浬、風呂場でお約束をやらかす
トイレは一階と二階の二か所にあるが、浴場は一階だけにしかない。そうでなくとも、共用の浴場では脱衣所で住人同士が鉢合わせするのを防ぐための工夫がなされているものだ。
ここの浴場でも例に漏れず、入り口の取っ手に札がかけられるようになっており、入る前に「使用中」だと示しておく必要がある。
今日は散々扉に泣かされたからな。同じ過ちの轍は踏むまい。俺は鉄道職員にでもなった心持で何度も入り口の札を指さし確認する。俺が触るより前に札はかけられていない。なら、現在浴室には誰もいないはずだ。これで美琴とかが入浴中だったらシャレにならない。さっき偶然パンツを見ちゃったばかりだから、これ以上の失態をしでかすと本気で殺されそうだ。とりあえず、さっさと入浴して気分転換しよう。
ここで俺は完全に失念していた。男女共用の賃貸施設の男女共用風呂。この二つの条件が揃った時に訪れるお約束があることに。つい数秒前に危惧していたはずなのに油断するとは、俺もよほど疲れていたのだろう。
俺が浴場の扉を開けると、そこでは下着姿の女子が絶賛着替え中であった。
とりあえず分かったことがある。美琴ではない。ただし、知り合いでもない。本日初対面の女子だ。よーこさんと美琴のせいにしておくが胸は慎ましやか。茶色がかった髪は毛先がカールしており、丁度肩のあたりで揺れている。幼さが残る顔立ちからは狼狽している様がありありと伝わってくる。風呂から上がったばかりなのか、肢体からは雫が流れ落ちていた。汗も混じっていただろうというのは俺なりの偏見だが間違ってはいまい。
突然の訪問者に俺も少女も固まってしまっていた。なので、不本意ながら彼女の白い下着姿も凝視することとなる。美琴はチラリと見えただけだが、モロに見たのは今日が初めてだ。よーこさんは下着すらすっ飛ばしていたからな。
って、じっくりと下着談義してる場合じゃない。これはいくらなんでもまずい。とにかく脱出を図らねば。なんて、焦るより前に、
「きゃああああああああああ!」
と、彼女に悲鳴をあげられてしまった。
「また妖怪の仕業か!」
数秒後に美琴が乱入してきた。ボタンを押したらすぐに来る牛丼チェーン店の模範店員かよ。片手に着替えやら洗面用具やらを抱えていたから風呂に入るつもりだったんだろう。
いや、来てはいけない人物が来てしまったぞ。瞬時に状況を把握した美琴は俺に詰めよる。
「刑部! 貴様、私だけではなく見ず知らずの女にまで蛮行を働くか、この色魔め!」
「待てって。これは完全なる事故なんだ。中に人がいるなんて知らなかったんだよ」
「しらばっくれるな。証拠はあるのか、証拠は!」
逆転する裁判の検事みたいな剣幕で美琴が迫ってくる。残念ながら「異議あり」できるんだよな。この場合は「くらえ!」か。
「ほら、扉の取っ手を見てみろよ。使用中の札がかかってなかったんだ。だから、てっきり誰もいないと思ったんだよ」
「そ、そういうシステムでしたか。うっかりかけ忘れていました」
少女がバスタオルで全身を隠しながら頭を下げる。隠しきれていなくて下着がチラチラと主張しているが、指摘すると殴り飛ばされそうなので黙っておこう。
「う、うむ。だが、知らなかったとはいえ、刑部のほうも声をかけるとか配慮のしようがあっただろ」
「阿部さんだっけか。なーんか、意地でも俺を悪者扱いしたいみたいだな」
皮肉を言ったが逆効果だったようだ。胸元をごそごそと探っている。俺は妖怪じゃないから悪鬼退散されても効果はないから。効果はないよな。
「あ、あの……」
美琴とにらみ合いを続けていると、弱弱しく声がかけられた。最大の被害者である少女がへっぴり腰になって指を曲げている。
「着替えたいので出て行ってもらえませんか」
尤もすぎる主張に俺たちは従わざるを得なかった。
その後、先に風呂を使わせるということでどうにか美琴には落ち着いてもらった。もちろん、俺が入浴する際はきちんとノックして呼びかけておく。学校のトイレの花子さんを呼び出しているみたいになったのはよーこさんのせいにしておこう。