬢様は首を横に振って、改めてこっちを見る。
「久しぶりね。何年振り?あまり時間は取れないの」
そこで初めて表情が動いた。
13歳とは思えない鋭い視線で俺達を観察しながら口元だけに笑みをのせる。
俺達もお嬢様を観察しながら笑顔を浮かべる。
手紙や書類のやり取りだけで、数年会っていなかった。
会っていたのは間にいるリサだけだ。決意に変化がないか、裏切りはないかを探り合う。
(まるで大人と話しているようだ)
でもそろそろ一歩踏み込んで今日の話し合いを始めたい。
その為には、大人の俺達から近寄らないと駄目だろう。
「あー、お嬢様?」
「何かしら」
「心配しなくても俺達の決意は変わりませんよ。お嬢様もですよね?」
「…そうね、心配しすぎたかしら?そうね。私は今も変わらないわ」
「ならもう良いんじゃないっすか?始めましょうよ」
笑顔で手を差し伸べる。お嬢様は口元に笑みを浮かべる。
マークもほっとした顔をして、頭を下げる。
リサだけが無表情のままだった。
これからの動き、連絡の取り合い方、庭園で会えるいくつかの箇所を確認し終わった時、マークが隣でそわそわしている。横目で見るとどこか上の空で庭園の奥を見ている。
「どうされたのですか?」
侍女が眉を顰めて見つめてくる。
「クレアが来ない」
お嬢様が顔を上げてマークを見つめる。その瞳が微かに揺れた。
「どうして遅れているの?」
「怪我人の治療をしていて、そんなに時間はかからないはずなんだ」
「リサ、確認してきて」
「お嬢様、私は離れるつもりはありません」
「リサ、お願い。貴女しか動けない」
お嬢様がリサの袖を掴んでお願いをしている。
お嬢様の懇願にリサは情けない顔をして、お嬢様を見つめる。
「リサさん、お願いします」
マークも不安そうに頭を下げる。
リサは更に情けない顔をしてお嬢様の手を握った。
「ここから動かないでくださいね。貴方達も、暴漢が現れたら盾にでもなりなさい」
俺達には冷たい顔で言い残して、早足で庭園を歩いて行った。
「お嬢様、ありがとうございます」
「何もないと良いけど」
沈黙が落ちる。
本当に何もなければ良い。手に汗がじっとりと滲む。
マークの様子を伺いながらも、不安が襲い掛かってくる。
クレアの無事を祈りながら、ただ座っている事しか出来ない。今までも大丈夫だったから、きっと今回も。
その時、リサが走って戻ってきた。
「リサさん!クレアは」
「黙って直ぐに隠れなさい」
鬼気迫る顔に押されて、最初に隠れたスペースに押し込まれる。
マークと顔を見合わせて、様子を伺う。
リサは場を整えて、お菓子を食べていた様に偽装している。
「リサ、何があったの」
「予定外です。まさか。旦那様が」
「お父様が?」
「旦那様がここに」
さっきまで紅茶を楽しんでいたように場を整えた時、庭園の奥からやってきたのは公爵だった。
視察は明日のはずだ、何故?
周りにいるのは、最初にお嬢様の案内をしていた責任者、メイド達、雑用係、公爵の私兵、そして私兵に捕まっているクレアだった。
「クレア」
マークがかすれた声で呟く。
俺は飲み込む唾も出てこない。
マークが飛び出しそうになり、咄嗟に体を抑えながら、小さな声で叫ぶ。
「落ち着け!少し様子を見よう」
「落ち着いていられるか!クレアが捕まってるんだぞ!」
「分かってる!分かってるんだよちきしょう!」
「なんでだ。今日はあいつは来ないんじゃなかったのか!」
「そうだよ!でも来たんだ。クレアは見つかったんだ!」
「俺に黙って見とけって言うのか!」
「お嬢様の出方を見よう!な、どうにかなるかも知れない!」
「なるかよ、んなのなるわけねえ!」
あの公爵が見逃すわけない。分かってるが今飛び出したら台無しだ。
一縷の望みをお嬢様にかける。
(どうか、クレアを)
その時、お嬢様が立ち上がった。
マークも動きが止まって、お嬢様がどう出るかと見守る。
上機嫌で歩いてくる公爵。
「ごきげんようお父様。視察ですか?」
「おお、我が娘が視察に行くと聞いたから、良い機会だから一緒にと思ってな」
「まあ嬉しいです。一緒にお茶でもどうですか?」
「いや、用事が出来たから直ぐに帰るよ」
「少しも駄目ですか?最近弟の教育ばかりで寂しいですわ」
「ふん。未来の皇后がそんなのでは困るが、私にとっては可愛い娘だ。少しなら良いだろう」
公爵は胸を張り、お嬢様を見下ろして鼻で笑うと椅子に座る。
すかさずリサが紅茶を出す。
お嬢様も椅子に座りなおし、クレアの周りは私兵やメイドで囲まれている。
顔は赤く腫れていて、既に殴られている様子が分かる。
改めてマークを抱えて抑え込む。
「して、最近の妃教育はどうだ」
「はい、先日先生に覚えが良いと言われました」
「ふん。そこで満足しているようではいかん」
「その通りです。まだまだ学ぶことが多く、未熟者だと痛感しています」
「そうだな。しっかり学び、公爵家に貢献するように」
「尊敬するお父様の為にも、当然の事です」
その答えに公爵は満足そうに頷き、紅茶を啜る。
「お父様…あの平民はどうされました?」
「ん?ああ、この庭園の前で見つけてな、見目が良いから持って帰ろうと思ってな」
息を飲む。頭が真っ白になって、何も考えられない。
怪我人の治療をしていたから…遅れたから見つかった。
身体が震えている。これは俺が震えているのか、マークが震えているのか。
「もっと綺麗な女性がいるのではないですか?」
「それはそうだろうな。しかし、今回はあの平民で遊ぶと決めた」
「そうですか……」
しばらくお嬢様は考え込み、また公爵を見上げる。
小さいこぶしを握り締めて、自分の足を抑えつけている。
「また私との時間が無くなるのですか?お父様はお忙しいですね」
「そうだな。私は忙しいからな。お前はその間、しっかり学ぶのだぞ」
「…はい」
そして小さく息を吸って、もう一度公爵を見上げる。
「では、あの平民ですが、お父様と遊んだ後に私とも遊んでいただきたいの。終わったら私に下さい。少しでも尊敬するお父様と関わりたいの」
「情けない事を。あの平民は渡せないだろう。代わりにメイドを一人増やそう」
「どうして駄目なのですか?」
「ああ、終わったら使い物にならないだろうからな」
「どういう意味でしょうか?」
「いや、言い過ぎたな。お前はまだ幼い。知識を付けるが良い。ではそろそろ私は帰るぞ」
どうしてもクレアを助けることが出来ない。今の会話で分かる。
誰もクレアを助けようとしない。ここの責任者もメイドも、私兵も。雑用係だけが顔を青ざめさせて立ち尽くしている。彼は俺たちをここに案内した仲間だ。しかし動く事は出来ない。
目の前でクレアが連れていかれそうになっている。
公爵は帰り支度をしている。
その時、マークがそっと俺を小突いてきた。
「なあダグ」
「マーク」
「俺たちの中でお前が一番賢いよな」
「マーク」
「俺はお前を一番信用している」
「お願いだマーク」
「ダグならやれる。俺とクレアの願い、連れていってくれないか」
「やめてくれ」
「悪いなダグ。行かせてくれ」
もう声が出なくて、力が抜けていく。
スルリとマークが抑えていた手から抜けていく。
そのまま地面に膝をついて蹲り、悔しさで唇を嚙みしめる。
庭園は騒然となり、クレアの悲鳴が聞こえた。
食器のひっくり返る音、マークのうめき声。公爵の怒鳴り声。
一瞬の出来事。
恐る恐る覗き見る。
マークは地面に倒れていて、お嬢様はリサに庇われている。
公爵は責任者に怒鳴り、クレアは泣いている。
マークの体の下から赤い液体が染み出し、微かに体が震えていた。
「もう良い!この責任は追って知らせる!その男をなぶり殺しにしろ!」
それに私兵達が剣を構えてマークに近づく。
「ねえ、ドレスが汚れるんだけど」
お嬢様がマークを嘲笑う表情で文句を言う。
「なぶり殺しになんかしたら、もっと汚れるでしょう?この景観も壊れるし。だから一瞬で終わらせなさい」
その言葉に私兵達は公爵を伺いみる。
「お父様、無礼の元凶はそこの責任者です。なによりここでやると折角の景色が悪くなりますよ」
「ふん。一理ある。しかし、その男は生かしてはおけん。この私に襲い掛かってきたのだ」
「勿論ここで殺しましょう。一瞬で殺せば、そこまで汚れないかと思います」
「暴論だな。ああ、私は疲れた。屋敷に帰って酒でも飲もう」
そうしてマークへ私兵が近づく。
その時、リサがクレアへ目配せを送る。クレアは決意を込めて軽く頭を下げると、油断していた私兵から走り出しマークの上に被さった。
その瞬間、剣がクレアを貫いてマークにまで到達する。
公爵は更に怒り狂い、クレアを抑えていた私兵を捕まえる。
お嬢様はお菓子が無くなった事に文句を言い、リサに宥められながら飛んできた血を拭いている。
責任者も雑用係も顔を青ざめさせてしゃがみ混んでいる。
その間に、マークとクレアは動かなくなった。
ただ隠れて見ている事しか出来なかった。自分が出ていったら、この計画は必ず頓挫する。そうすればもっとたくさんの人が犠牲になる。それでも、親友夫婦の最期を見ている事しか出来ない事に唇を噛みしめる。涙が溢れて止まらない。唇からは鉄の味がした。
お嬢様の声がやけに響く。
「ああ汚い。ねえ、そこの貴方。この平民その辺りにでも埋めなさい。きっと良い栄養になるわ」
しばらくして、リサに呼び出されてまた庭園に来ていた。
場所はあの日と違うが、隠れるスペースの前にベンチがある。
隣を見てもマークはいない。一人で狭いスペースに座っている。
遠くからお嬢様の声が聞こえてくる。
更に息を殺して隠れる。
目の前のベンチにお嬢様が座り、あの日と同じようにメイド達を遠くへ追いやる。
また静かな空間が出来上がる。
風に揺れる草木の音。周りを確認するリサの足音。
小さなため息。
「出て来なくて良いわ。そのまま聞いてちょうだい」
「はい」
「私の情報不足だった。全ては私の落ち度よ。マークもクレアもここで死んでいい人ではなかった。でも、見捨ててしまった」
「…それは俺も一緒ですね。何も出来なかった」
「ごめんなさい」
お嬢様の横顔を伺う。無表情に地面を眺めている。
俺と同じ喪失感を抱えている。
謝罪に答えられない。許すも許さないも俺が言えることじゃない。それはマークとクレアしか答えられない。
沈黙が続いていると、リサが近寄って来た。
「お嬢様、近くには誰もいません」
「そう。ダグ、今日のお父様はパーティーに行っているの。だから今日はお父様がここへ来る事はないわ」
「そうっすか」
沈黙が落ちる。
立ち止まっている時間はないが、マーク達のいない喪失感で押しつぶされそうだ。
気持ちを切り替えるように、持って来た資料をリサに差し出す。
リサはそれをお嬢様に渡す。
お嬢様は丁寧に読み解いている。
「まだ子供なのに、意味が分かるんすか?」
「ええ、その為に勉強しているのよ」
「そうっすか」
「ダグこそ、どこで字を覚えたの」
「…昔から書けましたよ」
「…そう」
書類のめくる音が響く。
ふとお嬢様が顔を上げた。
「二人は同じ場所に埋めたわ」
「え?」
「お墓を作る事は出来なかったけれど、毎年綺麗な花が咲くわ」
「…はい」
「咲いたら会いに行きましょう」
「そうっすね。一緒に」
「お嬢様、それは私も一緒で良いですよね」
「リサ、勿論よ。私達3人で行きましょう」
「供え物にとびきり美味い酒でも持って行きゃ喜びますよ」
「そうなの?何が良いかしら。お酒はよく分からないの」
当たり前の事を。
子供なのに酒に詳しかったら危ないだろう。
身体に広がる悲しみを、深呼吸で外に出す。
マークもクレアも呆気なかった。苦しみは長くなく一瞬で逝けた。
「ありがとう。あいつらを直ぐに死なせてくれて」
お嬢様は答えない。
また書類をめくる音だけが響く。
「酷い事を言ったわ」
聞こえるかどうかの小さな呟き。
「まだ意識があったのに」
「お嬢様?」
「汚いだなんて…」
そう言って言葉を詰まらせる。
目線は書類に向かっているが、読んでいる様子はない。
「確かに酷い言葉でしたね」
瞳が揺れる。
「でも」
それともマーク達はあれがお嬢様の本音と思ったのだろうか。
もう分からない。
分からないけど
「……あれが本気だなんて思わないっすよ」
「……そうかしら」
リサがお嬢様の前で屈みこみハンカチを差し出した。
「お嬢様、泣いても良いんですよ。ここには咎める人はいません」
「…ありがとう。でも大丈夫よ。もう泣いてきたもの」
そう口元に笑みを乗せて、また書類に目を通す。
リサは差し出したハンカチを引っ込めて、どことなく途方に暮れていた。
なんとなく言っても良いかと思った。
「…妹がいたんだ」
二人から視線を外して、靴の先を見つめる。
「ハンナって言って、マーク達と子供の時から一緒に過ごしてた。幼馴染って奴で、4人で家の近くに住んでた学者先生に色々教えて貰ってたんだ」
「だからダグは文字が書けるのね」
「そうだな。一緒に学んだからマーク達も書類作れたんだ」
「妹さんは?」
「死んだよ。公爵に殺された」
「…そうなの」
「ハンナは美人だったんだ」
何かを察したのか、二人は黙っている。
どうしてこんな事話そうと思ったのか。面白い話ではないのに。
それでも、マーク達のいない今、知っていて欲しいと思った。
「文字が分かる平民は殺されるから、捕まった先では文字が分からないふりをしていたらしい。でも、結局はボロボロになって路地裏に捨てられてた。言葉を話せないように舌も切られてたから、固形物は食べられなくてな。1週間後に衰弱死したよ」
リサが動揺しているのが分かる。このまま聞かせて良いものか迷っているんだろうな。でもお嬢様にとっては今更だ。知り合いが死んでも自由に泣く事も出来ない。そんな子供、他にはいない。
「いなくなっていた間に何があったのかを聞いた。話せないから文字で。ハンナは公爵家に人はいないって言ってたな。皆人の皮を被った化け物だって。最後は苦しそうに、泣きながら公爵家を恨んで死んでいった。俺も、マーク達も必死で看病したけど、どうにも出来なかった」
お嬢様は何も言わない。
「だから復讐を?」
リサの声が少し柔らかくなっている。
「きっかけだ」
「何故今?」
「…覚えていて欲しいんだ。マーク達が居なくなった今、ハンナを覚えてるのは俺だけだからな」
お嬢様が書類をリサに渡す音が聞こえる。下げてた視線を上げて、お嬢様に顔を向けた。すると視線がぶつかった。真剣な顔で口を引き結んでいる。
「覚えておくわ。貴方の妹のハンナさんを」
少し恥ずかしい。子供に甘えて何をやっているんだ。でも、俺以外にもハンナを知ってる人がいる。それが無性に嬉しかった。
本当にお嬢様は普通の子供じゃない。
「お嬢」
「え?」
「お嬢様は普通の子供じゃないだろ。だからこれからはお嬢って呼ぼうかと思って」
「ダグ、それは見過ごせません。不敬ですよ」
「そうかも知れないけど、仲間なら良いだろ?」
「私は許しませんよ」
「良いわよ」
「お嬢様⁉」
お嬢様、いやお嬢が微笑む。
「私たちは仲間だものね」
リサがつくため息に笑って、お嬢に手を伸ばす。
初めてお嬢が手を取った。
まだ子供の小さな手。でも一番大きな信頼をよせる仲間。
きっとまだ大丈夫。
突然大きな怒鳴り声が道の奥の方から聞こえた。それはこの処刑場にゆっくり近づいてくる。
ついにあの男がこの処刑場にやってくる。
周りも気づいたのか、興奮が広がっていく。
怒号や罵声、耳が痛いくらいの声が場を満たす。
身体が痺れるくらいの振動、腹の底から湧き出る怒り、完全勝利した達成感で自然と体に力が入る。
もうすぐだ。もうすぐあの男の惨めな姿が現れる。
この時をどれほど求めたことか。遠くに影が見えた。
(はっ、ざまあねえな)
見えてきたのは、引きずられながらも下を向いてふらふらになって歩いて来る元公爵夫妻だ。その元公爵夫妻に民衆は石や思いつくものを投げつけていく。頭や体から血を流しながら、立ち止まる事は許されない。
いつしか周りと一緒に怒声を浴びせる。
俺達の苦しみを思い知れ。殺された仲間達の無念を刻み付けろ。
ふとその後ろが視界に入ってきた。
それは馬に引かれた、小さな罪人用の馬車だった。
その窓は黒い布に覆われて中が見えない。
そもそもその馬車はこの街に入るところで元公爵夫妻が下ろされて、もう必要ないはずだ。
(どうして処刑場まで?)
今日処刑する人間は元公爵夫妻のみのはずだ。そうお嬢から聞いている。
いきなり腕が引かれる。
引かれた先へ目を向けると、リサがいた。
「リサ、遅かったな。ギリギリだ。見ろよあの二人」
「ええ、遅くなりました」
「何で馬車も続いてるんだ?必要ないだろ?」
「それは…」
リサが言い淀む。
お嬢を探してリサの周りを見渡すが見当たらない。
リサに顔を近づけて耳打ちをする。
「お嬢は?」
「……お嬢様は」
こんな日に遅れているのか。お嬢らしくない。
最前列で見てそうなのに、まだ姿は見えない。
「お嬢様はあそこにいます」
リサが指さす先には馬車があった。
自分の心臓の音が大きくなる。
「あれは罪人用の馬車だろう?」
「そうですね」
「お嬢は罪人じゃないだろ?」
「…そう思います」
「じゃあ何故」
「お嬢様が望まれたので」
勢いよく振り返る。
リサは静かに馬車を見つめていた。
そのリサの腕を掴んでこっちを向かせる。
「何で止めなかった」
「お嬢様がそうご判断されたので」
「俺たちは仲間じゃなかったのか!」
「仲間ですよ。少なくともお嬢様と私はそう思っています」
「じゃあ、何で俺は知らないんだ!」
「話そうとしましたよ!マーク達を見殺しにしたあの日に!」
息を吞む。マーク達が死んだあの日。
お嬢と数年ぶりに会ったあの日。
「話をさせなかったのは貴方です」
リサの涙を初めて見た。
決して綺麗ではないそばかすだらけの顔を、悲しみや諦めが流れていく。
リサの思いを垣間見て、お嬢の決意に気が付かず復讐に燃えていた自分に嫌気がさす。
今から訴えたらどうにかなるのではないか?いや、考えろ。あの馬車に乗っているのはお嬢の望んだことらしい。でも俺は何も知らない。
「それでも、話す機会はあっただろ?」
「ありましたね。でも、貴方はお嬢様を支えにしていたでしょう?マーク達が死んで、お嬢様も最後は死ぬと分かって、決意は揺らがないと断言出来ましたか?」
「それは」
「揺らぐかも知れない。そうお嬢様は感じたんです。そう貴方が感じさせたんです」
言葉が出ない。何も言えない。
確かに今俺は動揺している。何が正しいか分からない。
「すみません。八つ当たりです。貴方には知られないようにしたのは私達です」
「俺に信用がなかったから」
「信用していました。この上なく。この計画は貴方無しでは成し遂げられなかった」
「それでも」
「お嬢様も私も、貴方には死んでほしくなかった」
リサが真っ直ぐに俺を見つめる。
「あんたは良いのか。お嬢がこんな最期なんて」
「……ずっとこの処刑場を目指してきたんです。貴方も私も、お嬢様もこの時を生きて迎えられた。嬉しいじゃありませんか」
「お嬢が処刑されるのは良いのかって聞いてるんだ!」
「しょうがないじゃないですか!私には何も言えなかったんですから!私はずっと隣にいたんです。でも止めるような事は言えなかった!」
二人の間で何があったのか分からない。俺の知らない何かがあったのだと思う。でも、だからこそ、俺は納得が出来ない。
拳を握りしめる。それでも進行を止めることは出来ない。
あの元公爵夫妻の処刑の為に、犠牲になった仲間達がいる。
この日を待ちわびて熱狂している民衆が、俺とお嬢の間で喜びと怒りの声を上げている。
処刑場に辿り着く。処刑場への門が開けられて、元公爵夫妻が引っ張られて中に入る。
処刑場の扉の前で馬車が止まり扉が開く。
髪を短く切ったお嬢が降りる。今までで一番地味な服を着て、顔を上げて周りを見渡す。
その表情に民衆が戸惑う。
微かに微笑みを浮かべていた。
今まで見てきた表情とはどれも違う、気が抜けた微笑み。
そのまま処刑場に入っていく。
これから順番に処刑が始まる。
夫妻が震えている隣で、静かに民衆を見据えるお嬢。
執行人が動き出し、元公爵夫人を処刑場の真ん中へ引っ張り込む。
夫人は泣きながらも虚空を見つめてぶつぶつと何かを呟いている。
(お嬢も何か言いながら泣いてたな)
お嬢との出会いを思い出す。
決定的な違いは、夫人は自分の為に、お嬢は愛した少年の為にってところだろうか。
執行人が最期の言葉を聞いているが、夫人は言葉になっていない。
ため息をついて、首切り台に抑えつける。
ただただ泣いている夫人の首が飛ぶ。
とたんに響く民衆の歓声。びりびりと響く喜び。
しっかりと目に焼き付ける。これが俺たちの求めた結果だ。
心がざわつく。喜びか不安か。
次だ。
執行人が元公爵へ近づく。
憎いあの男は、自分の妻の最期を見もせず蹲って震えている。
執行人に呼びかけられても顔も上げない。
今まで威張り散らし、残虐に民衆を弄び、処刑場へ送り込んでいた男の最期は、今まで処刑された人の中で一番情けなく、見るに堪えない。
執行人に引っ張られても暴れてその場を動こうとしない。
「お父様、みっともないですよ。潔く処刑されてください」
落ち着いた、聞きなれたお嬢の声が響く。
元公爵がお嬢を見る。
お嬢はそれに微笑みかける。
「お前か。お前が裏切ったのか!」
「何を喚いても今更です。安心してください。私もすぐに同じところへ行きますから」
「何故だ。お前には最高の物を揃えたはずだ。全てが手に入っていたはずだろう!」
「それが分からないのがお父様らしいですね」
お嬢が笑う。今までで一番嬉しそうに。誰に向けた時よりも一番馬鹿にして。
(お嬢。本当にこれが良いのか?)
心がざわつく。
あの男が死ぬのは最高に嬉しい。この日の為に努力してきたのだから。
でも、お嬢が死ぬのは納得がいかない。お嬢は大切な信頼を寄せる仲間だ。
最後の最後で仲間が死ぬなんて。
数人がかりで元公爵を処刑台へ連れていく。
見苦しく暴れながらも引きずられる元公爵。
首切り台の前まで来た時、いつものように最期の言葉を尋ねられる。
(さあ、何を言うのか)
今まで俺たちを苦しめ、絶望に叩きつけて生きてきた男の最期の言葉。
どんな言葉を待っているのか、自分でも分からない。
何を言われたら満足するのか。
震えながら怒声を浴びせる民衆を見る元公爵。
皆が怒り狂い、恨みに声を上げる。
何も言わない元公爵に執行人が動き出し、肩に手を置こうとした時
「黙れ!黙れ黙れ黙れ!誰のおかげで生きて来られたと思っている!この俺のおかげだ!お前達みたいな薄汚い人間は、俺の様に支配する側に感謝して生きる義務がある!誰のおかげだ!言ってみろ!」
少なくともお前のせいで苦しんできた。知らなくても良い絶望を幼いころから耐えてきた。
よくもそんな馬鹿げたことを自信を持って言えるものだ。
ふざけるな!お前のせいだ!恋人を返せ!子供を返せ!さっさと死ね!
そんな声で処刑場が溢れる。その中に俺の声も混じっている。
どれだけ怒鳴っても怒鳴り足りない。痛めつけるには柵が邪魔で、傷つけるにも時間が足りない。
「うるさい!何も知らない馬鹿どもめ!馬鹿は馬鹿らしく俺の為にその全てを捧げろ!お前達には手も届かない尊い血が流れないように全力を尽くせ!今すぐこの枷を外し、最上の場所を用意しろ!」
「見苦しいですよ、お父様」
お嬢の声がやけに響く。
民衆も戸惑い騒めく。
皆の視線の先に、冷たい瞳で元公爵を見つめるお嬢がいる。
「血統にしか誇りを持てない人生なんて、さっさと捨ててしまいなさい」
「黙れ裏切り者が」
「本当に見苦しい。ほら早くその首切り台に跪きなさい!」
その言葉でお嬢の方へ行こうとする元公爵を抑えつけ、首切り台に倒す。それでも動こうと暴れるから、背中を踏みつけ斧を振り上げる。
一回目。力が入っているからか首の半ばまでしか刃が入らない。叫び声が聞こえる。
二回目。暴れて狙いが外れて、肩に入る。体を数人がかりで抑えつける。泣き声が聞こえる。
三回目。首が飛ぶ。真っ赤な血をまき散らし体から力が抜ける。民衆の叫ぶ声が聞こえる。
ついに死んだ。
俺たちを苦しめ続けていた人間が。
この時を迎えたらどんな気持ちになるだろうかと何度考えて来た事か。
きっと喜びと達成感と解放感に最高の気分になるだろう。周りにいる仲間達と抱き合って泣くかも知れない。数日は仲間達と飲み明かし、道端で寝てリサに小言を言われて、お嬢が呆れながらも笑って……
処刑はこれで終わりじゃない
柵を握りしめる。何かにつかまっていないと立っていられそうにない。
隣でリサがしゃがみこむ。
お嬢の名前が呼ばれる。執行人がお嬢に近づくのを待たず、お嬢が首切り台に歩き出す。
「なあ、ダグ。なんかおかしくねえ?」
隣にいた間抜け顔が耳打ちしてくる。
「おかしい?」
「あの女の態度、思ってたのと違うし、馬車乗って来るし、なんか笑ってるし」
「おかしいよな。俺もおかしいと思うよ。何でお嬢があそこにいるんだ。お嬢はこっち側だろう?」
「こっち側だって?え、もしかしてもう一人の内通者って」
お嬢が首切り台の前に立つ。
努力して、衝動を抑えて、屈辱に耐えてきた。仲間を喪っても泣く時間もなく、努力が報われないことも多かった。その結果がその場所に立つことなのか?
今からでも止められないか。
声を上げればもう一度考え直してくれるのではないか。
そう考えて顔を上げる。
お嬢と目が合った。
(なんて顔をしてるんだ)
初めて見る表情。
力が抜けて、どこかすっきりした微笑み。
引き止める言葉が何も出てこない。
「私がここに立っている事に後悔はしていません」
お嬢が愛した少年も同じことを言っていた。
「これで良いのです」
終わってしまう。お嬢の最期の言葉が。
お嬢が首切り台へ動き出す。
「お嬢!」
何か言えることはないか。
お嬢がこっちを見つめる。
きょとんとした年相応のまだ幼い表情。
理解する。もう止めることは出来ない。
「手向けの花は何が良い?」
民衆に戸惑いが広がるのを感じる。
「では、あの日彼に供えていた道端に咲いていた小さな花を」
「……毎年ここに供えるよ」
お嬢は今までで一番優しい微笑みを浮かべて跪く。
一拍後、お嬢の首が飛んだ。
涙が溢れて止まらない。
公爵家が全員処刑され、戸惑いながらも喜びに沸く民衆の声が聞こえる。
花を植えよう。
あの日彼に供えた小さな花を。
一番大事な仲間の為に。
覚えているのは俺とリサだけ。
これから毎年、この処刑場に手向けの花を。
お待たせしました。