浬と瑞稀、和解する
翌朝のことである。いつもならば瑞稀が先に来て、俺が居るにも構わず新聞を読んでいるはず。今日も俺より先に到着していた。ここまでは変わらない。大きな変化があるとすれば、俺が食堂に足を踏み入れた瞬間に新聞を折りたたんだことだ。瑞稀が自ら活字の世界から脱するなんて珍しい。だからこそ、眠気をすっ飛ばして直立してしまった。
一体、いかなる楽しいことがあったのだろうか。お手本のような満面の笑みだった。眼鏡越しでも瞳が輝いているのが分かる。おさげ髪を揺らし、静かに口を開いた。
「メッセージ、読みましたよ」
「やっぱりすぐに見抜かれたか」
俺はおちゃらけて頭を掻く。「確信犯のくせに」と瑞稀はおどけるように指を差した。
「坂部岡入。『おさかべかいり』のアナグラムですよね」
「その通りだ。よくわかったな」
「あのぐらい、推理小説のトリックに比べたら朝飯前です」
すまし顔で答える瑞稀。坂部岡入は俺がSNSで使っている名前でもあるからな。瑞稀が俺のツイッターとかをフォローしているかは定かではないが。
そこから瑞稀はもじもじして、しばらく会話が続かなかった。俺から声をかけようとしたが、喉まで言葉が出かかったタイミングで瑞稀が先行した。
「その、ありがとう、ございます」
滔々と語る感謝の言葉。こちらの方が気恥ずかしくなる。
「大したことは書いてないんだけどな」
「いえ、十分です」
照れくさそうに頭の後ろを掻くと、伝播したのか瑞稀もうつむく。そう、大したことは書いていない。俺はただ一言投稿しただけだ。
「面白かったです。楽しんで書いていますね」
「俺としたことが焦り過ぎていたみたいだ。丸山との勝負に躍起になっていて、瑞稀の考えをおざなりにしてしまった」
「私こそ、つい感情的になってしまい、ごめんなさい」
「いや、今回の件は俺が悪いんだ。瑞稀が謝る必要はない」
律儀に頭を下げられ断腸の思いだ。非があるのは俺の方なのに。
「あの後、今一度考えてみたんです。どうして先輩との勝負に躍起になってしまったのか。私は単純に本を読むのが好きなように、小説を書くのも好きなのです。たくさん本を読んでいたら、自分でも書きたくなったなんて、ありきたりの理由ですが。だから、小説の内容をおざなりにしてポイントを優先させる考えに反発したのかもしれません」
先ほどまで読んでいたであろう本を抱きしめる瑞稀。その姿は我が子を腕に抱く聖母のようであった。低頭した俺は、しばらく顔を上げることができなかった。
瑞稀とのわだかまりは解くことができたが、問題は丸山との勝負だ。ポイントの格差は絶望的なまでに開いており、奇跡でも起きない限り逆転は不可能。もはやサレンダーさえ視野に入るレベルだ。
だからといって、素直に負けを認めるのは癪だ。どうにかできないものか。
「入れることができれば俺が無限にポイントを入れてやりたいんだがな」
ガクドルズの限定グッズの抽選を当てるために数百枚のはがきを送ったこともあるからな。でも、関係者である俺の投票は禁じられているうえ、システムの都合上一回しか投票できない。そのはずなのだが、
「無限にポイントを入れる方法がないわけではありません。非合法みたいですけど」
恐る恐るといった呈で瑞稀はスマホの検索画面を提示する。「小説を書こうぜ! ポイント」で検索したようだが、そこにはとんでもない方法が記載されていた。
確かにこの方法なら無限にポイントを入れられるかもしれないが、利用規約に抵触してしまうため明らかに非合法だ。それでも、俺の捨てアカウントなら凍結されても問題ない。
だが、すぐ近くから冷たい視線が俺を貫く。一瞬ではあるが、美琴から罵倒された時以上の威圧を感じた。不安そうにスマホを握るこの娘の所業なのか。
俺は邪心を払わんと大きく首を振る。そうだよな、反省してすぐ過ちを犯しては意味がない。不正ポイントで勝ったところで瑞稀が喜ぶはずがないじゃないか。はっきりとポイントには拘泥しないと言っていたし。
しかし、不正すら使えないとするならどうすればいいか。俺は自前のスマホで丸山の小説にアクセスする。そして、評価ページを眺めていた時、あることに気づいた。
小説の面白さを図る指標はポイントだけ。そんなこと誰が決めただろうか。もっと確実に面白さを示すものがあるじゃないか。加えて、瑞稀から教えてもらった不正の方法。もしかすると、逆転できるかもしれない。
「瑞稀、勝てるかもしれないぞ」
「いきなりどうしたんですか。ポイントを一気に上げる方法なんてないはずですよ。あればとっくの昔に使っています」
「いや、インチキするつもりはない。鍵となるのはこいつだ」
俺は豪快に音を立てながらキーボードを叩く。そして、表示させたのは、
「ツイッター、ですか」
瑞稀は合点がいかないようだった。一見すると小説を書こうぜ!とはなんら関係はないはず。でも、丸山がある行為に手を染めている場合、そいつを暴く突破口となりうる。
「今日の夜は長くなりそうだぜ」
遠い目をしながら俺は呟く。俺の仮説を実証するためには漫画雑誌のキャラクター総選挙のために送るはがきを書いて腱鞘炎になるぐらいの代償が必要だった。でも、切り札を手に入れることができるんだ。不敵に口角を上げる俺を瑞稀は両手を組んで見守っていた。