第一話 優柔不断な男 稲城丞成
「人生は選択肢の連続である。」シェイクスピアの「ハムレット」にて書かれた有名なセリフである。人間は一日に千回の選択を行っているとアメリカの研究チームは発表している。では、重要な選択を行わなければ人間はどうなるのか。そこには破滅が待っている。なぜそのようなことが言えるかって?俺が実際に選択を行わなかった人間だからだ。もし、過去の自分に一つ情報を与える事が出来るならば、俺は半年前の自分に伝えたい。「患者にはきちんと正確な情報を伝えろ。」と。
ただ、もう遅い。事態はすでに起こってしまったのである。俺は医師免許を政府に剥奪されてしまったのだ。いくら弁明をしても、もう遅いのである。俺は医師ではなくなったのだ。もっぱら医師免許を剥奪されていなかったとしても、医師をやめていたのではないだろうか。そんなことを一人、自室にこもって考えていた時、自宅のチャイムが鳴った。俺が居留守を使おうか迷っている時、俺の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。その声の主は大学時代にテニスサークルで同じだった、カメラマンの冬柴雅隆であった。その声の主のために俺は玄関のドアを開けた。すると冬柴は開口一番「よぉ、稲城!久しぶりだなぁ!今日はお前を慰めにきてやったんだぜ!」と言ってきた。そんな冬柴を俺は仕方なく受け入れ、彼に紅茶を淹れた。
「稲城とこうやって面と向かって話すのなんて何年ぶりだ?俺はテンション上がってきたぜ。」
「そりゃよかったですよ....」
「まぁ....その....今回は残念だったな....」
「俺は何も間違ったことはしていないっっっ!」
「まぁ、そう荒ぶるなよ。俺は事の真相を聞きに来たんだ。俺の知っている稲城は医師免許を剥奪されるような男では決してないからな。だから、話してくれないか?お前が医師免許を失った経緯を。」
そう言われ、俺は落ち着きを取り戻し、冬柴に医師免許剥奪の経緯を説明することにした。
「丁度半年前だ。俺の所に高橋という20代の女性の患者が紹介状を持って受診してきた。彼女は結婚したばかりで、気の弱い女性だった。紹介状の内容は「患者の肺をレントゲンで撮影した際、影が映っていた」という内容のものであった。俺は彼女がすぐにMRIに掛かれるように緊急手配をした。MRIの結果、レントゲン写真に写っていたものは「末期の癌」であった。既に喉頭や胃にも転移が見られ、手術でも手の施しようがなく、余命半年といったところであった。それを彼女の旦那に伝えたところ、彼は「彼女には伝えないでくれ」と言われた。ここで俺は二つの意見の板挟みになったのだ。夫からの「伝えないでくれ」という意見と患者本人の「本当の事を教えてくれ」という意見だ。俺はここで双方の意見を取ろうとした。ただそれは双方の意見を捨てるのと同じであった事にこの頃の俺はまだ気づいていなかった。」
「待ってくれ。双方の意見を取るなんてどうやってそれを実行したんだ?」
「患者に嘘の病名を伝えた。」
「?それのどこがいけないんだ?」
「患者に対して偽の情報を流すことは法律により禁止されているんだ。つまり、俺は法に触れたのだ。」
「その結果患者はどうなった。」
「彼女はその偽の宣言をしたら安心しきった表情で俺に対して「安静にしていればすぐに退院出来るんですよね?」と聞いてきた。もちろん俺はその嘘を貫くために「もちろん」としか答えられなかった。」
「それで患者は?」
「一か月前に苦しみながらこの世を去ったよ。変に希望を与えるべきじゃなかった。患者にはきちんとした事実を伝えて残りの期間をどう使うかを患者に決めさせるべきだったのに。。」
「それは違うんじゃないか?お前は二人の意見をまとめた折衷案で患者に向き合った。医師とは本来そうあるべきなんじゃないのか?俺は少なからずとお前が悪いとは微塵も思わない。むしろ人間としての優しさを持って行為を行ったように見えるが。違うのか?」
「あぁ、俺は感情を表に出してしまった。だからこそいけなかったんだ。医師は時に冷酷にならなければならない。だが、生憎俺にはそれが出来なかった。優しさを表に出した結果、患者は苦しみながら息を引き取ることになってしまった。それに彼女の最後の言葉は「稲城先生に裏切られた。私は所詮彼のおもちゃでしか無かったのよ。」だ。俺は本当なら患者か家族のどちらかの意見を聞き、どちらかの意見を捨てるべきだった。ただここで俺の優柔不断があだとなってしまった。いや、優柔不断なんてたいそうなものではないな。ただ、怖かっただけだ。選択することに怯えていただけだ。俺にはもう医師免許はないが、仮にあったとしてももう医者はやってないだろうな。ハハッ。おかしな話だろ?あれ程大学時代に良い医者になるってのたうち回っていた人間が今ではこのザマだ。笑ってくれ。もう俺には何もない。もう俺の人生は終わった。なにもかも。もう終わってしまった。これが俺の医師免許剥奪に至った経緯の全てさ。」
「なるほどな。生憎俺には医者の世界なんてものはに分からないが、お前は間違っていないと思うぞ?今日来た目的は実はお前を慰めるためだけじゃないんだ。お前に見せたい写真があってな。今のお前には少し酷かもしれんが、見てやってくれないか?」
そう言って冬柴は俺に一枚の写真を見せた。そこに写っていたのは一人の黒人の男の子だった。しかし何か様子がおかしい。なんだ、この違和感は。そう考えていると冬柴が口を開いた。
「俺の職業はカメラマンだ。職業柄世界各地を巡って世界の風景を写真に収めて回っている。これは南スーダンで撮った写真だ。ただ、この子が普通の子と違うことはお前も気付いているだろ?」
「この子はもしかして、ハンセン病患者か?」
「あぁ、そうだ。世界各国を回っているとな、こういう日本では稀な感染症を持った人々が大勢いるんだ。お前は日本では医師として働くことはもうできない。だが、世界ならどうだ?免許はなくともこの世には「ヤブ医者」という存在が数こそ少ないが確かに存在している。日本という高度な医療知識のある人間なら世界に行ってもその技術は通用するんじゃないのか?」
「だが、もう俺に医者を続ける筋合いなんてない。ましてや世界に行けだって?冗談じゃない。どうせ一緒さ。同じ過ちを繰り返すに決まっている。」
「お前はこのハンセン病の子を見て何も思わなかったのかよ。」
「思わないわけがない!ただもう今の俺には医師をする資格なんてないんだ。分かってくれよ。」
「お前はそうやって目をそらすのか?逃げるのか?お前の力があれば救える命が世界にはまだたくさんあるんだぞ?それをお前は見殺しにするのか?」
「もう、やめてくれ...」
「今からでもまだ間に合う。救える命を救おうとは思わないか?稲城。」
「やめろ...」
「お前ならきっと救えるはずだ。たった一度しかしていない失敗でくじけるのかよ。お前は今まで何人の命を救ってきた。言ってみろ。言え。」
「やめろって言ってんだろ!」
冬柴は驚いた表情を見せた。驚くのも無理はない。
「今日の所は帰ってくれないか?」そう言うと冬柴は無言で荷物をまとめ、家を出ていった。ハンセン病の子供の写真を残して。
類人猿大爆発です。
一話からちょっと重めの内容になってしまいました。
二話では、この後の主人公稲城の心情にスポットライトを当てて書きたいなと思っています。
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