6.監察者の館 門小屋にて
バッセルは、黙ったまま頷いた。
その姿は、言わない、と全身で言っていた。決して、何があっても、この事は言わないと胸の中で誓ったのだった。
アッフェル・フォルトは、そんなバッセルを見ると、興味を無くしたかのように、すいっと先へ歩き出した。シェルフォードも、何事もなかったかのようにアッフェル・フォルトの横に並んで歩き始めた。
シェルフォードが、
「密輸の内容だが、やはり、バセロン・オーンの小説だと思うか?」
と言うと、アッフェル・フォルトが、
「だと良いな。それなら、事は単純だ。密輸の物を探して、バセロン・オーンをおびき寄せればいい。でもって、小説ともども、ルフェン国へ、再追放してしまえばよいわけだからな」
「国外追放か。二度と戻らないでもらいたいものだ」
「正義に満ちた言葉だな」
アッフェル・フォルトがにやついて声で言うと、シェルフォードが、固い声で答える。
「おまえの枷をすり抜ける男だ。危険すぎて、マーシャの傍にはいさせられない」
「妻がいるんだぞ、ルフェンに。それに、王都にいるだけだ」
「そばにいるのといっしょだ。国にいるだけでも危険すぎる」
アッフェル・フォルトが、それを聞いて笑って振り返る。ぽつんと立ちつくしているバッセルを見た。すると、アッフェル・フォルトは、
「何をしている!」
と大声で言った。
バッセルが、ぎくしゃくと動き出すと、アッフェル・フォルトが続けて、
「先触れをしなくていいのか? バセロン・オーンのいた中庭に掛けた封の事を、検証者達へ伝えないつもりか? あそこが始まりの場所だったと後から知ったら、やつらは激怒だぞ!」
バッセルは頷いて腕を上げた。手が動くのを確かめて、ゆっくりと歩き出す。そして、アッフェル・フォルトが、
「遅い、走れ!」
と怒鳴ると、バッセルは息を吐いて、
「言われなくても」
と呟いた。
そして、ゆっくりと走りだして、軽快な駆け足になり、二人の横を通り過ぎる瞬間に、
「ありがとうございました」
と低く言って、駆け抜けた。二人は無言で、小さな姿を見送った。門はすぐそこだった。絶対に、言わない。絶対にこの優しさは忘れない。バッセルは、心の中でそう誓った。自分の一族は、この二人に助けられた。この優しさを必ず返す、と心で誓った。
バッセルは、素早く門へ向かって大声を上げ、最高位の銀の監察者と、次席の青銀の監察者の帰館を知らせた。そして、あわただしく、門小屋に控える検証者達へ、今日の封印の場所や様子を報告しに駆けこむのだった。
アッフェル・フォルトとシェルフォードは、バッセルを追うように、大門に向かって通りを進んだ。辺りはすっかり日が暮れていた。右側に続く塀は、すぐに、屋根のある大門に変わる。両脇に、煌々と松明が灯されていた。先ほどの光の柱のせいで、警戒態勢に入っていた。
アッフェル・フォルトは何も言わずに、門をくぐった。松明の脇には、外へ出ている検証者の上位職位、オレンジ色の肩掛けを付けた男達が立って低い声で打ち合わせをしていた。鎮静者達だった。アッフェル・フォルトとシェルフォードを見ると会釈をするが、それだけだった。
そこに、門の奥で、苛立ったような甲高い声が響いた。アッフェル・フォルトが振り向くと、門脇の受付窓口にバッセルがいた。受付の出窓に背伸びをして頭を突っ込んで、良く通る声で叫んでいる。
「ですから、ここです。この場所に、封鎖の印があるんです。ですから」
「あの騒ぎの中、力を使ったのか!」
と言う、くぐもった叱責の声に、
「ですから、その前に封鎖をしてたんですって、さっきも言ったじゃないですか!」
門小屋の中には二人の男が座って居た。奥には仮眠用の雑魚寝部屋があって、受付用と言うよりも常駐部屋で、中は、がらんとしていた。石床に木の大テーブルが置かれ、丸椅子が散らばっていた。
出払っていて人気が無い。窓の受付用に置かれたデスクの前で、指の太い男が不器用そうにペンを持って座っていた。その脇で、片手で、手のひら上にして地図を見せている男がいた。簡単な地図をイメージで出している。
「ここです。この辺りで、今度の異常は始まったんです。絶対です」
バッセルが、窓の格子をしっかり掴んで、背伸びをして手を伸ばしながら指差している。受付の男の野太い声が、
「ありえないって。光は王都全部に落ちたんだ。どこにいた? おまえは見ていなかったのか? あの光は、そこだけって形じゃなかった。全部に、手厚く、この王都を覆うように落ちたんだ」
「でも、きっかけはここなんです! ここが一番、濃度が濃いはずだから、だから」
「しつこいな。光の濃度はどこも一緒。それが、上からのお達しだ」
と言いつつも、男は、隣の男の手のひらをチラリと見ながら通りの名前を呟いて、書きとった。封印あり、と書いて、短く切り込んだ髪に、ペンの後ろを突っ込んで、がりっと掻いた。
「事前に封印があったんだったら、もっとも危険のないところだって意味になる。人払いが終わってたんだから」
とぶつぶつ言いながら、
「いいから行け。記録に取った。見てただろう。外回りが戻ってきたら言ってやる。確認して問題があったら連絡に行く。で、どこの見習いだ。こんなくそ忙しい最中、もともと封鎖をしていた場所を報告に行けって言った、お前の上司は、どこの誰だ!」
とこんな無駄な報告をさせたのは、と言いたげに言って、顔を上げた。
と、その顔に赤みがともり始める。首から頬へ、ぽっと顔が上気する。その脇で、バッセルは、太い指が持つペン先を覗きこんで、通りの名前を確かめていた。
それさえ終われば十分だ、と窓枠に乗り出した身体をゆっくりともとに戻す。と、目の前の男が、頬骨の目立つ、眉の太い男だったのだが、うっとりした眼で一点を見つめているのに気がついた。バッセルが、はっと振り返ると、アッフェル・フォルトとシェルフォードが、追いついて、後ろから腕を組んでこちらを見ていた。
「すぐ終わります」
バッセルは素早く言った。この程度の事で、手間取ってたまるか、と言う気概があった。が、その前に、アッフェル・フォルトが不機嫌そうに、
「私だ。このくそ忙しい最中、封印の場所を伝えに行けと言ったのは」
と言ったのだった。バッセルは、どんっと窓格子の枠に手を着いて、身体を起こすと、後ろを振り返って言った。
「これは私の仕事です。報告したら、すぐに行きます。向こうで待っていてください!」
力いっぱい、アッフェル・フォルトへ向かって言った。この程度の仕事で上司の手を借りてたまるか、と言う気概があった。しかし、アッフェル・フォルトは、軽く無視して、
「一つ聞きたい事がある」
と言った。
ペンを持っていた男は、今や蒼白になっていた。誰だ呼ばわりで、馬鹿にしたのは銀のベルトで、その本人に聞かれていたのだ。バッセルは同情はしなかった。声高に言って門を通ったのに、気づかなかった方が悪い、と思った。
受付と言っても、出入りの管理も兼ねているのだ。だいたい、上位ベルトとそれ以下とで、態度を替えるから悪いんだ、とも思った。しかし、そう思っていても気の毒になりそうな程、ペンの男は蒼白になり震えていた。
男はやっと、喉から絞り出したような声で、
「これは、お見回りごくろうさまです」
と呟いていた。精いっぱいの一言だった。アッフェル・フォルトは、バッセルの頭を片手で避けて、窓の中に顔を突っ込んだ。男は反射的にのけ反った。額に冷たい汗が流れだす。アッフェル・フォルトは、まったく気にせず、何も無かったかのように、
「聞きたい事がある」
と再び言った。
「王都中、同じ濃度で光が落ちたと言うのは本当か」
と聞いたのだった。
バッセルが怪訝に思う。ペンの男は、声が出しにくいのか、顎をがくがく上下振って頷いて見せた。アッフェル・フォルトはさらに、
「言ったのは誰だ? おまえの上か?」
「いいえ。検証者ではなく、鎮静者の長の一人のバイラム・フォッド殿です」
答えたのは、横に座って地図を出していた男だった。こちらは落ち着いていた。
「オレンジの肩掛けか」
とアッフェル・フォルトは言うと、顎を引いて、覗きこんでいた窓からすっと身体を引いた。
「なぜだろう? 声が一回、天に上がって、そこから落ちた、と言うことか?」
と呟いた。
「おまえは、濃度は分からなかったのか?」
といつの間にか近寄って来ていたシェフフォードが、窓の中とアッフェル・フォルトを交互に見ながら言った。アッフェル・フォルトは、
「濃度は空中に出る。人の心は、中にある。全く別次元にあるような物だ。見もしなかった」
と呟いた。
正確には、瞬時に王都中の人間に触れるのに追われ、そこまで手が回らなかったんだ、とバッセルは考えた。それから、側に立つ二人を見ながら、自分は、王都中に均等に光の柱を落したらしい、と考えた。
イメージを造った場所にとどまらず、全部に瞬時に効いたらしい。天に声が上がって、落ちた、と言っていたけど。まるで、アッフェル・フォルト様の力の様だと思いながら、神、と言う言葉だったからこそまでできたんだ、と半ば真面目に感心した。自分のやった事なのに、まるで人がやったことのように思ってしまった。
「光の濃度で、王都中か。大惨事だ」
とアッフェル・フォルトが呟くと、ペンの男はやっと正気に戻ったらしい。あわただしく、挽回するように話しだす。
「いえ。銀の監察者殿が治めてくださっていますから。我らは見回り程度で済みます。みな、確認に行っただけです。もちろん、医者達は悲鳴を上げるかもしれませんが。見て回らなきゃならない人間が、王都全部にいるわけですし」
「そうだな。王都全部だ。で、そこから外へは広がってはいないのか?」
と確かめると、奥の地図の男がすばやく、
「指示は、王都の中のみ、街壁の内側のみ、でした」
と答えた。まっすぐアッフェル・フォルトを見ていた。光の柱が立った後、外回りに飛び出した何人かは、あの微風のような笑いイメージに出会っていた。アッフェル・フォルトの上書きのイメージだとすぐに分かった。この男もその話を聞いたのか、または、直に、イメージに出会っていたのかもしれない。
男の目には敬意があった。アッフェル・フォルトは、そんな視線に頓着しないで頷くと、
「邪魔をした。もし、封印の傍で何かがあったら、知らせてくれ。濃度が薄い、と言うような話でもいい。他と違っている何かがないか。上司や鎮静者へ報告した後でいいから、私にも知らせてくれ」
と言った。
鎮静者とは、検証者が場所を特定した後に、惨事を沈めて回る者達だった。検証者の上位職だ。そして、鎮静者の手が回らない場所、手に余る場所を、監察者と呼ばれる、アッフェル・フォルト達が受け持っていた。
検証者も鎮静者も人数が多く組織だって動くのだが、監察者は、人数が少ないうえに、彼らと違って組織に組み込まれる事も無い。独立独歩の者達だった。
つまるところ、受付にいる検証者達にとって、アッフェル・フォルトへは、報告の義務もなければ、組織上の上司でもない。しかし、地図の男とペンの男は「はっ」と言いながらしゃちほこばった。
「ありがとう」
とアッフェル・フォルトが澄まして言うと、男達はほっとし顔で頷いた。最強の力を持ちながらも、もっとも気まぐれだと言う噂の、銀の監察者の機嫌を損ねずに済んで、ホッとしたようだった。