瑞稀、本が好きな理由を考える
第二章「小説を書こうぜ!」編開幕です。
妖狐荘での生活を始めてから早くも一か月が経とうとしている。管理人が妖怪だということ以外は変哲のない騒がしい日々だ。管理人が妖怪だということ以外は。大事なことだから二度言った。
よーこさんがたびたび俺の部屋に乱入してくるもんだから、もはやいちいち驚かなくなっている。金髪で巨乳の大和撫子美女が夜這いするのが日常茶飯事って字面にしてみると大変なことだけれどな。
よーこさんが仕掛けてくる他愛ないちょっかいについて語っても詮無きことだから、別のルーティンとなっていることについて話そう。
美琴は朝支度に時間がかかるのか、朝食の時に集まるのは大抵最後になる。では、朝の身支度にそんなに手間をかけない俺が最初かというとそうではない。俺が洗顔や歯磨きを済ませてリビングへ行くと、大抵既に瑞稀が着席していて本や新聞を読んでいるのだ。
余程の早起きなのか、身支度が恐ろしく早いのかどちらかは与り知らない。ただ、朝の陽光を浴びながら一心不乱に本を広げている彼女は一枚絵のようである。ATフィールドでも展開されているかのように指一本触れられそうにない雰囲気を醸し出している。
仮に触れられたとしても、彼女の世界に干渉することは並大抵のことではない。わざと食器を落としたり、大地震が起きたりしない限り、彼女の意識はずっと活字の世界へと繋がっている。いたずらごころを起こして、彼女の体を突いたことがあったが、意に介せずといった呈だった。俺が思春期症候群を発症して他人から認識されなくなったんじゃないよな。
彼女の永劫の読書タイムは途切れることはない。と、いうわけではなく、
「おっはよ、瑞稀」
という美琴の軽快な挨拶や、
「皆の者、ご飯じゃ。早く食べるのだぞ」
よーこさんが運んでくる料理の甘美な香りによってあっさり阻害される。むしろ、俺だけが彼女の読書タイムを遮ることができない。この日も釈然としないまま朝食をいただくのであった。
メニューはよーこさんお得意の和食御膳。一度、どういうわけかパンを出したことがあったが、それ以外は見事にご飯ばかりだ。こうも米ばかりが続くとパンが恋しくなる。学校の購買でパンばかり買ってしまうのは致し方ないことだろう。
味噌汁をすすりながら、よーこさんが唐突に切り出す。
「前から思うておうたのじゃが、瑞稀は本が本当に好きじゃの」
「それ、ダジャレ? 面白くないわよ」
「美琴には聞いておらんのじゃ。それにダジャレとはなんじゃ。そんなことを言うのは誰じゃ」
いや、ダジャレの概念知っているだろ。瑞稀が笑いを堪えて味噌汁を発射しそうになっているからやめてやれ。
どうにか味噌汁放射の発動を免れた瑞稀が答える。
「そうですね。いつから本を好きになったかはよく覚えていないのですが、幼い時もよく絵本を読んでいたと母親から聞かされたことがあります。ぐりとぐらとか」
「懐かしいな。俺も読んでた記憶がある」
「あれってどんな話だっけ。ネズミが二匹追いかけっこして、そのうちの一匹がいつもひどい目に遭う話とか」
美琴、それはトムとジェリーだろ。ネズミしか合ってないし、片方はネズミじゃなくて猫だ。確か、大きな卵を見つけてそれからカステラを作る話だったはずだが、唐突に聞かれると案外答えられないものだな。
「絵本、といえるかどうか微妙ですが、ゾロリシリーズもよく読んでましたよ」
「あれは俺も読んだ。ウッカくんの話だよな」
「宇迦市のご当地キャラクターは関係ないだろ」
「あいつ、『太ったゾロリ先生だ』ってネット上で叩かれてるぞ」
「宇迦市民としてウッカくんの悪口は表で聞こうか」
目が本気だからやめてください。串刺しにされている鮭の切り身に成り代わるのはごめんだ。
ちなみに、ウッカくんとは美琴の言う通り宇迦市公認のご当地キャラクターである。宇迦市は狐にまつわる伝承が多いことから、狐をモチーフに作成されたようだ。ただ、ずんぐりむっくりしているうえ、目の周りに黒マスクをしているような模様があることからネット上で「宇迦市のご当地キャラクターがゾロリ先生そっくりな件wwwwwww」というスレッドがたてられたことがあった。そいつが主にアフィリサイトによって拡散された結果、ウッカくんは「太ったゾロリ先生」というあだ名を獲得する羽目になった。
とはいえ、「ウッカくんを人気者にしてやろうぜwwwww」という謎の後押しもあったおかげで、ご当地キャラクター総選挙で二位を獲得したこともある隅に置けない奴なのだ。
「ううむ、なんか話がすごく脱線しておるぞ。ウッカくんとかよう分からんのじゃ」
「案外可愛いから、今度見てみるといいですよ。えっと、私が本を好きな理由ですよね。改まって聞かれるとどうしてかはよく分からないです。きっかけがあったかもしれませんが、物心がつく前かもしれませんし」
「私がどうして甘いものが好きなのかと聞かれるのと同じようなものよ。遺伝子レベルで好きだと答えるしかないし」
「なるほど、一理あるな。俺がガクドルズが好きなのと同じ理由か」
「それは違うんじゃないですか。ガクドルズは数年前の作品のはずですし」
DNAに刻まれるほどガクドルズが好きだと思っているけどな。「ガク」と聞いて「ガクドルズの話題か」と浮足立ったら、歌手の「GACKT」の話題だったこともあるし。
「つまり、うちが浬のことを好きなように遺伝子レベルで好きということじゃな。納得じゃ」
「それこそ絶対に違うから」
遺伝子レベルで俺が好きとか、最近の歌謡曲みたなこっ恥ずかしい発言はやめてもらおうか。
「きっかけはどうあれ、好きなものは好きってことでいいんじゃないの。好きなものにいちいち理由を求めていたらきりがないわよ」
美琴が総括を述べたことで、この話題はいったん終了となった。
「そうか。瑞稀が本が好きな理由が分かれば、うちが浬が好きな理由も分かると思うたのじゃが。人間とはままならぬのう」
ぽつりとよーこさんがたくわんを齧りながら呟く。世の中には説明しようにも説明できないことなんて多々あるからな。美琴の言う通り、逐一理由を求めていたらどうしようもなくなる。
宴もたけなわとなっているところだが、始業時間が迫っている。慌ただしく登校準備を進めていると、いきなり瑞稀に肩を叩かれた。これまで散々読書中に突っついてきたお返しか。それなら許容しよう。
「あ、あの、浬さん」
背中で手を組み、しどろもどろになっている。控えめな彼女のことだ。お願い事でもあるのだろう。予想するまでもなく、彼女は腰を曲げる。
「頼みたいことがあるので、今日の放課後私の部屋に来てくれませんか」
おおっと、いきなり飛躍したな。瑞稀の部屋自体は一度訪問したことがある。しかも、彼女から招き入れてくれたのだ。あの時は楽しかったな。久しぶりに本気でオタク談義ができたぜ。
ひょっとしたら、また全力でオタク話がしたいということだろうか。学校ではこの手の話題ができる奴は皆無だもんな。なので、俺は軽い気持ちで、
「いいぜ。今日の放課後な」
と、サムズアップした。瑞稀は晴れやかに目を見開くと、背筋を伸ばして玄関へスキップしていくのだった。よほど溜まっていたのかな。やらしい意味じゃないぞ。
この後の瑞稀との会合から大規模な争いに巻き込まれていくのだが、それはおいおい語っていくとしよう。