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2.アッフェル・フォルト

バッセルが、螺旋階段を降り切って、出口を見ると、光の中で、背の高い後ろ姿がゆらりと扉から離れていくところだった。バッセルは、慌てて、階段の踏み板をくぐって、塔の広間を抜けて、出口から外へ飛び出した。アッフェル・フォルト様はどこだ、と顔を上げると、街の騒音がワンっと襲う。王都の中心地にある塔だった。市場があった。大通りがあった。石段でオレンジの籠を並べる大声の売り子がいた。


馬車の鉄輪が石畳を打ち、鞭を振るう御者の怒声が響き、八百屋で値切る女の声に、茶葉や香辛料を買いに来た婦人たちの笑い声が、一気に響いて、耳が一瞬行き場を失う。これだから都会は、と昔は感動した風景に舌打ちをしながら、バッセルは周囲をきょろきょろと見回した。春祭りがすぐそこで、普段以上の興奮が渦巻いているのだが、バッセルにとったは、それどころではない。と、通りを行く女性の頭が、どれもが同じように、ゆっくり右に動き出す。バッセルはその動きを見て、右を向く。


塔の敷地の鉄柵の向こうに、大通りを渡る銀色の頭が見た。バッセルは、見失わないうちに、と駆け出そうとして、一瞬立ち止まって後ろを見た。自分が迎えに来たもう一人が、ようやく螺旋階段を下りて来た。階段扉の上の方に、灰色のローブの裾がチラリと見えた。上等の布は、あんな暗がりでも美しい光沢を放って見えるんだ。なんて事を考えている間に、銀色の頭は、荷車の向こうに消えてしまった。バッセルは顔色を変えて、石段を駆け下りて、通りを右へと駆けだした。籠に山積みにされたオレンジの香りが鼻をかすめ、大通りを行く馬車の上げる土ぼこりと馬糞の匂いをくぐり、フェンスの脇を過ぎると、銀色の頭が向こうの通りで右へ曲がろうとするのが見えた。


「まっすぐです! アッフェル・フォルト様。館はまっすぐです!」


バッセルが馬車の音の間から、これでもかと言うほどの大声を上げる。しかし、アッフェル・フォルトは何のためらいもなく右へ消えた。

「なんで、あの話しの後、あっちへ行くかな」

と言いながら、バッセルはさらに駆けだそうとして、腕をしっかり掴まれた。振り返ると、シェルフォードがバッセルの腕を取って、顎で目の前を示した。と、その鼻先で、ぶんっと鞭の音がした。足の太い馬ががしゃがしゃと行く。大樽を積んだ荷車を引き、農家の男が荷台の縁から大声で、「気を付けろ!」と怒鳴っている。


「前を見て歩きなさい」


シェルフォードのもっともな言葉に、バッセルは頷いた。が、顔を上げると、アッフェル・フォルトは視界から消えていた。バッセルが、口の中で謝罪の言葉を述べながらも、目は、アッフェル・フォルトが消えた街角から離れず、何か最悪な状況を想像しているのか、顔から血の気が消えていく。シェルフォードはそんなバッセルを、腕を持ち上げるように引っ張って、ゆったりと大通りを渡り始めた。引っ張られながらも、バッセルは、低い声で呟き続ける。


「老師は、アッフェル・フォルト様を必ずとおっしゃっていたんです。お二人をとおっしゃっていましたが、アッフェル・フォルト様だけは、絶対、とおっしゃっていて」

と言って、引っ張られるままに歩き渡りきったところで、シェルフォードも右へ行こうとするので、足を踏ん張って抵抗した。

「もちろん、シェルフォード様もお連れするようにと、おっしゃっていたんです」

とそこで初めて、顔を上げて、シェルフォードへ訴えた。シェルフォードは、気の無い顔で少年を見下ろして、

「アッフェル・フォルトが行けば、私も行く。理を得た指示の出し方だな」

と言って、右へ向かって歩き出す。館と違った方向だ。


 シェルフォードを追って、バッセルは駆け出す。大通りに沿って歩き、途中で細い小道へ曲がる。人気のない場所で、暗い通りだった。両側の建物は高く陽が差し込まない。どこか尿臭い匂いがした。バッセルは、追いすがりながら、

「本当に大切なお話だったんです。人祓いをしてお話をなさるほど。王家の、王陛下のお使いが来るっておっしゃられて。密輸が横行しだしたとかおっしゃってたんです」

と声を低めて言う。細い通りは、大通りの喧騒がうそのように静かだ。シェルフォードは答えない。

「私達に、監察者の館に、密かに話しが来るような密輸です。夢を見せて、幻覚を与えて、人々が日常に戻れなくなるような、そんな物がこの国に持ち込まれているんです」

「曲か、小説か、そんなところか」

と言うと、

「そうです。きっと、曲か小説か何かです。心を奪って、僕達の生活を邪魔する物です」

「心を救われる者もいる」

と低く言うと、バッセルは驚いたような顔をして、

「どうして、そんな、外の国の人のような事が言えるんですか! 我々の世界はこれなんですよ。こんなに想像が本物になってしまう世界なんですよ!」

と両手を広げた。塔の上で鳴り響いていた鐘の音が、通りにも反響していた。そして、その音に合わせ、空から小さい翅のある妖精達が舞い降りて、彼らの頬を撫でていく。楽しそうに、まるで歌いだしそうな、そんな表情で、光に触れては消えていく。


「この幻だって、いつまでも見ていたら、馬車に引かれてしまうかもしれない」

とバッセルはむつりと言った。そんなに害はないとバッセルも思っているようだった。それで、逆に、必死になって、

「でも、この程度なら良いけど、もし、曲が輸入されたら、亡き人を思い出させるような曲を、誰かが歌いだしたら。亡き人の姿や声が戻ってきてしまったら、誰も、本当の日常に戻ってこれなくなってしまう。そうでしょ?! 僕達は、夢を見てはいけないんだ。僕達が、ちゃんと生きていく為には、そんな、曲や小説みたいな、まやかしを本物に思えてしまうような物を、手にしちゃいけないんだ!」

と言った。シェルフォードは、立ち止まって両手を握りしめて訴える姿を見下ろした。そして、低く、

「この妖精に心を奪われて、現実に帰って来れなくなる人間もいるかもしれない」

「この可愛い妖精が、亡き人の思い出と同じくらい危険だって言いたいんですか? だから、アッフェル・フォルト様は、原因究明の為に街をうろつき回っているんだって。王陛下のお使いから逃げたいだけじゃないんだって。そう言いたいんですか! そんな言い訳を持って、僕に老師の下へ戻れっておっしゃりたいんですか!」

と強く言った。シェルフォードは、今気がついた、と言うような顔で、

「そうだな、そう報告に戻るのもいいかもしれない」

「嫌ですよ。煙にまかれるにしても、もっとリアルな方法で煙に巻かれますよ。ふらりと逃げられたんだと、丸わかりじゃないですか。老師の元に、自分は馬鹿ですって報告に戻るようなものです」

「逆に、納得するかもしれないぞ」

とシェルフォードは言った。バッセルはぐっと顎をひいた。

「行きましょう。そして、さっさと、原因を突き止めてしまいましょう。そして、監察者の館に戻って言って下さい。自分達で、老師にきちんと、逃げ回っていたんだって申し開きをしてください!」

と睨み上げるように言う。シェルフォードは、真面目な顔で頷いた。

「それがいい。私も一度、アッフェル・フォルトの言い訳と言うのを聞いてみたい」

とちょっと見当違いな事を言って、歩き出した。力みきっていたバッセルは慌てたように後を追う。


二人は、細い通りを抜けると小さな広場に出た。高い建物に囲まれて、中央に共同の噴水がある。噴水の向こうに、アーチ型のトンネルがあって、人家があった。トンネルの向こうに明るい中庭が見え、木々が茂っていた。そのトンネルに、女性達が群がっている。女性の向こうに一際高い姿があり、銀の頭と赤金の肩掛けとが見えた。アッフェル・フォルトがいた。


女性達は、肩から掛けるショールを頭に被って、後ろめたそうな顔を隠して、そわそわしながら奥を見ている。バッセルは、一瞬、アッフェル・フォルト見たさに、人が集まって来たのだろうかと思った。しかし、その瞬間、奥から花の香りが漂ってきて、優しい風のようなメロディーが流れだした。いいや、音にはなっていない。香りがするような気がする、と言うイメージが、音になり損ねた何かがふわっと広がった。女性達はそわそわした動きを一瞬止めて、うっとりとその空気のような微かな何かに身をゆだねる。ショールがするっと顔から落ち、腕に絡んでも気づかないほど、穏やかな優しい顔で、何かに視線を向ける。


バッセルは、顔をこわばらせて、動きを止めた。と思うと、走り出すように踏み出した。が、襟を掴まれて、つんのめるように動きを止めた。文句を言おうにも声が出ない。シェルフォードが、バッセルの襟を掴でいた。バッセルが怒りに目だけで振り返るのだが、シェルフォードは上を見ていた。真っ青な空を見て、何か低い声で呟いた。バッセルが上を見ると青い空が広がっていた。空しかなかった。気がつくと、澄んだ音色の鐘も聞こえず、空を舞う妖精の姿も見あたらない。消えている、と思った時だ。シェルフォードが、ゆっくりと首を回してトンネルの向こうを見つめた。バッセルも、慌てて同じようにトンネルを見る。


と、高く飛び出ていた、アッフェル・フォルトの後ろ姿が、ふらりと奥へ消えてしまう。

「急げ!」

と慌てたのはシェルフォードだった。バッセルは意味が分からず見上げるが、シェルフォードは、素早くトンネルに向かうと、するりと女性達の間に滑り込んだ。バッセルは、と言うと、シェルフォードほど上手くいかず、女性の肘に鼻をぶつけたり、シェルフォードを見て慌ててあとじさった女性に踵で足を踏まれたりしながらトンネルに分け入った。


暗いトンネルの中にひしめいていた女性達が、一瞬目を見張った。何だろう、とバッセルが、女性達が動きを止めたのをいいことに、さらに、トンネルの出口へかきわけるようにして出ていくと、頭をがんっと殴られるような衝撃が走った。


途端、目の前に美しい新緑の森が広がって居た。湿った土の香りに、濃厚な緑の香りが漂い、一瞬どこにいるのかが分からなくなった。トンネルにいたはずだった。奥にあった中庭に飛び出したのかと思ったのだが、周囲の建物が消えていた。上を見ると、巨大な木々が空まで伸びて、その向こうに小さく青い空が見える。都会の空ではなかった。どこか別の場所だった。鳥のさえずりが聞こえ、見回すと、巨大な樹の陰から、透き通りそうな肌の半裸の女性が出て来た。背よりも高い木の根の脇から、手や足に鈴や宝石をちりばめた姿で、いたずらっぽく顔を出した。


バッセルが目を丸くすると、女性は笑みを深くして踏み出した。女性は木の根に手をついて、ゆっくり周って、バッセルの前に来て立ち止まる。目を見開いて見上げるバッセルを楽しそうに見下ろして、屈んで軽くキスをする。と、女性の後ろに大きな黒い影が差した。獣のような毛だらけの胸に、逆立つ金の髪の、黒い目に怒りをたぎらせた男が腹の底に響くような声で吠えた。バッセルが、金縛りにあったように見上げていると、バッセルの唇に唇を寄せた女性がくすくす笑いだした。そして、後ろの男をからかう様に見つめながら、再びバッセルの唇に口を寄せる。後ろにいる男はそれを見て怒り狂ったのか、姿がさらに大きくなって女性ではなくバッセルの首に、幹のような太い腕を伸ばした。バッセルは、喉が苦しくなって息ができなくなって、このまま死ぬ、と思った。と、その時、

「アッフェル・フォルト! 止めないか!」

と言う、現実的な人間の声を聞いた。バッセルが目を見開くと、目の前にはトンネルの終わりがあって、その向こうには中庭があった。バッセルの周りには、喉を押さえた女性達がいて、女性達の顔からは血の気が引いていて、恐怖の為か顎が微かに震えていた。しかし、中には恋しそうに手を伸ばしている姿もある。あの幻影は、女性には、美しい男性のキスだったようで、吠えた獣は、男ではなく獣だったのかもしれない。目をしばたたせながら、つやめいたため息を漏らす女性もいた。と、再び、

「おまえは、いったい、何をしようとしたんだ!」

と言う、シェルフォードのはっきりとした怒りを含んだ声を聞いて、バッセルは、あれは幻だったんだと実感した。


 正面には、中庭があって、ベンチの脇に立つアッフェル・フォルトの姿があった。手には紙があった。ベンチには背の高い痩せこけた男が座り、手にはペンを持ち、怯えたように震えながら、アッフェル・フォルトを見上げていた。シェルフォードは、茂る枝を押しのけながら近寄って行く。アッフェル・フォルトは、怒鳴られたことも、今さっきまでの感触も、音も、香りも、イメージがあったことも全く感じていない様子で、

「妖精の森を描きたいなら、あの獣はだめだよ。あれでは稚拙すぎる」

と言って、ペンを持つ男を見下ろして、厭味を含んだ顔で微笑んだ。ペンを持った男は怯えた顔から、興味を持つ顔に変わり、途中で興奮めいた顔に変わった。が、何か言いだす前に、シェルフォードがたどり着いて、アッフェル・フォルトの肩を力任せに掴んで、自分の方へ向き直させた。

「何をした?! え! おまえは、監察者なんだぞ!」

と低い、しかし、はっきりと周囲へ聞こえるような声で詰るように言った。シェルフォードの顔色は青ざめていた。対してアッフェル・フォルトは、にやにや笑いを造って、

「何を怒っているんだ?! そりゃ、私は監察者さ」

「なのに、おまえは、あの映像を見せたのか?! え! ここにいる全ての人間に。あれを見せたんだろうが!」

と怒鳴った。アッフェル・フォルトはわざとらしい顔で驚いた、と言う顔をした。


「まさか。私は監察者なんだ。あんな映像を造ったりはしないさ。この紙に書いてあったのをちょっと見て読んだだけさ」

と言って、シェルフォードの方へ、手にした紙を差し出した。シェルフォードは舌打ちして、見ないように紙を巻きとると手の中にしまいこんだ。アッフェル・フォルトはそれを見て、申し訳なさそうに眉をしかめて、

「悪いな。まさか、あんな映像が描かれているとは思わなくて、つい、うっかり読んでしまったんだよ」

と鼻歌交じりの声で言う。シェルフォードは、怒りを抑え込んだ顔で。

「今、ここにいる全員が、窒息し損ねたんだぞ」

「窒息してない」

「恐怖を感じてしまったんだ!」

と言った途端。穏やかな昼下がりのような、日だまりのような気配が漂い始めた。唐突な安堵感だ。

「アッフェル・フォルト!」

とシェルフォードが再び怒鳴ると、その雰囲気が一瞬にしてたち消える。すると、女性達がざわめきだした。勝手に人の庭を覗きこんでしまった上、監察者達の見てはいけないような言いあいを見ている。そんな現実に戻って、興奮と後ろめたさでそわそわしていた。異様な華やかさがある、ある意味、普通の空間に戻っていた。アッフェル・フォルトは細く空気を吸い込むと、首を横に振った。ついさっきまで、紙を手にして笑っていた、陽気な姿が影を引いて行った。あの陽気さは、どこか人間離れした透明な空気のような感じがあった。それがすぅっと引いて行き、温かい日差しような陽気さだけが残った。そして、アッフェル・フォルトはシェルフォードの手元の紙を見ると、

「ちょっと、タガが外れたな。あの妖精が書かれているのかと思って。森から来た妖精がどう描かれたのか見たくなって、つい、先を読んだ」

と低い声で言い訳のように言った。そして、バッセルは見ていて驚いたのだが、また、バッセルのところまでは、聞こえては来なかったのだが、アッフェル・フォルトは口の中で、シェルフォードに謝っていた。シェルフォードは厳しい顔を変えなかったが、アッフェル・フォルトを責めるのは止めたらしい。くるりと向きを変えると、バッセルに、

「立ち入り禁止区域に指定する。今、ここにいる人の名前と居住区域を確認の上、医師への紹介状をお渡ししろ。濃度四級の汚染の可能性がある、と記載しておけ」

「濃度四級ですか? そこまで?」

「音が聞こえて、香りがあって、その上、触れるイメージだ。感情の異常な高ぶりも経験している。フラッシュバックのようになる可能性がある」

「はい」

傍で聞いていた女性達の不安な気配に、バッセルはそれ以上は聞くのを止めた。そして、慌てて、肩掛けのポケットに突っ込んである平たい板を取り出して、ぽきぽき棒のように細く折りながら、ズボンのポケットに突っ込んであったオレンジのインクつぼに付けて濃度四級を表す色を付けた。


「これを居住区の医師にお渡しください。今日から、一週間は、伝言一つでお医師が飛んで来てくれます。また、一月の間は最優先で先生に診てもらえます。その後は、先生と相談して後遺症がでるようだったら、先生に追加の診断書をもらって下さい」

そう言って、一人づつ名前と住んでいる場所を聞きながら手渡して行った。つまり、「お名前は? 言いたくない? 分かりました。構いません。朝、何を食べましたか? 外は晴れていましたか? 朝一番に会ったのは?」

と聞きながら、彼らが首を横に振って、それも答えたくないと無言で示すと、深く頷きながら、

「分かりました、それでも、これだけはお受け取りくださいね? あのイメージは、危険です。監察者が禁止区域にするくらい危険なものだったのですから必要ですよね? もし、受け取っていただけないのでしたら、このまま、我々の館に来ていただくことになりますが」

と最後の一言を言うと、しぶっていた人々も慌てて棒を受け取るのだった。


人家の片隅で、イメージが吹きだしていたのを見て、こっそり近寄って、覗き込んでしまったのだ。つまりは、監察者や近くの警邏に知らせなければならないところを、友達を呼んで楽しんでしまったのだ。このまま、監察者の館に連れていかれたら、尋問されて記録に取られて、今後何かがあった時に、危険人物として扱われないとも限らない。だから、名前を言いたくないし、住んでいるところも言いたくない。でも、フラッシュバックで何かがあった場合は困る。と言うのは誰もが同じ思いだったのだろう。始めは何もかも抵抗するように見えたのに、棒を差し出されると、素早く手の中に隠すように受け取って行く。


バッセルが、三十人程いただろうか、女性達全員に言い含めながら、帰るようにトンネルから外へ出してしまうと、トンネルの入り口に、両手を広げて輪を造り、誰もが見える、禁止のイメージを造った。つまりは、楕円の壁を作る。宙に浮く壁は誰が見てもイメージだと分かる。そして、ここまではっきりとしたイメージを公然と造れるのは監察者しかいない。つまりは、監察者が立ち入り禁止にしたのだと分かる印を付けて、濃い煉瓦の模様を描いて中が見えないようにして、トンネルの奥の中庭に戻ってきた。

「この辺の者達だったのか?」

シェルフォードは、少しずつ紙をずらすように中を見ながらバッセルに聞いた。バッセルは、

「はい。この通りと、裏通りから来た人達がほとんどです。後は、近所の人から噂を聞いて来た人達でした」

「何かあったら、ここから辿どれそうだな」

「はい」

と答えた。バッセルは、問いかけながら、答えたくないと首を横にふる人々から、イメージをかすめ取って行った。聞かれたせいでとっさに思い出してしまった朝の情景や、彼らが名前を呼ばれた時の景色を盗み見るように眺め、次々に覚えて行った。監察者の館で、誰かに伝えた途端に忘れる事ができるのだが、それまでは、半永久的に覚えておくことになる記憶だ。監察者として生きると宣誓をした時に、半強制的に植え付けられた記憶の力だった。あまり気持ちの良いものではないのだが、便利であることは確かだった。


 バッセルが一働きしている間、シェルフォードは書かれた紙の内容を確認していた。アッフェル・フォルトはと言うと、ベンチに腰掛けた男の脇で、石の丸テーブルに腰を乗せ、覗きこむように話しかけていた。腕を軽く組んで、前へ身を乗り出す姿は顎を上げているせいか高慢に見える。しかし、目には笑いが含まれていて、男がびくりと怯えるたびに、破顔した。バッセルが、シェルフォードの脇から伸びあがるように見ると声が聞こえた。

「それで? 手抜きをしたのか? 大事なお話造りだったんじゃないのか? あんなにイメージが湧きあがるくらい熱中してたんだろう?」

男が俯くと、アッフェル・フォルトはさらに畳みかけるように、

「今日は、一体どのくらいの人間が妖精を思うようになったか、おまえに分かるか? 夢見がちな人間が生まれて、森へふらふら迷い込む人間がでるかもしれない。獣に襲われるかもしれない。そうして、おまえは、夢みた人に言うのか? 単なる夢物語と、本物の森とを混同する方が悪いんだって。本物の妖精が、儚く可愛いわけが無い。優しいばかりの妖精だったら、今頃王都で一緒にくらしているはずだって。だから、夢を信じた方が悪いんだ、と言うのかい? 家で遺体を前に悼む人に? 子供を亡くした親に言うのか? 自分は悪くなんだからと?」

男は低い声で何か答えた。しかし、バッセルには聞こえなかった。代わりに、アッフェル・フォルトの強く厳しい声が聞こえた。

「責任を持てない夢を描きたいのなら、国を出て描くが良い! この国の外なら、いくらでも夢を描く事で称えられる世界がある。出国の資金が無いのなら、国に永久追放の手続きを取れ。出るところまでは、間違いなく国の経費で送ってくれるさ! そのくらいの覚悟が無いならこんな半端な夢は描くな!」

「アッフェル・フォルト。それじゃあ、半端でなければ映像を造ってもいい、と言っているように聞こえるぞ」

とシェルフォードが紙を折りたたみながら言った。アッフェル・フォルトはくすりと笑って、

「当たり前だ。そこまでやれれば、私みたいに監察者になれるんだ。時と場合によるが、いくらでも映像なんか造り放題」

シェルフォードはにこりともしないで、

「イメージを消すための、上書きのイメージだ。それ以上の本物の物語を望むのなら、国を出るのが一番だ」

「動き出さない映像を造って何が楽しい」

とアッフェル・フォルトは呟いてそれからさらりと、

「と言うことで、おまえは現在第一級の犯罪者だ。ただし、私の記憶におまえの顔は無い。初犯か、十年は、この手の罪を犯していないはずだ。ここで、二度と映像を生むような詩は書かないと宣誓をすれば、三十日間の観察処分で済ませてやろう。どうだ? あの小さいのが傍に張り付くことになるが、その他は自由だ」

バッセルを顎で指し示しながら言った。男は左右に首を振る。

「なら、罰金を一万ホール払って、十日間、監察者の館で洗礼だ。洗脳とも言うが」

そう言って腰を伸ばした。男は顔を上げて、さらに首を左右に振った。

「どっちも嫌だは無しさ。都中の人間が、おまえのイメージで妖精に会いたいと思っているだろうから。私達はこれから、このイメージつぶしに明け暮れることになる。おまえを自宅で監禁しながら、何もしないように見張り続ける事はできない。十日間掛けて洗脳されて、イメージを造りたいと言う気持ちを消してしまうか、私へ宣誓をして、言葉の枷をはめられて、二度と文が書けなくなるか、どちらか選べ!」

男は顔を上げたまま、苦しそうな顔をした。

「宣誓をします」

と呟いた。アッフェル・フォルトはにこりとして、

「そうだ。その方が良い。バッセルは小さいが何でもできて便利だからな。これから三十日間は何不自由なく暮らせるぞ。うらやましい限りだな」

と言った。バッセルが何か言いたそうな顔をしたのだが、無視をして、

「そら、右手を上げて、私の手にあわせろ」

と言った。手を上げて男の動きを待った。男は鈍い動きで片手を上げて、アッフェル・フォルトの手に自分の手を合わせた。合わせた途端に、アッフェル・フォルトが驚いたような顔になった。が、すぐにその表情が変わり、男が怯えるほどになった。形相が変わる、と言うほどの変わり方になった。そこには、人以外の何かがいるようにしか見えなかった。シェルフォードが、思わず歩み寄って、アッフェル・フォルトの肩を掴んだ。

「アッフェル・フォルト?」

振り返って仰ぎ見る顔は、鼻筋がまるで線のように見え、輝く紫色の目は夕闇の光を放ち感情が見えない。手を合わせた男は棒を飲んだように固まって目を見開いたまま動けず、起こりのようにガタガタ身体が震え始めていた。

「アッフェル・フォルト!」

シェルフォードが後ろから大声を出すと、アッフェル・フォルトを取り巻く空気が、銀色の刃のような物から柔らかい光の泡のような物へと変わって行った。



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