34.四方の街壁の下に地下水道の出入口がある
バッセルは、アッフェル・フォルトの手のひらを見つめていた。地下水道は東西南北あらゆるところに通じでいた。ただ、昨日、危機のあった場所の下に、必ずしも地下水道があるわけではなかった。森の下には無かった。土が側にあって、浅い溝が森に続いているだけだった。街壁の下にも地下水道は無かった。四方の街壁の下に地下水道の出入口があるだけだ。
ただ、王都のどこへでも出れる道が地下にあった。バセロン・オーンが見つからなかったはずだ。彼の抜け穴が見つかった。と思っていると、映像がするっと消えた。司令所の人間達が行動に移ったようで、アッフェル・フォルトは意識を司令所から、この場に戻したようだった。
アッフェル・フォルトが視線を上げると、辺りは静まりかえっていた。三百メートルもある通りに人が密集していると言うのに、カタとも音をさせずに、怯えたように監察者達を見つめていた。
木の実を割ろうと爪を立て、その場で固まっている紳士も居た。商品を手に抱きかかえるようにしてこちらを見ている夫人も居た。アッフェル・フォルトは、ぐるりと彼らを見まわして、
「ご安心を。追いつめられた犯人が、地下から顔を出したところで、しっかりと誓約をさせましょう」
と朗らかに言った。また、ゆったりと手を胸に当て、
「この、アッフェル・フォルトが、完全な誓約の下に、縛り付けて見せましょう」
と声を張ってから、満面に笑みを浮かべた。
ゆっくりと空気が緩んだようだった。人々は隣と囁きあっていた。
「昨日の侵食の危機でしょ?」
「でも、銀の監察者がいるわけだし」
と言いあう者もいれば、
「やっぱり、侵食の危機の後始末だったんだよ」
「でも、地下水道の話でしょ? ここは平気、と言う事よね?」
と言う者もいた。また、
「監察者から逃げれる者はいないんだから。心配するのは馬鹿げている」
と言っている者もいた。アッフェル・フォルトはさらに、
「みなさまの、祭りの準備を邪魔して申し訳ございません。お詫びに、このアッフェル・フォルト、祭りの間じゅう、この区を練り歩きましょうぞ!」
と言うと、ざわめきは、不安な物から、慌てた物に変わり始めた。王都名物の銀の監査者が練り歩くと聞いて、安心したと言うよりも、人に見せれるほど準備ができていないと気づいたらしい。
昨日の夜から明け方まで、外の作業は止まっていた。外出禁止令のせいだったのだが、作業は止まり、また、ほとんどの人が、昼の妖精騒ぎと、夜の侵食の危機のせいで、後遺症の確認の為に医師の所へ行かなければならなくなって、その上、区長や街区長の侵食の危機対応の説明を聞きに集まったりで、祭りの準備が遅れはじめていた。
彼らは、彼らの大事な用事を思い出したらしい。慌てて買い物メモに目を落とす者もいれば、出口に向かって人をかき分けて歩きだす女中もいた。そうして声があたりに響きだし、雑踏のざわめきが戻っていった。まるで、さっきの静けさは無かったかのように、人々は買い物に戻って行った。
アッフェル・フォルトは、人々が動き始めると、何を考えているか分からない目で彼らを眺めてから、派出所から来た人々を振り返った。そして、何事もなかったかのように、
「マドレーヌ屋に、レースを買いたいお嬢様、だったっけ」
と呟きながら見まわして、少年と目があった。少年は、敬意と興奮のないまぜになった眼で見上げていた。アッフェル・フォルトは、真面目な目になって、
「よく知らせてくれた。感謝する」
と言った。言われた少年は、驚いたのか目を見開いた。徐々に顔が赤らんできて、慌てたように、
「オレは何にも。ただ、言いに行っただけです」
「では、気づいた事に感謝し、派出所に来てくれた事に、礼を言う」
と言い足すと、少年は息を吸い込むような変な声を出したかと思うと、真っ赤になったまま、顔を左右に振っていた。興奮と照れで声がでなくなっていた。
アッフェル・フォルトは、目を細めて微笑を浮かべた。また、少年の脇にいた、がっしりした肩の通り長へ視線を向けると、
「くだらないと思わずに連絡をくれて感謝する」
と言いいながら深々と頭を下げた。シェルフォードも隣で同じように、感謝のしるしに胸に手をあて、バッセルは、その横で、アッフェル・フォルトよりもさらに深く頭を下げた。通り長は、目を見開いていたのだが、慌てて真似するように頭を下げた。
「いいえ。もし、昨日の危機が、下水を止めているせいだったら、我ら街の者の怠惰のせいです。申し訳ないとしか言いようがございません」
と低い声で謝罪した。アッフェル・フォルトは身体をゆっくりと起こした。そして、再び表情の見えない目になって、
「原因は調査中だ。王都中、いっせいに怠惰になった理由が、祭りのせいなら、この先、区長の小言を待つ事だ」
と言った。
バッセルは、アッフェル・フォルトの声を聞きながら、ゆっくりと頭を上げつつ考えた。イメージで、下水の流れを止める事などできるのだろうか? と。イメージはイメージにしかすぎない。昨日の妖精は透明で手をすり抜けてしまったはずだ。
シェルフォードが何度も何度も頭に煉瓦をぶつけていたけど、実際は、街壁は全く壊れていなかった。ぶつけて血が流れるイメージは作れるし、痛いと感じるようなイメージもできる。でも、本物の血が流れるわけではない。イメージが消えれば何も無いのが分かる。
イメージは手で触れないのに、あるように見えるから問題なんだ。なのに、下水が詰まっている。誰かが地下の排水溝に土や石を詰めて回った人がいる。王都中でやったら目立つはずなのに。誰かがやったはずなのに、誰も気づいていないのだ。
アッフェル・フォルトののどかな声が聞こえて来た。
「で、次は、マドレーヌ屋、だったかな」
気軽な、砕けた言い方だった。アッフェル・フォルトは周囲を見まわしてから、レースの帽子を被った少女ににこりと笑った。笑顔を向けられた少女は、頬を蒸気させて、慌てたように言い返す。
「いえ。うちは、鏡の向きの問題だと思いますし」
と言い、アッフェル・フォルトは、
「軽んじてはいけない。と言うのが今ので分かっただろう?」
と言ってうんうんと頷く。それでも、少女が、
「うちの店長は、ちょっと細かい方なので、そのせいです。こんな、大きな事にはならないと思いますし」
と引きとめるように話しかけるのだが、アッフェル・フォルトは、少女に微笑を見せながら、
「中央広場沿い? それとも、隣の街区かな?」
と聞きながら、歩き出した。靴磨きのシッは、その後ろ姿をじっと見つめていた。その目には、尊敬とあこがれが浮かんでいた。そして、脇に立つ通り長へ、
「監察者って、もっと高慢で怖いのかと思っていました」
と呟くように言った。通り長はアッフェル・フォルト達の後ろ姿を見ながら、
「わしは十分、怖い人だと思ったぞ」
と言った。あの、一瞬にして街中が視界に入る、手のひらの映像を思うと、ぶるっと震えが来た。あれだけの範囲を掌握している人間がいる。この短い通りだけでも大変だと言うのに、あの監察者は、全てを手のひらに入れて護って居るのだから。これほど怖い事は無い、と考えた。
そして、ちらりと、棒を握り締めて露店の裏でしゃがみこみ続けている男を見つめた。鉄窯の木の実がばちばちと音を立て始めているのに怖くて立ち上がれない。この革通りで、闇イメージ屋の男に金を払って上映会をしていた馬鹿な男がそこにいた。ポルノに集まる金が目当てで、借金の返済がしたかったからと泣きついて、もう二度としないからと一度許したはずだった。それが、昨夜、外出禁止令を良い事に上の部屋で仲間を集めて再び上映会をやったのだった。
「お目こぼし、か」
と通り長は呟いて、震える男に、
「おい! 焦げた木の実がはぜて客にあたったらどうする!」
と言うと、男は慌てて立ち上がる。今日中にとっちめて、ここから叩きださなければ、と思っていたのに、叩きだす前に監察者達がやってきた。通り長は苦り切った顔で、男を見る。棒を手にのっそりと立ち上がった赤ら顔の男は、
「あれ、あの監察者様は?」
と、とぼけたように言いながら、周囲をゆっくりと見回した。そして、遠く、人ごみの中を離れて行く、人の上に飛び出た銀と青の頭を見付けると、
「ああっと、お忙しい方がたですなぁ」
とほっとしたような嬉しそうな声を出した。見つかんなくて良かったっすね、親方、と言う目で通り長を見ると、通り長は苦り切った声で、
「とっとと仕事をしろ! 当分おまえはバーシャの手伝いだ。終わったら、向こうへ顔を出しな」
「そりゃないよ、親方。あいつはせっかちでいけねぇ」
「黙って言う通りにしな」
と言いながら、ため息深くその場を離れる。この男を監視し損ねたバーシャへの罰にもなる、と思いつつ。離れ際、椅子の上の荷物をどけて、自分の場所を作っていた、シッへ、
「怠けないように見張っててやれ」
と声を掛け、
「へいっ!」
と言う元気な声を聞くと、おまえはまっとうに育つんだぞ、と心の中で言いながら、その場を離れた。
マドレーヌ屋では、本当に鏡の向きの問題だった。店の中を明るく照らす為に、玄関の上に鏡を置いていたらしい。鏡で、レジから街の様子が見て取れるし、明るいしで、一石二鳥だったのに、それが、花飾りを付けた時に動かしたせいで、空しか映らなくなっていた。
「申し訳ございません。やっぱり、ちゃんと確認してから行くべきだったんです」
とマドレーヌ屋のマーレは小声で謝り続けるのだが、店長は、
「まったく、侵食の危機があったせいで、要らぬ不安を掻きたてられているんですよ! 祭りの前で、材料の大量仕入れや焼き数の調整で神経をすり減らしているって言うのに。安全な街にするのが監察者達の仕事のはずですよね!」
とイライラをぶつけてくるだけだった。
その間中、報告が続いていた。側溝の中に検証者を潜らせたとか、出て来た人々を捕まえて、監察者の屋敷へ移送しているとか、報告が続々と入り続けていた。
アッフェル・フォルトの視線の先に浮かんだ小さな町の立体図の中で、オレンジ色の点や緑の点があちこちにせわしなく動いて行くのが見える。ときどき紫の点が近寄ると、オレンジの点も紫の点も止まる。きっと、事務官が、検証者や鎮静者に小言を言っているのだろう、とバッセルはちらちら見ながら考える。
アッフェル・フォルトもシェルフォードも、そんなものは全くないかのように歩いているのだが、バッセルは気になってしょうがない。誰にも見えない地図だった。監察者の館の者にだけ見えるようにした地図で、アッフェル・フォルトの目の先でふわふわと浮いている。
街の商家の、つまりは、祭りの広場を見下ろせる建物に暮らす商家の家では、祭りの衣装の準備をしたいと駄々をこねる少女がいた。しかし、アッフェル・フォルトが直に診察をするのだと分かると、有頂天に舞い上がり、お陰で、目の奥がちかちかして影響が消えきっていないから後二日は外出禁止だ、と診断されても、うっとりした声で、
「アッフェル・フォルト様の仰ることなら、一生、家へ籠っています」
と答え、頬を蒸気させてほほ笑むのだった。アッフェル・フォルトを呼びに来た商家の女は、
「明日も同じことを言っててくれればいいんですけどねぇ」
と呟く。アッフェル・フォルトは優雅に微笑んで頷くだけだった。それは、女へ頑張れ、とエールを送っているようにも、あきらめろと言っているようにも見えた。ただ、商家の女のため息は深くなるだけだった。
ともあれ、アッフェル・フォルト達は早々に外へ出た。少女の喜びの悲鳴を背に受けながら。
「結局、最後になってしまいましたね」
とバッセルは、ずっとついて回っていた食堂の男に遠慮がちに声をかけた。陽は頂点を過ぎ、西に傾きかけていた。何も言わず、後回しにされても辛抱強く付いてくる姿に、バッセルは申し訳ないような気持ちになっていた。しかし、男は穏やかな微笑を浮かべて、
「いいえ。いらして下さると言うだけでありがたいんです」
「そうですか? 紐が取れるかどうかは分からないんですよ?」
と言いつつも、アッフェル・フォルトの前に浮かぶ地図に目が行く。
地下をうごめく緑の点は次第に固まり始め、四方の外壁へと流れて行く。合流し、街の外へ流れて、王都の両脇に流れる大川へ抜ける。出口で地下住人を待っていられなくなったのだろう。バセロン・オーンを探しに潜ったようだった。バッセルは、地図を見てから、通りの側溝をチラリと眺めた。
「何かあるのですか?」
とバッセルを見ていた食堂の男が聞いた。バッセルは目を宙に泳がせて、
「いえ。特には」
と言うのだが、男は、
「イメージのやり取りで、何もかも、見えていらっしゃるのでしょう?」
と言うと、バッセルは生真面目に、
「伝達事項を見るのみです。何もかもなど見れません」
と答えた。男は不思議そうに、
「そうですか? ずっとお聞きしていると、王都中が見えてらっしゃるようですが」
「そりゃ。銀の監察者はそのくらいできるかもしれませんが。そんな事が出来る人は、ほとんどいません」
「やっぱり、銀の方はできるんですね」
と低く言う。
バッセルは考え込む。自分達の仕事を知ってもらう必要はあるが、どこまで何ができるのかを全て事こまかに言ってはいけない、と言う事になっている。それが、監察者の館に住む事になった時の約束事項で、監察者として、人の心の内まで覗きこめる人間としての気遣いになっていた。
「誰だって、何もかも見透かされる人と一緒にはいたくないものだ」、と宣誓をした時の長老が言っていた。「だますのですか?」とバッセルは不愉快な気持ちになって聞くと、「本当に何もかも分かるわけではないのだぞ。分かったフリや、できるフリは、かえって罪深い物だ」とバッセルに言い聞かせるように言っていた。バッセルには、分からなければならない課題を頂いた、と言う気持にしかならなかったのだが、横を歩く食堂の男には、
「銀の監察者と言えども、むやみに覗いたりはしないんです」
と説明をした。そして、さらに、
「イメージの渦の中にいるか、イメージ作成者で無い限り、監察者は覗きません。宣誓でむやみに覗かないと誓っているので、やりたくてもできないのですから」
と言うと、男は無言でうなずいた。バッセルは不安に思っているのだろうかと、さらに、
「ほら、さっき革通りでも、ちゃんと覗いて良いか許可を取っていましたよね? ああやって、聞いてからでなければ、たとえ職務中でも見ることはできないんです。だから、安心して下さい」
怖くは無いのだ、と言う意味で言うと、男は頷き、
「そうですか。監察者の方々はルールを多くお持ちだと聞いていましたが、いろいろ大変でいらっしゃるのですね」
と不思議なほどへりくだって答えるのだった。どう見ても子供のバッセルに対しても、監察者として扱っている。食堂の人間は客商売の為、こう言った事に抵抗が無いのかな、とバッセルは考えた。




