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4.あれは光の滝なんだ

バッセルはアーチを抜けると裏通りに出た。


不思議なほど人の気配がしない。アッフェル・フォルトはと言うと、裏通りを抜けて大通りへ出て行くところだった。バッセルは顎を引いて後を追った。大通りからは、大勢の声が響いていた。バッセルが、明るい大通りへ飛び出すと立ち止まる。なんと、人々が思い思いの場所に膝まづき、両手を組んで天へ向かって大声で祈りをささげ出していた。


馬車を止めて、御者席の上に座ったまま帽子を握り締めて祈っている者もいた。その馬車の馬が落ち着かなく足踏みしている危険な場所で、幼児を抱えたまま目をつぶって何か祈りをささげている女性がいた。子供がいた。粉屋の見習いなのか、髪に粉を付けたままの姿で通りに飛び出して嬉しそうに手を上へ向けて踊っていた。子供は、一人踊りだすと二人、三人と増え、史書見習いのような帽子を被るお堅い少年まで一緒に踊りだしていた。


 バッセルは、茫然とした顔で歩き出し、どんっと大きな背中にぶつかった。見上げると、アッフェル・フォルトが立ち止まっていて、腹を押さえるようにして、声が出なくなるほど笑っていた。さっきの冷気は微塵もない。

「な、なんで、笑っているんです…」

「いや。ほら」

と言って顎でさし、

「犯罪が減るなんてもんじゃないな。これじゃあ、犯罪者になることだってできやしない」

そう言って、顎で示した先には、どう見ても、女性の財布を掏ったのだと分かる少年が、真っ青な顔になって女性の買い物籠の中に財布の戻していた。なのに、女性は、その財布を籠から出すと、少年へ何か言って押しつけている。返す必要はないんだ、とか何とか言っているのが見ただけで分かる。


「おまえの神、じゃない、滝か。おまえの滝は、慈悲深いんだな。優しいと言うか、人が良いと言うか」

と、アッフェル・フォルトは背中にぶつかって立ち止っているバッセルに笑いながら言った。そして、さらに、

「私が神を出したらこうはいかない。恐怖のるつぼだろう」

と言った。穏やかな普通の言い方だったのだが、冷気の声とどこか通じるところがあった。


そこに、通りの反対側から、背の高いシェルフォードがやってくる。馬車を避け、ひざまずく女性を見下ろしながら。大股で、周りを見ながら近寄ると、ため息交じりに、

「アッフェル・フォルト。これでは、話にならん。一気に元へ戻してしまえ。経済活動が麻痺してしまうぞ」

「良いんじゃないか。一日くらい。善良な人で埋め尽くされた都市って言うのは、おまえの理想だろう」

「私じゃない。老師の理想だ。だいたい、自分と神しか見えないんじゃ、歩いてて壁にぶつかるぞ。今でさえ、けが人が増え出しているんだ。医院の前に人が並びだしている。と言っても、医院も麻痺しているんだが」

と言って、見て来たの場所を思い出したのか顔をしかめた。

「あの男はどうなった?」

「見失った。素早いと言うよりも、用心深い。やつが駆けながら、『助けてください』と叫ぶお陰で、街ゆく人間全員に足止めを食らったぞ。まったく。この神の僕達は、善良と言うよりも無垢過ぎだ。追いかける監察者を止めてどうするって言うんだか。まったく誰がイメージした神なんだか」

と最後は愚痴のように言う。


「神じゃない、滝だって。あれは光の滝なんだよ」

とアッフェル・フォルトがまぜっかえすように言っている。バッセルは、深く息を吐いた。なんだか、監察者としてよりも、もっと別の意味で悪い事をしたような気がしてきた。神を選べなかったのは、自分のせいのような気がしてきたのだった。


アッフェル・フォルトは、へらへら笑う。そして、どきりとする程真面目な声で、

「用心深いのに、イメージを実現するほどの物語を書きまくっていたのか?」

と言った。シェルフォードも同じように考えていたらしく、

「ああ、変だ。あれほど目立てば、すぐに監察者がやってくる。それが分からないわけでもないだろうに。ここまでするつもりはなかったのかもしれないが、監察者の目を自分に集めたかったとか」

と街の様子を見ながら言う。アッフェル・フォルトは否定するように、

「それで、誰かがどこかに盗みに入るのを手伝ったとでも言うのか? 監察者なんて、呼べても一組だぞ。街を回っているのは私達だけじゃない。大勢いるんだ」

「でも、この周りに少なくとも一組は呼び込みたかった」

「呼びこんで、物語の犯人だと見せつけたかったのか? なんの為に? 自分の物語の力のすごさを見せつける為にか?」

「ああ。監察者になりたかったから、とか」

「なら、館の門をたたけばいい。老師なら大歓迎さ。いつでも人手不足だと、ぼやいているんだからな」

と言って考え込む。


バッセルは、二人の話しを聞き流して周囲を眺めた。太陽が西の空に落ち始めていた。一日の内で、もっとも忙しくなるこの時間に、人々は延々と祈る事を止めず、膝まづき、今までの事を余すことなく神に向かって謝罪していた。


イメージの害悪は様々にある。その中で、最悪は「神」だった。人間の造る神は、つねに不完全で、人を捕らえて、常識を破壊する。バッセルは、黙って自分のやった所業をじっと眺めた。


二人を置いて前へ出る。正気に戻して、家へ向かわせなきゃならない。子供や乳児が待っているかもしれない、と胸で呟く。馬車の脇でしゃがむ女性の傍へ行く。イライラした馬の蹄が今にも引っ掛かりそうで、バッセルはハラハラしていた。


後ろで、アッフェル・フォルトがイライラっと踵で大地を蹴った。

「だいたい、私の枷が掛っていたんだぞ。それを、物語を書かないって言う宣誓の裏をかいて、単語を使って言い抜けしたんだ。しゃべらないとは言わせなかったさ。それがこれだ。やつは、かなり頭が良い。狡猾だ」

愚痴ているようにも聞こえた。


バッセルは、女性に手を差し伸べて、女性の目の前に小さな光の玉を見せた。光の中に女性の日常を写しだす。バッセルが女性の中から掬い取った風景では、子供が手を差し伸べる姿が見えた。


バッセルは、神から今へと引きもどそうと囁きかける。女性は、空を見つめていた目を、目の前の光の球に向けて、中を覗きこんだ。のぞき込む女性の腕の中では、もぞもぞしていた幼児が、光の球を楽しそうに見つめていた。バッセルは、女性の耳元で、

「さあ、みんなの夕食の支度をしないと」

と囁きかけると、女性はぼんやりした目で球からバッセルに視線を向けた。バッセルは、女性の目をしっかりと覗きこんだ。覗きこんでいると、どこからか女性が子供を呼ぶ、おおらかな声が聞こえてくる。バッセルは女性のその声に返る子供の「はーい!」と言う声を、イメージから現実に作り変えて女性に聞かせる。


しかし、女性はその声を聞くとぼろぼろっと泣きだした。生まれて間もなく亡くなった上の子供の事を思い出し、神へ祈り始めたのだった。


「神よあの子はどうしていますか。私を許してくれていますか。もしも、私がでかけなかったら。人に預けず家にいたら。あの子は今頃」

と心の声がとめどもなく溢れ始めた。


バッセルは、女性の目の前にいる少女の手を掴んで下からそっと持ち上げた。女性の顔の前に持ち上げて、少女の手で女性の頬に触れさせた。女性は、ぼんやりした目から、目の前の小さな感触に視線を動かし、大きな手で少女の手をそっと握った。


「この子と一緒に育てたかった。この子と」と心の中で女性が思う。バッセルは、女性に、「この子を見て。この子が危ない。ほら!」と低い声で囁いた。女性は、バッセルの声を聞いて視線を彷徨わせながら、側の馬の脚をぼんやりと見る。すかさず、「馬が蹴る!」と言う、バッセルの囁きに、女性はぱっと立ち上がる。と目を見開いて馬を見た。


「まあ! あぶない!」


女性は声を上げ、少女を抱き上げて、慌てて道の隅へと逃げた。バッセルの姿は全く目に入って居ないようだった。


 バッセルは、道の真ん中で立ち上がって、「これで一人」と低く言った。見ていると、女性は胸の中に少女を抱きしめながら祈っていた。それは、さっきの神にすがる祈りではなかった。街中で膝まづき、祈り続ける、この正気を失っている人々を見て、恐怖している姿だった。バッセルは、

「後日、監察者の館の者が伺うかと思います。ですから、安心して、家へお帰りください!」

とはっきりした声で声を掛けた。


女性は驚いたようにバッセルを見て、そして、その背後に立つ灰色のローブの人々を見て、分かったと言うように真剣な顔で頷いた。そして、少女の手をしっかりと握ると、街の様子から逃げるように、通りを小走りに駆けだした。


監察者の館から、大勢の者が繰り出しているはずだ、とバッセルは思った。数日かかっても、この大量の人々は正気に戻らないんじゃないかと思った。今、この瞬間、うっかり火の付いたストーブに手を置いた人がいたらどうなるだろう、と思うと、何か叫び出したくなってくる。


大声で叫べが、みんな気がつくのではないかと、やみくもに思えてくる。ありえないのに。バッセルは、首を横に振ると、一人ずつだと自分に言って聞かせて、次にと踏み出す。


バッセルの後ろにいる二人は、何か話しあっていた。こんな時に、とバッセルは思った。犯人どころの騒ぎじゃない。まずは、人々を護らなければならないはずだ、とも思っていた。そんな中、アッフェル・フォルトの声が響いた。


「館では、何で私達を呼び戻そうとしてたっけ?」

バッセルはイラっとしながら振り返る。

「密輸です!」

大声だった。聞かれてもかまうものか、と言う気になった。だいたい、聞ける程正気の人はここにはいない。

「密輸か」

「曲か、小説かと言ったところだろう」

シェルフォードが続ける。アッフェル・フォルトは、

「あの男の小説か? それで取り戻しに来たんだろうか?」

と言う声に、

「妖精の小説か? モノ好きがいたものだ」

と、シェルフォードが答えた。


バッセルは、子供を道の端へ追いやるように近づきながら、ふいに、アッフェル・フォルト達はもっと大きな、大事件を、予防するんだ。と思いついた。そう思いながら、自分とそんなに年の変わらない少年の手を引っ張って、道端に連れて行こうとする。


しかし、陽気な子供は動かない。逆にバッセルも一緒に踊らせようと引っ張りだした。バッセルは、引きずられながら、光の球を造り出して、彼らの中心にポンっと投げた。見えるのは、彼らが日ごろもっともなじみのある現実だった。これなら、と思ったのだが。ほとんどの子供が飛びのいた。親方の怒声や、仕える史書官の叱責の声や鞭の音を聞いたらしい。逃げたと思ったら、再び、踊るように遊び始めた。


 バッセルは、手を組んで、それじゃあ、と次の光を造り始めた。そこで、

「密輸が何かを確かめてから、あの男を追うか」

と言うアッフェル・フォルトの声を聞き、そして、シェルフォードの、バッセルがもっとも望んでいた声を聞いた。


「その前にこれだ。この規模の人々に、別のイメージを植え付けるには、私の官位が、つまりは青銀の監察者が全員でやっても、時を測って、同じイメージで塗り固めるしか方法が無い。時間が掛る」


バッセルは、自分だったら一生かかると思いながら、普通の監察者なら、総出で戻しても、一人一人を戻さなきゃならないから、半月は掛るだろうと考えた。だから、少しでも早く手分けをして、みんなを救って行かなきゃ、とバッセルは思った。


なのに、この大人二人はなんだ、とも思った。そんな中、アッフェル・フォルトの穏やかな、気の抜けた声が、

「私なら、今すぐ一人でできる。だから、やれ。と言うことか」

と聞こえ、バッセルはそんな事ができるんだったら、と思いながら振り返る。踊る少年はどこ吹く風でふざけたようにジャンプした。西日が長く大地に伸びる。アッフェル・フォルトは姿勢を伸ばして通りを見まわす。そして、大きく息を吸うと、

「なぁ、老師も神を拝むのに忙しくて、遅刻の私達を怒るどころじゃなくなっているかもしれないな」

とばかげた事を言っていた。バッセルは、できるんだったら、早く! と思う。なのに、シェルフォードも、のほほんと、

「バカを言うな。監察者の館の防御は絶対だ。光程度で破れるはずがない」

「そうか? 光じゃ無理か。でも、私達の映像を送れば、あっけなく防御の壁も破れるって気もするが」

「怒りに駆られて、老師が防御ごと我らを殴りかねないと言う事か」

とふざけ続けているのを聞いて、バッセルはカッとなった。自分がやったことだが、深刻な事のはずだった。監察者としての仕事をしてください! と怒鳴りたくなった。


シェルフォードの答えに、アッフェル・フォルトが気の抜けた声で笑っていた。バッセルはその笑いにくらっとした。怒りで頭に血が上ってくらっとしたと思ったのだが、違っていた。あれ?!と思う間に、何かがするっと身体の中を通り抜けた。その耳に、

「もう、拾い終わったのか?」

と言うシェルフォードの声が聞こえた。アッフェル・フォルトが、

「もう、じゃない。結構掛った」

と言う声を返した。なんの話だろう、とバッセルが思った時だ。

「でも、ま、王都の外には広がっていなかったから、楽と言えば楽か」

と言う言葉と、かすかな笑い声を聞いた気がした。


笑いは一陣の風に乗って、バッセルの頬を撫でた。柔らかい笑いの風は当たりに広がり、まるで、何かが沁み渡るように人々の心に、人の声を響かせた。バッセルは、自分を呼ぶ兄の声を聞いた。


そして、唐突に、馬のいななきが響き、すぐ向こうから、

「何やってんだ! 危ないぞ!」

と言う御者の怒声が聞こえた。


かと思うと、街は、いつもの喧騒に戻っていた。ついさっき、夫人の籠に盗った財布を突っ込んだ少年は、残念そうな顔をしながら、そろりと後ろ脚で下がる。夫人が財布を手に、どうしようかと迷っている間に、少年は脱兎のごとく人ごみの中に消え失せた。


通りで踊っていた史書見習いの子供は、投げた帽子を慌てて拾い、何でこんなことをと戸惑った顔をする。しかし、粉屋の子供が手を振って、親方の遣いだったのか小間物屋へ駆けだすと、思わず手を振り返していた。


少し優しくなった街は、いつもと同じように、夕暮れの支度に人々があわただしく行きかいだしていた。

「館のほとんどの者が、これができるようになるなら、何を引き換えにしても惜しくない、と思うだろうな」

とシェルフォードが呟くと、アッフェル・フォルトは、

「ほぉ。何でもか? 私と契約でもするか?」

と紫色の目を闇色に変えて聞くと、

「宣誓したおまえに何ができるって言うんだ。こんな街中で、その闇の目は引っ込めておけ」

と答えた。アッフェル・フォルトはつまらなそうに、

「何が闇だ。普通の人間の目じゃないか! ちょっと色が暗いだけだ」

とまるで拗ねたようにぶつぶつ言った。


バッセルは呆然としていた。あの、一人一人の心を探って、イメージを重ねて、現実に呼び覚ますと言う、丁寧だが執拗さが必要な仕事を、アッフェル・フォルトは瞬時に、笑いと共にやってしまった。


「もう、拾い終わったのか」とシェルフォードの言った意味が、やっと分かった。おしゃべりをしながら、アッフェル・フォルトは、都中の人々の心に触れて、現実に戻す心の鍵を探し続けていたのだ。貧血だと感じた時に、自分を突き抜けた何かが、アッフェル・フォルトの見えない手だった。アッフェル・フォルトが、自分の兄の声を拾った瞬間だった。


バッセルは首を左右に振った。驚愕と、恐怖と。そして、アッフェル・フォルト達に苛立ちをぶつけていた、情けない自分とを振り落とすように、強く左右に首を振った。銀の監察者。とバッセルは、アッフェル・フォルトの官位を無言で呟いた。奇跡を起こせる能力の人。そう思うと、腹の底から震えるような何かが湧きあがってきた。


その時だった。

「バッセル。おまえは、私達を呼びに老師の遣いで来たんだろう。なんで、急かさないんだ!」

と言う、八つ当たりのようなアッフェル・フォルトの声を聞いた。


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