第027話 家族
三日目の騒動が終わり、
ヴェルズ村の生誕祭は四日目の朝を迎えた。
目覚めたアイリが始めに思ったのは、
ここが何処なのか?という事だった。
ヴェルズの家ではないことは、
隣に寝ているリエラを見て分かったが、
まだ寝惚け眼ながら少し考えて、
やっとリエラ、基セヴィアの家だと理解した。
とりあえずリエラの尻尾をモフモフ触り、
ピクピクとくすぐったさを感じつつ寝ているリエラに和みつつ、
ベッドから離れて小さく音が鳴る場所へ向かった。
ドアを開けて少し歩いた廊下の先にある台所で、
セヴィアが朝食を作っている最中だった。
ただ、その朝食の内容は肉が多めで量も多く、
子供向けの朝食には向かない内容だったので、
自分やリエラの分ではないのをアイリは察した。
「あら、アイリちゃん起きた?」
「あ、えっと……おはようございます。セヴィアさん」
まだ気だるさが残る身体と頭で、
セヴィアの呼び掛けに若干反応が遅れつつも、
アイリは挨拶に応えた。
「昨日、アイリちゃんが食堂で寝ちゃったから、私の家で今日は泊まらせようという話になったのよ。ヴェルズ様には伝えてあるから、心配しないでね」
「そ、そうだったんですか……。ごめんなさい、迷惑を掛けて……」
自分が眠った前後の事を全く覚えていないアイリは、
セヴィア達に迷惑を掛けてしまったと考え萎縮してしまう。
顔を俯き加減に頭を下げて謝ると、
セヴィアはそんな様子のアイリを見て、
食事作りを止めてアイリの元へ歩み寄った。
アイリの目線と並ぶように、
セヴィアは屈んで優しくアイリに語り掛けた。
「昨日はアイリちゃんも、色んな事があって大変だったんでしょう?私達は迷惑だなんて思ってないから、そんな風に謝らないで。それよりも、笑顔で『ありがとう』と言ってくれた方が、私達はとっても嬉しいわ」
「……!」
その言葉を聞いてアイリは少しだけ考え、ゆっくり頷いた。
それから、台所の隣にある居間部屋で、
少し寛ぐようにセヴィアに促され、
アイリは居間にある革で覆われた綿入りの椅子に座って、
窓から見える外の景色をぼーっと見ていた。
アイリは少し考えていた。
『ありがとう』という言葉をちゃんと言えたことが、
今までに何度あっただろうか、と。
心の中で数えると、
あまり言ったことが無い気がした。
診療所に居た時に、
文字で「ありがとう」と伝えた時。
生誕祭一日目の南地区で、
その場に居た人々の前で言った時。
それ以外は希薄で、
言ったか言わなかった全く覚えていない。
それどころか、
自分が謝っている記憶しかない気がした。
ヴェルズの家に居候する時や、
『魔力制御』と『魔力感知』を学んだ時に、
ちゃんとお礼を言っただろうか?
フォウルに自分の魔剣を作って貰った時、
ちゃんと言えていただろうか?
些細な部分で「ありがとう」と言っていても、
とても重要な時に自分が意識的に「ありがとう」を口に出せているか、
アイリには分からなかった。
無意識に「ごめんなさい」を言っている時の方がずっと多い事を、
アイリは少し考えたのだ。
前世の時は、ずっと「ごめんなさい」しか言った記憶がなかった。
思考を薄めながら前世を思い出し、
「ありがとう」という言葉が、
どれほど遠い日常だったのかを思い出す。
笑顔や優しさよりも、
怒号や険悪なモノが立ち込めていた前世の環境では、
とてもそんな言葉を出せる状況では無かった。
自分が笑みを浮かべても無意味だと悟り、
泣いても無意味だと悟り、
不安しかない世界が自分の日常になっていた。
前世の自分はもしかしたら、
死ぬ前から死んだような表情を浮かべていたのではないかとも思う。
では、今世の自分はどうだろうか?
この世界に来て、
前世と今世の自分がどれほど違うのか、
今のアイリには分からない。
確かに魔力を感じられるようになり、
前世では出来なかった事を出来て嬉しく感じた。
けれど、それ以外には嬉しく感じられただろうか?
初めてジャッカスの串焼きを食べた時、
嬉しくて涙が出た。
初めて魔族の言語を話し、
それが伝わった事が嬉しかった。
色んな初めてをこの世界で体験していく中で、
自分はちゃんと嬉しかったという事を思い出していく。
そして同時に、
初めてでは無くなったソレ等を、
自分は今でも嬉しく思えているのだろうか?
少しずつ、少しずつ。
考え方がマイナスの思考に傾きながらも、
アイリは考えずにはいられなかった。
そう考え続け少し嫌な事を考えてしまった。
自分が感謝し、
皆に恩を返したいという気持ちが、
本当に自分の本心から思った事なのかという事を考えたのだ。
そう思った考え方こそ、
フォウルと初めて会った日に言っていた『誰かの為の良い子』を、
自分自身で演じようとしているのではないか、と。
まだ朝日が見え難く、
薄く雲が覆う薄暗い空を見ながら、
アイリは考え続けた。
それがアイリの思考をマイナス方向に進めながらも、
寝惚けた頭を覚醒させる手段であり、
反省と自分自身を見つめ直す手段にもしている事を、
無自覚にアイリは前世でも今世でも毎朝行っていた事だった。
*
暫く窓を眺めながら考えていたアイリは、
起き始めたバラスタとリエラがたてた物音で、
思考から現実へと引き戻る。
眠そうなリエラとバラスタの狼親子は、
尻尾を下に垂らしながらノソノソと歩いて、
台所に立っているセヴィアに「おはよう」と言うと、
バラスタは台所の食卓に腰掛けて、
リエラはぼーっとしながらも、
何かを探すように周囲に顔を向けていた。
探していた対象が居たようで、
アイリを見つけるとリエラは垂らしていた尻尾を、
一度ピンッと立ててから少し左右に尻尾を揺らして、
アイリに近付いて「おはよう、アイリ!」と、
元気良く声を掛けた。
その挨拶にアイリも笑って「おはよう、リエラ君」と言うと、
リエラは頬を染めながら、
尻尾をブンブンと左右に大きく振って、
アイリの隣の椅子へと腰掛けた。
それから他愛もない会話をリエラとアイリは行いながら、
気付いたようにアイリが呟いた。
「あっ…、私が持ってた剣、何処だろう?」
「昨日、持ってたやつ?」
アイリが呟いた言葉に聞き返すリエラは、
目線を台所に向けて父親であるバラスタを見た。
「父さんが、危ないからって預かってたよ?」
「そっか、ありがとう。リエラ君」
今朝のセヴィアとのやり取りと、
先ほどまで考えていた事も考慮して意識的にアイリは、
教えてくれたリエラにお礼を言う。
若干赤みがかった頬と揺れる尻尾のリエラにそう言うと、
アイリは椅子から降りてバラスタの元へと歩き出した。
先ほどまで眠気がある表情だったバラスタは、
今では台所の食卓で何かを見ながら机を凝視しつつ、
目を動かして何かを読んでいるようだ。
アイリの視界からではうまく見えず、
何を読んでいるかまでは分からなかったので、
先にアイリはバラスタに剣の所在を聞く事にした。
その前に挨拶と、
恐らくは運んでくれた事の、
お礼を忘れないように言うことも心掛ける。
「バラスタさん、おはようございます。昨日は私を運んでくれて、ありがとうございます」
「ん?ああ、おはようアイリ。背負ってここまで来たのはヴラズ殿だから、気にしなくていいよ」
「あ、そうだったんですか……。後でヴラズさんにお礼を言います」
「ああ、そうすると良い」
アイリの予想が外れており、
背負ってここまで運んできてくれたのが、
ヴラズだとアイリは知った。
なんでも昨日は、ヴラズは朝と昼は警備隊の仕事をしていて、
夜は夜祭に参加できる休憩時間はあったものの、
夜祭が終わったら夜通しの村の警備任務が入っていたらしい。
そのついでに南地区へ向かう途中に、
背負って送ってくれたようだ。
普通はそんな詰められた時間帯での仕事は入らないはずだと、
バラスタは不思議そうな顔をしていた。
だが、昨日のミコラーシュの事を思い出して、
ヴラズはその罰で仕事が入ったんだなと、
少しだけ可哀相だと考えてしまった。
後でアイリは知ったのだが、
魔力を使った回復魔術の応用を行えば、
どの種族でも三日~十日以上は、
睡眠をせずとも問題無く活動できるらしい。
しかし活動できると言っても、
ストレスが溜まらないはずがないらしいので、
やっぱり可哀相だなと、
その時にもアイリは思ったのだった。
そんな事を考えつつも、
アイリは本題の話に移った。
「あの、バラスタさん。私が持ってた剣、何処にあるんでしょう…?」
「あの剣なら、私の部屋だね。流石に剣を持たせたまま寝かせられないし、子供部屋に剣を置くのも危ないからね。私が預かっていたんだ。確かに名剣なのは見ただけで分かるが、私は盗んだりしないから、後で家を出る時に返すから心配しなくてもいいよ」
「そ、そういう事を考えてたわけじゃなかったんです。ごめんなさい……」
不安な表情が表に出ていたのか、
バラスタが心配そうにしているアイリにそう告げると、
アイリは無意識にやはり謝ってしまう。
アイリが経験した前世での楔は、
アイリの意思とは無関係に口や行動に移ってしまっていた。
そして自分の口から、
また無意識に「ごめんなさい」という言葉が出ていた事に、
アイリは気付いて少し落ち込んでしまう。
「それに、アレが本当に魔剣だとしたら、ミコラーシュ総隊長の『猟犬』と同じで、邪な考えで持ち主以外があの剣を持つと『魔力障壁』と『物理障壁』を張られて触れないからね。そんな事をしたら、私が妻やヴラズ殿達に叱られてしまうよ」
「え……?どういう事ですか?」
唐突にバラスタの口から出た言葉を、
アイリは理解し損ねた。
その理解し損ねた部分を、
バラスタは丁寧に話してくれた。
「私も実際に見たわけじゃないが、魔剣は所有者以外の魔力を持つ者が、邪な感情を抱いた状態で、触ったり持ち去ろうとすると、魔剣が反応してそういう輩に反撃するらしいんだ。確か総隊長の猟犬だと、『魔力障壁』や『物理障壁』の他にも『魔力撹乱』、酷いものだと『魔力封殺』をされると聞いたな」
「そ、それって凄いんですか……?」
「そうだね。『魔力障壁』や『物理障壁』は身を守る以外にも相手に対象者を触らせないという魔術だし、『魔力撹乱』は自身の魔力を乱されて平行感覚を失って最悪昏倒してしまう。『魔力封殺』は更に酷くて、魔力を司る器官や内臓に魔力を逆流させて破壊してしまうこともあるから、生死にも関わるね」
「………」
バラスタが話す一言一言を理解しながら、
朝から物凄い事を聞いてしまったアイリは、
自分の持っている魔剣は、
今後ちゃんと管理しようと心の中で決意した。
自分の魔剣にソレができるのかは分からないが、
フォウルが凄い物で作っていた事を理解していたアイリは、
下手に落としたりして拾った人が少しでも邪な事を考えた瞬間に、
さっきバラスタが言った以上の事をして命を落としそうで、
寒気がしてしまった。
同時にフォウルが使っていた『魔力収納』という魔術を、
絶対覚えようとも思った。
下手に自分の部屋に置いて泥棒が入っても危険なのだから、
あの魔力収納の中に入れた方が絶対に安全だと、
そうアイリは確信した。
そんな危ない剣を持ち帰ってくれたバラスタには、
本当に謝らないといけないとも思った。
「ご、ごめんなさい……。そんな危ない剣、預かってもらって」
「いや、気にしなくていい。君には妻と息子の事で義理もある。それに、食堂に置いたままだと余計危ないからね。警備隊に所属する者としては、君も剣も放っておけないさ。ハッハッハッ」
「ありがとうございます。バラスタさん」
そう冗談とも本気とも言えるような事を言いながら、
優しく微笑むバラスタを、
アイリは申し訳なさそうに、
けれど尊敬の念を持って頭を下げてお礼を言った。
それを見ながらバラスタは「構わないよ」と言って、
台所で食事を作っているセヴィアを一目見つつ、
また机の上にある紙を見始める。
余談だが、実はバラスタは昨日、
アイリの剣が魔剣だと知らずに持ったところへ、
目利きだったドワーフ達が「そりゃ魔剣だ!注意しろよ!」と言って一波乱あった。
戦闘ならともかく、
魔剣に関しては知識が乏しかった面々の中で、
ドワーフ達の説明を聞いて一様に血の気を引かせたのは、
魔剣を持つバラスタだったのは言うまでもない。
下手に感情を乱したまま手放すと、
魔剣が恐怖を感じ取って、
反撃しかねないものだと知ってしまった一同は、
バラスタに慎重に運ぶように促して、
数名のドワーフ達も付きっきりで運搬の助言をしながら一緒に運んでいた。
ヴラズが何故アイリを背負っていたのかも、
バラスタがアイリを抱えられる状況では無かった、
というのが事実だった。
慎重に、且つ丁寧に運んだアイリの魔剣を、
バラスタは心身共に疲労しながら、
やっと家に着いて部屋の大布を畳んでゆっくり置いたところで、
バラスタは力尽きたように倒れた時には、
セヴィアやドワーフ達は「やっちまったか!?」と驚いたが、
ただの精神的疲労だったので全員が安堵した。
後にドワーフ達が魔力感知等で魔剣を見たが、
魔剣の中に循環している魔力は非常に落ち着いていて、
どうやら普通に持つ分には問題無かったと聞いたバラスタは、
物凄い溜息を吐き出して何歳か老いてしまったような疲労感も味わった。
アイリの前で虚勢を張ったのは、
一重に大人としての威厳とセヴィアの献身、
そして将来は息子の嫁になるかもしれない、
アイリへの配慮だった事は言うまでもない。
『生きた武器』というのは伊達ではなく、
アイリの感情と呼応している魔剣は、
悪意を持つ者やアイリ自身に悪意を向ける相手でなければ、
普通に持てるものだったと、
後にアイリの魔剣を調べたドワーフ達は見解の一致を示すのだが、
それはまた別の話。
バラスタと魔剣について話し終えると、
セヴィアが朝食の準備をしているところを再び見たアイリは、
その光景に些か疑問が浮かんだ。
朝食にしてはやけに大量に作っているようで、
自分を含めても四人分の食事にしては多すぎるような気がしたのだ。
あれのほとんどがバラスタの食事だとしたら、
相当な大食らいだということになってしまう。
そう思っていると、
リエラが居間から戻ってきてセヴィアの朝食作りの風景を見て、
同じく疑問を思ったようだ。
セヴィアにそのまま近付いて行くと、リエラは声を掛けた。
「お母さん、どうしてそんなに朝ご飯作ってるの?」
「あら、これは朝食じゃなくて御昼に皆で食べる、お弁当よ。朝食は下準備は出来てるから、お弁当作りが終わってからね」
「お弁当?」
不思議そうに聞くリエラだったが、
この時に不思議そうにしていたのはバラスタも同様だった。
アイリは、今日は三人で何処かに出掛けるから、
御弁当を作っていたのか程度で聞いていたのだが、
どうやら息子も父親も知らない用途の弁当のようで、
作っている母親を不思議に思っているようだ。
「そうよ。今日はアイリちゃんが魔技の訓練をするから、私達も行くの。今日は貴方も魔技の訓練をするのよ。ヴァリュエィラ」
「え?」
「え?」
「ん?」
アイリ・リエラ・バラスタの順で、
セヴィアの言っていた事が何かを理解し損ねた三人は、
疑問符を浮かべて首を傾げた。
三人の様子に気付いたセヴィアは、
振り向いて笑顔で三人に改めて言い直した。
「アイリちゃん一人だけ魔技の訓練は寂しいでしょう?ヴァリュエィラも、今日はアイリちゃんと一緒に魔技の訓練をしましょうね。あなたも、今日は警備隊は非番でしょう?一緒に行くわよね?」
「え、あっ、あぁ……」
セヴィアのとても良い笑顔で聞く姿に、
呆然と聞いていたバラスタだったが、
妻の威圧ある笑顔に何かを察して頷いた。
アイリは何がどういう話になっているのか分からず、
セヴィアに聞こうとするが、
トントン拍子に話が進んでいってしまう。
「ヴァリュエィラも、今日はずっとアイリと一緒に魔技を教わりたいわよね?」
「うん!」
「と、いうわけでアイリちゃん。今日は私達も一緒に訓練場に行くから、お弁当楽しみにしてね」
「えっ、は、はい」
今日はアイリと一緒に居られるのだと知って、
嬉しそうに尻尾を振りながら頷いて返事をするリエラに、
とても良い笑顔を向けるセヴィアの姿は、
まるで昨日のヴェルズと重なる雰囲気を感じたアイリは、
エルフの女性はみんなこうなのかなと、少し考えてしまった。
そうこうしている内に、
セヴィアは野菜・トマト・ハムなどを挟んだサンドウィッチや、
蒸かした芋を潰したマッシュポテト、
リエラが好きなハンバーグを作っていく。
その他の料理がペルシ大木を用いた、
五段組みの大きめの弁当箱に収められ、
風呂敷で包まれた。
この時、それほど多い量のお弁当は4人でも多いような、
とアイリは考えていた。
その疑問も、すぐに朝食は用意されて食卓に並ばれた時に、
アイリは食べている最中に忘れてしまった。
その日のアイリ達の朝食は、
弁当に用いた料理が幾つか出され、
非常に豪華な装いであった事を嬉しく思う子供達と、
妻の用意周到な内と外堀の埋め方に、
内心ビクビクと震える夫の姿が家の中にあった事は、
そこに居た者達だけの話。
*
朝食を食べ終わり、
セヴィア達が身支度を始めようとした時点で、
アイリがある問題に気付いた。
外着用の服が、
昨日着ていたヴェルズの服だけで、
それが絶対に訓練用には向かないという事だった。
それに靴もヴェルズが用意した上品な物で、
運動に向いた靴ではない。
何より借り物の服や靴なので、
汚してしまうと持ち主のヴェルズに申し訳が無いという気持ちが、
その考えに至った結果ともなった。
一度、ヴェルズの家に戻って祭りの二日目に買った、
上下が麻布で出来た服と皮靴に着替えてから、
訓練場に行きたいとアイリはセヴィア達に告げると、
それならとセヴィアがヴェルズの家まで送ると提案してくれる。
リエラとバラスタは魔技の訓練の準備に向けて、
少しリエラの準備に手間が掛かるらしいので、
西地区の警備隊本部にある訓練場で合流しようという話になった。
バラスタの部屋にあった魔剣をアイリは受け取り、
綺麗に畳まれたヴェルズの服を紙袋に入れたセヴィアは、
御弁当をバラスタ達に託して、
アイリに自分の幼い頃の服を着せて、二人は家を後にした。
まだ早朝ながらも、
出店や露店の準備を始める人々が南地区には既に居て、
そういう人々の側を通る時はアイリは挨拶をする事を心掛ける。
アイリが挨拶をすると、
老若男女問わずに微笑んで挨拶を返してくれる人々を見て、
改めてアイリは魔族の見た目で怖いと思う事を、
極力無くして行きたいと強く思った。
そのまま南地区南端にあるヴェルズの家に到着すると、
アイリは家のドアをノックしてみたが、
中から誰かがいるような反応が見えない。
既にヴェルズが家を出ている事をアイリは確認して、
家に鍵が掛かっている状態にセヴィアは悩んだが、
アイリが庭の方へと歩き出す姿に気付くと、
庭で育てられているハーブ畑の側にある納屋に向かい、
薪が積まれている隣の陶器が積み重ねられた場所に目をやって、
陶器を一つ外して地面に置くと、その下に鍵が置かれていた。
ヴェルズが出掛けてアイリが家に入れない際に、
使うようにと言われていた、
ヴェルズの家の合鍵の場所だった。
祭りの一日目と二日目は、
ジャッカスに連れられて祭りに行く予定だった為に、
一緒に合鍵を持って行ったのだが、
三日目はヴェルズと共に家を出たので、
合鍵を持たずにここに置いたままにしていたのだ。
アイリはセヴィアに、
「ここの事は内緒にしてください」とお願いすると、
微笑んで頷いてくれた。
合鍵を使って家に入り、
自分の部屋へ向かったアイリは、
麻布の半袖の服とズボンを履き、
少し肌寒いので冬服用の上着を着て、
一緒に買っていた髪留め用の紐を持ち、
皮靴を履いて足紐をしっかりと結んで家を出たアイリは、
外で待っていたセヴィアと合流した。
その際に、セヴィアに貸してもらった服は、
アイリに渡して使って良いと前もって言われていたので、
服はそのまま自分の部屋に畳んで置いてきた。
セヴィアの子供の時の服なのだが、
流石に息子のリエラに着せるわけにもいかないので、
アイリに着てもらえるならとセヴィアに言われて、
申し訳なさを感じながらもアイリはそれを受け取った。
同時に、合鍵を元の場所へ置くべきか少し悩んだが、
一応の為に合鍵をズボンの後ろポケットにしまい、
二人はヴェルズの家を後にして、
西地区の警備隊本部の訓練場へと向かったのだった。
アイリとセヴィアは西地区に入り、
警備隊本部の建物が見える並木道で、
バラスタとリエラが待っていた所へ合流した二人は、
一緒に警備隊本部へと向かう。
警備隊本部に入ってバラスタは受付へと向かうと、
簡潔に今日の用件を伝えた。
今日は、昨日受付をしていた兎獣族のペルではなく、
体毛が目立つ犬獣族の男性だった。
受付の人もバラスタの顔を知っているようで、
話はスムーズに行えたようだ。
バラスタも警備隊に所属していて、
隊を組んで戦う時には、
斥候と前衛の二つの役割を担う立場であり、
状況に応じては防御や遊撃にも参加する。
器用貧乏的な立ち位置ではあるが、
大型の魔物ならともかく、
小型の魔物が複数で襲い掛かってきた場合には、
その役回りの重要度は計り知れない。
特にバラスタは狼獣族の中でも原種に連なる血筋であり、
特殊な身体術が扱える一族の末裔の一人らしい。
俊敏性が非常に優れ、
獣族の中では『魔獣族』とも言われ、
魔獣化という特殊な魔技を扱える獣族だという。
『魔獣族』とは種族の特徴は、
自分に内在する魔力を用いて肉体を変化させ、
『人化』と『獣化』『魔獣化』の三つのスタイルを持つ。
人間に近い容姿に変化する『人化』と、
魔獣の姿に近いが人型を保つ『獣化』、
そして完全に魔獣の姿に変わる『魔獣化』の三つ。
バラスタは仕事中は人化・獣化を使い分け、
休む時などは魔獣化して、
魔力と体力の自然治癒能力を高めている。
セヴィアとしては人化している夫の姿より、
獣化している時の夫の姿に非常に好ましく思っているようで、
獣化するといつも体毛と尻尾をモフモフしながら過ごしているのだ。
受付と話し終わって少し待つように言われたアイリ達は、
受付の待合室にある長椅子に座って待つ間に、
バラスタとセヴィアからそのような事を聞いて、
リエラが魔技を習うに当たっては、
バラスタの指導もリエラに必要だということで、
二人はその準備をしていたようだ。
そこで一つ疑問に思ったアイリは、
リエラに質問を投げ掛けた。
「じゃあリエラ君も、その『魔獣化』っていうのが出来るの?」
「うん。でも、あんまり他の魔族の前ではしちゃいけないって、父さんに言われてるんだ」
「しちゃいけないの?バラスタさん、何でですか?」
リエラからバラスタへと視線を向けるアイリは、
不思議そうに聞いた。
少しだけ獣化というモノに興味を持ったアイリは、
見たいという気持ちがあった。
バラスタは少しだけ渋るように、
セヴィアに一度目を向けると、
優しく微笑む表情を見て、
バラスタはアイリに目を向け直して答えた。
「『魔獣化』を行うと魔力を制御するのが難しくなる。簡単に言えば"野生に戻る"という感覚だ。私は獣化・魔獣化しても言語は話せるし魔力制御も行えるが、リエラほど幼いと魔力制御できず言語も話せずに野生動物と変わらぬ様になってしまうんだ。だから、その……狼獣族としては、あまり他者の前でそういう姿は見せたくはないのだ」
「……?」
若干だが顔を赤らめて言うバラスタの言葉に、
アイリは不思議そうに見つめた。
そのバラスタの様子に、
クスクスとセヴィアは笑うと、
補足するようにアイリに促した。
「この人もね、小さい頃に私の前で獣化した時に、尻尾を可愛らしく振ってお腹まで晒して、触ると嬉しそうにしたのよ。アイリちゃんも、リエラが可愛い姿になったらそうしてあげてね」
「ちょ、そういう事を子供達の前で言わないでくれと!」
「あら、良いじゃない。いつかアイリちゃんも、私達の様に仲良くなって欲しいもの」
「い、いや。それはそうなんだが……」
二人が何か言い合っている間に、
アイリは良く分からないまま首を傾げてしまう。
そんなアイリにリエラは、
モジモジと両手の指を弄らせながら話しかけた。
「ア、アイリは、僕の魔獣姿、見たいの?」
「うん、見てみたいかも」
笑って答えたアイリの表情に、
リエラは頬を染めながらも何かを決意して、
まだ何かを言い合っている両親に目を向けて口を開いた。
「父さん!僕、今日は魔獣化してもいい?」
「なっ!?きょ、今日は魔獣化の訓練はしないぞ。あくまでアイリと同じ、そのままの状態で身体系魔技の訓練をだな…」
「僕、あれから毎日『魔力制御』してるよ!もう前みたいにしないから、いいでしょ?」
「だ、だがなぁ……」
「良いじゃない。ヴァリュエィラも一年前と違ってしっかり魔力制御は行えてるのだし、少し前には言語も喋れるようになったわよね?」
「う、ぐぬぬ……」
リエラの言葉を助けるように補足するセヴィアに、
バラスタは渋い顔をしながら暫く唸るように悩んで、
渋々ながらに頷いた。
頷いて了承した父親の答えに嬉しそうにするリエラと、
その頷きに満足するようなセヴィアの様子を見て、
バラスタは溜息を大きく吐き出した。
親子が仲睦ましい光景を見て、
アイリは微笑みながらも、
自分の前世の両親の事を思い出していた。
両親は5才の時に事故で死に、
あまり両親の思い出となる記憶は、
薄らとしか覚えていない。
それでも写真はあったので、
両親が撮っていたであろう写真を何度か見て、
その時の事を朧に思い出す事がある。
ふっくらとした背が小さめの母親と、
そんな母よりもやや痩せ気味で背が高い父親が、
もっと小さな頃の私を抱いて微笑む姿を見てきた。
兄や姉は、自分が自覚を持つ頃には、
既に成人を超えているほど年が離れており、
愛理は両親が歳を経てから生んだ子供なのは分かっていた。
それでも自分に優しかった頃の家族は、
とても大好きな人達だ。
それだけは何も変わらないと、
アイリは心の中で思った。
同時に、今世の自分を思い出す。
このエルフ族の姿である自分は、
いったい誰の子供だったのだろう、と。
エルフ族というのは、
5歳頃までの成長は他の種族や人間と同じらしい。
そこから歳をとっていくと、
三年で1歳ほどしか容姿が成長しないとも聞いている。
そして今の自分はエルフ族。
4~5歳前後のエルフ族の子供だとして、
この身体を生んだ人はいったい誰なのだろうか?
簡潔に言えば、
この身体の両親がこの世界にいるはずなのだ。
自分がこの町の裏道で暮らしていた時、
アイリはうろ覚えながらも前世の事を思い出していた。
しかし、身体の状態のせいで意識は常に虚ろで、
ほぼ本能のままに動いていたと言ってもいい。
完全に前世の記憶を思い出したのは、
恐らくはジャッカスに蹴り飛ばされた後。
痛みが全身に広がった瞬間に、
意識が一瞬はっきりとして、
まるで身体と意識が初めて一致して交わったような感覚があった。
……自分はこの身体の事を知らない。
そしてこの世界で、
この身体の"本当の私"の事を、
何も知らないのだという事を、
今日初めてアイリは意識した。
もしかして、この身体を生んだこの世界の両親が居るという事も、
今の今まで考えもしなかった。
それは仕方ないことかもしれない。
何故なら、アイリはこの世界で前世の記憶を蘇らせ、
ずっと混乱しっぱなしだったのだ。
それ以上にこの世界に、
この身体の両親がいるかもという事が、
アイリの心を穏やかにはできずにいた。
もしそうだとしたら私の両親は、
凄く私の事を心配しているのではないか?
それとも私の両親は、
私をこの町に捨てて何処かに行ってしまったのだろうか?
気付いてしまったアイリは、
それを考えずにはいられなかった。
自分は本当にこの町にいてもいいのだろうかと、
不安に駆られるように疑問にも思った。
もし両親が私という子供を探しているのなら、
両親の元へと戻ったほうが良いのかもしれない。
逆に、もし必要とされずに戻る事も望まれていないのなら、
"私"は本当に、このヴェルズ村で居場所を作るしかない。
先ほどまで他愛もない話で心が晴れていたアイリの心に、
陰りが出来始めていた。
それはアイリの悪い癖とも言うべきものかもしれない。
アイリは常に、
プラス思考と呼べる考え方は決してしない。
常に自分をマイナスに評価し、
常に相手をプラスとして評価する思考の持ち主だ。
故に、アイリは自分を卑下しながらも向上心を持ち続ける事ができ、
常に相手をプラスとして評価するので油断をしない。
それがアイリ自身の心に、
ゆとりを持たせる余裕さえ失わせていたのは皮肉ではあったが、
自分と相手の状況をいち早く察する知恵と、
常に知識を持ちたいという欲求を生み出し続けているのも確かだった。
*
「――……リ、アイリ?」
「え、あっ……」
考え込むように顔を俯かせて、
小さな両手をギュッと握り締めて、
膝に置いた魔剣をじっと見つめ続けていたアイリを、
心配そうに見ていたバラスタ・セヴィア・リエラに、
アイリは目線を横に向けながら顔を上げて、
初めて気付くことができた。
三人の表情は一致して、
心配そうにアイリを見つめていた。
「アイリ、お腹痛いの?」
「アイリちゃん、大丈夫?気分が悪いの?」
「もし体調が優れないようなら、訓練は止めてジスタ殿の所へ送るが……」
「あの、えっと、大丈夫です。少し考え事をしてただけだから、本当に大丈夫です」
少し硬い表情ながらも、
心配してくれる親子に対して、
アイリは笑顔を向けた。
そう返事をしたものの、
まだ心が落ち着かないアイリの様子に、
セヴィアはアイリの正面に立って膝を屈めて目線を合わせ、
小さな手に、大人の手を重ねた。
「アイリちゃん。魔技を覚えたい気持ちや、自分の無力を嘆く気持ちも、私達は分かっているつもりよ。でもね、小さなあなたが苦しんでいる姿は、私達はとてもつらいの」
「………」
「あなたがとても頭が良いのは聞いている。だからきっと、私達には想像し難いことで悩んでいる事もあるんでしょう。でもね、私達に話せる悩みであれば、いつでも相談してほしいの。……話しても、あなたの苦しみを分かち合う事はできないかもしれない。でも、何を悩んでいるのかを理解したいの」
「………」
セヴィアがアイリに話す言葉で、
何かがアイリの中に刺さるような感覚に襲われた。
それはとても小さな疼きから、
大きな疼きで心臓の鼓動を早め、
それが刺さる感覚だと、初めてアイリは自覚する。
そんな疼きで何かが込み上げてくる感覚がアイリを襲う中で、
セヴィアは少し間を置いて、言葉を続けた。
「……アイリちゃん。本当は、訓練はしたくない?」
「……」
アイリは静かに首を横に振った。
「そう。……私達と一緒にいるのは、本当は嫌だった?」
「!!……」
アイリは首を横に何度も振って、それを否定した。
セヴィアはそれをほっとするように安心しながら、
微笑んで言葉を続けた。
「……じゃあ、アイリちゃんが何を悩んでいるのかは、私に話せるかしら?」
「……」
その言葉に、アイリは反応を示さなかった。
しかし、若干身体を強張らせたアイリの様子を見て、
セヴィアは言葉を続けた。
「私達だから、話せない?それとも、誰にも言えない?」
「………誰にも、言えない……」
「そう。……誰にも言えないのは、何でなのかしら。私達でも、ジャッカスや、ヴェルズ様でも、解決できないこと?」
「……自分で、しなきゃいけないから……」
その言葉がアイリから出た事で、
若干ながらセヴィアは驚きつつも、
すぐに優しい表情へと戻した。
「何を自分でしないと、いけないの?」
「……全部、できるように」
「全部?」
セヴィアの問い掛けに、
アイリは徐々に胸が締め付けられる感覚に襲われ始めていた。
それと同時に何かが込み上げて、
自然と口から言葉が出ていた。
「皆に、迷惑を掛けないようにして……、全部できるように、ならなきゃって……」
「……それは誰かに、そうしろと言われたの?」
「…………」
アイリは、セヴィアの問い掛けに静かに頷いた。
それは、前世で言われた事であり、
前世で身に付けさせられた自分を守る為の術だった。
幼い頃から両親を亡くし、
周りの状況が混沌としていく環境に、
前世から身を置いていた愛理という少女にとって、
それが普通の事だった。
勉強も御飯も風呂も、
寝るべき場所や普段居るべき場所さえも、
それはアイリが自分自身で考えて行動しなければ、
自分を守れなかった少女の"当たり前"の事だった。
何か一つでも出来なければ、
自分に痛みや苦しみを伴う行動を、
相手に誘発させるものであり、
自分の身を守る術が無い幼い少女にとっては、
死に直結することだった。
生物が自ら死に向かう行動を躊躇するように、
愛理という少女も人間の本能と思考を伴わせて常に行っていた。
故に、アイリは考える事も行動する事も、
自分ができなければと思うようになった。
そして今世でも、それは同じ事だった。
異形の人々しか周りにいない世界で、
自分が行動しなければ何もできずに、
死に向かうしかないと本能と思考を持ったアイリには、
異常とも言えるほど自主的に今までの行動を伴わせた。
魔族の言語はもちろん、
仕事をする為に必要な自分の知識の示し方。
そして魔族特有である魔力と魔技の習得。
これ等は全て、
アイリにとっては出来なければ『死』へと繋がるものだと、
自分で言語化せずに感じていたものだった。
それが初めて言語として意識し始めたのは、
ヴェルズの家に引き取られてから、
ヴェルズに言われた事だった。
『いずれ成長して、この街で、この街の外であなた自身が生きる為に』と。
その言葉がアイリの行動を生誕祭の中で、
フォウルに関する事で暴走させていた原因だったのかもしれない。
アイリがもっと慎重であれば、
時と場所を選んでフォウルの事も対処していれば、
フォウルの言動から矛盾点を見つけ、
不信感を抱かれる事無く接近できたかもしれない。
幸は不幸か、
フォウルがアイリという少女の言動を見て、
信用度はあると思ったからこそ、
フォウルとの繋がりをアイリが保てた事は、
不幸中の幸いだった。
アイリがセヴィアの問いに頷いた事で、
セヴィアは神妙な面持ちながらも続けて言葉を紡いだ。
「……アイリちゃんは、どんな事をしたら、皆に迷惑が掛かると思ってるのかしら?」
「……どんな、こと?」
「アイリちゃんは、自分で全部できるようにならないと、皆に迷惑が掛かると思っているのよね。なら、今は全部が出来ないアイリちゃんは、皆に迷惑を掛けてると思っている。そういう事で、合っているかしら?」
「……はい」
セヴィアの言葉にアイリは頷いた。
そこに矛盾点が既に存在している事にアイリは気付かなかったが、
優しく問い掛けるセヴィアにはそれを攻めるつもりなどない。
ただ、『そうしないといけない』という、
幼いアイリの思い込みを紐解くように、
ゆっくりセヴィアは語り掛けていく。
「例えば、料理も自分で作れるようになりたい?自分で作れないと、作った人に迷惑になってしまうから」
「……はい」
「それは、私の料理や、ジャッカスの串焼き、前に食堂で食べた料理が、アイリちゃんには美味しくないから、そう思うのかしら?」
「ち、違います。とっても、美味しいです……」
「良かった。ならアイリちゃんは、あなたに料理を作った私達に、迷惑なんて掛けてないわ」
「え……?」
微笑みながら語りかけるセヴィアの言葉を、
アイリは理解ができなかった。
それは、愛理の前世を持つアイリには、
理解し難い言葉だったかもしれない。
料理を作るという行為には、
それなりに前世では労働や苦悩を伴うものだという事を、
愛理という少女は理解していた。
両親を失ってから、
姉は忙しい時にインスタント食料のみが食卓に出され、
愛理という少女は一人で御湯を入れ、
或いは電子レンジで暖める術を覚えて、
そうやって一人で食事を食べていた。
それすら出されなかった時には、
小学校で出された給食のパンや牛乳を残して鞄に入れ、
家で食べる事もあった。
何も無かった時には、
姉に食べ物が欲しいと頼んだ事もある。
しかし、それを露骨に嫌な顔で面倒臭そうに用意された事を、
愛理という少女は思い出した。
その時から『料理とは作る人が迷惑になる行為』だという事を、
愛理という少女は無意識に覚えてしまったのだ。
あるいは、既に出来合いの惣菜や加工食品という、
便利な物がある前世の世界において、
それは普通の事なのかもしれない。
しかし、それがどれほど、
アイリの心に撃ち込まれた楔となっていたのか。
それは、撃ち込んだ当人も、
撃ち込まれた少女にも、
想像できないほどの重い楔となっている事に、
気付いていなかったのだ。
セヴィアはアイリの疑問の表情に答えるように、
優しく微笑んだ。
「今日、アイリちゃんとヴァリュエィラが美味しそうに朝食を食べてくれたでしょう?私はね、それがとっても嬉しかったわ。迷惑だなんて思わなかったもの」
「………」
「ジャッカスや食堂のおじさんも、昼夜問わずに皆に料理を作る為に、下拵えから何まで全部して苦労もあるでしょうね。でも、料理を出した皆が『美味しい』って伝えたら、そんな苦労も報われて、迷惑だなんて思わずに、むしろ嬉しくさえ思っているはずよ」
「……でも…、私……」
何かを言い掛けて、
アイリは口を噤んでしまう。
その様子が気になったセヴィアは、
更にアイリに促すように話し続けた。
「あなたが前に買った服も、服飾屋のエルフのおじさんが、きっと苦労しながら作ったものでしょうね。でも、それを買って、気に入って着てくれる姿をおじさんが見たら、凄く嬉しいと思うわよ?」
「………」
「アイリちゃん。確かに色んな物事で、誰かが迷惑を掛けてしまう事はあるかもしれない。……でもね、それは当たり前の事なの。私にも、リエラにも、ジャッカスにも、勿論ヴェルズ様にも。誰も苦労をせずに何かをする事なんて、きっと誰にもできないわ。……アイリちゃんはね、『誰も全部できない事を、自分はできないといけない。』そう言っているのよ?大人の私達でさえできない事なのに、子供のアイリちゃんができないのは当たり前なの」
「……ッ!!」
『全部できない事が当たり前』という言葉に、
アイリは少なからず動揺する表情を隠せなかった。
その言葉は、アイリにとっては理解し難く、
愛理という少女の経験からは、
決して導き出されなかった答えだった。
セヴィアの話す事は、
『アタシ』から見れば至極当然の話だった。
全て一人で出来る者がいるとしたら、
それはこの世に生きる者ではないだろう。
普段生きる中でも、
ある者は生きる為に必要な最低限のモノさえ、
他のモノから与えられている事にさえ気付いていない。
呼吸をする為の酸素を始め、
喉の渇きを癒す為の水や、
全てのモノを育てる為の大地、
その大地に育てられた動物などの生き物達。
この中の自分に必要な全てを、
たった一人で創り出せる者がいるとしたら、
それは『神』という存在さえ超越した『何か』に他ならない。
故に『アタシ』は愛理という少女の中から、
この少女を見続けていた。
『私』に私の異常さを気付かせてくれる誰かを、
ずっと『アタシ』は見続けていた。
……いけない、いけない。
これは私の話ではなく、
『アタシ』の話だった事を自分で思い出す。
だからこそ『アタシ』という存在は、
『アタシ』の話では登場しない。
語り部が自分の事を語るなんて、
三文芝居も良いところだろう。
ただの傍観者として、
少女の行く末を見届けるのが、
『アタシ』の今の役目だった。
セヴィアの当たり前の言葉に動揺するアイリは、
顔を俯き加減に顎を引いて目を泳がせる。
前世の経験と考え方が否定される言葉は、
アイリという少女が動揺してもしょうがないのだろう。
それに追い討ちを掛ける為なのか、
それとも、アイリの心の楔を解く為なのか。
セヴィアは言葉を紡いで行く。
「さっき、何か言いかけたわけよね?本当は、他に何か悩みがあって、それを隠したいから、アイリちゃんは『迷惑を掛けない、全部自分で出来るようになる』と言ったのよね。それが、アイリちゃんの本当の悩みにも繋がるのよね?」
「!!……っ」
「アイリちゃん、私達にちゃんと教えて頂戴。あなたは、何をそんなに苦しんでいるの?」
「……わ、たし、は……」
小さな身体を震わせて、
セヴィアが優しく触れるアイリの手が、
ギュッと力を入れられた事を、
セヴィア自身も理解する。
そして、それがアイリの本当の悩みなのだと、
セヴィアは大人として理解をした。
口を何度もパクパクと動かし、
何かを喋ろうとしても、
何度も口を閉じてそれを躊躇うアイリは、
視線を右往左往させて泳がせながらも、
セヴィアがまっすぐ向ける視線と交わる。
その青い瞳が、赤い瞳の少女の誤魔化しを、
全て見透かしたような錯覚にさえ、
アイリは陥りそうになった。
少し間を置いた中で、アイリは何度も閉じた口を開き、
そこからやっと震えるように言葉を吐き出すように漏らした。
「わたし、ここに居ちゃ、いけない、から……」
「……どうして、そう思うの?」
優しく、その言葉の意味を聞き返すセヴィアの言葉で、
アイリは更に言葉を漏らしていく。
身体は震えたまま、
少しずつ平静を保とうとした表情が崩れ始めている事に、
アイリ自身は気付いていない。
「……わたし、ジャッカスさんや…ヴェルズ様達に、いっぱい、迷惑掛けて、この村にいて……。だから、自分ができること、いっぱい増やして、ちゃんと迷惑掛けた分を、返せたら……だから、迷惑、もう掛けないように……出ていかなきゃって……」
「……誰かが、アイリちゃんに『出て行け』と言ったの?」
「……ううん。でも、村長様が、『いつか村を出て行くなら』って……前に、言ったから、考えなきゃって……」
「……そうだったのね」
静かに首を横に振ったアイリを見て、
セヴィアは少なからず安堵の息を吐き出した。
もし誰かがアイリに『出て行け』と言ったのだとしたら、
流石のセヴィアも冷静では居られなかったかもしれない。
恐らく小さな少女にこれほど苦悩をさせた事を怒り、
その人物に何をしていたか分からないだろう。
同時にヴェルズがアイリに伝えた言葉の意味を考えて、
『このまま村に留まるか、大人になったら村を出て行くか』、
という選択肢の中の言葉の一つとして、
アイリに伝えたのだろうと解釈した。
ヴェルズェリアという人物が、
いかに自他共に厳しい人物かを、
セヴィアも知っていたからだ。
だからこそ、アイリに伝えられた言葉が、
『出て行かなければいけない』という、
アイリの思い込みだと知れたセヴィアにとって、
この少女の悩みを晴らすの一つの救いだとも思えた。
「アイリちゃんは、この村から出て行きたい?」
「……わから、ない……」
「じゃあ、私達やジャッカスが『村から出ていかないで』とお願いしても、出て行きたいと思う?」
「……それは……」
セヴィアの問い掛けに、
アイリは困惑を強めた。
その問い掛けの真意が分からずに、
成否を表現していいのか、
それとも『分からない』とさえ答えていいものなのかも、
アイリには理解できない。
一度、アイリから目線を外したセヴィアは、
横で一緒に座っていたリエラに顔を向けて、問い掛けた。
「ヴァリュエィラは、アイリちゃんに村から出て行ってほしいと思う?」
「思わないっ!!」
「じゃあ、アイリちゃんとずっと一緒に居たいと思う?」
「う、うん!」
最後の問いだけは顔を赤らめながらも答えるリエラの言葉に、
満足そうに微笑んで頷いたセヴィアは、
再びアイリに視線を向ける。
アイリは驚いたように視線をリエラの方に向けていて、
セヴィアに再び声を掛けられてからセヴィアに向き直った。
「アイリちゃん、今はまだヴェルズ様の所で、お勉強をする為に預けられているだけなのよね?」
「えっ、は、はい」
「じゃあ、お勉強が終わったら、どうしたいか考えている?例えば、自分が住む場所とか。ジャッカスに預けられるとも、私達は聞いていたから」
「……まだ、考えてなくて……」
今のアイリの現状も、
ヴェルズの住まいを借りているだけで、
そこにこれからもずっと住むとは限らない。
大人までずっと、
ヴェルズの家で世話になるという考え方は、
流石にアイリも考えておらず、
誰かに養われるか、仕事をして自分自身を養うか、
その二種類だとアイリは思っていた。
その二択で言えば、
アイリは後者を選ぶだろうことも、
アイリ自身は考えていた。
幸いにも算術が出来るアイリに出来る仕事を用意できるという話も、
ヴェルズの家に預けられている時にアイリは言われた事がある。
子供ながらに出来る事は限られるが、
そういう仕事であれば、
子供でも大人と変わらぬ給与が与えられるし、
その給与を貯めて後払いで空いた家も用意できる。
しかしそれでも、
アイリが"子供"という事が引っ掛かり、
ヴェルズの下で学び終えたら、
大人であるジャッカスに預けられるべきだろうというのが、
ヴェルズの意見だった事もアイリと話し合っていた。
それはジャッカスに『迷惑が掛かる』行為であり、
現状では既にヴェルズにも迷惑が掛かっている。
アイリにとって、それは『ダメ』だという認識だったのだ。
確かにアイリには欠落し、
更に異常とも思える部分は目立っていたのだろう。
しかし、今のアイリにいる周囲の大人達は、
その異常さに目をやってしまい、
当たり前の事をアイリに伝えていなかった。
その一言さえあれば、
アイリはここまで悩まずに済んだかもしれないのに。
そして、その一言をセヴィアは、
アイリに伝える為に言葉を紡いだ。
「アイリちゃん。お祭りが終わって、ヴェルズ様の勉強も終わったら……私達の家で、一緒に暮らしてみましょうか?」
「……え?」
「少し狭いけれど、リエラと同じ部屋をアイリちゃんの部屋にして、朝起きたら朝食を一緒に私と作って、お昼はリエラと一緒に遊んだり、お勉強をしたり。お金を持ちたいなら、アイリちゃんが出来る仕事をしても良い。夜は私達と一緒に夕飯を食べて、今日あった事をお話して、それからリエラと一緒に布団で寝て……」
「で、でも……」
「迷惑じゃないわよ。ね?あなた、ヴァリュエィラ?」
「うんっ!」
「……あぁ、そうだね」
セヴィアの問い掛けにアイリは困惑し、
リエラとバラスタは了承するように頷いた。
迷惑ではないという言葉に、
アイリはまだそれが理解しきれずに、
そして了承した二人に不思議そうな瞳を向けて困惑した。
「勿論、アイリちゃんが嫌なら断っても良いの。でも、もし嫌じゃなければ……私達の『家族』として、この村で一緒に暮らしてくれたら、私達は凄く嬉しいわ」
「――……ッ!!」
微笑みながら伝えるセヴィアと、
それに頷くように隣で微笑むバラスタと、
嬉しそうに頷くリエラの表情に、
アイリは心の中で何かが崩れたような気がした。
その崩れた何かは、
アイリの心の中にある楔の一つだったのは、
間違いないのだろう。
アイリは自分の為に行うものであれば、
躊躇せず、それに真っ直ぐ進める強さを持つ稀有な少女だった。
しかしその強さは『諸刃の剣』であり、
一度はソレは、前世で欠けた剣だったのは間違いない。
それを修復する為には、
アイリに撃ち込まれた楔の一つ一つを、
ゆっくり解いていく言葉が必要だった。
そしてその言葉は、
アイリが心の底で欲していた『許し』だったのだ。
誰かに『そうする事を許される』という言葉が、
どれほどアイリが求めていたものだったか、
想像し難いかもしれない。
しかし、前世で全ての行動が許された事など無かったアイリにとって、
その言葉は自分の全てを投げ打っても欲した、
言葉そのものだったのだ。
その言葉を聞いたアイリは、
何かが崩れる感覚を抱きながら、
感情が溢れる感覚に襲われた。
目から涙が零れ、
嗚咽を漏らして一生懸命に泣くのを抑えようとした。
しかし、フォウルの前で泣いた時と同じように、
アイリは声を押し殺しながら暫く泣き続けた。
何故涙が溢れるのか、
アイリ自身にも理解できない。
しかしセヴィアの言葉と、
その言葉にリエラ達が微笑んで頷いてくれる光景が、
どれほど嬉しい気持ちが溢れてくるのかを、
アイリは今まで抱いていた違う苦しみ方で感じていた。
溢れる涙はバラスタが持っていた分厚い手拭を、
セヴィアから優しくアイリに渡され、
顔に抑え付けるように涙を吸わせた。
アイリの泣いている姿を心配そうにしているリエラの声と、
優しく背中を撫でて抱き締めてくれるセヴィアの暖かさが、
アイリを更に嬉しさで苦しめた。
嬉しい事がこれほど苦しいという感覚を、
アイリはこの世界で目覚めてジャッカスの串焼きを食べた時にも、
フォウルに我慢しなくていいと伝えられた時にも感じて知っていた。
ジャッカスに串焼きを差し出され、
「食べてもいい」と促されて食べた時、
アイリは食べながら美味しさと嬉しさに涙を流していた。
フォウルが「泣いていい」と言われた時、
今まで泣く事を許されなかったアイリにとって、
それは救いの言葉だった。
そして今回は、
『この村に一緒にいても良い』
『家族になっても良い』
そうセヴィアに云われた。
それが嬉しくて、
そして何よりもその嬉しさが苦しくて、
アイリは落ち着くまで涙を流し続けた。
受付にいた犬獣族の人や、
周囲にいた警備隊員や来客が、
心配そうに泣いている少女に目を向けた。
ひたすら声を押し殺して泣くアイリには、
まだ幾つも撃ち込まれた心の楔が存在していた。
それがまだアイリに泣きながらも理性を残し、
思い切り良く涙を流す事を躊躇わせていた。
『アタシ』は、泣いている『私』を中から見ながら、
同時にアイリの心と感情を見ながら、ただ静かに目を閉じた。
そして、今まで見てきた愛理という少女の事を思い返しながら、
静かに願った。
願わくば、この不幸に憑かれた少女に、
幸せとなる最後が訪れてほしい、と。
『赤瞳の戦姫』ご覧下さりありがとうございます!
誤字・脱字・今回の話での感想があれば、
是非ご意見頂ければと嬉しいです。
評価も貰えると嬉しいです(怯え声)
ではでは、次回更新まで(`・ω・´)ゝビシッ
この物語の登場人物達の紹介ページです。
キャラクターの挿絵もあるので、興味があれば御覧下さい。
https://ncode.syosetu.com/n6157dz/1/




