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浬と美琴、あーんする

 美琴と秘密の契約を交わした翌朝のことである。瑞稀はけっこう早起きなのか、大抵真っ先に食堂に到着している。それで、黙々と新聞を読んでいるのだ。

「おはよう、石動さん。今日も早いな」

「……」

 相変わらず記事に夢中だ。活字だったら新聞でも構わないのか。


「おはようじゃ、浬。今日の飯も腕によりをかけたぞ。早く食べるのじゃ」

 かっぽう着姿のよーこさんが朝食を配膳する。焼き鮭にほうれん草のお浸しと典型的な和食御膳だ。和食の割合が異常に多いのはよーこさんが日本の妖怪だから仕方ないとしても、俺の白飯の量が露骨に多いのはどうにかできないのか。

「浬は育ちざかりだからの。たくさん食べるのじゃ」

「ヘンデルとグレーテルの魔女みたいに後で食べるつもりじゃないだろうな」

「うちにカニバリズムの趣味はないのじゃ」

「むしろ、どうしてカニバリズムなんて言葉知ってんだよ」

「妖怪もこれから国際化の時代なのじゃ」

 だったらたまには洋食も出してほしい。そして、未だに新聞を読み続けられる瑞稀の集中力はすさまじいな。


 遅れること数分、ようやく美琴も到着する。

「ごめん、お待たせ。セットに手間取っちゃった」

「まったく、遅いのじゃ。さあ、食べようぞ」

 よーこさんに促され、素直に着席する。そして何事もなく食事開始と思いきや、

「おはよ、浬」

 さっそくぶち込んできたな。よーこさんが瞠目しているのをよそに、俺も作戦に乗っかる。

「おはよ、美琴。今日もきれいだぜ」

「もう、お世辞はいいわよ」

「なんじゃ、おぬしら。いつの間に仲良くなったのじゃ」

「そうですよ。名前呼びなんてしていなかったですよね」

 衝撃が迸りすぎだろ。新聞に夢中だった瑞稀まで会話に参戦しているし。


「昨日風呂上りに会話していたら意外と意気投合しちゃってさ。そんで、いつまでも名字呼びだとよそよそしいから名前呼びにしようってことになったんだ」

「そうね。これから一緒に暮らすわけだから、仲良くしておくに越したことはないってね」

 無理やり笑みを作っていたが感づかれてないだろうか。よーこさんは考え事をしていたようだが、やがて着席して茶碗を手に取った。

「経緯はともあれ、仲良くなるのはいいことじゃ。さあ、早く食べようぞ」

 よーこさんに促され朝食をいただくことにした。俺の作戦はまだ始まったばかりだ。こんなところでつまずいていられないぜ。


 とにかくよーこさんに対して俺と美琴の仲がいいことをアピールしなくてはならない。けれども、いざ彼氏らしいことを演じろと言われても具体的な行動が思い浮かばない。目くばせしても美琴は黙々と白飯をたいらげているだけだし。どうしたものか。

「浬。箸が進まんようじゃが口に合わんかったか」

「いや、ちょっと考え事をしていただけだ」

 危ない、危ない。よーこさんに怪しまれては計画がおじゃんだ。白飯に箸をつけようとすると、ひょいと梅干しが乗せられた。

「うちの知人からもらった数十年漬けた梅干しじゃ。とてつもなくすっぱいから眠気覚ましになるぞ」

「数十年って賞味期限は大丈夫なんですかね」

「平気なんじゃないですか。安土桃山時代の梅干しが現存しているそうですし」

 瑞稀がスマホ片手に答える。ひょっとして検索したのか。そこまで古いと逆に食べてみたくなる。


 おっかなびっくり俺は梅干しを口に入れる。途端、口腔いっぱいに酸味が支配した。やべえ、すっぺえ。白飯をかきこむがなかなかすっぱさが消えることはない。美味いかどうかはともかく、眠気覚ましには使えそうだ。


 梅干しの攻撃に喘いでいると口の前に卵焼きが差し出された。視線を移すと美琴が心配そうに箸を持ち上げている。

「まったく。考えなしに明らかにすっぱそうな梅干しに食いつくからだ。この卵焼きはけっこう甘いから口直しになるだろ」

「サンキュー、助かったぜ」

 とにかく口の中を正常化したくてたまらなかった。俺は美琴が卵焼きを皿に置く前に直接かぶりつく。


 途端、女性陣が一斉に驚愕の表情を浮かべる。あれ。俺、とんでもないことをしてしまったか。特に美琴は箸を持つ手を震わせている。そういえばこの箸は数秒前まで美琴が使っていたものだよな。まさかこれって。


 しどろもどろになる俺だったが、むしろチャンスなんじゃないか。危なっかしい手つきになりながら俺も卵焼きを箸で掴む。そして、そのまま美琴の口の前まで運んで行ったのだ。

「お礼に俺のも食うか。甘くてうまいぞ」

「え、ちょ、ちょっと」

 美琴はうろたえている。さっきは無意識に仕出かしてしまったが、今回は意識的に仕出かそうとしている。「馬鹿な事してんじゃないわよ」と主張したいのだろう。さっきからしきりに俺の足を踏んでくる。痛みに耐えつつも俺は口パクで「例の作戦だ」と伝える。


 とっさにこんなことを思いつくなんて、自分で自分が怖いぜ。恋人らしい行為の筆頭格、おかずの食べさせ合い。露骨にやるとバカップルっぽいけど、よーこさんに仲の良さを認識させるためなら大げさのほうがいい。

 どうにか口パクを読み取ってくれたのか、美琴は顔を背けながらも卵焼きに接近していく。恥じらっている顔が妙に扇情的で、俺も直視することができない。同時に卵焼きを支える手が震えている。こぼしてしまったらすべてが台無しなので、必死に指先に力を入れる。熟練のカップルは毎日こんなことをやっているのか。さすがにそれは偏見だろうが、実際やってみるとかなり恥ずかしい。蚊帳の外な瑞稀が顔を両手で覆い隠しているぐらいだ。


 さっさとたいらげてくれと念じるものの、美琴もまた決心がつかないようだ。口を開けては閉じるの繰り返しでなかなか卵焼きまでたどり着かない。俺の指先が先に限界を迎えそうである。必死に歯を食いしばって堪えていると、確かな感覚が伝わってきた。自分から仕掛けておいたのにまさかと思って卵焼きを注視する。


 すると、真正面から美琴と目が合った。視線を逸らそうとするが、羞恥を顕わにしながら俺の箸をくわえる彼女につい見惚れてしまう。普段大人びているのに、子犬みたいな愛らしさをふんだんにまき散らしているのだ。


 時間が許せば永久にこのままでいたかったのだが、美琴のほうが顔を背けてしまった。睨みを入れつつも照れくさそうに卵焼きを咀嚼している。ほほを膨らませているのは卵焼きのせいだよな。そうだと信じたい。


「ぬしら、仲がいいのはいいのじゃがいつまでも乳繰り合っている場合ではない。早くしないと学校に遅れるぞ」

 よーこさんが机を叩いて発破をかける。我に返った俺たちは急いで残りのご飯をかきこむ。

「じゃあね、浬。先に行くわよ」

「おう、またあとでな、美琴」

 もう食べ終わったのか。少し遅れて俺も立ち上がる。

「石動さんも急いだほうがいいぜ」

「は、はい。そう、ですね」

 なんだか歯切れが悪いが気のせいだろうか。彼女は手を伸ばしかけていたようだが、この時の俺は学校に行くことばかりを考えていて止まることはなかった。

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