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朝顔2

 玄関から声がかかったので、改めて乎子様に頭を下げて部屋を後にした。

 気持ちを落ち着けるように少しゆっくり気味に歩く。お客様に恥ずかしいところを見せるわけにはいかなかった。深呼吸を二度ほどする。

 玄関には二人の女性が立っていらした。


「ようこそいらっしゃいました。お久しぶりでございます」


 膝をついてご挨拶をする。

 近々、安土月子様がおいでになるということを乎子様からうかがっていたので、髪を後ろに束ねた方がそうなのだろうと予測した。

 私の記憶にある、十年ほど前のお姿とは随分と変わっていらっしゃるみたい。だってあの頃はまだ高校生でショートカットだったし。

 もうお一人は、よくこのお屋敷にも足を運んでみえる芙貴の君様だった。

 土蜘蛛族の重鎮中の重鎮なんだけど、なんだか普段の言動があやしすぎて威厳とかそういうのがまったく感じられない方だったりする。

 そういう意味では額辺家の当主である乎子様とも相通ずるところがあると私は思っているけど、絶対に乎子様は嫌がると思うので口に出して言ってはいない。その話をしたのは紅玉ちゃんにだけ。

 ちなみに「お久しぶりでございます」は芙貴の君様へのご挨拶。


「初穂。あんたよく来てるの?」

「んー、そうねン。半年に一回ぐらいかしらン」


 もっと頻繁にみえていますよ。私の記憶が確かなら、今年に入って既に8回目です。だから月に一度ぐらいの頻度になりますね。

 その度に私と紅玉ちゃんに迫るのはやめていただきたいなーとは思っているんだけど、さすがにお客様にそういうことは言えない。正直な話、あまり心臓によろしくないお客様だったりする。

 もちろん、そんなことを考えているなんて表情にはこれっぽちも出さないけど。


「乎子はいる? わたしは友切。新しい鬼子の見極めを頼まれて来たんだけど」

「お待ちしておりました。お二人ともお上がりください」


 来客用のスリッパを二つ揃えて並べ、お二人が上がられるのを待つ。

 それから奥の間へとご案内した。


「こちらでお待ちください。ただいま主人を呼んで参ります」

「あーちゃん。お茶はアイスコーヒーにしてねン。暑い中歩いてきたからつめたーいのが飲みたいのよン」


 あ、あーちゃん……いつも聞いているけれど、相変わらずインパクトの強い呼び方だなー。


「かしこまりました」


 私は頭を下げて、部屋を辞する。


 まずはさっき駆け込んだ乎子様のお部屋へ。今度は障子の前に座って声をかける。


「乎子様。芙貴の君様と友切様がいらっしゃいました。お二人は客間へとご案内してございます。それでは失礼いたします」


 部屋の中の気配が一瞬固まったような気がするけれど、気にせずにお返事を待たずにその場を後にする。

 今度はお台所へ行って、芙貴の君様からご注文のあったアイスコーヒーの準備。

 お客様用に確保してあるインスタントコーヒーの豆を出して、それをフライパンで炒める。こうするとコーヒーにしたときに香りが増して美味しくなるのだ。ちょっとしたワンポイントなんだけど、覚えておくと吉。

 お水は毎朝汲み上げてくる近所の湧き水を使う。もっとも、キッチンで使っているお水も裏の井戸から出しているから十分美味しいんだけど。

 沸騰したお湯をちょっと冷ます。温度は88度ぐらい。温度計を使ってできるだけ正確に温度をはかるのがコツ。

 ペーパーにさっき炒った豆を入れて、ゆっくりと回すようにしてお湯を注いでいく。ここで一気にお湯を入れると味が濁ってしまうので何度かに分けて入れること。あと、お湯は細く、円を描くようにして注ぐことも大切だったりする。

 数回にわけてコーヒーを出したら、ポットに注いで氷を入れる。さらに流水に晒して一気に冷やす。ゆっくり冷やすと味が濁ってしまうので注意しないといけない。

 十分に冷えたら溶けかかった氷はすべて出してしまう。これは水っぽくなるのを防ぐため。お出しするときは改めて新しい氷を入れると見た目にも綺麗だしね。

 三人分のアイスコーヒーを入れて、私は客間へと向かった。


 客間の様子をちょっとうかがう。

 ちょうど話題が途切れているようなので、静かにふすまを開けた。頭を下げて手早くコーヒーをお出しする。

 乎子様がうなずいていらっしゃるので、私はそのまま乎子様の後ろに座った。

 なんとはなしに座っていると、安土様が私のことをじろじろと見ていた。

 なんだろう。コーヒーが不味かったのかしら。

 乎子様と同じ味覚をしていらっしゃらないといいんだけど。乎子様って味音痴だからお料理の作り甲斐がないのよねー。ちょっとだけ、居心地が悪い。


「ところで二人が一緒に訪ねてくるなんて珍しいじゃないですか。高校以来になりますかねえ。いったい、どういう風の吹き回しですか」


 乎子様は不味そうにコーヒーをすすっていらっしゃる。ご自分でいれられたコーヒーの方がお好みらしいけど、どうやったらあんなに不味くなるのか私にはさっぱりわからない。

 絶対、乎子様は味覚が麻痺していると思う。なんて言ったら、紅玉ちゃんにたしなめられたことがあった。それが言い過ぎなら、人とは違う味覚の持ち主って言い換えてもいいけど、どっちにしたって意味は同じでしょ。


「わたしは連絡をもらった鬼子の見極めよ。こっちにしばらく厄介になるつもりだからよろしく」

「わかっていますよ。部屋の用意はしてあります」


 乎子様から言いつけられていたので、安土様のお部屋はちゃんと用意してある。

 芙貴の君様の分は予定外だけど、すぐにでも泊まれる用意はできるから問題はないと思う。っていうか、この方はいつも突然やってきて、一日二日だけ泊まって帰っていかれるんだけど、なんの目的があるんだろう?

 やっぱり私の可愛い紅玉ちゃんを狙ってるのかなー? だったら困るなー。


「初穂から聞いたんだけど、その鬼子ってばもう忌を狩ったんだって? なかなか有望そうじゃない」


 狭山様はここ最近になって人狼に目覚められたお方で、同じく人狼の嘉上かがみ様に連れられて、何度か屋敷を訪れている。

 小柄で、素直そうで、とても気持ちのいい少年だと思う。私や紅玉ちゃんにも丁寧に接してくださる方なので私的にはかなりポイントが高い。

 姉である私の目から見るに、紅玉ちゃんは密かに狭山様に憧れているっぽい。でも嘉上様がいつもぴったりと寄り添っていらっしゃるから、あの間に割って入るのはかなり難しそうだ。

 傷付く前に教えてあげた方がいいのかもしれないけど、そういうのもちょっと野暮かなとも思うし。姉としては何かと複雑な気持ちなのだ。


「そうですねえ。〈しろがね〉が熱心に鍛えているようですよ。あれ自身にもよい経験になっていると思いますが、鍛えられる方としてはどんなものでしょうかねえ」


 乎子様は心底可哀想といいたげな口調だった。

 凛とされた嘉上様は、おそらく厳しく狭山様を鍛えていらっしゃるのだろう。それでも狭山様が嘉上様についていっていらっしゃるのは、もしかしたら特定の感情があるからなのかもしれない。

 そう考えると、ますます紅玉ちゃんの気持ちが成就する目はなさそうだ。

 紅玉ちゃんの姉としては狭山様と嘉上様の関係は破局するのを望むべきなのかも知れないけれど、素直で可愛らしい狭山様には幸せになっていただきたいなーとも思う。

 それなら紅玉ちゃんと幸せになってもらった方が私的には嬉しいのか。

 あー、でも、紅玉ちゃんが私から離れていってしまったら寂しくなるし、そうなると嘉上様との仲は上手く行ってもらった方が……うーん、難しいところだ。


「みーちゃんったらそんなにご執心なんだ。それはちょーっと味見してみたいわねン☆」


 芙貴の君様の下心が丸出しだった。これほどあからさまなのもなかなかないんじゃないかな?

 狭山様とは違った意味で、この方も自分に素直なんだとは思うけど、あまりに欲望に忠実というか、直球勝負気味というか。

 紅玉ちゃんにも本当に手を出しかねないから、なんとかしないといけないなーとは思っているんだけど、これがなかなか。


「多少のことには目をつむりますが、やたらとあちこちに手を出さないでくださいよ。特にあたくしの関係者に手を出すのは厳禁です」


 きっと乎子様も同じ考えでいらっしゃるんだろう。思わずコクコクとうなずいてしまった。


「んー、聞いてあげなくはないけど、こっちも条件を一個出していいかしらン?」


 相変わらず話の展開が強引で、自分勝手で、傍若無人でいらっしゃいます。

 ここまで自分の思い通りに生きていられたら、それはそれで幸せなのかも知れません。


「あのねン。かーちゃんのとこの可愛い娘をちょうだい☆」

「ダメです」


 乎子様は即答だった。

 格好いいです、乎子様。許されるなら、サムアップで「ぐっ!」とか言いたいところですよっ。

 さぁ、この際、紅玉ちゃんからはすっぱりきっぱり手を引いてもらえるように、ズビシとおっしゃってくださいましっ。


「あらン。かーちゃんったら、とーっても冷たいわン。そんなかーちゃんなんて嫌いよ」

「嫌ってくれても結構ですが、手を出してもらっては困ります」


 最高です、乎子様。

 ハラショー!

 カッコイー!!

 ……誉めすぎかな?


「でも今はお屋敷から出ちゃっているんでしょン。だったらあたしがもらっちゃっても問題はないと思うンだけど」


 あらら。紅玉ちゃんのことじゃなかったのね。話の流れからすると雪花様のことかしら?

 うーん……なら、問題ないかも。

 でも、後ろから見ていても乎子様の動きが固まったのがわかった。やっぱり額辺家の大切な九十九である雪花様を持っていかれては大変ってことなのかしら。だからといって、ずっとお屋敷に閉じ込めっぱなしというのは少し可愛そうな気もするんですけど。


「なんのことでしょう。あたくしにはさっぱり、何の話だかわかりませんが」

「だったら。あたしがもらっても問題はないってことよねン☆」


 それを聞いて、さらに乎子様の背中が固まってしまった。

 うーん、どう考えても芙貴の君様の方が一枚も二枚も……それどころか、十枚も二十枚も上手みたい。


「どうしてそういう流れになるんですか」

「えー、趣味だけど」


 うわー。

 今、すごいことをさらりと言ってのけたなー。

 やっぱり芙貴の君様ってすごい方かも。これだけ自分の欲望に忠実に生きられるのって、ある意味、尊敬に値する。自分が同じ生き方をできるかどうかは別にして。安土様の芙貴の君様を見る目も呆れたというような色を見せていた。


「あれは我が家に伝わるものです。何人たりとも手を出すことは許しません。そのおつもりで」


 どうやら乎子様はようやく石化状態から立ち直ったみたいだった。ぴしっと背筋をただしてそう宣言される。

 なんだか今日の乎子様ってばカッコイイ。いつもこんなだったらいいのになー。


「や☆」


 なのに一秒も経たずに却下ですか。

 せっかくいつもとは違うニュー乎子様なのに、それはちょっと可哀想な気がします。


「それに、かーちゃんはどうやってあの娘を捜すつもりなのかしらン? かーちゃんがOKしてくれたら、あたしの情報網を使って捜してあげてもいいわよン」


 乎子様は困ったように安土様の方を見られた。助け船を期待されてのことなのだろう。


「迷子の九十九捜しなんて、わたしには役不足だよ。それに見極めがあるのを忘れたわけではないでしょ」


 残念だけど、協力は得られないみたい。

 仕方ない。紅玉ちゃんのこともあるし、ここは私から申し出てみましょう。


「あの、差し出がましいようですけど、私がお捜ししましょうか? 探し物は得意ですし、それに紅玉ちゃんも一緒ですから」


 安土様が急に席を立たれた。私が口を挟んだから気を悪くされたのかしら。

 ちょっとドキドキして視線をそっと上げる。


「どちらへ?」

「鬼子に会いに行くよ。もともとわたしのするべきことは決まっているし、そのためにここに来たんだから。時間があったら宗近を捜してみるよ」

「頼みますよ」


 乎子様の言葉を背に安土様は部屋を後にされる。

 玄関までご案内しようと腰を上げたら、乎子様に声をかけられた。


「藍玉さんは残ってください。あなたには宗近を捜していただかなければなりませんから。彼女は一人で玄関まで行けますよ」


 そう言われてしまっては仕方がない。私は腰を下ろして改めて告げる。


「それでは乎子様。私は芙貴の君様と一緒に紅玉ちゃんと雪花様を捜しに行って参ります。お昼とお夕飯の用意はまだできていませんから、今日は外でお済ませください。一食千円までですからね。それを越えちゃったら来月のお小遣いから差し引きますのでそのおつもりで」

「あらン。かーちゃん、すっかり尻に敷かれちゃっているのねン☆」

「そんなんじゃありませんよ」


 乎子様は余裕の表情でそうおっしゃる。


「とりあえず二人を無事に連れ戻してください。紅玉さんがついていればおそらく大丈夫だとは思いますが、昨今は忌の活動が目立っています。いらぬ危険にさらしたくはありません」

「はい、かしこまりました」


 頭を下げつつ、乎子様のお心遣いに感謝した。



 芙貴の君様をお泊めするために、まずはお部屋へと向かう。


「こちらでございます」


 屋敷へ見えるたびに用意している客間へと芙貴の君様をご案内する。勝手知ったる様子で部屋へと入っていかれた。


「で、あーちゃんとしては、二人の行き先とか、手がかりとか、何かアテがあるのかしらン?」


 荷物――といっても、手持ちのバッグひとつだけど――を部屋の隅に置いてから、そう尋ねられた。


「アテというか方法ならありますけれど……芙貴の君様にはなにか心当たりがおありですか?」

「今は『待ち』よン」


 思いっきり何かを含んだ微笑みを浮かべて、芙貴の君様はそうのたまった。何となくコワいものを感じるのは気のせいだろうか。


「待ち、と申しますと?」

「侮ってもらっちゃ困るわねン。あたしはね、芙貴の君、よン。あたしの網は色ンなとこに張ってあるの。待っていれば、そのうち獲物の方からかかってくれるってワケよン☆」


 なるほど。土蜘蛛族はそれぞれが独自の情報網を持っていると聞いている。その土蜘蛛族の総元締めともいえる芙貴の君様ともなれば、その情報網は世界中を網羅する規模のものだろう。


「それでどうするのン? あーちゃんがなんかしたいならお付き合いするわよン。個人的には、あの柳田のおばさまの誘いを断ったあーちゃんの真意を、じっくり、たっぷり、心ゆくまで問いただしてみたいンだけどねン」


 んふふーって口元がくいっとあがった笑みと上目遣い。めちゃめちゃ妖しい。

 たぶん、男の人だったら一発で参っちゃうぐらいの色香が部屋中に漂う。

 こういうところは正直なところ敵わないなーとも思うけれど、勝ってどうするという話でもある。


 芙貴の君様のおっしゃられた柳田のおばさまというのは大宿曜である柳田やなぎだ杏子きょうこ様のこと。

 現存する宿曜において、あの方に並ぶことのできる人はいないとされるほどの使い手なのだそうだ。

 はっきりと言い切れないのは、実際にお会いした感じだと、普通の若作りされたおばさまかなーぐらいにしか思えなかったから。あれならスーパーの特売日で争っているおばちゃんたちの方がよっぽど迫力があると思う。


 ちなみに宿曜というのは人間の身でありながら膨大な知識と技術を蓄えることによって人間を越えたものたちの総称。古くは聖徳太子様ぐらいまで遡れるらしい。かくいう私もその宿曜の一人だったりする。

 この宿曜、ちょっとかわった特徴というか、習性を持っている。

 それが宿曜は弟子に対して自らの持つすべての知識を伝えることができるってもの。セーブデータを持ち越せる感じっていったらわかりやすいかしら? だから多くの宿曜というのは、自らの知識の探求と共に優秀な弟子を求めているものらしい。


「あの偏屈なおばさまが自分から後継を選ぶなんて、あたしにはいまだに信じられないわン」


 柳田様を偏屈と表現されるとは、さすがは芙貴の君様です。


「それほど頑固な方ではありませんでしたよ」

「やーねー。あたしのお願いは一度も聞いてくれないのよン。そーゆーのは偏屈っていうでしょン」


 なんとなく無理難題をふっかける芙貴の君様の様子が目に浮かんでしまった。ここは黙って聞き流しておくことにしよう。

 生命体には寿命というものがあって、夜属であってもそれに逆らうことはできない。種族によって寿命の長短はあるけれど、やはりそれを超えて命を保つことは基本的に不可能だとされている。

 特に私たち宿曜の身体はヒトのそれとなんら変わりはないから、よくても百年程度しか生きることはできない。なかには失われた秘術によって長寿を得ている宿曜もいるみたいだけど、それは別の話。

 だからこそ、宿曜は生きている間に蓄えた知識のすべてを弟子へと伝え、その弟子はまた次の弟子へと伝えていく。こうして何世代も経て蓄えられた知識は体系と化し、それ自体が力を持つようになる。この知識体系を宿曜では『柱』と呼んでいる。

 ちなみに神様は一柱二柱と数えるんだけど、宿曜のいう柱はそれと一緒。知識の集合体と神様を同義で扱っているわけ。

 この知識体系は膨大なものでありながら、そのほとんどが人間の世界では失われている。

 たとえば言語、たとえば歴史、たとえば文化、たとえば技術、たとえば知識、たとえば魔法……。

 それらを綿々と受け継いでいる夜属が宿曜というわけなのだ。


「あのおばさまって本物の魔法を使えるって話なんだけど、本当なのかしらン。正直なところ、ちょっとこれよねン」


 芙貴の君様は眉毛を撫でる仕草をされる。つまりは眉唾モノとおっしゃりたいのだろう。


「聞いた話ですけれど、天候操作や人体浮遊、果ては長距離移動や千里眼まで使えるそうですよ」


 どれもかつては他の夜属も使えた能力らしい。もっとも、今では滅多にいないという話だけれど。

 特に柳田様の千里眼は別名地獄耳とも言われていて、どんなに遠くで悪口を言ってもちゃーんと聞かれていると噂されている。

 というわけで、宿曜にとって師匠につくというのはとても大切なこととされる。それはすなわち、それまでに蓄えられてきたすべての知識を受け継ぐということになるからだ。これは同時に、これまでの人類の歴史を知るということでもある。

 自らが新しい柱の第一歩を目指すという人も稀にいるらしいけれど、それはここ300年ほどは誰も成功していないらしい。その理由は産業革命によって世界の神秘が次々と解き明かされていってしまったからだろうと私は見ている。他にも似たような推論を述べておられる方はいらっしゃるみたい。


 ちなみに柳田様は幾柱もの力を従えているとってもすごい人。近年で大宿曜と呼ばれるのはこの方だけ。

 これは柳田様の先代が失われつつあった知識の回収を精力的に行ったからといわれているけれど、かなり強引なこともされたらしい。結構、そのことを恨んでいる方もいらっしゃるという話だ。

 通常は一柱を持っていれば十分すごくて、ほとんどの宿曜は完成されていない体系をわずかに保有しているに過ぎない。それもかなりの部分が欠けていたりする不十分なものであることのが多い。

 そのことからしても柳田様のすごさがわかると思う。

 でも外見はどこにでもいるような普通のおばさまなんだけどね。


「それだけの力を持っているあのおばさまがあーちゃんを後継にしたいって言い出したのは、やっぱりあーちゃんの才能に惚れたからなんでしょン?」


 うーん、それはどうでしょう。必ずしもそれだけとは言い切れない部分があるのも事実ですし。

 実は同じ宿曜でも向き不向きというのがある。得意不得意と言いかえてもいいかもしれない。

 宿曜に目覚めた時点で、ある程度の方向性というものが決められる。それに沿って磨いていけばやがて大きな成果が得られるかもしれないけれど、別の方向を伸ばしても決していい結果は得られない。

 こればかりは目覚めた時点で決まってしまうからどうしようもないものらしい。

 あとは占いの結果とかというのも考えられる。準備、方法、手順などそれを行う人によってすべては決定づけられるのだし、そのあたりのことはやはり柳田様でなければ理由はわからないだろう。


「宿曜にはそれぞれ独自の理論がありますから、私ではわかりかねます」

「ああ、そうだったわねン。あたしには宿曜の考えていることはさーっぱりわかんないわン。どうして倒れた棒と反対方向へ進んでいくのかしらン」


 それを言うなら芙貴の君様が笑顔の裏側で何を考えているのか、おそらく誰にもわからないと思いますけど。


 柳田様が私を後継にしたいとおっしゃったのが3年ほど前のこと。

 あれほどの方が自ら弟子をとるなんてことは滅多にないらしい。あそこまでになるとたくさんの弟子希望者が押しかけて、審査の順番待ちになるぐらいだという話を聞いたことがある。

 結論を言うと、私はそのお話を断った。

 乎子様もこれはいい話だからと熱心に勧めてくださったのだけれど、私には額辺のお屋敷に伝わる書物だけで十分だったし、なにより紅玉ちゃんと離れて暮らすのが嫌だったので丁重にお断りをした。

 それ以上の理由はない。

 私は今の生活に十分満足をしているし、それ以上を望もうとは思ってもいない。

 最終的には、乎子様も柳田様も私の気持ちを納得してくださった。


「で、どーしてあーちゃんは断っちゃったのかしらン?」

「たいした理由があるわけでもないんですよ」

「それを聞かせて欲しいンだけど」


 ちろりと青い唇の中から赤い舌が見えたような気がした。なんていうか、内緒話をわくわくしながら聞き出そうとする子供みたいだなんて思ってしまった。


「実はですね、この額辺のお屋敷にもすごいものが隠されているのです。私はそちらを修得したいと思いましたので、柳田様のお弟子の件はお断りさせていただいたのです」


 半分はウソ。でも半分は本当の話。


「あらン。そーだったのねン。よーやくあたしも合点がいったわン」


 納得していただけたらしい。よかったよかった。深く突っ込まれたらどうしようかと思っていたのだけれど。


「それで、どんなものなのかしらン? ここだけの話でいいから、あたしにこっそり教えて欲しいわねン」


 あらら。やっぱりお聞きになりますか。


「えーと、それはですね……」


 私が話し始めようとした時、どこからかブーンという低い音が聞こえてきた。携帯電話の着信らしい。


「ンもう。これからがいいところだっていうのに無粋なンだからン」


 ぷりぷりと怒りながら、芙貴の君様が携帯電話を取り出した。


「はぁい、どちらさまン。あらン、あなただったのねン。はいはい。りょーかいよ。じゃ、ご苦労さまン」


 ピッと通話を切る。


「それで、この屋敷にはどんなものがあるのかしらン。はやく聞かせて」


 目をキラキラと輝かせるかのように、芙貴の君様が前のめりで私に迫る。


「でも、先ほどのお電話はよろしいのですか?」

「いーのいーの。あれは後回しにしても問題ないからねン。それよりも、あーちゃんのお話を聞かせてもらいたいわン」

「でも、今のは紅玉ちゃんと雪花様の居る場所がわかったという報告だったのではないですか?」

「あらン。どーしてそー思うのかしらン」


 芙貴の君様は、何を考えているのかまったく読めない笑顔。


「先ほど、『今は待ち』とおっしゃったではありませんか。ですから、そのお電話を待っていらしたのではないかと思ったのですが、違いましたか?」


 半ば確信しながら問いかける。


「んー、あーちゃんならいい土蜘蛛になれると思うわン。どうかしら? あたしの弟子になってみるっていうのは。楽しいと思うわよン」

「お断りしておきます」


 笑顔できっぱりと断った。


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