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1.鐘の音

 始まりは、都になり響く鐘の音だった。

澄んだ音色は街中に響き渡り、涼やかな風と共に、何かを運んできた。小さい陽炎のような儚い影が舞いあがり、光と共に消えて行く。


アッフェル・フォルトは街の中央にある高い塔の上にいた。銀の髪を風になびかせ、美しく整っ顔をついと上げて、光に踊る影を見る。窓から身を乗りだして、赤いレンガの街を見て、紫の瞳をそっと細める。街の向こうに、果てまで広がる森がある。風は、青空の境から、森を越えて、塔の脇を渦を巻いて吹き上がる。アッフェル・フォルトの目には、風の流れが見えた。くすくす笑う笑い声も聞こえた。目を細めると、小さな妖精が、アッフェル・フォルトの頬を触り、瞳にキスをして通り過ぎるのが見えた。踊っているようにも、泳いでいるようにも見える彼らが、陽の光を受けて霧散する。融けて散って、空に帰る。ほんのひと時の生を、森から飛び出して陽の光の中で笑い遊ぶ。その瞬間を楽しんで、淡く、儚く消えていく。アッフェル・フォルトは、そっと頬に指を当てて、小さな妖精へ軽く振れる、と思うと彼らの微笑は喜びに変わり、光となってはじけて消えた。

「なんて顔をしているんだ」

ため息交じりの男の声が後ろから聞こえた。ちらりと後ろを見る。背中から顔が見えるのか? と言うアッフェル・フォルトの無言の問いに、男は、何も言わずに、脇に立った。背中を見ればわかる、と言っているようだった。


男は、シェルフォード・バファレスク子爵と言って、アッフェル・フォルトの相棒だった。同じ監察者であり、アッフェル・フォルトと同じ灰色のローブを身にまとい、肩にもアッフェル・フォルトと同じ赤金の肩掛けを掛けていた。背も同じくらい高い。ただ、同じなのはそこまでだった。アッフェル・フォルトは女性で、シェルフォードは男性だった。アッフェル・フォルトが美しい青年のような姿なのに比べ、シェルフォードは整った顔立ちの気品のある騎士のような青年だった。


腰に巻いているベルトも、アッフェル・フォルトが銀で、シェルフォードが青銀と言う違いがあった。男は、珍しい、貴族の出の監察者で、濃紺色の髪に銀の瞳は、人間離れした容姿だったが、不思議にアッフェル・フォルトよりも人間的に見えた。


シェルフォードは窓辺に立つと、

「これは、かなりまずいな」

と呟いた。アッフェル・フォルトは、正面をみたまま苦い声で、

「やっぱり、おまえにも見えるのか?」

と聞いた。これが造り物だとは思えないと言う意味だった。

「本物だと思ったのか?」

「……。」

思ってはいなかった。しかし、こんな切ない、妖精らしい妖精を人間がイメージするとは、思ってもみなかった。


アッフェル・フォルトは何も言わずに外へ目を向けた。妖精は、遠い森から群れをなして流れてくる。風を受けるように飛び、鐘の音で空へ散る。が、この鐘の音も嘘だった。街で聞ける鐘は、区ごとにある小さな銅の鐘の音だけだ。こんなに澄んだ、歌うような音色は、人々の陶酔を呼ぶと言って禁じられていた。耳に心地よい鐘の音を聞いた人々が、聞こえるはずが無い音だと騒ぎ始めて、監察者の館へと、訴えにきた。


人の思いがイメージになり、現実と見まごう程の映像になり目の前に現れる。音も匂いも本物と変わらない。ただ、触れないだけ。それがイメージの害だった。イメージは人々の生活を脅かし、時には死へと至らしめた。亡くなった妻が目の前に現れれば人は心をかき乱し、居ないと分かっていながら語りかけ、居ないと気づいた時の絶望にとらわれる。時には自殺をし、時には嘘の世界から出てこなくなる。


孤独に暮らす老人が、幸せだった頃の家族の笑顔に夢中になって、現実を忘れてしまう。寝食を忘れ、中毒のように映像を見続けて、いつしか餓死していたと言う悲劇も生まれる。橋の無い川に橋が掛ったように見えうっかり渡って落ちてしまう、と言うような危険もあった。それが、街や国を覆うほどの規模で起こると、人々の生活が立ち行かなくなる。このイメージの害を人は侵食の危機と呼んだ。現実や生命がイメージに侵食される、と言った意味で、国を挙げての対策が必要とされた。


そんなイメージの害を取り締まるのが、監察者達の仕事だった。アッフェル・フォルトは銀のベルトで、監察者の最高位を表していた。シェルフォードは青銀のベルトで、次席を表していた。どちらも、能力と責任の高さと、権威を表していた。

「別に、害なんか何もない」

アッフェル・フォルトが憮然と言った。シェルフォードは、

「今はな」

と言って、鐘で散る、小さな妖精を目で追った。そう言った、シェルフォードの目にも、何の害も無いように見えた。うっすらとイメージの靄が掛る。その程度の害だった。


 二人が、鐘の音と、それに合わせて動く妖精の姿を見ていると、下から声が上がってきた。

「アッフェル・フォルト様ぁ! シェルフォード様ぁ!」

と、息も絶え絶えに喉をからせて近づいてくる。


二人は、ため息をついて、ゆっくりと外から中へ目を戻す。塔の石壁の奥に、四角い木枠の扉があった。そこから、短い茶色の巻き毛に緑色の目の十四歳の少年が飛び込んできた。腰丈の灰色のローブに幾何学模様の付いたアッフェル・フォルト達と同じような肩掛けを付けて。ただ、肩掛けの色は白で、灰色のローブも短く、ローブからは茶色のパンツに子供らしい踝丈のブーツが覗いていた。


「やっぱり! こんな所にいたんですね。老師が何度も、何度も、お呼びになっていたはずです。何も返事が来ないのは何たることだ、とおっしゃって、激昂しておられますよ!」


少年は、言いながら、びしっと音がしそうな勢いで片手を伸ばして、自分の目の前に突きだした。手の平を上に指をそろえる。すると、うっすらと陽炎のような白い靄が表れだした。見ていると、中から、顔を赤くして声を荒げる老人の姿が浮かび上がった。少年が作っている映像なのだが、見たままを絵にしているのだろう。まるで老師そのものの姿で、腕を振り上げ、

「あの二人には、午後にはここへ来るように、何度も伝えていたはずじゃ! 何で見張っていなかったんだ。こんな大事な時に! 見付けられんのなら、おまえの従者の資格をはく奪するぞ!」

と少年は顔をしかめながらも、老師の姿を二人の大人にみせつけた。最後の、はく奪するぞ、と言う部分の声を大きくして、二度ほど、映像に繰り返させた。せっかく、監察者見習いになったと言うのに、なった翌週にはく奪されたら身も蓋もない。


「僕は、老師の館へ行って下さいって言いましたよね?! 老師が、『必ず来なさい』と何度も念を押していたからって、言いましたよね!」

少年は目を上げると、睨むように二人を見た。途端に、目の前にあった映像は霧消する。消えた場所を見ながら、アッフェル・フォルトがにやにや笑いを造り、

「なんだ、随分上手くなったじゃないか。この映像なら、老師のご機嫌もなおるだろう」

「なおりません! 僕の今の仕事は、あなたがた二人を老師の所へお連れする事です。それさえできないで、何で、一人前だと言っていただけると思うんですか!!」

「無理、無理。私ら二人を扱える人間はいないんだ」

「だから何です。世界中の人間や、妖精が、あなた方を扱えなくても、僕は扱えるようになるんです。ならなきゃならないんです! じゃなきゃ、監察者にはなれないんですから!」

「なら、ならなきゃいい」

とアッフェル・フォルトが言うと、大きな目を吊り上げて、少年は声をオクターブ上げた。きんっと響く声で、

「監察者になるために、ドボークのど田舎から、一族の期待と貯金をつぎ込んでやってきたんです! あなた方みたいに生まれながらに、なれる人達と一緒にしないでください。長い努力の末、やっと見習い従者になったんですよ! それを一月もしないうちにひっくり返そうだなんて、世界が許したって僕が許しません!」

「あぁ、はいはい」

と言ってアッフェル・フォルトが言うと、少年はさらに声を上げて、怒鳴ろうとした。が、シェルフォードが低い声で、

「老師がお待ちなのではないか?」

と言うと、顔色をかえて、

「そうです。お城から使者が来ていて、ずっと待っておられます。聞いてましたよね? アッフェル・フォルト様達は、今日、お城から使者が来るって、聞いてたんですよね?!」

少年が、腹立たしく言い募ると、アッフェル・フォルトは顔を逸らして、

「聞いたかなぁ」

と呟いた。それを見た少年が顔をさらに赤く上気させたのだが、シェルフォードが、

「聞いてたよ。だから、おまえは塔に来たんだ。逃げたくて」

と冷静にアッフェル・フォルトへ言う。そして、顔を赤くして立つ少年には、

「よくここが分かったな」

と淡々と言った。すると少年は、姿勢を正して、

「女性が騒いでいる方向に、必ずあなた方が居られるんです。誰でも簡単に見つけられます」

と憮然としながらもきびきび言う。すると、シェルフォードは首を左右に振って、

「前の見習いは、三日で音を上げた。従者なのに、主達を見付けられないと言って、老師に泣きついたようだ」

と言った。すると、少年は少し誇らしいような顔になった。こんな分かりやすい人達を探せないなんて前任者は馬鹿だ、と思ったようだ。しかし、アッフェル・フォルトが、シェルフォードの脇から、覗き込むように顔を出し、

「だから大丈夫。そうそう、おまえを見習い従者から外したりはしないさ。おまえみたいに、根気と機転が利かないと、老師は、怒鳴りだす前に、ヒステリーで倒れてしまうさ。おまえの頑張りに、老師の命に掛っているんだ、頑張れよ」

と言うと、少年は、顔をこわばらせて、アッフェル・フォルトを見上げた。


妖精王の娘、とも言われるほど美しい顔だったのだが、少年には、どう見てもやんちゃな子供の顔にしか見えなかった。この二人は、自分達が、ちょっとわきまえればいいだけの事を、従者の能力いかんによる、といけしゃあしゃあと言いはじめる。二年前、ドボークの田舎から出て苦労した自分にとっては、苦労知らずの顔に見えた。少年は、不愉快さがむき出しになった。すると、アッフェル・フォルトはそれを見て笑った。滑稽なことが起こったかのように笑った。少年は、怒りを通り越して、醒めた気分になった。


「早く、館にお戻りください。もし、街に大事が起こっているなら、今すぐにでも仕事をお始めになるべきです。あなた方は、街を守る監察者なんですから」

と皮肉な声を出した。すると、アッフェル・フォルトが口をへの字に曲げて、片手を伸ばして、少年の口の端をつまんだ。「何をする」と少年が怒りだす前に、

「バッセル・ドボーク。人ごとのように言うな。おまえも、監察者見習いだろうが」

と言うと、少年ははっとしたような顔になった。その顔を見て、アッフェル・フォルトは手を離すと、まるで気配が流れただけ、と言うような動きで、塔の螺旋階段の扉を抜けて、階段を下って行った。少年は、その後ろ姿を呆然と見送った。久々に呼ばれた故郷の名前が入ったフルネームと、見習いであろうが何であろうが監察者の館の者には違いないはずなのにと言う気持ちとが相まって、自分の気概の無さに悔しさが溢れだす。

「気にするな。あれは、上げ足とりが上手いだけだ」

とシェルフォードが、階段の扉を見ながら言う。しかし、少年は、口の端を噛みながら、

「いえ、アッフェル・フォルト様のおっしゃる通りです。人ごとだと思ってはいけません」

「そうか? あの、アッフェルは、人ごとだと思っていると思うぞ」

と言って、悔しさに泣きそうな顔をしている少年の脇を、何事もなかったかのように通り抜け、螺旋階段へ続く扉をくぐった。少年バッセルはその背に向かって、

「国を守る為にと思ってドボークから出て来たんです。誰が何を思っていようと、僕は、自分が国を護るんだ、と言う気持ちを忘れちゃいけなかったんです」

そう宣言するように言う。すると、シェルフォードは扉から振り返りながら言った。


「なら急いだ方がいいんじゃないか? 下に降りたアッフェル・フォルトが、そのまま、館に向かうとは限らないぞ。あれのお守が、国を守る事になるならな」

と言うと、少年は最後の部分を聞かずに、しまったと言う顔で、跳ね上がると、

「すいません。お先に、」

と声を掛けつつ、扉に立つシェルフォードの脇をすり抜けて、人一人通るのがやっとという暗い階段を、飛ぶように、四段抜かしで下って行った。途中で、「失礼します!」と言う声が下から上がってきたのだが、シェルフォードは興味なさそうな顔で聞いて、ゆっくり下へ降り始めるのだった。


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