浬、馬込とオタ話で盛り上がる
当然の処置ではあるが、俺は店のバックヤードへと連行されていた。悪いことはしていないはずなのに、扱いが万引き犯そのものであった。
パイプ椅子に座らされ、俎上の鯛状態で待機させられる。高校生にして前科者なんて御免だ。俺は机に肘をついて固く指を組み合わせる。
「お待たせしました」
処刑人にしては軽すぎる口調で店員さんがやってきた。菩薩のような柔和な表情だ。でも、まだ油断はできない。とりあえず指はほどくも、椅子には浅く腰掛け、足元には常に力を入れていた。
「びっくりしましたよ。いきなり働きたいなんて。人員募集の広告は出していないのによくたどり着きましたね」
「バイト先を探して町を歩き回っていたら、偶然見つけたんです。正直、運命かと思いました」
「なるほど、バイトを探して、ね。まさか千と千尋みたいなことを現実でやる人なんて初めて見ましたよ」
湯婆婆と謁見するシーンだろうな。もしかして名前を奪われて「カイ」にされるんじゃなかろうか。それならまだ人名として通用するけど、「刑部カリ」にされたら青酸カリみたいで嫌だ。
「そういえば、まだ名乗っていなかったですね。僕は馬込草一郎。アニメショップ漫々の店長を務めています」
ただの店員ではなく店長だと。虚言ではないようで、差し出された名刺にもしっかりと「アニメショップ漫々店長」と記載されていた。オリジナルだろうが、右下に快活そうな美少女のキャラクターが描かれているのは流石だ。
「えっと、バイト希望ですか。あいにく追加の人員は考えてないんですよね。僕一人でも十分回せますし、手伝いに来てくれるバイトの子も既に居るんですよ」
困ったように馬込さんは両手を広げる。すんなりと働かせてはくれないか。いい店だと思ったけどな。
がっくりと肩を落としていると、馬込さんは品定めするかのように眼鏡を動かした。
「アニメショップに目を付けたということはアニメ好きなんですか」
「そりゃ、もう大好きです」
「特に好きなアニメとかあります」
「もちろん、ガクドルズです」
「ガクドルズか。確かにあの作品は面白いですよね。海ちゃんとか可愛いし」
「海派でしたか。俺は華派です」
ガクドルズファン同士で集まると、まず誰推しかという話題になる。海や空もいいけどやっぱり華だよな。
「まさかこの宇迦市が舞台になるなんて思いもよらなかったです。僕はずっとこの町に住んでいるのですが、定住地がアニメの聖地になるとは夢みたいでした。えっと、君は」
「刑部浬です」
「刑部君か。住んでいるのは宇迦市なのかな」
「そうですが、この春引っ越してきたばかりです。宇迦学園高校に通っていて、寮暮らしをしています」
「ええ!? あの高校ってすごく優秀じゃないですか」
東京大学に通っているぐらいの反応をされたぞ。やはり、ここら近辺で最も偏差値が高いというネームバリューは伊達ではなかったな。
「寮暮らしというと、まさか陽湖荘に住んでいたりしませんよね」
「住んでいますが」
「あそこは幽霊が出るともっぱらの噂ですが、大丈夫なんですか」
「幽霊には出会っていません」
妖怪には出会いました。下手したら宇迦市民全体の噂になっているんじゃないのか、うちの寮は。「悪いことは言わないからお祓いをした方がいい」と提案されたから丁重にお断りしておいた。
それからは今クールで注目しているアニメとか、普段読んでいる漫画やラノベの話で盛り上がった。アニメショップの店長という偏見を差し引いても馬込さんは相当のオタクだった。俺よりも年代が一回り上ということもあり、かなり昔のアニメまで網羅している。しかも、知らないアニメについても懇切丁寧に解説してくれるから話が途切れることはない。世の中にはこんな強者のオタクがいたなんて。井の中の蛙だったぜ。
そして、少し前にやっていた「青春馬鹿野郎」のアニメの話になった時だった。
「そういえば、あのアニメには最近人気の声優が出ていましたね。早山奈織でしたか」
「そう、そうです。よく分かっているじゃないですか」
テーブルに身を乗り出す勢いで中腰になる。そのせいで書類が散らばってしまったので、慌てて拾っておく。
「ものすごい反応ですが、もしかして早山奈織のファンですか。華派だと言っていたのもその影響なのでは」
「もちろんです。声優と言えば早山奈織、早山奈織といえば声優ですよ」
我ながら相当訳が分からんことを口走ってしまった。でも、スイッチが入ってしまったからには仕方ない。存分に語らせてもらうぜ。
「やっぱり演技の幅が広いのが魅力ですよね。花園華みたいな快活な女の子をやったかと思えば、『俺じゃない』の雪野原幸恵みたいな落ち着いた美少女まで網羅していますし」
俺じゃないとは「俺の学園ラブコメはこんなはずじゃない」の略称である。花園華とはうって変わってクラス一の才女でおしとやかなのが特徴だ。声質は似ているのだが雰囲気が違い過ぎて、EDのクレジットで判明した時は驚愕した覚えがある。
「歌唱力にも定評がありますね。うちの店でも彼女のシングルは常に売り上げ上位ですよ」
「そうですよね。常人では歌いこなせないような曲でも難なく歌い上げるから大したものです。セカンドシングルの『デンジャラス・プラトニック』で九十点を取るのにどれだけ苦労したことか」
「そもそもカラオケで九十点取れること自体ものすごいですよ」
馬込さんが称賛を通り越してあきれ果てていた。全国平均が七十六点だから相当歌唱力に自信がないと高得点は難しい。ほぼ一日中同じ曲を歌い続けていたせいで、歌詞が無くても完璧に歌いこなせるようになってしまった。
「正体は不明と言いますが、どんな人なんでしょうね。噂ではこの宇迦市に住んでいるそうですよ」
「そうみたいですね。俺がここに来たのも彼女と直接会うためですし」
「早山奈織に会うためだけに宇迦高に合格したとか言うんじゃないでしょうね」
「そうだが」
「いやあ、人間やればできるもんですね」
どこか遠い目なのはなぜだろうか。早山奈織に会うためならリアルでドラゴン桜をやってのけるぐらいお安い御用だ。
ついオタ話に夢中になってしまったが、突然鳴り響いた携帯電話で現実に引き戻された。相手は美琴か。彼女からかけてくるなんて珍しいな。今更ではあるが、緊急連絡網という名目で美琴と瑞稀とは連絡先を交換してある。森野がなぜか羨ましがっていたが、また話が脱線しそうなのでさっさと電話に出よう。
「もしもし、どうしたんだ」
「どうしたんだじゃない。もうすぐ夕食なのにどこをほっつき歩いてるんだ。よーこさんが『浬が行方不明なのじゃ』ってうるさいからさっさと帰ってきなさい」
電話口で一方的に叱られて、問答無用で通話が切られた。よーこさんは今どき珍しく携帯電話を持っていないというので、美琴に連絡を頼んだのだろう。
お暇しなくてはならないという旨を伝えると、馬込さんも腰を上げた。
「そういえば、うやむやになってしまいましたがうちで働きたいと言っていましたね。さすがに『はい、どうぞ』と許諾するわけにはいきませんから、後日改めて履歴書を持ってきてくれませんか。その時にきちんと面接をしましょう」
「はい、ありがとうございます」
募集するつもりがないところに面接試験を取り付けたのだから、大きな前進であろう。ただ、面接か。馬込さんとは馬が合いそうだけど、改まって試験されるとなるとどうなるか。体内から湧き上がっていた熱が急に冷まされていくようだった。