第008話 才能の片鱗 ●
二日後にジスタの診療所に訪れたヴェルズは、
驚愕するばかりだった。
子供が見るような絵本や、
少女の言葉を分かるように、
魔大陸と人間大陸の言語辞典を用意して、
ジスタに渡していたヴェルズだったが、
まさかこんな事態になっているとは、
少しも疑い思う事はなかったのだ。
僅か二日で少女は私達の言葉を理解して文字に書き、
そして言葉を喋れるようになっていたのだから。
「アイリ、この方はヴェルズ様というのだよ。挨拶してごらん?」
「ヴェルズ、さま?はじめまして、アイリです」
「……ジ、ジスタ、これはどういう事なの?」
寝台の脇に置かれた机の上で、
ヴェルズが持ってきていた大半の本が山積みにされている。
そして、少女が書いたと思われる文字や言葉を練習した紙束の数々。
ヴェルズが理解していない言語もいくつか書かれている。
ジスタやメイファが聞いたところでは、
アイリが自分の言語と魔族言語の比較表を作り、
それで文字の意味と発音を自分で学んで、
文字や言葉を理解し喋れるようになったというのだ。
それを聞いて更にヴェルズは驚愕したのは、言うまでもない。
これ等は全て、アイリが自分から積極的に行った事だと言われて更に驚く。
まだ幼い少女が、これほど貪欲に知識を学びたがる姿勢には、
何かしらの狂気染みたものさえ感じられたからだ。
そんな事を考えていたヴェルズだが、
ジスタにある程度の事情を聞いて改めてアイリと挨拶をした。
「……えっと。初めましてアイリ。私はこの村の村長で、ヴェルズと言います。言葉は分かる?」
「そんちょう……むらのおさ、ですか?ことばは、すこしだけわかってきました」
「……凄いわ。たった二日でこんな……」
二日前は意思疎通どころか、
怯える様子で対応が難しいと聞いていた少女が、
こんなにも流暢に言葉を話し、
初対面の私に堂々と応じている。
これは少女が生まれ持った才なのか、
それとも何か別の要因があるのか。
ヴェルズは考えずにはいられない。
しかも話してみる限りでは、
この少女……いや、
これだけ知恵を見せているのだから、
彼女と呼ぶべきなのだろう。
彼女は少なくとも、
私達が想定している以上の知識と教養を既に身に付けている。
話し方もまだ余所余所しいというより、
慣れていないという感じだ。
いずれそれも解消して、
独自で口調も整っていくだろう。
本当なら私が預かって、
ある程度言葉と文字を習わせる予定だったが、
もしかしたら不要かもしれない。
ならば先ず、彼女に質問してから対応を考えても遅くはない。
そう打算し自分が抱える疑問を解消する為に、
ヴェルズは敢えてアイリへ質問する為に、
アイリを寝台に座らせてヴェルズは椅子に腰を落とした。
ジスタとメイファはヴェルズの後ろに下がって、
一緒に椅子に腰を下ろして二人の話を聞いている。
「アイリ、あなたの事を質問してもいい?」
「しつもん、はい」
「ありがとう。それじゃあ、あなたは何処から来たのか、覚えている?」
「どこからきた……えっと、しつもん、かえしていいですか?」
「質問を返す?ええ、良いわよ」
アイリの唐突な言葉に、ヴェルズは少し戸惑う。
質問に答える前にこちらの質問にも答えてほしい、
という事なのだろうか?
しかし、彼女はそんな交渉術も持っているのかと驚いたが、
まず彼女の質問を聞く時だと意識を彼女に向き直す。
「ここは、ニンゲンがいない、村なんですか?」
「そうね。ここは魔族しかいないわ。けれど、色んな種族が混在している村なの」
「まぞく……?」
「人間は知っているのね。魔族を知らない?」
「はい、しらないです」
ヴェルズは少し目を伏せ、
右手を口の前に運んで少し考える。
彼女の話を聞くと、
もしかして人間大陸で彼女は生まれたのかもしれない。
魔王ジュリアの時代に、
魔族は魔大陸に全て戻されるようになったのだが、
戻らない種族も何十種か存在したのだ。
その理由が、人間と和解し共存して家庭を持ったからだったり、
国に雇われ魔大陸に戻ることを拒否するなど様々だ。
勿論、エルフ族にもそういった氏族達は何名か存在していた。
ならば、その子孫が彼女なのだろうか。
しかし、尚のこと分からない事が増えてしまった。
私達は彼女が奴隷になってここまで逃げてきたのだと思ったが、
彼女は魔族を知らない。
いや、魔族という種の知識だけを知らないのかもしれない。
しかし、人間が魔大陸で暮らしているのは、
魔大陸と人間大陸の国境付近の都市だけなのだ。
しかも人間と魔族が雑多に暮らしている場所でもある。
ヴェルズ村は基本的には、
友好関係を結んだ氏族達や村と親交し、
商売や物々の流通を行っている。
しかし、そんな遠い場所から来るような商人達とは、
ほとんど交流などしていない。
もし仮に、彼女が魔大陸からではなく人間大陸から来たのなら、
どうやって魔大陸の辺境であるヴェルズ村まで来れたのか。
幾つかの可能性は思い浮かぶけれど、
現時点では、特定できるほど分からないのだ。
「魔族はね、魔大陸で生まれた知恵ある者達を指す言葉よ。ジスタやメイファ、そして私や村の皆のような人達の事ね」
「またいりく……?えっと、まぞくがうまれたばしょが、またいりくですか?」
「そういうことよ。言葉はまだ難しい?」
「すこしだけ、まだわかります」
「そう、……あなたは凄いわね」
「……?」
私の話を懸命に聞いて知識を学んでいる彼女に、
素直にヴェルズは感嘆した。
幼い彼女が相手の求める答えを導き出す為に、
自分の知識だけではなく、
相手の知識も必要なのだと理解しているのだ。
だからこそ、私の質問に答える為に私に質問をする。
幼いけれど、頭はとても良い子なのだと理解できた。
「それでアイリ、あなたは何処から来たの?」
「ニンゲンがすんでる、ニホンというクニです」
「ニホン……?聞いた事がない国だわ。最近できた国なのかしら」
「えっと、まわりにうみがある、しまぐにで……」
「島国……そういえば昔、海に囲まれた国が人間大陸にあると聞いたわ。その国が今はニホンという国になっているのね」
魔族達の寿命は平均的な部類でも軽く200歳ほどだが、
人間の寿命は平均でも100歳にも届かない。
それ故か、人間大陸の情勢は数十年毎に、
情勢が目まぐるしく変化していく特徴がある。
既に魔大陸は1000年以上人間大陸との国交は、
国境付近の都市のみしか行っていないので、
辺境のヴェルズ村まで人間大陸の国の状況など、
詳しい情報が届かないのだ。
ただ、魔王ジュリアの行方不明に乗じた混乱の中から持ち出した、
人間大陸と魔大陸に関する書物は、
ほとんどがヴェルズが持ち出して保管している為、
それ以前までの書物に書かれた情報は、
ヴェルズは把握していたのだ。
ヴェルズは彼女の話を理解し、
自分の持っている情報と照らし合わせて、
彼女の情報が信頼できるものなのだと判断した。
「それで、あなたはどうやってこの村まで来たの?」
「どうやってか、わたしもわかりません。きづいたら、ここにいました……」
「そう……ごめんなさい、色々質問してしまって。最後に質問をしてもいいかしら?」
ヴェルズの問いにアイリは頷いて答える。
ゆっくりと喋りながら理解できるように話すヴェルズは、
最後の質問をアイリに聞いた。
*
「あなたは、この村でしたい事はある?」
「えっ、……したいこと?」
ヴェルズという綺麗な金髪碧眼の女性の問いに、
私は困惑する。
起きてから二日ほど経って日も無いことで、
私はどう返したらいいのか分からなかった。
まだやっと言葉を覚え始めたばかりで、
他の事なんて考えていなかった。
この世界は私が生きていた世界と同じ世界なのかも、
まだ分からないのだ。
ヴェルズという人の話だと、
人間大陸という場所には沢山人間が住んでいるという。
なら、その場所が私の知る世界という事なのだろうか。
この時の『私』は前世と現世が違う世界なのか、
同じ世界なのかも理解していなかった。
私が知っているのは学校で教わった世界の事だけ。
だから学校で教わった事は実は嘘で、
本当の世界はこういう人達が大勢暮らしているのだろうか?
そんな考え方で、ヴェルズという人の話を聞いて納得していたのだ。
そんな私がこの村でしたい事と言われても、
戸惑うしかない。
普通ならば、家族の所に戻る……。
そんな考え方をするのだろうか?
けれど、戻ったところで何があるのだろうか。
何も無いのでは?と考えた。
そう、私には何も無いのだ。
少なくとも今の私にも、家族と呼べる人は誰もいないのだ。
「わから、ないです……」
私は素直に、自分がしたい事も無く、
どうするべきかも分からないと告げた。
この村で自分ができることも分からない。
むしろ、迷惑をかけるかもしれないと。
覚えたばかりの言葉で一言ずつ、
必死に伝えていった。
そんな私に、
ヴェルズさんは優しく微笑みながら伝えてくれた。
「あなたはまだ子供なのだから、そんな事を気にしなくていいの。でも、私も悪かったわ。まだこういう事を聞くには早すぎたわね。ごめんなさい」
そう伝えて、ヴェルズさんは私に微笑みかけて手を握ってくれた。
その手はとても暖かくて、
この人の優しい気持ちが伝わってくる気がする。
なんだか少しだけお母さんの事を思い出してしまい、
泣きそうになった。
けれど、ぐっと我慢して涙を出さないように気を引き締める。
「それでね。あなたの今後なのだけれど……実はね、あなたを引き取って育てたいという人がいるの」
「……ジャッカスさん?」
「そうよ、もう聞いていたのね。ジャッカスと一緒に暮らして、自分のやりたい事を見つけてみる?もし嫌なら、私の家へ来ることもできるわ。ここにある本も私の物で、私の家にはいっぱいこんな本があるの」
そう言うヴェルズさんは、
机に山積みされた本を指しながら私に尋ねてくる。
ジャッカスさんが私を引き取って育てるという話は、
昨日聞いたばかりだった。
彼の家はこの診療所じゃなくて、
この村の違う場所にあるらしい。
いつまでもこの診療所に居たままでは、
忙しそうなジスタさんやメイファさんにも迷惑になるかもしれない。
ジャッカスさんの家にお世話になるのも、
どちらにしても迷惑が掛かってしまう。
けれど、私が一人で暮らす為に必要なものを、
何一つ持ってないのも確かなのだ。
だったらジャッカスさんか、
それともヴェルズさんの家でお世話になるしかない。
……けれど、この世界では知らない事が多すぎるのだ。
言葉だけ覚えても不十分だ。
きっと何か、仕事を覚えていかないといけなくなる。
そういう意味で、私はもっと知識を覚えていかないといけない。
それに、もしあんなことが…前世の私に遭った事が、
また私やこの人達にも遭うかもしれない。
その時にまた、
私は何もせず見ているだけなんて事になったら…。
―――……そんなの、もう嫌だ。
「わたし、もっとことば、しりたいです。もっといっぱい、しりたいこともあります。だから――……」
*
次の日、私こと『アイリ』は、
診療所から離れて、
ヴェルズさんの家で暮らす事になった。
荷物らしい荷物も無いから、
手ぶらのままジスタさんやメイファさん、
ジャッカスさんにお礼を言って診療所を後にした。
ジャッカスさんは凄く残念そうだったけど、
ヴェルズさんの家に夕方頃にジャッカスさんが来て、
串焼きがいっぱい入った袋を渡して、
もっと喋れるようになった私と喋って嬉しそうに帰っていった。
診療所の時もそうだったが、
ジャッカスさんは串焼きを食べさせてくれるけれど、
お金は大丈夫なのかなと心配したが、
ヴェルズさんに聞くと
「彼は子供からはお金を貰わないの」と言って、
ますます心配になってしまった。
それから三日が経ち、
ヴェルズ村に『生誕祭』が訪れる。
そして私は、運命の出会いとも言うべき人物に出会う。
戦士フォウルと、戦士ドワルゴンという、
憧れとも言うべき存在に。
●:追加ページの日記。
『未来』の貴方へ。
この先に待つ人々は、
既に『過去』の人かもしれません。
でもコレに描かれている事は、
『過去』であり『現在』の私が通った道。
そして大切な人達でした。
だから私は、忘れたくありません。
そして私は、忘れたくありません。
これを書いている『現在』の私は、
きっと今から書いている事をさえ、
全て忘れてしまいます。
……忘れたくないです。
『ジャッカス』さんの名前も、
『ジスタ』さんの名前も、
『メイファ』お姉ちゃんの名前も、
そしてこれから出会う皆の名前を、
皆との思い出を忘れたくありません。
けれど、忘れないといけません。
それが『現在』を生きる皆を助けるなら、
私は『過去』も『未来』も無くして構いません。
でも、『未来』の貴方へお願いです。
これを読んでいる『未来』の貴方は、
これから出会う皆の事を忘れないでください。
私の大切な人達の事を、
忘れないでください。
傍に居てくれる私の大事な人の事を、
忘れないでください。
それが私から貴方へ送る、
最後の御願いです。
From : アイリュシティア=ザ=ドワルゴン
To : 愛理
『赤瞳の戦姫』ご覧下さりありがとうございます!
誤字・脱字・今回の話での感想があれば、
是非ご意見頂ければと嬉しいです。
評価も貰えると嬉しいです(怯え声)
ではでは、次回更新まで(`・ω・´)ゝビシッ
この物語の登場人物達の紹介ページです。
キャラクターの挿絵もあるので、興味があれば御覧下さい。
https://ncode.syosetu.com/n6157dz/1/