第078話 窮地
横に衝撃を反らしたドワルゴンの攻撃を利用して、
ヴェルゼミュートは森となっている木の上スレスレを、
再び展開した浮遊で飛びながら、
落下したドワルゴンの位置から離れるように移動していた。
「あんなバケモノの相手、してられるかってのよ。アレじゃあ、話し合いなんて夢のまた夢じゃないのよ……ッ!!」
そんな事を舌打ちしながら吐き出し、
ヴェルゼミュートは苦々しい表情を浮かべる。
本来の目的である彼女達の仕事内容の一つには、
あの『最強の戦士』と話し合い、
味方として協力を仰ぐというものがあった。
先程、ヴェルゼミュートが紋印の『通話』を使い、
日本語でアイリ達との交信を行っていた時にも、
あのドワルゴンは話を聞いて反応していた事を、
ヴェルゼミュートは見逃していない。
ドワルゴンは知っていたのだ。
ヴェルゼミュートが喋った言語、『日本語』を。
「ドワルゴンって奴も、私と同じ日本人の転生者よね。味方に引き入れろってくらいだし。……でも、何なのよ。話を聞こうって態度なら分からなくもないのに、いきなり殺す気で仕掛けて来たわよ、絶対。……団長ちゃん、どういうことなのよ」
自分達にその仕事を頼んだ団長に対して、
ヴェルゼミュートは疑問を持ちながらも、
一刻も早くこの場所から離れた上で、
大結界の外へと撤退する為に飛んでいた。
しかし『浮遊』で移動する速度は、
実はそれほど速くはない。
むしろヴェルゼミュートの場合なら、
地面に足を着けて走ったほうが速い。
にも関わらずヴェルゼミュートが、
『浮遊』を使いながら逃げる理由は、
ヴェルゼミュートの後方と左右の森から鳴り響く、
野獣達の奇声を聞けば当然だった。
地上で待ち構えていた白黒猿魔の群れが、
ヴェルゼミュートを追跡しているのだ。
同時に上空に居た鷲獅子王配下の上級魔獣達が、
先程まで羽ばたいて飛んでいた上空から、
急降下しながらヴェルゼミュートを追跡していた。
ヴェルゼミュートの上下左右、
地面と空から同時に魔獣の群れが追い立てる姿を、
追われているヴェルゼミュートも気付いている。
ならばどうするかと聞かれれば、
ヴェルゼミュートは何を選択するのかを考えれば、
たった一つしかない。
「――……そうよ、追ってきなさいよ。私が惹きつけてる間に、ナニガシ達が逃げれば良いんだから……」
それを証明する言葉を、
ヴェルゼミュートは呟くように言った。
この危機的な状況でも、
自分の役割である『囮』を果たそうとしていたのだ。
ヴェルゼミュートの魔力感知は、
自分の紋印を刻んだ物体の位置を割り出せる。
その感知能力が現在でも機能しているからこそ、
ヴェルゼミュートは囮役を続行した。
アイリの首に巻いたスカーフの紋印は、
『通話』の紋印魔法で既に破壊されているが、
ナニガシに渡している手拭の刺繍として刻んだ紋印は、
まだ壊れてはいないし、正常に稼動している。
それを感知する限りでは、
まだナニガシ達は大結界の外には出ていない。
そうヴェルゼミュートは感じていた。
それどころかナニガシ達は位置を動かず、
立ち往生しているような動きに、
ヴェルゼミュートは苦々しい表情を浮かべている。
「……ナニガシ達も、足止めさせられてるのね。相手はやっぱり、白黒猿魔王ってとこかしら……」
ナニガシ達の足が止まっている理由を、
そう結論付けていたヴェルゼミュートの考え方は、
この時点では半分ほど当たっていた。
ナニガシ達は現状、白黒猿魔王と対峙している。
しかし足止めさせられている理由は、
件の白い仮面を付けた人物と、
少しの話をしているだけだったのだ。
そして少しの話が終わった後、
ナニガシが動き出した。
勿論それはヴェルゼミュートも感知している。
しかし動き出した方向と位置に、
ヴェルゼミュートは驚きの表情を浮かべて、
浮遊で飛びながらも顔と視線を後ろへ向けた。
「――……なに!?なんなの、あの馬鹿ッ!!なんでこっちに向かってきてるのよ!!さっさと逃げろって言ったでしょッ!!」
ナニガシが大結界の外へ向かう方向から、
急に自分達が包囲されていた場所へ走り出した事に、
ヴェルゼミュートは憎たらしい口と驚きの声で叫んだ。
「まさか、白黒猿魔王が倒せないから内側に戻ってんの!?ナニガシでも倒せない王級魔獣とか、どんだけの相手なのよ!……いや、それよりも……今あいつ等が戻ってる先には……ッ!!」
ヴェルゼミュートは浮遊で飛ぶ姿勢の自重を起こし、
振り返るように向きを変えると、
そのまま逆進して元の場所へ飛び出した。
「あいつが移動してる先には、あのドワルゴンがいるのよ……!!いくら『聖人』とか呼ばれてるアイツでも勝ち目がないッ!!良い勝負出来ても、聖人じゃあ……到達者には勝てないってのに……ッ!!」
『聖人』は『到達者』には勝てない。
この言葉は紛れも無く、
フォウルや勇者が証言していた言葉と、
合致する意味での言葉だろう。
『到達者』は『到達者』にしか殺せないという、
最悪の意味を表した言葉と結果は、
既に1000年ほど前に証明されている。
『聖人』と同等の位を持った『神童』が、
『到達者』である『皇帝』ミカエルに挑み、
敗北したという結果と証明が。
ヴェルゼミュートは焦っていた。
この最悪な状況で『聖人』と『到達者』が戦えば、
必ずナニガシが死ぬ事を知っていた。
それだけは避ける為に、
彼女は進行方向の先を変更した。
*
逆進しながら戻るヴェルゼミュートは、
歯を食いしばりながら浮遊の移動速度を速めた。
酷使した脳が自ら機能停止を促すように、
油断すると意識が飛びそうな感覚を、
必死に奥歯を噛み締めながら振り払い空を飛んでいる。
逆進しながら進む先には、
木々の隙間や頂点へ昇った白黒猿魔達の群れがあり、
それが飛び掛ってヴェルゼミュートを襲った。
物理・魔力障壁を張っていたヴェルゼミュートは、
障壁に張り付く白黒猿魔達達を睨みながら、
苛立つように大声を上げて威嚇した。
「――……ッ!!この猿公共、ウザいのよ!!」
ヴェルゼミュートは悪態を吐き散らしながら、
張っている障壁の魔力を変質させて、
張り付いてる白黒猿魔達に魔力封殺と似た効果を与える。
体内に電撃のような魔力を送り込まれ、
魔獣達は障壁にしがみ付けずに落下していく。
しかし新たに飛び掛る白黒猿魔の群れと、
それに加わるように空から上級魔獣のヒポグリフとグリフォンが、
風魔術で障壁の真上から風圧を加えてくる。
「ぐっ……!!」
これ以上、障壁に回している魔力を消費して疑似魔力封殺を使うと、
障壁自体の維持が困難だと察した為に、
障壁に張り付く白黒猿魔達を振り払うことができず、
真上から撃たれる風魔術の影響で浮遊の移動速度が落ち、
ヴェルゼミュートは苦肉の策を選ばされた。
それは地上へ降りるという、一か八かの賭けだった。
操作している気流を弱めて姿勢の自重を戻し、
立ち姿になりながら浮遊を解除すると、
ヴェルゼミュートは急落下しつつも地面へ着陸した。
同時に浮遊の位置で固定させた魔力障壁から、
飛び降りた白黒猿魔達も落下して来る姿を見て、
ヴェルゼミュートは足で地面を蹴るように走り出した。
上空から追跡してくるヒポグリフとグリフォン、
地上から追跡してくる白黒猿魔の群れ。
ヴェルゼミュートはその魔獣達から追われながら、
急いでナニガシを感知している場所まで走っていた。
木々の隙間を縫うように進む為に、
最高速度が出せない。
更に木の上からは下級・中級の白黒猿魔達が、
拳ほどの大きさがある石を投石してくる上に、
上空からはヒポグリフとグリフォンが、
地上に叩き付けるように風魔術をぶつけてくる。
地上の白黒猿魔の数は正確には分からないが、
少なくとも四方八方から追い立てているだろう。
自分を追ってきていた集団に、
自分から突っ込んでいるのだから、
それ自体はヴェルゼミュートは覚悟していた。
最低限の物理障壁を身体に纏わせながら、
白黒猿魔が投げる的確な投石を防ぎ、
地上から来る大人の中級・上級の白黒猿魔の攻撃を間一髪で避けていく。
時には上級・中級の白黒猿魔に包囲され、
それを接近戦で突破もさせられた。
腰裏に備えていた黒魔耀鉱石製の短剣を取り出し、
襲ってくる相手を刻むように斬る。
それでも反撃する白黒猿魔には直に触れて、
魔力封殺で行動不能に陥れるが、
圧倒的な数の前には時間稼ぎにしかならず、
ヴェルゼミュートは感知する場所へひたすら走る。
暗闇の森から飛び出してくる魔獣を相手に、
不意を突かれて横から殴られ、
意識の淀みで一瞬弱めた物理障壁を突いて、
魔獣達が的確に攻撃を加えてくる。
弱った獲物の弱点を的確に、
且つ消耗を少なくしてどう倒せるかを、
まるで試すように繰り返す白黒猿魔達に、
ヴェルゼミュートは度重なる過度の魔術演算の後遺症で、
意識が眩む中でも苛立ちを感じていた。
「何なのよ、コイツ等。……ジワジワと弱ったトコを狙って、でもトドメを刺してこない……」
幾度かの攻撃に晒される中で、
白黒猿魔達の攻撃が殺意に満ちていない事に、
ヴェルゼミュートは気持ち悪さを感じていた。
その気持ち悪さは鷲獅子達と戦っている時にも、
ヴェルゼミュートは感じている。
明らかに魔獣達の攻撃は、
ヴェルゼミュートに対して致命傷を狙っていない。
削るようにジワジワとヴェルゼミュートの体力を削り、
変わらずに消耗戦を仕掛けてくるのだ。
しかし、ドワルゴンは違った。
「……でも、ドワルゴン。アイツは間違いなく、私を殺す気で攻撃してきた。どういうこと……?なんで魔獣に殺させず、アイツがトドメを刺しに来るの……」
ヴェルゼミュートが抱える疑問に、
誰かが答えられるワケもない。
それでも走りながら魔獣達の攻撃をいなし続ける、
ヴェルゼミュートの脳裏には、
ある結論に近い事柄が連想できた。
それを思いつき……いや、
それを思い出したヴェルゼミュートは、
嫌な表情を浮かべながらもニヤリと口を歪め、
皮肉な口調でそれを言い始めた。
「……ハハッ、なるほど。『到達者』は神様。そして魔獣達はその信者。……つまり私を神様に捧げる生贄にする為に、生かしたままにしてるってワケ?」
自分を生贄にする為に魔獣達から追い立てられていると、
そう結論付けたヴェルゼミュートの眉間に血管を浮かべ、
憤怒の笑みを浮かべながら立ち止まった。
同時に空・陸に居る魔獣達がヴェルゼミュートを囲い、
様子を見るように窺っている。
立ち尽くすだけのヴェルゼミュートの肌に、
蒼い線が浮かび上がると同時に、
それが紋印の形を模しながら服にも拡がると、
抑えていた蒼い魔力を放出しながら、
ヴェルゼミュートは睨むように周囲を見渡した。
その口元は怒りの余りに、
むしろ狂気の顔さえ見えている。
「いい度胸じゃないのよ……。たかだが魔獣風情がワタシを相手に舐めた行動、そのクソ小さな脳ミソで後悔させてやるわよ」
その言い終わった瞬間に、
ヴェルゼミュートが纏っていた蒼い魔力が、
波動のように周囲に拡散した。
それを感じた魔獣達が身の毛もよだち、
驚きを浮かべる様子でヴェルゼミュートを見ると、
その場から急速に離れる動きを見せた。
上空のグリフォンとヒポグリフも同様で、
羽ばたきを強めてその場から離れた。
「!!この、コイツ等……逃がすと思って――……ッ!?」
逃げる魔獣達を追おうとしたヴェルゼミュートは、
自分の背後に悪寒を感じた。
そして次の瞬間には、
反射的に大きく前へ跳んだヴェルゼミュートは、
転がるように地面を這いながらも、
悪寒の対象となった相手を見た。
そこには、見たくも無い魔獣が居た。
*
揺らめくように水分が波打つ流体の原生生物。
そして月の光で浴びるその細胞が、
代謝によって様々に変質しながら動く。
そう。ヴェルゼミュートが最も恐れていた、
『致死性粘液細胞体』が、その場に居た。
しかもヴェルゼミュートが元いた場所に、
覆い被さるような動きをしていたのだ。
あと一歩、前へ跳ぶのが遅ければ、
ヴェルゼミュートはアレの下敷きになっていただろう。
そうなれば直後に死にはせずとも、
致死性の毒に侵されて確実に死んでいた。
そう思える悪寒をヴェルゼミュートは感じていた。
そして同時に納得していた。
先ほど逃げ出した魔獣達は、
自分の魔力の波動を見て逃げたのではない。
この王級魔獣まで成長している致死性粘液細胞体の気配を感じ、
全ての魔獣が逃げ出したのだ、と。
正常な本能を持っていれば、
このスライムがどれ程に危険かは感じ取れる。
つまり魔獣達は正常な本能を持った上で、
自分に相対していたのだという事を知りえたのだが、
とてもそれを喜べるような状況ではない。
明らかに目の前のデットリースライムは、
自分を狙って近付いて来た。
この世界で『暴食』を代表とする魔獣スライムが、
何を持って自分を狙っているかを考えれば、
間違いなく食らう為だろう。
スライムは雑食性で何でも食べる。
この世界ではコレが常識だ。
自分の細胞に取り込んだ物体を特殊な酸で溶かし、
細胞であり筋肉でもある肉体を動かすエネルギーに変換する。
そのエネルギーが代謝となって働き、
スライムの結合した細胞の一つ一つを活発化させ、
細胞を大きく強靭に成長させていくのだ。
だからこそ、スライムは何でも食べる。
例えば、水や石などの無機物は勿論、
生物から植物までの有機物まで全て食べる。
スライムが居る地域は一定してその痕跡が見られ、
食い尽くされた土地は栄養全てを失い、
砂漠化が進む事もあるらしい。
魔大陸の南に広がる砂漠も、
人魔大戦より遥か大昔には森林広がる地域だったと、
微かに魔族達からは伝えられているが、
ある魔獣種とスライムの影響で砂漠化が進んだ事実を知るのは、
この世界に連なる『到達者』達と、極少数だけだろう。
そして、その極少数に含まれるヴェルゼミュートが、
目の前のデットリースライムを恐れていた。
それは相手の実力の高さの問題ではない。
そもそもスライムは生存本能に従う原生生物であり、
実力と呼べるモノなど存在するか疑問だろう。
そしてデットリースライムに関しては、
その実力よりも厄介さが遥かに上回る存在だ。
それは以前にデットリースライムの話をした事で、
説明は終わっているとは思う。
では、そんな魔獣と対峙するヴェルゼミュートは、
どうやれば目の前の脅威を脱する事ができるのか。
その選択肢は、一つしかなかった。
「……デットリースライムなんて、相手にしてられないわよ。ここは逃げて――……」
逃げようと足を引かせた瞬間に、
ヴェルゼミュートの目の前に居るデットリースライムが、
全体的な動きを見せた。
全体的とは、まさに全身のこと。
身体全体を震えるように振動させると、
徐々にデットリースライムの身体が自ら引き裂かれ、
ソレが分裂して出現してきた。
そう。デットリースライムは個体ではない。
王級魔獣まで膨れ上がった、
全体の魔獣種なのだ。
その身体の全てが同一の意思を持ちながらも、
別々に代謝を繰り返して生命活動をする、
特殊な魔獣。それがこの世界の『スライム』だった。
分裂したスライムが変色を繰り返しながら、
幾つもの分裂を繰り返して、
ヴェルゼミュートの目の前に20匹以上の数となった。
それでも全長五メートルほどのスライムだったので、
20匹以上に分裂しても、1匹が五十センチの全長を保っている。
それが震えるように動くと、
まるで狙いを定めるようにヴェルゼミュートを見つめる、
そんな気配を感じさせた。
それはヴェルゼミュートも感じたようで、
逃げようと溜めていた足を擦る様に動かした、
次の瞬間だった。
始めに分裂したデットリースライムの一匹が、
高速に近いスピードで何かを吐き出した。
そしてそれが、ヴェルゼミュートの右足に直撃したのだ。
「ヴッ!!な、なにッ!?」
何かが当たった事を察したヴェルゼミュートは、
すぐに右足に履いていたブーツを振り払うように足だけで脱ぎ、
何かが当たったブーツを見た。
ブーツには半透明ながらも粘度を持った黄色い液体が付着し、
それが煙を起こしながら異臭を放つ。
そして数秒後にヴェルゼミュートが見たのは、
原型を留めずに崩れ去ったブーツの姿だった。
その光景を見たヴェルゼミュートは、
デットリースライムが放った液体の正体を把握した。
「こ、コイツ……ッ!!胃液……いや、硫酸を吐き出して、攻撃してきた……ッ!?」
それはヴェルゼミュートが知り得る限り、
スライムという種族が初めて見せた攻撃方法だった。
スライムは自分の細胞となる身体を捕食対象に接触させ、
そこからジワジワと特殊な酸で溶かして捕食する。
しかし、その酸を自ら体外に射出して攻撃するなど、
この世界の見聞や文献などでは、記述が無いのだ。
つまりコレは致死性粘液細胞体固有の魔技か。
あるいは人間が唾を吐き出す事と同じ様に、
それができるスライムに『進化』した結果なのか。
その二つの可能性が考えられるだろう。
それを考え検証する時間など与えられるはずもなく、
ヴェルゼミュートは目の前で増殖するデットリースライムを見ながら、
嫌な予感を最大限に感じて、その場から飛び退いた。
その予感は的中し、
他のスライム達も硫酸を吐き出して、
ヴェルゼミュートが元居た場所に直撃させる。
後ろに生えていた樹木に直撃すると、
大量に酸を浴びた樹木は煙を立てつつ、
ミシミシと幹を腐食する音を立てながらヒビを発生させ、
酸が直撃した部分が抉れる形になると、
樹木が折れるように曲がって倒れた。
僅か数秒で溶けて蒸散するブーツと樹木を見て、
ヴェルゼミュートは吐き出される酸の威力を認識した。
酸に二秒以上触れれば、
瞬く間に触れた物は腐食を始めて崩壊する。
恐らくは生身の身体でも、
あのブーツや樹木のように一瞬で蒸散しながら、
肉が腐れ落ちるのだろう。
一瞬の判断だったとはいえ、
ブーツを即座に脱ぎ捨てたヴェルゼミュートの判断は、
正しかったのだと証明できた事を、
彼女は喜ぶ様子は全く無い。
なにせ、20匹ほどに分裂したデットリースライム達が、
更に分裂を繰り返す運動をしているのだ。
しかも分裂するスライムと攻撃するスライムを、
個々に分担しながら行う風景は異常だったが、
鷲獅子達や白黒猿魔達を見ていたヴェルゼミュートには、
最早驚く事など無いことだった。
そして僅かに感じる上空の風景と、
周囲の魔力を感知しながら、
ヴェルゼミュートはこの絶望的な状況を理解した。
「……このスライム共も、調教済みってワケね。空には鷲獅子、木の上には白黒猿魔、そして地上に粘液細胞。……私の逃げ場、一つも無しじゃない」
完全に包囲されている事を、
目を伏せながらヴェルゼミュートは苦笑した。
そして次の言葉を言う前に、
デットリースライムの分裂体達は動き出した。
今度は酸を吐き出す行動ではなく、
本当に動き出したのだ。
しかも分裂した100匹以上の小型のスライムが、
素早く移動してくる光景を見たヴェルゼミュートは、
血の気を引かせて真後ろを飛んだ瞬間、
何かが背中を直撃した。
それは木の上に陣取った白黒猿魔達の投石だった。
またも物理障壁が弱まる瞬間を的確に狙われ、
拳ほどの投石に直撃したヴェルゼミュートは、
バランスを崩して地面を転がってしまう。
その隙を突かんばかりに、
ヴェルゼミュートを覆うようにスライム達は飛び掛かり、
頭から手足まで張り付くように吸着した。
ヴェルゼミュートの全身を覆ったスライム達は、
張り付いた部分から煙を放ち、
その部分に強烈な酸を吐き出しながら、
ヴェルゼミュートを溶かす為に細胞を震わせている。
*
しかし、ヴェルゼミュートは溶かされてはいない。
「――……魔力障壁、張っておいて良かったわよ。投石は防げなかったけど、魔力を糧に生み出してる酸なら、魔力障壁は貫通できないと考えたけど、当たって良かったわ」
ヴェルゼミュートの衣服ごと覆う魔力障壁が、
スライム達が吐き出す酸を防いでいる。
彼女は逃げ出そうとした瞬間、
今まで投石対策として纏っていた物理障壁を、
魔力障壁に変えて身体に纏っていた。
ソレは同時に白黒猿魔に投石が当たる隙を生んだが、
高速で吐き出す強力な酸と、ただの石程度ならば、
石に当たる方がマシだという彼女の行動が結果を生んだ。
小型のスライム達は魔力を消費しながら酸を生み出し、
それをヴェルゼミュートに向けて吐き出している。
鷲獅子達や白黒猿魔達ほど知恵が無いのか、
ヴェルゼミュートの魔力障壁で防がれているにも関わらず、
酸を吐き出す事をスライム達は止めない。
すぐに身体を起こして纏わり付くスライムを、
振り払うように身動ぎをさせる最中に、
ヴェルゼミュートは初めてスライム達の行動の意味を、
理解させられた。
「!!ま、まさか……魔力を吸ってる……!?」
魔力障壁に通わせる魔力が、
急激に減り始めている事を感じたヴェルゼミュートは、
その原因が魔力障壁に張り付くスライム達だと、
すぐに察する事ができた。
すぐに魔力障壁越しに魔力を開放・放出し、
張り付くスライム達を魔力の風圧で剥がすと、
吹き飛んだスライム達が地面や木にベタリと付着し、
粘度を持ちながらゆっくりと動き出す。
「……張り付かれただけで、残りの魔力を半分以上持っていかれたわよ。まさかあのスライム、魔力まで吸い取るなんて……本当に致死性粘液細胞体なの……?」
致死性粘液細胞体に無い特性を複数持つスライム達に、
ヴェルゼミュートは困惑の色を深めた。
致死性の毒を有し、強力な酸を吐き出すスライム。
致死性粘液細胞体に酷似しながらも、
魔力を吸い取るという特性を持つスライム達が、
本当は何という呼称で呼ばれるスライムなのか。
その心当たりがヴェルゼミュートには無く、
逆に心当たりの全てを統合して初めて、
目の前のスライムの正体を彼女は知る事ができるだろう。
目の前の致死性粘液細胞体と判断された生物。
コレは紛れも無くスライムだ。
しかし彼等に呼称を名付けるとしたら、
こう呼ぶべきだろう。
『全能性粘液細胞体』と。
様々な種類のスライム細胞が結合し、
有限ながらも多種多様な特性を得たスライム。
魔力を糧に体内であらゆる毒物・鉱物・抗生物質を生み出し、
時には武器として、時には薬として役立たせる、
まさに『全能』と名付けるに相応しいスライム。
ヴェルゼミュートがアレを致死性粘液細胞体と言った言葉は、
その中に含まれる一つを言い当てたに過ぎなかったのだ。
その正体を知り得ないヴェルゼミュートは、
抜き取られた後の内在魔力量を把握すると、
目の前で飛び散りながらも蠢くスライムを見て、
もうアレには触れてはいけないのだと把握する。
魔力障壁越しだったにも関わらず、
それを介して内在魔力そのものを抜き取る芸当など、
ただのスライムにできるはずがないからだ。
酸を吹いて飛ばし、魔力を吸い取る。
他にもどんな芸を隠しているのか気になりながらも、
これ以上戦えば、自分が死ぬ事をヴェルゼミュートは想定した。
「……ナニガシは、やっぱり私に向かってきてるのね……」
呟くように吐き出す言葉は、
自分に言い聞かせる言葉でもあり、
この窮地を脱しつつ白黒猿魔王から逃げるナニガシ達を、
無事に脱出させる為の手段を選ばずにはいられないという、
ヴェルゼミュートの決意の言葉でもあった。
身体に出来ていた傷や打撲痕などは、
治癒魔術で既に治していたが、
その傷の跡を見せるように服の各所はボロボロの姿に、
ヴェルゼミュートは自分を情けなく思いながらも、
真っ直ぐに前方を見据えた。
心臓位置に右手で抑えるように置き、
一度の深呼吸を行いながら、
目を見開いたヴェルゼミュートが、
身体の全身の紋印と服に刺繍した紋印を、
共鳴させるように蒼く輝かせ始める。
その光が紋印を通り道にして背中側に集まり、
背中に蒼い光が集約した瞬間、
周囲の木々を大きく揺らして木の葉を舞わせ、
凄まじい風圧を発生させた。
その風で木の上を陣取る白黒猿魔達は揺らされ、
上空で待機していたグリフォンとヒポグリフが、
風に流されそうになるが、羽を広げて魔力を放出して耐えている。
地上のスライム達は風圧で吹き飛ばされながらも、
地面や木の幹などにしがみ付くように吸着し、
なんとかその場に留まろうとした。
ヴェルゼミュートが輝く光と風圧が静まり始め、
耐えていた魔獣達は再び備えるように構えた。
しかし魔獣達が見た標的は、
先ほどとは異なる異質な存在へと昇華し、
更に特殊な力を発現させている事に気付いた。
「――……この姿はクソ嫌いなんだけど、この緊急事態じゃ、そうも言ってられないのよ」
不機嫌そうなヴェルゼミュートの声と同時に、
纏っていた蒼い光の輝度が治まると、
そこには服や姿はそのままのヴェルゼミュートが居た。
しかし先ほどとは異質な部分が、
今のヴェルゼミュートには見えている。
それは、背中に生えた『紋印』の翼だった。
四枚の蒼い翼が大きく描れた『紋印』がヴェルゼミュートの背中に存在し、
まるで実際の翼のようにゆっくりと動いている。
その翼がゆっくり羽ばたくと、
地面に着いていたヴェルゼミュートの足が浮き上がり、
ヴェルゼミュートを纏うように蒼い光が強まった。
その姿に怯える魔獣達は、
浮き上がるヴェルゼミュートを警戒しながら後退し、
その場から離れるような動きを見せた。
白黒猿魔達は周囲に散らばるように。
鷲獅子達は自らの羽ばたきと魔力で四方の空へ。
粘液細胞体は分裂体から再び集結し始めている。
「……翼を見た奴は、絶対に生かして帰さないって決めてるのよ。例え魔獣でもね。……私を追い詰めたことを、後悔しなさい」
そう静かな怒声で呟くヴェルゼミュートは、
右手を仰ぐように空へ向けると、
不自然な蒼い魔力を発現させた。
その蒼い魔力が発生すると、
逃げていた魔獣達の動きが止まると同時に、
まるでその光に引き寄せられるように引っ張られる。
引き寄せられまいと必死になる魔獣達。
白黒猿魔達は木の枝や幹に必死にしがみ付き、
鷲獅子達は必死に魔力放出と風魔術で引き寄せに抗う。
粘液細胞体は集結して木の根と地面に吸着して耐える。
ソレに引き寄せられてはいけないと、
本能で悟っている魔獣達は、
ヴェルゼミュートの攻撃に必死に耐えていた。
しかし、それはヴェルゼミュートには面白くもない光景だった。
「……あのクソマッドサイエンティストに改造されて、こんな羽根まで着けられて。人外の中でも、更なる人外に墜とされた気持ちはアンタ達みたいな魔獣には分からないでしょうよ。――……死になさい」
空を仰ぐ手に力を込めたヴェルゼミュートは、
更に濃く蒼い光を放つ魔力を拡大させて、
引き寄せる力を増大させた。
それに抗う力は魔獣達は持たず、
引き寄せられる力そのままに引っ張られ、
地上に存在した魔獣達が中空に浮かび上がった。
グリフォンとヒポグリフも羽ばたき抗うが、
その力より強い力が身体を起こし、
ただ引き寄せられるしか道が無い。
そのまま引き寄せられる先にある、
ヴェルゼミュートが完成させた直径二メートル以上の蒼黒い魔力の球体に、
魔獣達は成す術も無く悲鳴に近い鳴き声を上げて引き寄せられる。
それを冷たく見ていたヴェルゼミュートの視線は、
ある不自然な影に目を向けた。
それは地上に出来た大きな影であり、
その影は自分の真下で発生したモノだった。
その影は魔力で生んだ球体よりも遥かに大きい。
しかもその影の姿は、
鳥が羽ばたくように翼を広げたモノだったのだ。
ヴェルゼミュートは気付くのが遅かった。
その影の正体が自分よりも更なる上空にあると考え、
ヴェルゼミュートが視線を向けた時には、
既にその影の本体となる魔獣の姿が見えていた。
『鷲獅子王』。
空の王者たる鷲獅子王が数十メートルの上空から、
腹を見せるように羽ばたいて飛んでいた。
そしてその影を利用して降下していた人物が、
僅か数メートルの距離までヴェルゼミュートに迫っていた。
「――……『最強の戦士』」
そう気付いて呟いたヴェルゼミュートは、
驚愕のあまりに身体を一瞬だけ硬直させた。
それが決定的な隙にもなった。
ドワルゴンが振り上げ、振り下ろした石塊の戦斧が、
ヴェルゼミュートの背中を直撃したのだ。
展開していたヴェルゼミュートの翼に直撃すると、
魔力の火花を散らしながら翼が消滅し、
ヴェルゼミュートの背中を薙ぐように武器が食い込み、
ドワルゴンの体重と力で振り抜いた攻撃は、
地面へ激突させるようにヴェルゼミュートを吹き飛ばした。
この一瞬の攻防には、
ドワルゴンの策とヴェルゼミュートの油断があった。
一度目の奇襲が失敗に終わったドワルゴンは、
次は限界まで自分の存在を鷲獅子王の傍で隠した。
そしてワザと自分の存在を、
自らが攻撃する瞬間にヴェルゼミュートに気付かせたのだ。
どんな生物でさえ、
『驚き』による身体の硬直が発生する。
それを無くすには多大な訓練と経験が必要となり、
一朝一夕では決して身に付く技術ではない。
ドワルゴンは次の攻撃で確実に仕留める為に、
その『驚き』を利用した隙を生み出したのだ。
ヴェルゼミュートは魔術師としては一流だった。
しかしソレはあくまで『魔術師』としてであり、
コンマ数秒を争う肉弾戦を得意としているわけではない。
身体を改造されているヴェルゼミュートだったが、
その感情まで影響を及ぼされていなかった事が、
逆にこの隙を生んでしまったと言ってもいい。
感情の『驚き』さえ無ければ、
あるいは先程のような『直感』だけの気付きで避ければ、
ヴェルゼミュートはドワルゴンの攻撃を、
まとも受けずに済んだかもしれない。
ドワルゴンが再び地面へ着地する轟音が、
その場で起こった戦闘の終了を知らせたのだった。
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