瑞稀、読書に夢中になる
風呂上がりにそのまま食堂へと向かうと、またもや気まずい雰囲気となった。俺のほかにこの空間にいるのは先刻パンモロを目撃してしまった少女のみ。青を基調としたチェック柄の部屋着を着て読書に勤しんでいる。眼鏡をかけていることも合わさって典型的な文学少女だった。誰もいない部屋で一人静かに本の世界に没入する少女。そのまま絵に描いたら市が運営する絵画コンクールで入賞できそうである。
まだ料理は用意できていないようだし、どうしたものか。
「な、なあ、さっきは、その、ごめんな。俺も確認不足だったし」
頭を掻きながら弁明を入れる。しかし、彼女は無言のままだった。やばい、相当怒っているのか。無理もないよな。半ば事故とはいえ、面識のない男に下着姿を目撃されたのだ。いきなり殴りかかってきても文句は言えない状況にある。ただ、ずっと黙っていられるとそれはそれでつらい。
「いやー、腹減ったな。よーこさん、どんな料理を作るんだろうか。あ、よーこさんってのはここの管理人。金髪で美人の姉ちゃんなんだぜ」
「……」
話題を変えてみるが効果は無かった。俺はテーブルに顎を載せて彼女が読んでいる本の背表紙を視察する。「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」か。王道のファンタジー小説の文庫本のようだ。過去に社会現象になるぐらいヒットしたと聞いたことがあるが俺は未読である。
「その本、面白いのか」
「……」
意地でも答えないつもりらしい。彼女がページをめくる音がむなしく空間を支配する。一時的にでも離脱したかったが、用事を思いつかないのが恨めしい。
「あ、さっきの子じゃん。何読んでるの」
「ひゃあ!?」
不毛な沈黙は無遠慮な乱入者によって破られた。救世主となったのは美琴だ。巫女服、ではなく、ジャージ姿に着替えている。ジャージというなら俺も似たようなのを着ているが、彼女のはおしゃれジャージというものだろうか。そのままランニングに出ても問題ない意匠をしている。俺なんか、モロに学校指定のジャージだもんな。
「そんなにびっくりしなくてもいいわよ。大げさなんだから」
気安く少女のほっぺたをつんつんする。柔らかそうでうらやましい。
「ご、ごめんなさい。私、本を読んでいるとついつい没頭しちゃうんです。えっと、あなたは」
「阿部美琴。201号室の住人よ」
「わたしは石動瑞稀。202号室です」
「お隣さんだったの。これからいろいろとよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
気兼ねなく談笑する女子二人。口を開かせただけでなく名前まで聞き出すなんて。巫女服でドーマンセーマンしている痛いやつかと思いきや案外コミュニケーション力が高いのか。畜生、同類だと思ったのに。
しばらくとりとめのない話に花を咲かせていた二人だったが、ふと美琴の視線が俺に突き刺さった。「あ、いたの」と言外に発していることは容易に察せられる。うう、気まずい。よーこさんはどうしたんだよ。料理に時間をかけすぎじゃないか。
俺の心の中の悲鳴を聞きつけた。そんなわけはないだろうが、
「お待たせなのじゃ」
よーこさんが両手に配膳皿を載せてやってきた。レストランのスタッフもかくやの手際で料理をならべていく。肉じゃがに山菜の付け合わせ。煮魚や宇治金時と豪華な和食御膳だった。ちゃっかりいなり寿司まで用意されているのがよーこさんらしい。
「ぬしらの好みに合わせてよーしょくとやらを作ろうと思うたのじゃが、やはり初めてはうちの得意料理の和食にしてみたのじゃ。あれこれ工夫しとったら時間がかかったわい」
「変なものは入れてないでしょうね」
「美琴さん。管理人さんに対して失礼ですよ」
瑞稀がたしなめるが、疑われてもおかしくはないんだよな。注釈するまでもないが、狐の耳と尻尾を隠した猫かぶりモード発動中である。
しゃべり方までは隠せていないが、瑞稀は「けっこう方言の癖が強い人なんですね」と勝手に解釈していた。方言というより数百年前の言葉遣いだと思うぞ。
「冷めないうちに早く食べるのじゃ」
よーこさんに促され、俺たちはさっそくいただくことにした。とはいえ、妖怪が作った料理だ。美琴じゃないけど、妙なものは入っていないと信じたい。
箸が進まない俺と美琴をよそに瑞稀は遠慮することなく肉じゃがを口に入れる。こぼれやすいじゃがいもを突き刺したりすることなく箸で運び、咀嚼するときも口を手で覆い隠す。所作の一つ一つから育ちの良さが窺える。じっくりと噛みしめていたようだが、やがてほほを緩ませた。
「この肉じゃが、おいしいです。お出汁がよくしみこんでいますし」
「じゃろ。じっくりコトコト煮込んだのじゃ。これぞおふくろの味というやつじゃな」
絶賛されてよーこさんは天狗鼻になっている。無邪気に料理を頬張る瑞稀を前にしていると垂涎の思いを禁じ得ない。
こらえきれずに俺は煮魚を口に運ぶ。こいつは鯛か。甘酸っぱい煮汁と程よく調和しており、素材本来の味を存分に引き出している。一度食べたら最後。箸を伸ばす手を止めることはできない。
「やばい、美味すぎる。俺の母さんより上手いかも」
「認めたくないけど、なかなかやるじゃない」
不機嫌そうだが美琴も一人で宇治金時を食べつくしそうな勢いだ。俺も食べたいから残しておいてほしい。箸を伸ばすと「ガルル」と威嚇された。お前は番犬か。
食べ盛りの高校生三人の食欲はすさまじく、テーブルいっぱいの料理があっという間に平らげられていく。瑞稀は早々に離脱したけど、美琴は痩せの大食いなんだな。ギャル曽根といい勝負ができそうだ。そう言ってからかったら撲殺されそうである。
食事もひと段落したところでよーこさんがおもむろに切り出した。
「ちょうど初めてこの寮の入居人が勢ぞろいしたのじゃ。改めて自己紹介するというのはどうじゃろ」
「至極まっとうな意見ね。これから一緒に暮らすわけだし、お互いのことは知っておく必要があるもの」
そう言う美琴から突き刺さる冷たい視線。よーこさんについてはどうでもいいとして、美琴と瑞稀とは同じ学校に通うことにもなるのだ。彼女たちのプロフィールは是非とも知っておきたい。