浬、ネコパラについて語る
俺の絶叫に店内でファンモンの大会を開いていた連中は手を止める。「お客様に迷惑ですよ」と窘められたが、俺の興奮が収まることがなかった。
茜さんから「どうどう」と腹を撫でられて俺はどうにか息を整えた。俺は馬じゃないからな。
柄にもなく興奮してしまったが、落ち着いていられるような状況ではない。馬込さんめ、特大級の爆弾を投下してきやがったぞ。
「本当なんですか。早山奈織について分かるかもしれないって」
「あくまで可能性の話ですよ。でも、彼ならばもしかしたら情報を握っていると思います」
可能性でもなんでも、彼女の本性を突き止められるならばどんとこいだ。俺はせがむように馬込さんへと接近する。
覆面声優早山奈織。女性声優の中でも屈指の人気を誇り、ほぼ毎クールで主役級のキャラの声を務めている。大ヒットのきっかけは「学園アイドルガクドルズ!」の花園華だというのはアニメファンなら周知の事実だ。
そして、彼女が他の声優と決定的に違うのは素顔が一切謎に包まれているということ。徹底的にメディア露出を避けているので、人物像を知っているのはごく限られた人間しかいないという。
ようやく手がかりが得られると浮足立つが、同時に不可解でもあった。言っては悪いが馬込さんは中古アニメショップの店長に過ぎない。アニメ制作とは縁もゆかりも無さそうな彼がどうして早山奈織について知っているというのか。
眉を潜めていると、馬込さんは一冊の本を差し出した。先ほどまで査定していた「ネコミミ☆パラダイス」の単行本だ。この古びた本がヒントになるのだろうか。
「これまで黙っていたのですが、この本の作者牟田馬論先生とは旧知の仲なのです」
「へー、そうか。って、え!?」
馬込さんに漫画家の知り合いがいるだと。そんなの初耳だぞ。
「機会があれば言おうと思っていましたが、その機会が無かったんですよね」
「私も初めて知ったわよ。創作活動をしているとは聞いたけど、まさか漫画家と知り合いだったとはね」
茜さんも嘆息していた。漫画のベタシーンの一つである「どうして教えてくれなかったんだ」「聞かれなかったからさ」を体験する日が来るとは夢にも思わなかった。
馬込さんとてんやわんややっている間、丸山はネコパラの本をつぶさに観察していた。一通りページをめくり、置かれていた場所へと戻す。
「ネコミミ☆パラダイスか。そんな名前のアニメをやっていた覚えがあるがどうにも思い出せないな」
「確かにやっていたわよね。『ごちうた』と同時期のアニメじゃなかったかしら」
「おい、アニメファンなのにネコパラを知らないとは、風上にも置けないぞ。それに、ごちうたは因縁のアニメだから話題に出すのは止めろ」
俺が吠え掛かると、二人はお手上げしていた。わざとらしく「ごちうた」を持ち出した辺り、茜さんは既に知っていたんじゃないのか。軽く舌を出したのはどう捉えればいいんだ。
知らない人のために特別に教授しておこう。ネコパラ、正式名称「ネコミミ☆パラダイス」は牟田馬論先生による日常系四コマ漫画だ。美少女たちが日常生活の中での出来事にてんやわんやする様を描く、「けいおん!」から連綿と続いている人気ジャンルである。
特筆すべきは登場人物が全員ネコミミだということ。性格も猫っぽく、突拍子のない行動ばかりをとるので、次の展開が全く予想できないハイテンションギャグとしても洗練されている。アニメ版でも原作のノリはそのままに、他作品のパロディを織り交ぜてきて、まさにやりたい放題だった。
面白いことは面白いのだが、アニメ界での評価は中の下、いわゆる「空気アニメ」という汚名をすすることになってしまう。内容は悪くないのだが低予算だったのか作画がかなり残念だったのが要因に挙げられる。キャラ重視の萌え系アニメの場合、キャラクターの作画が悪いというのはかなり致命的だ。近年はアニメの本数が加速度的に増えているから、作画が爆死しているアニメはさほど珍しくない。俺も初めて見たときは80年代のアニメかよって思ったし。
そして、とどめを刺してしまったのが同時期に放送していた「ご注文は御嶽ですか?」という作品だ。沖縄に住む美少女たちの日常を描いた萌え系漫画というネコパラとコンセプトがマル被りな「人気作」である。
ギャグセンスだけならネコパラに軍配が上がるものの、こちらはとにかく登場する美少女たちが可愛い。原作が既に売れに売れまくっていただけに、作画、音楽、ストーリーと三拍子そろって高クオリティだ。
アニメファンからの評価もカルト的で、ニコニコ動画での公式配信動画はランキングを独占。ピクシブでは主役キャラのファンアートであふれかえり、カラオケの人気ランキングでも主題歌の「で~じ!定時!めんそ~れ!」が定番曲を押さえてランクインすると、まさに覇権アニメの風格を顕していた。
コンセプトが同じ社会現象アニメをぶつけられては勝ち目はないに等しい。なので、一般的にネコパラは「爆死アニメ」とされてはいるのだが、早山奈織ファンとしては注目すべき作品なのである。
なぜなら、登場人物の一人「ロリ猫のチィ」の声を担当したのはデビューしたばかりの早山奈織だからだ。デビューしたてで拙さが残るものの、素人離れした表現力を発揮している辺り、さすがはなおりんと言えるだろう。ぶっちゃけ、吉野ケ里遺跡ぐらいの保存価値はある。
長々と俺の講釈を受けて茜さんと丸山は辟易してしまったようだ。二時間目としてネコパラ本編における早山奈織の表現について語ろうと思ったが、またの機会にしておくとしよう。
とりあえずは、馬込さんがネコパラの作者と知り合いだという件である。
「馬込さん。さっそく牟田先生と連絡を取ってもらえませんか」
「そうしたいのはやまやまですが、問題があるんですよ」
馬込さんは肩を落としてネコパラの単行本に手を置く。
「アニメの放送が終了してからしばらくして、ネコパラの連載も終了してしまいます。その辺りから牟田先生とは音信不通になり、現在もろくに連絡が取れていません。僕が彼のことを忘れかけていたのも、長らく交友が無かったからかもしれませんね。正直、現在も創作活動を続けているのかどうかすら分からないのです」
アニメが爆死したことを鑑みると、ショックで筆を折ったと考えるのが順当だ。漫画稼業を廃業してしまっているなら、関係者との連絡を絶っていても不思議ではない。
落胆する俺に、馬込さんは優しく声をかける。
「でも、希望が無いわけじゃありませんよ。当時の人脈を辿れば、もしかしたら彼に行き着くかもしれません。例えば、ネコパラを連載していた出版社とは顔が利くから、情報が得られると思います」
なるほど、まだ望みはあるってわけか。ネコパラが連載されていたのは「まんがアタック」という月刊誌だ。そして、出版社は常翔社。宇迦市からわりと近いところにある会社だったはず。
ネコパラの作者のことについてはおいおい調べていくとしよう。終業時間も迫ってきたので、俺は意気揚々と帰宅準備に入る。だが、早山奈織について知ることができると有頂天になっていたせいであることを失念していた。そもそも、どうして馬込さんはアニメ化した漫画家と知り合いだったのか。馬込さんに関する秘密も明らかにできそうだったのだが、それはまた後の話になりそうだ。