葛葉、本性を現す
彼女を止めようと木陰から飛び出したが後の祭りだった。美琴は全力疾走で距離を詰めるとともに、手にしていた護符を葛葉へと投げつけた。火の玉で防御されるのを危惧し、至近距離から確実に当てる寸法か。
しかし、護符が葛葉に到達することはなかった。パンチが届きそうな距離で放たれたにも関わらず、護符は一瞬のうちに消し炭となったのだ。それどころか、反撃で掌底を浴び、美琴はたたらを踏む。
「遠距離だと炎で防御されると読んで、至近距離から来ましたか。浅はかですね。炎を展開しているにも関わらず遠距離から護符をぶつけてきた阿呆もいましたが、あなたにはそこまでの力は期待できないようです」
あからさまな挑発を受け、美琴は再度護符を叩きつけようとする。これはあまりにも浅はかな一手だ。単純な攻撃が通じないのなら、フェイントを織り交ぜるみたいな工夫が必要なのに。
でも、頭に血が上っている美琴にはどんな言葉も無意味だった。彼女の手中にあった護符は葛葉に到達するより前に消し炭と化してしまう。それどころか、炎が手首に纏わりついている。あまりの高熱に美琴は顔をしかめる。
「まやかしの炎です。火傷はしないのでご安心を」
葛葉から注釈され、美琴の顔が緩む。術をかけた当人が言うのだから「火傷は」しないだろう。だが、別の実害が残されていた。
葛葉が天を指すように右腕を上げる。その所作に合わせ、炎も天へと昇っていく。そして、あろうことか美琴の体も天へと持ち上げられているのだ。炎が神の手となって美琴を連れ去っている。にわかには信じがたいが、そうでもしないと説明がつかなかった。
美琴は空中で足をばたつかせているが、依然として束縛から逃れることができない。ジーンズだったからまだよかったが、スカートを履いていたら悲惨な状況になっていた。
「くそ、放せ。私をどうするつもりだ」
「別に取って食うつもりはありませんよ。知り合いにはカニバリズム肯定派もいるみたいですが」
洒落にならない脅しに、美琴の動きが止まる。どうにか助けられないものかと俺はすり寄ってみるが、葛葉に睨まれて足がすくんでしまう。中途半端に助太刀はできないということか。
「なめるなよ、妖怪が」
拘束されてもなお、美琴は護符を投げつけようと悪あがきをする。しかし、奥歯を強く噛んだような表情を浮かべ、札を手から落としてしまう。炎がきつく彼女の手首を締め付けたようだ。
「それはこちらのセリフです。小娘ごときがわたくしを討伐できると思っているのですか」
「なんだと」
「どうやら、わたくしをただの妖怪だと思っているのですね。愚かの極みです」
深々と嘆息され、美琴は激高して暴れまわる。だが、葛葉の髪が逆立った途端、彼女の動きがぴたりと止まった。俺もまた知らずと息を呑んでいた。あいつの雰囲気が確実に変わっている。
頭上からは犬のような耳が生え、臀部からはいくつかの尻尾が伸びてくる。特に、尻尾は単独ではない。極太の毛並みが連なり、合計で九つの尻尾が生えそろった。
その姿を一言で表すなら「妖狐」だった。よーこさんの本性を目の当たりにしたことがあるからさほど驚きはない。それでも、彼女とは格が違うと思い知らされる。
正体が暴かれ、俺も美琴も言葉を発することができなかった。RPGならばダンジョンの中途半端なところで大ボスとエンカウントした心地だ。只者ではないという予感はしていたが、ガチでやばいやつだったとは。
俺たちを戦々恐々とさせ、意気揚々と葛葉は尻尾をさする。
「人間風情にわたくしの本性を晒すなど想定外でした。ただ、こうでもしないとあなたは引き下がらないでしょう。わたくしは妖狐。それもただの妖狐ではありません。千年の時を経た妖狐の中でも最上の存在、千年妖狐です。
あなたは安部の血を誇っているようですが、全盛期の当人ならばともかく、彼奴の力にすがる紛い物に後れを取るわけがありません」
為すすべなく空中の牢獄に囚われる美琴だったが、未だ諦めてはいなかった。むしろ、先ほどの葛葉の言葉に触発されたのか、敵意をむき出しにして吠え掛かる。
「前言を撤回しろ。私は紛い物などではない。こんな術などすぐに破り、お前を討伐してくれる」
「口先ばかりでちっとも抵抗できていないではないですか。ならば、もっときついお仕置きが必要ですね」
そう言った葛葉の口元は嗜虐的に歪んでいた。相当にまずい攻撃を仕掛けてくるつもりだ。
美琴を拘束していたものとは別の炎が彼女の胴体のあたりを揺らめく。探るように周回していたのだが、そのうちの一つがいきなり体当たり攻撃を仕掛けたのだ。
炎属性が付与してあるとはいえ、基本技だ。威力は大したことはない。美琴の肉体にも火傷などの実害は無さそうだった。
いや、葛葉の狙いは別のある。威勢よく喚いていた美琴が一撃を受けただけで沈黙したのだ。胸に命中して口に被害が及ぶなんて考えにくい。よもや、全身にダメージが広がっているのか。
素肌に傷は無いようだが、問題は別にあった。火の玉がかすった個所が焼けこげ、服の繊維がちぎれ落ちていたのだ。どうにか下着として着用していたシャツでカバーできているが、もし次なる攻撃が来たとしたら。
危惧した途端に懸念事項は具現化する。今度は一度に二つの火の玉が胸と股間を襲った。特に上半身をかすめた火の玉は第一撃と同じ個所を抉ったせいで、ブラジャーがご対面してしまう。そして、ズボンを破かれたのなら何が飛び出るかは言わずもがなだろう。
凝視しないと見えないとはいえ下着を晒されているのだ。美琴の頬は蒸気し、瞳にはうっすらと雫が溜まる。しかし、葛葉の攻撃は止まらない。そして、勢いをつけた炎の閃光により、ついに白のブラジャーが完全にお目見えしてしまったのだ。
けたたましい悲鳴を上げる美琴。葛葉は手のひらで炎を弄んでいた。
「わたくしが勉強したところによりますと、人間の女子は肌を衆目に晒されることを嫌うそうです。近代においては下着なる布切れでさえも同様とか。なるほど、間違ってはいなかったようですね。勉強になります」
「この変態妖狐が」
図らずも俺と美琴で合唱していた。美琴のほうから仕掛けたとはいえ、報復としてはやり過ぎだ。やっぱり、妖怪は所詮妖怪なのかよ。
どうにかしたいが、陰陽師である美琴がどうにもできないものを、ずぶの素人である俺がどうこうできるわけがない。炎を素手で捕まえるにしても、飛行中のハエを捕まえろと強要されているようなものだし。
そして、美琴の戦意を根こそぎ奪おうという魂胆なのか、葛葉次なる攻撃の準備に入る。これ以上火の玉を受けたら下着までもが破かれてしまう。どうすりゃいいんだ。もはや祈るしかないのか。最悪な状況を打開してくれる救世主に。
祈りが通じたのか。はたまた、単なる偶然か。ともあれ、経緯は些末な問題だ。待ち望んでいた人物、いや、妖怪が鳥居の前で仁王立ちをしていた。
「そこまでじゃ、葛葉。うちが管下する生徒に手を出すのであれば容赦はせんぞ」
薄手のシャツが汗でにじんでいることから全力疾走してきたことは確実だ。なのに、一切息切れしていない。それどころか、隠匿するつもりもなく披露されている狐耳と尻尾が彼女の美しさを際立たせている。黄金にきらめくロングヘアになぜかベストマッチしている大和撫子な顔立ち。間違いない、よーこさんだ。