美琴、雑鬼を蹴散らす
疑惑の視線を投げかけられてもなお、葛葉は表情を変えない。これほどまでに一貫して笑顔のままだと仮面をつけているのではないかと訝しみたくなる。
まさかと苦笑する俺をよそに、美琴は大まじめに葛葉へと護符をたきつける。
「常人の目はごまかせても私の目はごまかせんぞ。正体を表せ、妖怪」
この男が妖怪だって。せいぜいが不審者で、いくらなんでも人外はありえないだろ。
しかし、葛葉は肩を震わせると、声を上げて大笑いした。表情とぴたりと一致するのに違和感があるのはなぜだろうか。
「わたくしの正体を看破する者が現れるとは。少しは退屈凌ぎができそうですね」
「黙れ。貴様、浬に何をしようとしていた」
美琴の眦は寄っており、護符が指圧で押しつぶされそうであった。至近距離にいる俺が気後れするような迫力だ。
もちろん、彼女から数メートルの位置にいる葛葉にも彼女の発する怒気は伝わっていたはずだ。ところが、やれやれと言いたげに肩をすくめる。
「だから口すっぱくなるほど説いてきたのです。人間はろくなものではない、と。もし、悪意がないとのたまっても『とぼけるな』と返すのでしょうね」
「とぼけるな」
ものの見事にこちらのセリフを的中させてやがる。すると、不思議なことが起こった。
葛葉の周囲に怪しげな火の玉が発生したのだ。火元となるものはなく、彼がマッチやライターを使用した形跡もない。バトル漫画に例えるなら、「空気中の酸素を我が異能で発火させたのですよ」とでもしないと説明のつかない状況だ。
「穏便に済ませようと思っていたのですが、陰陽の者が出てきたのなら話は別です。少しばかり灸を据えないといけないようですね」
「ほざけ。安部の血を受け継ぐものとして、貴様を倒す」
「戯言を」
俺の存在を完全に無視して異能バトルが始まろうとしている。俺はどうしたらいいんでしょうか。特撮ヒーロー番組なら、「危ないから避難していろ」と言われる立場ですかね。とりあえず、大木に隠れて戦況を見守ることにした。
謎の火の玉を飛ばしてくると思ったが、葛葉はいきなり指を鳴らした。すると、境内の屋根や軒下、半開きになっている物置から合計五体ほどの小鬼が湧き出てきた。西洋だったら甲冑を着たスレイヤーさんが「ゴブリンか」とぶっ殺そうとする怪物だ。醜悪な顔面にだらしない三段腹。よだれを垂らして、爪は伸び放題。赤、青、黄色、緑、黒と秘密戦隊として出すには惜しい色合いをしていた。
「なんだその炎神戦隊をやれそうな雑鬼は」
炎神戦隊ってのがよく分からんが、過去にやっていた戦隊なんだろう。それは置いといて、葛葉は大仰に両手を広げる。
「数百年前と比べて、現代は妖怪が住むには不便になりました。下手に人間の目に触れれば過度に大騒ぎされますからね。彼らは普段、ひっそりと暮らすしかないのですよ。ですから、わたくしが管理する神社で匿っているというわけです。
もちろん、ただで住まわせているわけではありません。人間でも他人の管理する家に住む際には銭が必要でしょう。雑鬼どもに金銭は期待できません。なので、有事の時にわたくしを守るように命令してあるのです。そして、今がその時というのは説明するまでもないですよね」
人目につかないようにしていたとはいえ、ご近所にこんな危険生物が住んでいたなんて。池の水を全部抜いてみたらアリゲーターガーが出てきたぐらいの衝撃だ。
「過度に心配する必要はありませんよ。彼らに襲われたところで柴犬に噛まれるぐらいの被害しか出ません」
「十分に痛いと思うが。美琴、大丈夫なのか」
「笑止。雑鬼ごときで遅れをとるわけがなかろう」
「では、手加減は無用ですね。お行きなさい」
葛葉の号令を受け、五体の雑鬼は一斉にとびかかる。遠くに避難しているにも関わらず、俺はとっさに逃げ出そうとしてしまう。
反面、美琴は微動だにしなかった。それどころか目をつむっている。おい、はったりをかまして諦めたというわけじゃないよな。犬と同程度の身体能力を持っているのは嘘ではなさそうで、あっという間に美琴の周りは雑鬼ばかりとなった。そして、特攻隊と思われる黒と緑が彼女へと手を伸ばす。
「悪鬼退散! 急急如律令!」
掛け声とともに美琴の右手が開かれた。その数秒後に黒鬼と緑鬼が苦悶の表情を浮かべ、うめき声を発してのたうち回る。えっと、何をしたんだ。
彼女の戦闘スタイルから護符を投げつけたというのは分かる。でも、まさか一瞬の間に二体の雑鬼に向けて札を叩きつけたとでもいうのか。
もがき苦しんでいた雑鬼はやがてピクリと動かなくなる。害虫駆除スプレーを浴びたGみたいな末路だった。
「安心しろ。そいつらは死んではいない。数日経てばピンピンしているだろう。だが、必要以上に危害を加えるというのであれば容赦はしない」
これ見よがしに護符を提示する。仲間が瞬殺されたことで、残る雑鬼たちは躊躇している。
だが、葛葉が再度指を鳴らしたことで、発破をかけられたように再度襲撃を開始した。馬鹿の一つ覚えみたいに美琴に飛び掛かっていく。単調な攻めからして、柴犬の方が知能がありそうだ。
「急急如律令」
つまらなさそうに呟くと、美琴は手を払う。すると、雑鬼どもは数分前の光景を再現しているかのように、一様にもがき苦しんでいた。雑鬼たちを全滅させたところで、美琴は改めて葛葉へと向き直る。
「すげえ。陰陽師だってのは本当だったんだな」
「当たり前だろう。真似事をしているとでも思っていたのか」
素直に称賛を送ると、美琴は照れながらも胸を張る。こういうのはヒロインの役割だと思うが、細かい詮索は無しにしよう。
手下として繰り出した雑兵が全滅したにも関わらず、本大将の余裕は崩れることはなかった。むしろ、想定内とでも言いたげだ。
「やれやれ。雑鬼たちに恐れを為して逃げ帰ってもらえれば楽だったのですがね。まさか討伐してしまうとは」
「ほざけ。こいつらでは私を倒せないと織り込み済みだろう」
「まだ対抗するつもりですか。悪いことは言いませんからとっとと帰ったほうが身のためです。あなたの力では雑鬼は倒せてもわたくしは倒せません」
「随分な自信だな。後でほえ面をかいても知らないぞ」
勝利により高揚しているのだろう。美琴はどや顔でほほの近くに護符を構える。このまま本願まで討伐できる。そんな期待とともに一縷の不安も残る。この局面で調子に乗ったキャラの末路というと大概……。