サブマリーナ
僕は、ひかる。東京の私大2年生。父は、地方公務員。東京都の区役所に勤めている。昨年、勤続三〇周年表彰されて家族でささやかながらお祝いをした。父はこれといった趣味もなくお酒はつきあい程度でギャンブルもしない。ただ、ファッションには造詣が深く、特に時計には一家言もっている。父の(書斎と呼ぶにはあまりにも狭小な)部屋にはアンティーク調の机といすが置いてあり机の上にはワインディングマシーンが置かれていた。父はロレックスを3本持っておりワインディングマシーンに入れ時計が回るのを眺めるのが日課だった。僕も時計がくるくる回るのがおもしろく父の膝の上に乗り飽きることなく眺め、いつしか眠りについたりもした。僕のお気に入り時計はいつも真ん中に鎮座していてなぜか両隣の時計よりも回るスピードが速く特別なもののように感じていた。小学生の頃、大きくなったらこの時計僕にもらえるって父に聞いたことがあった。はっはっ、どうかなっと父はぶっきらぼうに答えた。高校に入り僕も少しはファッションや時計のことがわかるようになり真ん中に鎮座していた時計はロレックスサブマリーナといい若者に人気のある機種であるということもわかり僕自身も両隣の時計よりは、かっこよく感じていた。(ほしいなあ)僕は父に言った。
「大学受験で志望校に合格したらサブマリーナ僕にくれないかな」
「考えとく」
ぽつりと父は言った。その後僕は第1志望の大学は落ちたものの第2志望の大学に合格することができた。
「父さん、受かったよ」
「聞いた、おめでとう」
「父さん、サブマリーナ・・・」
「もう少し待ってくれ」
「父さん・・・」
大学は、とてもおもしろくサークルやゼミで知り合った友達と飲みに行ったり、旅行へ行ったり、バイトに精出したりと青春を謳歌した。ところが僕を奈落の底へ突き落とす出来事が起きた。先月のことだ。父が職場の定期健診で異常が見つかり精密検査を受けに行った。すると検査入院することになり、母が慌ただしく下着類をかばんにつめていた。
「父さん何日間入院するの」
母に聞いた。
「1週間の予定よ。検査は2日で終わるらしいんだけど、検査結果がわかるのに時間がかかるんだって」
「ふ~ん。母さん俺さ、今テスト期間で病院すぐに行けないんだ。テスト終わったらすぐ病院行くからって父さんに言っといて」
「検査入院なんだからわざわざ行かなくてもいいのよ」
「いいから、ちゃんと言っといてよ」
3日後テストが終了し父が入院している病院へ僕は向かった。
「父さ~ん、見舞いに来たよ。調子はどう」(父は、あまり元気がないようだ)
「ひかる、大事な話がある。父さんな、がんらしいんだ。それも末期らしい、あと1週間持つかどうか」
「そ、そんな~」
「ひかる、おまえ、明日誕生日だったな、念願のサブマリーナやるよ。おまえに似合うはずだ。ケースの開け方わかるか」
「ケースの開け方はわかるけど・・・」
「明日になったら開けるがいい。おまえの左手につけたサブマリーナ見たかったな」
「何、言ってんだよ~、いつでも見られるよ~」
「ひかる、父さん疲れた。眠らせてくれ」
「・・・じゃあ・・・行くね・・・父さん・・・」
翌日、父さんの部屋に久しぶりに入った。3台の時計はあいかわらず違うスピードでくるくる回っている。僕は電源を切り真ん中のケースを開けた。初めて手にするサブマリーナ。小さな頃からあこがれだった時計がいま、僕の手のひらの上にある。時計のベルトを眺めているとローマ字の刻印を発見した。そこに刻印されていた文字は「H・I・K・A・R・U」僕の名前だ。
「えっ!」
僕は叫んだ。そして、ケースをもう一度見返すとサブマリーナのあった場所に小さく折りたたまれた紙切れを発見した。心臓が高鳴った。僕はおそるおそる紙切れを開いた。
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二十歳のひかるへ
二十年前のパパより
ひかる、成人おめでとう。ひかるがこの手紙を読んでいるということは、パパは残念ながらそこにはいないね。実はこの手紙はひかるが生まれた日に書いています。パパはひかるの名前の由来を話したかな、ひかるという名前は早くはげるようにと名付けました。冗談です。ひかるという名前は太陽のように明るく誰にでもぬくもりを与えられるような人になってほしいと思い名付けました。ひかるはどんな二十歳の若者になっているのでしょうか。ひかるは朝6時に生まれました。生まれたばかりの赤ちゃんを見てみんな、かわいい、かわいいといいますが、パパはそうは思っていませんでした。ひかるが生まれるまでは。自分の赤ちゃんがこんなに愛しいなんて。パパは人目もはばからず涙をぼろぼろ流しました。「ひかる・・・HIKARU・・・ヒカル」これから数え切れない人たちが君の名前を呼ぶことでしょう。そうだ!ひかるに何か誕生祝いを買ってあげよう、パパは電車に飛び乗りました。何がいいかな~、一生ものになるものはないかな~といろいろ考え抜いた末、パパは清水の舞台から飛び降りる覚悟を決めました。パパは銀座の高級時計店に行きました。脇目も触れずロレックスコーナーへ。そこで購入したのがそのサブマリーナです。赤ちゃんに時計のプレゼントなんて不思議な感じがするでしょう。これには訳があります。今、パパは33歳なんだけど地方公務員の薄給ではとてもロレックスサブマリーナを買う余裕なんてありません。パパはサブマリーナを20年ローンで買ったのです。もちろんママには内緒です。そして、ひかるが二十歳になったらプレゼントすることに決めたのです。なんて気の長い誕生プレゼントだと思わないかい。パパは将来自分のために購入するロレックスの分も入れて3台分のワインディングマシーンも買いました。今は真ん中に一つだけのサブマリーナだけど。ひかる、どうだ左手にはめたサブマリーナは。似合ってるだろうな~。
じゃあ、またな、ひかる。
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「じゃあ、またなって・・・」
僕は、台所へ行き冷蔵庫を開けアイスペールに氷を山盛りにいれ、父の部屋に戻った。初めてはめるサブマリーナ。
「父さん、どうだい?僕のサブマリーナ」
僕は、父の書棚にあった赤い箱を開けバカラのロックグラスを取り出した。氷を山盛りにいれ、父がとっておきのためにとってあった『山﨑25年』を注いだ。芳醇な香りがただよった。
「ゴクリッ」
「う~ん」
「ウマイッ」
───── ボトルを半分空けた頃ひかるは静かな寝息をたてていた ─────
翌日、僕はサークルの合宿で北海道妹背牛町(もせうしと読む)へ2泊3日の旅に出た。僕はカーリングのサークルに所属しており妹背牛町はカーリング合宿の誘致をしていた。僕は母に言った。
「母さん、三日ほど家を空けるけどもし父さんに何かあったらすぐに電話ちょうだいよ」
「何、言ってんの。検査入院って言ったでしょ。あんたが帰ってくる頃には父さんも退院してるはずよ」
(父さん、母さんに言ってないんだ・・・)
「じゃあ、行ってくるね」
ひかるは後ろ髪を引かれる思いで家をあとにした。
北海道の空気は新鮮だった。空気が軽い。ひかるは思いっきり深呼吸をした。旭川空港からレンタカーで妹背牛へ移動し町営の温泉「ぺぺル」で汗を流し併設しているコテージにその日は宿泊した。炊事係が隣町の深川市の深川スーパーから調達してきた深川牛の焼き肉セットで今日は宴会だ。飲み物はもちろん「サッポロクラシック」北海道だけの販売だ。空気がうまい。焼き肉がうまい。ビールがうまい。クー、最~高~。父の事も忘れ痛飲した。
翌日、早朝、携帯が鳴った。母からだ。体がこわばり携帯に手が伸ばせない。
「ひかる、携帯なってるぞ」
サークル仲間が声をかけてきた。
「わかってる」
携帯は20回ほど鳴り、音を止めた。(時間よとまれ)ひかるは心の中でつぶやいた。数分後携帯がまた鳴った。ひかるは意を決し携帯を持ち電話マークを指で押した。
「ひかる、ひかるなの。母さん、母さんね~」
すすり泣きながら母が私の名前を呼んでいる。
「母さん、何も言わなくていいよ。わかってるから」
「何がわかってるというの?」
「父さんのことだろう」
「うん、それもあるんだけど、さっき包丁で指切っちゃって痛くて痛くて」
「そんなことより父さんの容態はどうなの?」
「父さん?元気よ。ぴんぴんしてる。茶の間でテレビ見てるわよ」
「はあ~」
「父さん、怒ってたわよ。『山﨑25年』半分も飲みやがってって」
「えっ、父さん、がんじゃないの?1週間持つかどうかって」
「そんなわけないに決まってるでしょ」「父さんのジョークよ、ジョーオークッ」
「マジなの?人の生き死にをジョークって」
ひかるは左腕のサブマリーナを見て思った。
(ばったものじゃないだろな)
二日目はみっちりカーリングの練習を行い、三日目は地元の女子高校生チームと練習試合をした。こてんぱんにやられた。女子高校生が頻繁に、「そだね~」と言っていた。僕は心の中で呟いた。(ド・レ・ミ・ファ)「そだね~」(よっしゃ~)
サークルの合宿が終わりひかるは自宅へ向かった。自宅へ着くと家の向かいのおじさんが玄関から出てきた。父の将棋仲間でたびたび我が家に来ては対戦している。
「このたびは、どうも」
向かいのおじさんが言った。
「どうも」
一応返事はしたものの違和感が残った。(『このたびは、どうも』)このたびはって何?
「ただいま~」
返事がない。
「母さ~ん!帰ったよ~!」
「ひかる」
母が玄関にきた。目が真っ赤だ。
「ごめんね、ひかる。父さん昨日の早朝亡くなったの。昨日あなたに伝えたかったんだけど、どうしても言えなくて」
「え~~~」
「父っ、父さ~ん~」
居間の奥の和室には顔に白布をかけた父が横たわっていた。僕は白布を取り父の顔をみた。穏やかな顔だ。53歳で突然って。僕は半分空けた『山﨑25年』を父の書斎から持ってきた。
「母さん、父さんが使ってたショットグラスはどこ?」
母から、ショットグラスをもらいウイスキーを注ぎ父の傍らに置いた。
「父さん、ストレートでいいだろ。俺はまだストレートは無理だけどロックで乾杯だ。俺のグラスは父さん一番のお気に入りショットツヴィーゼルの10GRADだよ。最初で最後の二人飲みだね」
「父さん、二十歳の僕への手紙ありがとう。僕は、てっきり今日、父さんと二十年分の話ができると思い楽しみにして帰ってきたんだ。いっぱい、いっぱい話したかったんだけど・・・。実は合宿先で父さんがぴんぴんしてるって聞いたので父さんに手紙を書いてきました。父さんに読んでほしかったんだけど・・・。代わりに読みます」
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二十年前のパパへ
二十歳のひかるより
パパ、ロレックスサブマリーナありがとうございました。大切に使わせてもらいます。それよりも何よりも僕をこの世に送り出してくれてありがとうございました。パパは立派にお父さんやってますよ。僕にとってのパパはある時は僕の目標であり、先生であり、親友であり、いたずら仲間であり、そして、ママを奪い合うライバルでもありました。20年間を振り返ってみると長いようで短くもありました。毎年恒例の熱海への家族旅行、ディズニーランドにも何回も連れて行ってもらいました。ハワイへ行って肩が日焼けで真っ赤になり夜通し氷で冷やしてくれたこともありました。お手製の英語の単語カードを作ってくれたり、高校受験の合格グッズを作ってくれたりもしました。一緒に野球をしたり、海遊びや魚釣りなど楽しい思い出ばかりです。パパは、僕に対してうるさくは言わなく遠くからじっと見守ってくれる人でした。でも、人に迷惑かけるような行為は絶対許してもらえませんでした。ひかるの名前の由来を聞いたのはパパの僕宛の手紙が初めてです。パパの思いを十分受け止めこれからも人に接していきたいです。パパ、僕はね、身長180cmあります。パパを10cmも追い越してしまいました。20年間、本当にありがとう。これからは、右手にグラスを持ち、左手にはサブマリーナをはめてパパのお話が聞きたいです。
じゃあ、またね、パパ。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////// 「またね、じゃなくなっちゃったね。パ・パ・」
『山﨑25年』の芳醇な香りと線香の伽羅の香りが交わりあい意識が遠のく感じがした。居間ですすり泣く母から時々嗚咽が漏れる。いつしかボトルは空になっていた。僕は父の横で眠りについた。
「ひかる、ひかる。早く起きないと合宿に間に合わないわよ」
「合宿?父さんは?」
「おそらく明日かあさって退院のはずよ」
(夢を見てたのか?)
僕はおそるおそる父の書斎のドアを開けた。『山﨑25年』は半分残っていた。