浬、変なにおいがする
瑞稀がリカちゃん人形にされた騒動でうやむやにされそうだったが、俺はどうにか夜食にありつくことができた。肉じゃがだったから、むしろ味がしみこんで滅茶苦茶うまい。
「学生バイトにこうも遅く残業させるなんて。あんたの職場、ブラックじゃないの」
「いや、バイトのせいじゃないんだ。帰る途中に知り合いと鉢合わせして、つい話が長引いてしまった」
「あんたの知り合い、ね」
「そう。おの……じゃなくて、森野だ、森野」
一瞬、小野塚と言いかけてどうにか回避した。クラスの女生徒と話していて遅くなったなんてバレたら何を言われるかたまったものではない。それに、小野塚さんが妖怪だというのは美琴にだけは絶対にバレてはいけない。陰陽師である彼女がその事実を知ったらどんな行動に出るか。想像するだけでも末恐ろしい。
「森野というと、浬と一緒にいた男子生徒のことかの。よく売店に来ておる」
「その通り。俺の友人の森野だよ」
「学友同士で交流を深めるのも重要じゃからの。でも、夜更かしはするでないぞ」
管理人らしく、人差し指を立てて注意する。なんとか誤魔化せたかな。胸をなでおろしていると、よーこさんは予想外の行動に打って出た。
いきなり鼻を近づけたかと思うと、俺の臭いを嗅ぎだしたのだ。なんなの。俺の周囲ではいきなり臭いを嗅ぐことが流行しているのか。汗臭いというのなら仕方がない。帰宅直後にリカちゃん人形騒動に巻き込まれて風呂に入っていないからな。
ただ、単純に「臭い」と指摘されるだけならマシだった。ひとしきり嗅ぎ終わったよーこさんは唐突に切り出したのだ。
「浬、おぬし妖怪と知り合ってはおらんかの」
心臓が跳ね上がりそうだった。なぜだ、どうしてバレた。
「妖怪と知り合い? そんなもんいるわけないじゃないですか」
あんたが妖怪であること以外は。もちろん、よーこさんの他にも妖怪の知り合いはいる。一時間足らず前に邂逅したばかりだ。
しかも、追い打ちをかけるように美琴まで目を細めている。
「確かに、よーこさんとは異質の気配がする。よーこさんほどではないにせよ、そこらの雑鬼とはけた違いの妖気だ」
妖気とか、そんなもんどうやって分かるんだ。スーパーサイヤ人みたいにシュオン、シュオンと音を立てている覚えはないぞ。
否定してもなお彼女らの追及は止むことはない。マーキングされたのではないかと、俺は自分の腕の体臭を確かめる。しかし、汗臭いだけだ。でも、第三者である妖怪と出会っているのは事実だし、どうにか回避できないものか。
右往左往していると、ひょんなところから助け舟が入った。
「みなさん、変なことを言ってはダメですよ。妖怪が実在するわけないじゃないですか」
眼鏡を取り戻して髪を下した瑞稀が、あきれ顔で指摘する。
「いや、確実に妖怪が……」
そこまで言いかけて、よーこさんは己の失態に気づいたようだ。彼女は自分が妖怪であることはあまり大っぴらにしたくない。意地でも自分以外の妖怪がいると主張したいのならば、自分が妖怪であることを瑞稀に打ち明けないと辻褄が合わない。
「うちの勘違いかもしれんの。妖怪ではなく、羊羹の臭いがしておった」
堂々と言い張るが、かなり無理があるぞ。俺、羊羹なんて食べてないし。
「羊羹、ですか。どちらかというと柑橘系の臭いだと思います」
瑞稀よ。さりげなく俺の腕をクンカクンカしないでくれ。単なる発汗成分だろう。
「よーこさんの気のせいだろ。疲れているから嗅覚が変になったんじゃないのか」
「うちの鼻は耄碌しておらんはずだがの。まあ、よい。今日はとっとと休むとするか」
納得できていないようだったが、諦めてよーこさんは後片付けへと戻っていった。美琴も「勘違いだったかしら」と眉根を寄せつつ、自室へととんぼ返りする。
「まったく、みなさんは変なことを言いますね。妖怪はあくまで想像の産物なのに」
「そ、そうだな」
瑞稀の反応が正しいはずなのに、俺はどうにも釈然としない。いっそのこと瑞稀にも妖怪が実在すると打ち明けた方がいいのでは。こればかりは、当人の意思によるので、俺がどうこうできる問題じゃないけど。
「でも、浬さんが汗臭いのは本当ですから、早くお風呂に入ってきた方がいいですよ」
「お、おう」
至極まっとうな指摘をされ、俺は素直に従うのだった。
馬込さんから早山奈織について知っている人物の情報を聞き出せたものの、どうやってその人物と接触を図るかの目途はついていなかった。活動しているかどうかも分からない漫画家なんて、どうやって会えばいいんだよ。出版社に乗り込むとしても口実がないし。ビートたけしみたいなことをやらかしたら豚箱へ直行だ。
打開策がないまま悶々と授業を受ける羽目になったのだが、ひょんなところから天啓が舞い降りた。