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55.三人は通用門をくぐった

 三人は通用門をくぐった。門の脇の腰高窓の向うで、衛兵がぼんやりと窓枠を見つめていた。目の前を銀の監察者が過ぎて行くというのに、会釈はおろか、どこか遠くを見る顔で、恍惚として椅子に座り続けていた。門番の一人が閂に手を伸ばしたまま、ぼんやりと門を見ている。歌に心が奪われて、自分が何をしているのか分からない。もう少し遅かったら、中に入れなかったかもしれない、とバッセルは思った。シェルフォードとバッセルは、門番のかわりに閂を元に戻して締めたのだが、門番は気づいていないようだった。

「今、他国が攻めてきたら、どうなるんでしょう」

バッセルが不安そうな声で言った。バッセルの問いに、アッフェル・フォルトは肩をすくめただけだった。シェルフォードは何もかも無視したようだ。狭い石畳の広場を横切ると、馬番が、王の馬の首にブラシをあてた格好のまま動きを止めていた。ぼんやりと馬の鼻先を見ながら、歌声に耳を傾けていた。

「国中がこうなっていたら」

とバッセルが言うと、アッフェル・フォルトが、

「もちろん、国中がこうなっているさ」

と頷きながら請け負った。バッセルが、どうしたらいいんです? と声を上げる前に、アッフェル・フォルトは足早に建物の裏口にたどり着き、乱暴に扉を開けて入っしまった。シェルフォードが後を追う。バッセルは、口を閉じて、慌てて追った。まずは止めなくてはならない、と思った。今は、活気があって前へ進もうと思うような響きの歌だった。ずっと聞いていたいような、わくわくする響きだった。

 アッフェル・フォルト達は、通用口から使用人用の裏通路を通り、内庭に出た。内庭を囲む回廊に雨音が響く。回廊を歩きながら、歌声を聞く。不思議な事に、まるで雨の弱まる合間を縫って響いているように聞こえた。雨音が伴奏のようにも聞こえたのだが、伴奏と言う物をバッセルは知らなかった。始めて聞く歌に、不思議なリズムに、心が揺れた。バッセルは、このまま陽気な歌で終わるんじゃないだろうか、と思った。もしかしたら、雨に濡れるみんなを早く家へ返さなきゃと思って、このまま帰りたいと思うような歌になるんじゃないだろうか、と思った。歌姫はそう言う歌を歌うと言っていた。王陛下はその為に歌姫を連れて戻った。だから、このまま、歌が終わって人々が家路に帰って危険が去れば、バセロン・オーンを探して捕まえればいいだけになる。

王の下とはいえ、歌姫は幽閉だ。バセロン・オーンは怒りもあらわに現れるかもしれない。あきらめて、ルフェンに戻るかもしれない。一生隠れて過ごすかもしれない。どちらにしろ、監察者の館がこの先、総出で追うはずだ。侵食の危機が収まり、平時に戻れば、都中の人間の記憶を探って探し始める事だってできるのだから。隠れて過ごす事も、逃げ出す事も、絶対出来ない。バッセルは、暗い気持ちで考えた。妻である奥さんを助けたくてやって来たのに、結局は、妻は囚われの身になって、自分はこの国では生きていけない身になっている。始めに妖精を飛ばさなければ、きちんと監察者の館に助力を求めていれば、なんとかなったかもしれないのに。と、バッセルは思った。監察者の館を信じてくれていれば、きっとどこかでなんとかなったはずなのに、と信じたかった。


 三人は内回廊から続く階段を駆け上る。歌はいよいよクライマックスなのか、活気のあった響きはさえずる様な軽やかな響きに変わり、夜明けを感じさせるような明るい気配に変わって行った。バッセルが、これなら大丈夫、と歌と同じように心が浮き立つような気分になった。三人は、四階まで一気に駆け上がる。そこで、この歌が響く静寂の世界の中で、言いあっている声を聞いた。

「それで、どうなさいます? 歌は終わりに近づいています。今止めなければ、このまま、郷愁の歌へと変わります。帰りたいと思わせるこの歌は、しだいに、郷愁と言う名の孤独に変わり、愛と言う名の憎悪へ変わる。彼女が歌うと変わってしまう。私を愛しているから。故郷への愛を我慢し、私を愛し続けているから、ルフェン国の孤独に耐えた。それが、この歌の最後で爆発していきます。彼女が愛と故郷への帰還の歌だと信じているこの歌は、悲しみと絶望の歌へと変わっていきます」

静かな声だった。

アッフェル・フォルトは音もなく廊下を歩き、一つの扉の脇にたつ。開け放たれた部屋の中には、男が二人立っていた。バルコニーを見ながら、廊下には背を向けて。バッセルの場所からは男達の顔は見えなかった。しかし、声の主は知っていた。自分に、神のイメージを叫ばせた、知的な男の声だった。バセロン・オーンがそこに居た。

「王陛下。彼女をこの国へ住まわせ、歌を歌う許可を与えてください。愛する自分の国に住めるように、勅命を下してください」

バセロン・オーンの横に立つのは王だった。背の高い肩幅の広い姿は、身じろぎもせず、バルコニーを見ていた。

「今のあなたは、あの歌に囚われている。ここに箱を用意しました。この箱に、許可申請書が入っています。これにサインをしていただければ、許すと書いていただければ、それで良いのです。それを、彼女が持ちさえすれば、命令が下ったも同じ事。さあ、ここにペンがあります」

そう言って、バセロン・オーンは王の手に、ペンを握らせていた。

「サインを」

と言った。王は首をめぐらせ手元を見下ろす。申請書はバセロン・オーンが書いたものだった。アッフェル・フォルトは眺めながら、この為だったのか、と考えた。ルフェンで書きなぐっていた妻の帰国を懇願する申請書の一枚だった。この一枚の為に、そして、この一枚を隠す為だけに大量に書きなぐっていた申請書だった。

歌は故郷を懐かしむ響きを帯び始めていた。暖かい気持と懐かしい気持ちの中に、切なさが響く。過去の事になった、全てを懐かしむ歌声に、戻りたい、と言う気持ちが湧きあがりだす。

 アッフェル・フォルトが中にすっと踏みだした。と、バセロン・オーンは、まるで、それを予期していたかのように、

「洗脳でもないし、強制でもありません。私がしているのは、嘆願です」

と必死な声で言った。王は手元を見たまま動かない。アッフェル・フォルトは二人を無視して、バルコニーへ向かう。が、バセロン・オーンが、

「今、歌を止めたら、郷愁の中から誰も戻ってこれなくなるでしょう!」

と言うと、アッフェル・フォルトはくるっと振り向き、

「最後まで歌わせるよりはましだ」

と言うと、バセロン・オーンは首を左右に振って、

「ここで、王の許可が下りたと、彼女に伝えさえすれば、歌は明るい帰還の歌に変わります。それを聞いて、みな、陽気に家路へ向かいだす」

そう言ってから、再び、

「陛下。彼女を救って下さい。あの国で、歌しかない彼女が、絶望で、帰郷の歌が歌えなくなり、歌手として歌えなくなっているのです。彼女を救って下さい。私の望みの為だけに国を捨てた彼女を、歌だけが彼女を救っていたのに、その歌さえもなくなってしまった彼女を。どうか、救ってやって下さい」

王はゆっくりと顔を上げた。そして、

「できない」

と言うと、バセロン・オーンは、感情にぶれた声を上げた。

「できない?! そんなはずはない。ここにサインをすればいいだけです。文面は書いていある通り、何か過分な報償があるわけでもない。ただ、国に住む許可を出す、と言うだけの文面じゃないですか!」

「住むだけではあるまい。歌を歌う許可はだせぬ」

「歌が無ければ、彼女は心が枯れて死ぬんです。あの国で歌を歌う喜びを知ってしまった彼女は、歌なしでは生きていけない。だから、だから、歌ごと、この国に迎えてやってほしいんです」

王が首を左右に振ると、

「イメージなんか生まれて来ません! 映像なんか欠片もない。見えますよね? ご覧になっていますよね! 陽炎もなければ、村の映像も浮かんでこない。これのどこに問題があるんです? お願いです。誰も聞かなくても良いんです。彼女が心から歌える場所がありさえすればいいんです!」


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