第096話 家族の思い
金毛で覆われた半狼獣族の青年と、
『狂気の魔女』ヴェルズェリアの戦い。
この戦いが行われる中で、
その場を離脱するように脱出した警備隊長達、
キュプロス・ガルデ・ガブス・メージなどの強者も、
その場を一目散にして、合流地点へ向かっている。
そして催眠状態に陥ったガスタを背負いながら、
『衛士』セヴィアリュシアも合流地点へ走っていた。
自分より大柄のガスタを背負いながらも、
セヴィアは特に乱れるような走り方はせず、
木々の隙間を縫うように加速して走り、
目標の合流地点へ目指している。
実はセヴィアの現在の内心は、
乱れているなどと言い表すのも憚れるほど困惑していた。
自分自身の精神状態が『気』を乱している自覚もあり、
今の状態で集中力を乱してしまえば、
背負うガスタと共に転び倒れかねない。
それほどの精神状態だったが、
セヴィアは異常な集中力と思考力で走っている。
あの半獣族の青年は、誰なのか。
それがセヴィアという女性が抱える、
最大の疑問の言葉だった。
金色の髪と蒼い瞳を持つ狼獣族。
あるいはそれは珍しくはないのかもしれない。
狼獣族の大半は黒毛や黒寄りの灰毛が多く、
黒や白混じりの毛に、茶色の体毛を持つ者もいる。
獣族の中でも一般的な色合いで重ねられており、
狼獣族自体に特色とするような色は存在しない。
唯一例外があるとすれば、
伝承上で聞かされる『魔獣王』フェンリルの存在。
突然変異体の魔王ジュリアや勇者、
そしてセヴィアの身近な人物ではアイリという対象が、
その例外とも言える要素に近いかもしれない。
彼の魔獣王フェンリルも突然変異体だと云われ、
銀色の体毛と赤い瞳を持つフェンリルという魔獣は、
狼獣族の祖であり血縁種族の中でも例外中の例外と言えるだろう。
ならば、金色の体毛を持つ狼獣族とは、
どういう例外に当て嵌まるのか。
それは狼獣族に混じった血筋に、
金色の髪と蒼い瞳を持つ種族が、
混じったということだろう。
そんな種族が、
魔族や人種の中でどれほどいるだろうか。
あるいはセヴィアが知らないだけで、
他にも多く存在するのかもしれない。
しかしセヴィアは知識などを抜きにして、
半狼獣族の青年をその目で見て確信していた。
あの青年の片親は間違いなく狼獣族。
それも血の濃さは狼獣族の原種に最も近い者。
あの身体能力の高さと回復力が、
原種に近い血筋だと証明している。
そして片親は、間違いなくエルフ族。
満月で高まる魔力量がエルフの血によって更に高まり、
まるで巨大な大岩を見るような塊と化していた事で、
セヴィアは確信していた。
そしてどういう原因で、
あの青年があの姿で目の前に現れたのか。
セヴィアの知っている彼は、
今だ幼い少年であり、
自分の体で抱えると丸く収まってしまうほど、
まだ小柄な少年であるはずなのに。
「……ヴァリュエィラ……」
唇を噛み締めながら漏らす名前は、
セヴィアにとっては最愛の息子であり、
この世界で最後に残った家族だった。
自分の最愛の息子と、
目の前に現れた半狼獣族の青年。
セヴィアが見てきた二人の瞳は、
どちらも同じ瞳だった。
セヴィアは確信していた。
彼は自分の息子なのだと。
少年の姿をした息子が、
青年の姿となって目の前に現れた理由を、
セヴィアは理解できなかった。
理解できなかったが、
その原因を探る以上に危惧したのは、
成長した息子に気付いたもう一人の存在。
『大魔導師』ヴェルズェリア。
間違いなく彼女も、
彼がセヴィアの息子だと気付いたことに確信し、
成長した息子を見た動揺よりも、
むしろヴェルズに気付かれた事に、
セヴィアは動揺していた。
*
セヴィアは知っていた。
幼い頃にセヴィアは一度だけ、
ヴェルズェリアという人物の『本当の顔』に、
遭遇して見たことがあった。
幼い頃のセヴィアは注意深く、
周囲に隠れるように行動して動く事があり、
父や母、そして30歳ほど年の離れた姉の目を誤魔化しては、
王都ジュリアの城内に住む居住区から度々ながら抜け出し、
城内や城外に隠れるように過ごす事があった。
その中で一度だけ。
セヴィアは一度だけ、
城内の『魔王ジュリア』が根城にしている、
最奥に位置する部屋に行こうとした事があった。
その部屋には特に目立つような警備も無く、
魔王の配下で知られる大幹部達、
『最強の戦士』は城の外にある山と森に住み、
『悪魔公爵』は基本的に城下と各地方の監視を行い、
王都ジュリアに置ける最大戦力達は城外に出払った事を秘かに確認し、
セヴィアは魔王ジュリアの部屋へと忍び込もうとした。
当時のセヴィアからしてみれば、
それは好奇心にも近い何かだったのだろう。
既に幼い子供ながらに『気』の扱いに長けたセヴィアは、
数多の城内の人物達から目を誤魔化しつつ、
完全に気配を絶ちながら移動して、
魔王ジュリアの部屋の前まで辿り着いた。
セヴィアは魔王ジュリアの部屋である、
その黒く塗られ意匠が凝られた部屋の扉を、
子供の小さな手の平で、
扉のノブを握ろうとした瞬間だった。
『何をしているのかしら』
『!?』
その声は突然と、
幼いセヴィアの背中から発生した。
扉のノブから手を急いで離し、
幼いセヴィアは声のする後ろを振り向いた。
その時の彼女の顔を、
セヴィアは一生、忘れられないだろう。
ただ美しいだけの、
『表情』の無い顔と姿をした女性が、
セヴィアの目の前に立っていた。
威圧感など無く、
禍々しい魔力も感じない。
まるで存在そのものが『虚無』であり、
目の前にいる自分に対しても『虚無』しか抱いていない。
そんな『表情』の無い美しい女性を、
セヴィアは初めて見た。
その女性自体は、
何度もセヴィアは見た事がある。
『衛士』の当主である母親と、
何度か会う場に一緒に付いて行き、
王子アルトマンと共に同行する姉についていき、
その王子に魔術の訓練を施していた人物。
『大魔導師』ヴェルズェリア。
この王都の実質的な支配者であり、
そして魔大陸を統べる女王が、
幼いセヴィアの背後に唐突に出現し、
『表情』の無い顔と声でセヴィアに問い掛けている。
その時の彼女の顔は、
セヴィアの母親と会った時の威厳ある顔でも、
息子である王子に優しくも厳しく接する母親の顔でもない。
いや、城内で働く魔族達に対しても、
誰にも見せたことがないだろう顔を、
その時のセヴィアは初めて見た。
『何をしているの、と聞いているの』
『……!!』
その声にすら表情が含まれていない事に気付き、
セヴィアは身構える事さえできずに、
硬直するように表情も姿勢も固めてしまった。
セヴィアは恐怖していた。
この世界で生まれて何度か『怖い』という感情は抱いたが、
それも年を経ていくにつれて解消できる事だと、
ちゃんと理解できたセヴィアが、
目の前のヴェルズェリアに『恐怖』していた。
その恐怖が幼い身体を強張らせ、
『気』を溜める集中力を乱している。
幼い身体と未熟な魔力と魔術では、
どう足掻いても目の前の存在に勝てるはずがない。
そんな算段を立てることさえできないほど、
セヴィアは目の前のヴェルズに恐怖した。
返事をしない幼いセヴィアに対して、
ヴェルズはゆっくりと身を屈めて、
セヴィアの顔にゆっくりと自分の顔を近づけ、
その幼いエルフの耳に対して小さく美しい声で、
この言葉を出した。
『あなたのお父さんとお母さん、お姉さんに聞きましょうか?』
『――……!!』
幼いセヴィアは耳打ちして呟くヴェルズの美しいだけの声に、
横に近付いているヴェルズの顔を見ることも出来ず、
ただ引くように遠ざかるヴェルズの顔を見ずに、
顎を引いて視線を下げるしかなかった。
セヴィアの恐怖が、
そうすることしか許さなかった。
目の前の女性……いや、恐ろしい存在は、
目の前の幼い子供に対して、
『脅迫』をしている事を、セヴィアは察した。
自分の両親と、姉妹である姉。
その存在を敢えて口に出して、
自分の正体を知っている事を告げながら、
喋らなければ次は家族に聞いてくると、
安直にそう言い放っただけにも聞こえる。
目の前で恐怖するヴェルズェリアの表情と声を聞けば、
確実にそれ以上の事をすると、
幼い子供でも理解できるほどの事を、
『大魔導師』ヴェルズェリアは平然とやっている。
その恐怖が固まる身体と口の硬直を抉じ開け、
セヴィアは声を発する事にだけは成功した。
『ま、迷って……ここに……誰かに、帰り道を……』
『……そう』
迷子になって、
目の前に部屋があったから、
誰か居ないかと部屋を開けようとした。
その誤魔化しのような言葉を、
恐怖の対象であるヴェルズェリアという女性が、
信じるものなのかと、幼いセヴィアは恐怖した。
屈んだ身を立たせたヴェルズェリアは、
『表情』の無い顔のまま、
右手を幼いセヴィアの頭に近付けた。
幼いながらも、
セヴィアは殺されると察した。
今の自分では抗う事さえできずに殺されると、
幼いセヴィアはすぐに察した。
気配だけで近付くヴェルズの右手を察して、
セヴィアは両の目をギュッと閉じた。
目の端には涙を浮かべている事すら気付かず、
幼いセヴィアは自分の死を覚悟した。
もう一度、あの死の感覚を味わう事を、
セヴィアは受け入れた瞬間だった。
セヴィアは訪れるはずの死を迎えなかった。
迎えに来ない死に耐え切れずに、
閉じた目を開けた幼いセヴィアは、
目の前の光景に驚かされた。
その場所は先ほどの魔王ジュリアの部屋の前ではなく、
城内の居住区に備えている中庭だった。
差し掛かる空の日差しが中庭を照らし、
木々が風で僅かに揺れて、
小池に日射の光が反射しテカテカと光る。
その場所はセヴィアが見知っていた場所だった。
そして目の前に居る恐怖の対象だったヴェルズが、
『表情』の無い顔から、
優しく微笑む顔に変化していた。
そのヴェルズェリアの表情は、
皆から尊敬され跪き称える、
『大魔導師』ヴェルズェリアの顔だった。
『好奇心旺盛な子ね。そういうところは、あなたの母や姉と似ているけれど。あなたが先ほど入っていた区画は、私やジュリア様以外は来てはいけなかったの。許しが無い限りは入らないようにしなさい』
『……は、はい……』
誤魔化しにも聞こえた幼いセヴィアの言葉を、
ヴェルズは信じたのだ。
右手を幼いセヴィアの肩に触れたヴェルズは、
自己転移でセヴィアと共に城内の中庭へ移動し、
幼いセヴィアを送り届けたのだろう。
その表情は、いつものヴェルズェリアだった。
優しく微笑む顔を見せるヴェルズに、
恐怖ではなく安心感を抱いたセヴィアは、
目に溜めた涙をポロポロと流し始める。
それに優しく微笑む声のままのヴェルズが、
自分で編んだ刺繍入りのハンカチを使い、
セヴィアの幼い頬を伝う涙を拭った。
『少々驚かせてしまったわね。ごめんなさい、セヴィアリュシア』
『……ッ、い、いえ……あの……』
涙を拭ってくれるヴェルズの暖かみある声に、
恐怖で一変していた心が冷たさから暖かみを戻すように、
幼いセヴィアは感じ取り、安堵した。
しかし、一瞬でソレが冷めた。
その時のヴェルズの顔を、
セヴィアは見たわけではない。
涙で拭うヴェルズのハンカチが、
セヴィアの視線を塞いでいたからだ。
ヴェルズは一言だけ、
『表情』の無い美しいだけの声で、こう告げた。
『セヴィアリュシア。あなたの言葉、今は信頼しましょう』
美しいだけの声でそう告げたヴェルズは、
刺繍のハンカチで拭ったセヴィアの顔から手を離し、
それをセヴィアの手の平に優しく置くと、
ゆっくりと屈んだ姿勢から立ち上がり、
中庭の出口となる部分へ歩いて出て行った。
セヴィアの手元に残された刺繍のハンカチと、
セヴィアの肩に残るヴェルズの手の感触、
そして耳元で囁くように告げられた、
美しいだけのヴェルズの『表情』の無い声。
全身が寒気を感じるように震えながらも、
手に持たされた刺繍のハンカチを離せば、
それさえ何かしらの代償行為になってしまうと、
幼いセヴィアは本能的に察していた。
その日の幼いセヴィアは、
その刺繍のハンカチを一日中、
離すことができなかった。
食事も満足に取れずに、
結局セヴィアはその日に寝室に篭るように寝た。
恐怖で怯え寒さしか感じない身体と心に、
どうにか暖かみを戻す為に。
次の日まで寝室で寝ていた幼いセヴィアは、
刺繍のハンカチを握ったまま眠っていたはずだった。
離してしまう恐怖が、拭いきれなかったからだ。
握っていたはずの刺繍のハンカチの存在が、
起きた時には既に無くなっていた。
その日からセヴィアは心の奥底で、
ヴェルズェリアという存在に、
恐怖し続ける日々が始まった。
それはセヴィアにとって、
ヴェルズェリアという存在に逆らう事が死を意味する事を、
十二分に理解させることだった。
仮にセヴィアが転生者だとすれば、
表立って行動しようとする素振りも見せず、
姉だけに『気』の鍛錬法を教えたのも、
彼女、ヴェルズェリアに対する恐怖からだったのかもしれない。
そんなセヴィアも、
今回だけは確信していた。
ジークとアイリの誘拐から始まった、
今回の事件が仮に終わった後、
間違いなく何かしらの事をヴェルズェリアに聞かれる。
それが自分の息子の事であり、
その息子は幼い少年の方ではなく、
成長し逞しい姿となっていた青年の方だと、
セヴィアは確信していた。
その時、自分の愛する息子がどうなるか。
普段は優しく微笑む姿で見られる中で、
多くの魔族から尊敬と崇拝を抱かれる、
『大魔導師』ヴェルズェリア。
彼女のその顔が『仮面』だと気付いている者は、
近年では極めて少数の者達だけだった。
『狂気の魔女』ヴェルズェリア。
それが彼女の、本当の顔。
彼女は他者に対して何の感情も持たず、
何の感情も抱かずに『仮面』を付けて接する規格外だった。
ヴェルズェリアという人物の本性を、
あの場で誰よりも把握していたのは、
ガスタを背負い息子の今後の安否を思う、
『衛士』セヴィアリュシアだけだった。
*
樹木人の森を抜けた先にあり、
ガスタを待ち伏せしていた細道とは真逆の位置に、
山と山の間に縫うように伝わる川が存在する。
渓谷の上流から流れる川が幾つにも分断され、
その下流となる川がトレントの森の付近にも流れている。
そしてバラスタが待機するこの場所は、
そのトレントの森の付近の下流にある川の一つであり、
豊富で水生生物には栄養価の高い水が流れる川に、
豊富な種類の魚も住み着いていた。
岩肌と小石が敷き詰められた川に、
夜空の満月から降り注ぐ光が川の水を照らすと、
その光が幾つも反射する中で、
川に最も近い大岩の上で、
黒い毛皮と黒い装束を纏った狼獣族のバラスタが、
ある一方の方向を見ていた。
少し前までバラスタが見ていた場所は、
その方角とは少し逸れた西の場所。
アイリの血によって発生した魔力の波動を見ていた。
それも現在では収まりを感じ、
アイリの血から発せられる魔力の波動は消失している。
バラスタは先ほどまで感じていた魔力の波動が、
アイリの血によって起こされている事を知らない。
しかしバラスタは競合訓練でフォウルの持ち物である赤い液体と、
同じ感覚の魔力の波動だとは理解できた。
ならばあの方角には、
フォウル殿がいるのだろうか?
そんな勘違いをバラスタは招いていた。
そもそも他の警備隊やセヴィア達と共に、
何故バラスタが同行をしていないのか。
それは『最後の囮』としての役割を、
バラスタは果たす為だった。
本来のセヴィアの作戦ならば、
警備隊長と戦いつつガスタの消耗を誘い、
バラスタの下まで誘導してから、
ある程度の説得と譲歩を試みた上で、
ガスタを例の地点まで誘導し捕縛する予定だった。
その順番が現在飛ばし飛ばしになり、
警備隊長達のみの誘導で捕縛する結界内に誘い込めた為に、
急遽作戦通りを二段階ほど飛ばした上で、
ガスタの捕縛に成功できる形となった。
これは偏に、警備隊長頭であるテイガーが、
セヴィアの予想を裏切る奮戦をした為でもあるが、
その状態に陥った為にセヴィアは用意していた、
緑の信号弾を夜空に飛ばし発火させた。
緑の信号弾を使う場合。
それは突発的な事態が起きたことを報せる色であり、
同時にバラスタにその場で待機するよう命じる、
一つの命令行為でもあった。
バラスタの待機と同時に、
ガスタの迎撃に参加していなかった他の者達を召集し、
信号弾の位置をヴェルズェリアに確認させ、
その場にガスタが存在する事を報せるモノにもなり、
展開した結界を閉じるように要請する報せでもあったのだ。
それが無事に功を成し、
結界内にガスタを捕縛する事に成功し、
結界の周囲を強者である者達で囲い、
ガスタの捕縛に完全な形で成功させたことになる。
この作戦に問題があるとすれば、
待機を続けているバラスタだった。
突発の事態が起こった事を知りながらも、
バラスタは待機の命令を信号弾で知り、
その場を動く事ができない。
アイリの血から感じる魔力の波動を感じた時、
バラスタはそちらへ向かうか思案したが、
信号弾の位置で微かに集結した警備隊長達の魔力を感じ、
向かうという思考を一旦止め、
セヴィア達を待つ決断を決めた。
幸いにも集結している魔族達の魔力は、
不自然に乱れたりはしていないことで、
大規模な戦闘を行っている様子が見られない。
バラスタは感覚を頼った安直な思考であったが、
自分の父親であるガスタの捕縛は、
上手くいったのではないかと信じていた。
*
自分の妻セヴィアリュシアを信じる。
今のバラスタには、
それが最善だと思えた。
自分の母リュイの死をきっかけとした出来事で、
父ガスタがセヴィアと周囲に対して憎悪で衝突し、
父と村人達との関係が引き裂かれ、
父ガスタは村から出て行く事になったのを、
当時は幼いながらも察していたバラスタは、
母リュイの両親である祖父母に預けられた。
母方の祖父母は人間の血が混じった狼獣族であり、
狼獣族としての血は色薄くなっていた。
それが通常の狼獣族よりも老いと死が早めた事を、
バラスタは祖父母が衰弱し老衰死してから知った。
始めは祖母が、
そして次に祖父が逝った。
母リュイが死んで父ガスタが出て行った、
僅か四年後の出来事だった。
その時のバラスタは、
まだ八歳の子狼だった。
母リュイの死の衝撃で精神的な老いも強めた母の祖父母は、
孫であるバラスタを大事に育ててくれた。
出て行った父ガスタについて喋ることは少なくなりながらも、
老いて死ぬ直前には父ガスタの心配をしてくれていた事を、
その息子であるバラスタに漏らすように告げて逝った。
バラスタの家族は父ガスタの恨みの言葉で周囲と疎遠になり、
他の子供達や大人である住民達、
そして同族に近い者達との関わりも薄くなった祖父母の墓石には、
誰も近寄ろうとはしなかったし、
バラスタにも近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
バラスタは両親が居なくなってから、
そして祖父母が死んだ日から、
荒れるような日々を過ごしていた。
ガスタの恨みから出た言葉は多くのヴェルズ村の者達を傷付け、
その反感とも言うべき風評は確かにあったのだろう。
バラスタと同年代の子供達とその親達からは疎まれ、
ガスタを知る大人達からは祖父母もバラスタも避けられた。
それがどうしようもなく、
バラスタには耐え切れないモノがあった。
まるで狼獣族である自分達が、
この村の中では虐げられているのだと、
そう錯覚してしまうほどに。
他にも狼獣族を名乗る獣族達は居たが、
その全員が『魔獣化』できない者達であり、
ガスタの件も含めて更に遠ざかっている状態だった。
真実は彼等は狼獣族ではなく、
先祖の血が濃く大きめの犬獣族だったというだけなのだが。
しかし同族達からさえ疎まれる存在だと自分を知った子狼は、
だから吼えるように訴えた。
狼獣族である自分は誇り高い種族だと。
父ガスタから聞かされた寝物語、
『魔獣王』フェンリルの眷属が自分達であり、
その血筋を引くのは自分なのだと。
誰からも虐げられたくなくて、
誰からも認められないのが嫌で、
『魔獣王』を探しに出た父ガスタを信じたくて、
バラスタは住民達と衝突する度にそう吼えた。
バラスタは祖父母が死んでからは、
毎日のように吼えた。
時には警備隊の大人達に制止されたが、
その都度にバラスタは制止する大人達を跳ね除けるように、
差し伸べられた手を振り払い噛み付こうとした。
バラスタは父ガスタに多少ではあるが鍛えられ、
『人化』『獣化』『魔獣化』を切り替える事に、
幼い頃から未熟ながらも成功していた。
非戦闘系の種族である魔族の大人達では、
迂闊に戦闘種族である子供の狼獣族バラスタに近づけない。
かと言って戦闘種族の警備隊や大人達が近付けば、
まだ幼く未熟なバラスタは警戒し反撃してしまう。
幼くとも『狼獣族』である事に、
バラスタの事で周囲が悩み苦言する中。
そのバラスタの前に一人の女性が姿を見せた。
『衛士』セヴィアリュシア。
バラスタの母リュイの死へと追いやる命令を行い、
父ガスタと決別を果たした女性警備隊長。
その女性が目の前に現れた時、
バラスタは唸るように獣化して吼えた。
その姿だけはバラスタは知っていた。
まだ母リュイが生きていた頃に、
幼いバラスタは何度か会った事もある。
それ以上に母リュイの死後と父ガスタの失踪後に、
その姿を遠巻きで睨むように何度も見た事があったからだ。
実際に言葉を交えた事など、
ほとんど無いに等しい。
しかし母リュイの死後と父ガスタとの決別後、
母リュイの両親である祖父母や、
息子である自分の前に姿を現さずにいた仇が、
今更ながら目の前に現れた事に対して、
バラスタが警戒で迎えるには充分な理由だった。
幼いバラスタの目の前に来たセヴィアは、
警備隊長時に装着している装備と服のまま、
左腰には細身の剣を収めた鞘を抱えて、
幼いバラスタに向けて、こう言った。
『……私が憎い?』
『グルル……ッ』
そう聞いたセヴィアの言葉に幼いバラスタは返答せず、
ただ唸るように睨み続けた。
そしてセヴィアが一歩一歩と足を動かし、
幼いバラスタの前に近付くと、
唸り声から威嚇の咆哮へとバラスタは変えるが、
それでも近付く事を止めないセヴィアに、
ついに獣化したまま幼いバラスタは飛び掛かり、
顎を大きく開き牙を見せてながら、
セヴィアの鼻先へ喰らいつこうとした。
幼いバラスタの顎は力強く閉まり、
その牙となる歯は合わさるように閉じる。
幼いバラスタの歯牙は、
セヴィアの左前腕に食い込んでいた。
ガスタの幼い時に良く似た息子のバラスタは、
その瞳に宿す憎しみも似たモノを漂わせ、
セヴィアを完全に敵視していた。
その瞳を見ていたセヴィアの蒼い瞳は、
左前腕の痛みとは別に、
何処か悲しげな雰囲気で、
けれど強い意志を秘めた瞳を宿している事に、
幼いバラスタは気付けなかった。
『……バラスタ。今日から貴方の事は私が預かる事になったわ』
『!!――……ッ、嫌だ!!』
セヴィアの唐突な言葉に、
喰いついた前腕から歯牙を離して飛び下がると、
幼いバラスタは吼えるように拒否した。
喰いついた左前腕から血が滲み出るセヴィアは、
それを治癒魔術で治そうとはせず、
一歩近付くように幼いバラスタに告げた。
『嫌ならこの村から出て行きなさい、貴方の父親と同じように。……今の貴方が、この魔大陸で生き残るなど不可能でしょうけど』
『!!』
『父親に言われなかった?「お前は足手まといだ」と。だから貴方は、この村に置いていかれた』
『違うッ!!』
『違わないでしょう?』
『父さんは、『魔獣王』様を探しに行ったんだ!見つけたら、僕を迎えに来てくれるって言ったんだ!!』
セヴィアの言葉を否定する為に、
幼いバラスタは拒絶するように吼えて叫んだ。
父ガスタが出て行く時、
息子のバラスタはそう聞いていた。
それをずっと信じて、
幼いバラスタは日々を待っていた。
いつか父は帰ってきてくれる。
そして迎えに来てくれる。
その瞬間を期待して、
息子であるバラスタはずっと待っていた。
『ただ待てば望みが叶うと願えるなんて、随分と楽観的な子なのね』
『!』
『はっきり言いましょうか。……このまま、ただ父親を待ったところで、貴方は結局「足手まとい」に変わりはないのよ』
『違う!!』
『違わない。だって貴方は、とても弱いんだもの』
冷徹な表情でそう告げるセヴィアに、
幼いバラスタは反感と憎悪を持って、
再びセヴィアに飛び掛かった。
今度はセヴィアの喉元に喰らい突く為に。
先ほどの威嚇と警告を込めた噛みつきではなく、
今度は殺意も混ぜた噛みつきは、
的確にセヴィアの喉元を狙って顎を開かせた。
しかし次の瞬間、
幼いバラスタの視界は急激に揺れ、
前方へ飛び出す勢いは失墜し、
身体は地面へ叩きつけられるように落下する。
幼いバラスタには何が起こったのか理解できない。
それは幼いバラスタの首を狙ったセヴィアが、
右手で手刀を作り掌底で首筋に当てた、
一種の当身術を施した結果だった。
幼いバラスタには、
セヴィアの攻撃が見えなかった。
自分が何をされて倒れたか理解もできず、
揺れる脳と力の入らない身体を身動ぎさせ、
この状態から抗おうと必死になった。
しかし倒れた幼いバラスタに対して、
セヴィアは身を屈めながら告げた。
『……こんなに弱いままで、貴方は父親の傍まで、そして『魔獣王』と呼ばれる者の傍に、行けるつもりでいるの?』
『――……ッ!!』
『弱い自分のままで誰かが助けてくれると望み、ただ吼えるだけの子供で居続けるのなら。誰も貴方の事など認めないし、貴方が唱える『魔獣王』も誰も信じない。……強くなりなさい、バラスタ。少なくとも、私という憎悪すべき対象を打ち倒せる程には、強くなりなさい』
幼いバラスタがセヴィアと対峙した日。
そうしてバラスタはセヴィアに倒され、
そのまま身体を抱えられてセヴィアの家まで連れて行かれた。
幼いバラスタは体が動けるほどに回復する度に、
セヴィアに反抗し暴れようとしたが、
その都度セヴィアに倒されるという行動を続ける。
今の自分ではセヴィアに勝てないと察したバラスタは、
セヴィアの隙を窺うようになり、
隙を突いて攻撃を仕掛けても、
やはり返り討ちにされて倒された。
セヴィアは剣すら抜かずに素手で、
バラスタは全身を武器として挑み続け、
何度も何度も戦い、そして負け続けた。
時には家で、時には街中で、
時には訓練場で、時には村の外で。
セヴィアはバラスタを連れ回し、
バラスタはその都度にセヴィアを襲い、
なんとか勝利しようともがき続けた。
しかし、バラスタはセヴィアに勝てなかった。
自己流で魔技を扱ってきたが、
未熟な身体運びと未熟な魔技では、
どうしてもセヴィアに勝てないとバラスタは理解した。
だからこそバラスタは、
警備隊という門戸を自分の手で叩いた。
あのセヴィアを倒す為に。
弱い自分を脱却する為に。
狼獣族として誇りと、
父親であるガスタの言葉を信じて。
それが、この世界における『狼獣族』バラスタと、
『衛士』セヴィアリュシアの関係の始まりでもあった。
『赤瞳の戦姫』ご覧下さりありがとうございます!
誤字・脱字・今回の話での感想があれば、
是非ご意見頂ければと嬉しいです。
評価も貰えると嬉しいです(怯え声)
ではでは、次回更新まで(`・ω・´)ゝビシッ
この物語の登場人物達の紹介ページです。
キャラクターの挿絵もあるので、興味があれば御覧下さい。
https://ncode.syosetu.com/n6157dz/1/




