一初2
爽やかな風が高いところに生い茂る木々を揺らしながら森の中を通り過ぎていく。
幾重にも重なり合った枝葉からこぼれ落ちる日差しはしばらく前に比べれば随分と柔らかくなったものだ。
みんみんとうるさいぐらいのアブラゼミの声は遠くなり、ツクツクボウシのどこかあわただしい声やヒグラシのもの悲しい声が降り注ぐ。
ふと気付く秋の気配。
人が知らないだけで、こうして季節は移り変わっていく。それはずっと以前から決められているかのように生真面目に繰り返されるもの。それが自然の摂理だ。
額辺の屋敷に通じる道を歩いている。
最初から見極めが終わるまではそこの離れにでも泊めてもらうつもりだったわたしはいいとして、何故に初穂がついてくるのかが疑問だ。なにかよからぬことを企んでいる気がする。
「どうして初穂も屋敷へ行くの? 乎子のヤツをからかうのは構わないけど、わたしの邪魔だけはしないでよ」
「あらン。あたしがとーちゃんの邪魔をしたことがあったかしらン?」
「数え切れないほど」
即答してやった。
「んー、実はとーちゃんにはあんまり関係ないことなの。だから安心して」
しかし、この世において芙貴の君の「安心して」ほど信用できない言葉は存在しないとわたしは知っている。これは絶対によからぬことを企んでいる。どんな展開になろうと深入りはしないでおこうと改めて自分に誓う。
わたしの表情を見て、初穂は笑いながら続けた。
「とーちゃんは、額辺の屋敷に伝わる家宝が何か知ってるかしらン?」
それは思ってもない言葉だった。
この場合の家宝とは、お金に換算するといくらになるという方面のものではないだろう。おそらくは夜属に関係するもの。額辺家に伝わる家宝というと……。
「九十九か……」
「ぴんぽんぴんぽーん☆」
ぱちぱちと拍手つきだった。これだけ嬉しくない正解もないだろう。
「この情報はとっておきよン☆ あたしととーちゃんの仲だから、特別に教えてあげるンだからねン」
どういう仲なのかはあえて詮索はしない。いろいろと墓穴を掘る可能性も高いし。初穂と一緒にやった、いわゆるシャレにならないいたずらには事欠かなかったのだ、わたしも。
「今朝方になってあたしの網に引っかかったんだけどねン。『格』付けのための九十九が家出しちゃったのよン。ね、傑作でしょ☆」
……それはたしかに、たいした情報だった。
本来、土蜘蛛は陰で糸を操ることを得意とする。簡単にいえば陰謀とかその類だ。
言葉を操り、人心を惑わす。
ただそのためには正確な情報が必要になる。事前に情報を集めておき、内容を改ざんしたり、誇張したり、省略したものを改めて流し、自分の思い通りに物事を進める。
それこそが土蜘蛛のもっとも得意とすることだ。
それ故、土蜘蛛の者は情報を集めるための独自のネットワークを持っている。
その中でも最大の情報網を掌握しているのが芙貴の君――つまり、初穂だ。
芙貴の君の持つ情報網の広さと細かさは一族でも随一で、世界のありとあらゆる情報が集まってくると言われている。質、量共に世界でも屈指だ。
情報社会と化した現在、初穂がその気にさえなれば、かなりのことが可能となるだろう。
株の情報操作や個人情報の抜き出し、さらには各国の重要情報の漏洩まで。ありとあらゆる情報を入手し、利用することができる。
もっとも、わたしはその類の心配だけはしていない。なぜなら、初穂は自分の趣味以外でその情報網を利用しないことを知っているからだ。
初穂は世界屈指の情報網を、個人の趣味と好奇心と快楽を満たすためだけに有意義に活用している。
なべて世はこともなし。
平和な今日が終わり、そしてまた平和な明日がくるというわけだ。
「額辺家に伝わる九十九は『刀』――宗近の真打ちだったね」
九十九とはもともと物品に宿るものであるため、それを所有している家の『格』をあらわすために用いられることも多い。
たとえば鏡。たとえば面。たとえば武具。
そういったさまざまな物に魂が宿ることで九十九となる。
多くの場合、古くから存在するものほど強く、貴重とされる。それゆえ、そういった九十九を所有する家も『格』が高くなるというわけだ。
額辺家の現当主である乎子は夜属としての能力はそれほど高くはない。戦闘における強さという点においてはおそらく初穂の足下にも及ばないだろう。私とでは比べるのも失礼なレベル。まず間違いなく瞬殺できる。
それでも古くから伝わる九十九が額辺家にあるというだけで、夜属の中では発言力が高くなるというわけだ。
もっとも、そのあたりのことは乎子のヤツも重々承知しているらしく、長老たちを相手に派手に立ち回ったりはしていないようだけれど。そういう要領のいいところは昔から変わらない。
要領がいいにもかかわらず乎子は不幸なヤツだ。世の中にはどうしようもない不幸ってものは確実にあって、その中に『芙貴の君の知り合い』という項目があるのも間違いない。
猫が小さな昆虫をなぶって遊ぶように、初穂が乎子をからかうシーンというのはこれまでに幾度となく見てきた。たまにわたしも初穂の側に立っていたりするがそれはそれ。
踊る阿呆に見る阿呆ではないけど、世の中、見ているだけよりも参加した方が面白いということがあるのも事実なのだ。
ちなみに額辺家に伝わる刀は真打ちの宗近。
俗に天下五剣と呼ばれる刀の一つに、三日月宗近という優美な作品が存在する。
千年という想像を絶するほどの時を経ても、なお輝きを失わない業物。打ちのけと呼ばれる刃紋の形状から三日月の名を冠するその刀は、国宝として指定を受け、東京の博物館に保存されている。
――と、いうのが世間様一般の認識。
別に間違いではない。
一般に知られている刀は影打ちであり、額辺家に伝わるものこそが真打ちである、というだけのことなのだ。ただ人の知らない事実が影に存在するという、多数例の一つに過ぎない。
宗近の代替わりは五年ぐらい前だったか。そういえば、わたしもそれには立ち会ったんだった。
その九十九が抜け出したということは――おそらくは〈試儀〉のためだろう。
これもまた縁というべきかもしれない。
「そうなのよン。きっとそれをかーちゃんが知ったら、真っ青になって慌てるンじゃないかしらン☆」
初穂は楽しくて仕方ないらしい。思いっきり声が弾んでいる。
「で、どうするつもりなの? 勝手に捜しだして持ち帰る?」
「んー、それはそれで面白そうなんだけど、やっぱりもったいぶってかーちゃんをおろおろさせたら楽しいかなーって思うンだけどどうかしらン?」
いや、瞳をキラキラさせてわたしに迫られても困るんだけど。
「好きにすればいいさ。わたしには関係ないし」
「もー。とーちゃんってばノリが悪いわよン」
そういう問題でもないだろう。
同じ九十九として〈試儀〉に首を突っ込むことだけはしたくなかった。
わたしは「ねーねー」としつこくねばる初穂を引きずるようにして、額辺の屋敷への道を歩いていった。
山道を行くことしばし。ようやく目的地である額辺の屋敷に到着した。
ここを訪れるのは随分と久しぶりだった。高校時代は少し下にある離れで生活していたからここまで上がってくることもほとんどなかったし。
木戸を抜け、水の打ってある石畳を進む。その先に玄関があった。
「ごめんくださいなン☆」
初穂が声をかけると奥から返事があった。
ぱたぱたという足音と共に藍染めの着物を綺麗に着こなした少女が出てきた。髪には青い色のリボンが揺れている。
玄関に正座すると、ぺこりと頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。お久しぶりでございます」
ようこそはわたしに向けて、お久しぶりは初穂へ向けてだった。
「初穂。あんたよく来てるの?」
「んー、そうねン。半年に一回ぐらいかしらン」
何しに来てるんだかと思ったけど、おそらくロクなことじゃないだろう。そういうのは聞かないでおくことに限る。
「乎子はいる? わたしは友切。新しい鬼子の見極めを頼まれて来たんだけど」
「お待ちしておりました。お二人ともお上がりください」
少女はスリッパを二つ揃えて並べると、わたしたちが上がるのを待って、奥へと入っていった。
「こちらでお待ちください。ただいま、主人を呼んで参ります」
「あーちゃん。お茶はアイスコーヒーにしてねン。暑い中歩いてきたからつめたーいのが飲みたいのよン」
「かしこまりました」
女中は顔色も変えず頭を下げると部屋から去っていった。
「彼女のこと知ってるの?」
やたらと親しげだったけど、初穂にかかれば初対面でもあれぐらい言ってのけるから侮れない。
「ん。まだ手は出してないけどねン」
「いや、それは聞いてない」
聞きたくもないし。
「んとねン。うーちゃんとこの関係者よン。あーちゃんは宿曜だけど、妹のこーちゃんはちゃーんと鬼の血を継いでいるのよン。二人ともとーっても可愛いから、いつかお持ち帰りするつもりなンだけどねン」
いや、だからそれはいいってば。やるんなら乎子にばれないほうがいいとは思うけど。
「そか。あれが浦のところから出された避子ってことね」
浦といえば、岡山で鬼族の古い血筋を今に伝える一族の一つだ。
鬼族は古来より日本の神話に登場している。
剛胆にして強大。それが鬼族のあり方を最も端的に示しているといえるだろう。一族をまとめる長を決める方法が、いまだに単純な殴り合いというのだから、呆れるを通り越して、いっそ尊敬に値する。
岡山の鬼というと桃太郎による鬼退治伝説が有名だ。多くのおとぎ話にはその下地となった伝説があるように、この話にもある言い伝えが残っている。
かつて吉備の国、新山に城を構え、いずれ日本を征服しようとしていたとされる備冠者という者がいた。両眼大きく、毛髪赤く、頬骨強大。身の丈抜群にして、その性は勇敢。おまけに腕力絶大であったらしい。
備冠者はたびたび西国より帝京に送る貢ぎ物を奪取したり、里に下りて人民を苦しめたという。
そこで当時の朝廷は四人の将軍を派遣する。その中の一人が五十狭芹彦だ。五十狭芹彦は兵数千を率いて備冠者と戦った。
何度も弓矢を放つが、そのことごとくは備冠者の投げつける岩に防がれ倒すことができない。そこで一度に二つの矢をつがえ、それを放つことにした。すると一本は備冠者の投げた岩に、もう一本は備冠者の左目に刺さったという。
こうして五十狭芹彦は備冠者の退治に成功する。このとき、備冠者から名前をもらい受け、吉備津彦命と名乗るようになったというのが世に知られる鬼退治の伝説だ。
この話は、当時の朝廷が国内を統一することを正当化するために創作したものであるというのが一般的な解釈ではある。
備冠者は百済出身の王子であり、あの時代の岡山辺りはすぐれた製鉄技術を伝えていたとされる。時の朝廷はその技術を取り入れ、自らの組織の強大さをアピールしたというわけだ。
事実は――多少、異なる。
鬼は実際にいた。
身の丈一丈四尺程度なら、鬼族が本来の姿に戻ればあり得ない数値ではない。それに五十狭芹彦の放った矢をことごとく岩を投げて防いだという話も怪力を誇る鬼族ならではの逸話ともいえる。
この場合、退治したのが何者であったのかというのはあまり重要ではない。夜属といえども、すべての種族が友好的であるわけではないし、時には相争うこともある。おそらくは弓の九十九あたりが朝廷から派遣されたのだろう。歴史の改ざんのやり口などからは土蜘蛛の存在が見え隠れしている。
備冠者は別名で温羅という。
『浦』と名前を変えた一族は、今もなお岡山で生きているわけだ。
古い血筋ということもあり地域にある程度の影響力は持っていて、ちょっとした顔ききでもある。
夜属は血筋を重要視する。
昨今は覚醒する者の数が減少しているが、それでも血の連なりがある者から覚醒する数は圧倒的に多い。それゆえ血の繋がりが夜属への覚醒の重要な要素だと信じられている。
また往々にして同じ血筋からは同一の種族が生まれる。九十九のように扱える者しか使い手になれないという特殊な場合を除き、鬼族ならば鬼が、狗神族ならば狗神がという具合だと思えばいい。
稀に、本当にごく稀にだが、血筋から外れたものが生まれることがある。それは避子と呼ばれ忌み嫌われる。
まぁ、当然だろう。それではなんのために血筋を残しているのかわからなくなってしまうからだ。
特に血筋に影響されない宿曜が生まれることが多い。夜属の中では嫌われている宿曜が血筋に影響されずに生まれやすいというのも皮肉な話だ。
そういうこともあって避子は血を継いでいない者として里子に出される。その場合は異なる種族の先に預けられることが多い。
鬼族である浦のところから水蛟族である額辺のところへという具合にだ。
ちなみに姉の方が宿曜で藍玉、妹が鬼で紅玉という名前らしい。
人の近づいてくる気配がすると、からりとふすまを開けて乎子が現れた。
真っ赤な着流しにでかでかと牡丹の模様が浮かび上がっている。どうでもいいが相変わらず常識を疑いたくなるような格好だ。あんな姿で外へ出たりするんだろうか? 速攻で職質を受けそうなものだけど。
「思ったよりも早い到着でしたねえ。お一人、余計なのがいるみたいですが」
「あらン、かーちゃん。久しぶりに会うっていうのに非道いわン。そんなこと言うなんて……」
「乎子の感想の方が正しいと思うケド」
わたしの言葉に、初穂はすねた子供のように口を尖らせた。
「とーちゃんもかーちゃんも冷たいわン」
「「セットで呼ぶな!」」
わたしと乎子の声が唱和した。
乎子と顔を合わせるのは久しぶりになる。次の見極めが迫っていたから屋敷に立ち寄ることはなかったけど。
「あの娘は元気にしてる?」
「……ええ、お陰様で」
乎子が上座に座る。
相変わらず、嘘をつくのが下手な男だった。
初穂は嬉しそうな顔をして――いつもの顔ともいえる――乎子のヤツを見ている。舌なめずりをしている、と言い換えてもいい。
「こちらにはいつ頃着いたんですか?」
「午前中よ。このあたりは相変わらずね。少しは建物が増えたみたいだけど、あの頃とあまり変わってないと思うわ」
十年前にわたしたちが高校へ通っていた頃のあの時と。
「これでも人は増えているそうなんですがねえ。スーパーも建ちましたし。そうそう、コンビニなんていう便利なものもできたんですよ。あれはいい。夜中に買い物ができるなんてこれまで考えられないことでしたから」
……どうでもいいが、それってこのあたりが田舎だということの証明なんだけど。
考えてみればわたしたちが高校へ通っていた時代にコンビニはなかった。その代わりに商店街や本屋や雑貨屋というのが寄り道の定番だったといえる。便利ではなかったが、なければないなりにやっていたように思う。
ケータイがなければ恋愛ができないなんてのは、おそらく今の世代が恵まれすぎていることの証左であり、生物としての堕落――という言葉が正しいかどうかは別問題として――なのだろう。
「そういえば、みーちゃんってばあたしたちの高校の後輩になるのよン。あの頃はとーっても楽しかったわねン」
みーちゃんというのは、〈銀〉のことだろうか。さっきの娘といい、初穂の他人の呼び方は省略され過ぎてわかりにくいったらない。
ま、わたしたちの後輩だと知ったところで〈銀〉はいい顔をすることはないだろう。
音もなくふすまが開くと、さっきの少女が控えていた。どうやら初穂が頼んだアイスコーヒーが届いたらしい。テーブルに置かれたコーヒーに口をつける。
「むっ」
思わずわたしの動きが止まる。
これは――美味い!
すっきりとしたのど越しに深いコク。これが家庭で出されるコーヒーならば大満足。
月子のおすすめ度は☆☆☆☆だ。
今日はついている。こんなに美味しいコーヒーを続けて飲めるなんてことは滅多にない。
このコーヒーを煎れた娘を見ると、乎子の後ろにちょこんと座っていた。どうやら話に付き合わせるらしい。
しかしこれだけのコーヒーを煎れたのが彼女とは……さっきの喫茶店のウェイトレスといい、なかなかどうして、世の中は広い。
「ところで二人が一緒に訪ねてくるなんて珍しいじゃないですか。高校以来になりますかねえ。いったい、どういう風の吹き回しですか」
乎子がコーヒーをすすりながら訊ねてくる。
「わたしは連絡をもらった鬼子の見極めよ。こっちにしばらく厄介になるつもりだからよろしく」
「わかっていますよ。部屋の用意はしてあります」
乎子は相変わらずこの種の手際はいいようだった。
「初穂から聞いたんだけど、その鬼子ってばもう忌を狩ったんだって? なかなか有望そうじゃない」
親があの〈銀〉とはいえ、目覚めてまだ間もないというのに忌を狩っている鬼子というのは聞いたことがない。
「そうですねえ。〈銀〉が熱心に鍛えているようですよ。あれ自身にもよい経験になっていると思いますが、鍛えられる方としてはどんなものでしょうかねえ」
たしかに長老たちの出来のいいオモチャだった〈銀〉が自分で仔を育てるというのはいい経験になるだろう。
もっとも夜属として純粋培養された存在である〈銀〉の訓練がどれだけ過酷かというのは想像に難くない。そういう意味においては、鬼子に同情をしたくなる。
「みーちゃんったらそんなにご執心なんだ。それはちょーっと味見してみたいわねン☆」
じゅるりとよだれをぬぐっているかと思ってしまうほど、初穂の発言は妖しい雰囲気を持っていた。ま、いつものことだ。
初穂が手を出したとしても命に別状はないだろうから止めることはやめておこう。むしろ〈銀〉が黙っていないだろうとは思うけど。そっち方面での命の保障はできない。
乎子のヤツは心底嫌そうな顔をする。
「多少のことには目をつむりますが、やたらとあちこちに手を出さないでくださいよ。特にあたくしの関係者に手を出すのは厳禁です」
なにげに乎子の後ろに座っている娘がコクコクとうなずいていた。ま、乎子の言うことはもっともだろう。否定をする気はまったくない。ただし、それを初穂が聞くかどうかは別の話だ。
「んー、聞いてあげなくはないけど、こっちも条件を一個出していいかしらン?」
初穂から条件を出せる理由はまったく見あたらないんだけど、そんなことは関係ないらしい。それもいつものことだ。
「あのねン。かーちゃんのとこの可愛い娘をちょうだい☆」
「ダメです」
即答だった。
「あらン。かーちゃんったら、とーっても冷たいわン。そんなかーちゃんなんて嫌いよ」
「嫌ってくれても結構ですが、手を出してもらっては困ります」
珍しくきっぱりと乎子が宣言をする。少し見ない間にやるようになったものだ。高校の頃はすぐに言い負かされて泣きべそをかいていたものだが。
「でも今はお屋敷から出ちゃっているんでしょン。だったらあたしがもらっちゃっても問題はないと思うンだけど」
乎子の顔色が変わる。こいつはつくづく嘘のつけない男だ。
「なんのことでしょう。あたくしにはさっぱり、何の話だかわかりませんが」
んふふーという初穂のイヤらしい笑い声。
「だったら。あたしがもらっても問題はないってことよねン☆」
「どうしてそういう流れになるんですか」
「えー、趣味だけど」
趣味なのか……。
乎子は居住まいを正す。
「あれは我が家に伝わるものです。何人たりとも手を出すことは許しません。そのおつもりで」
きっちりと、初穂に向かって言ってのけた。こいつにしては本当に珍しい。というか、初穂に向かってこれだけきっぱりとした物言いをするとは、乎子のヤツも成長したものだ。
……どうせ儚い抵抗だろう。
「や☆」
それを一言の元で斬って捨てる初穂も初穂だとは思う。もうちょっと乎子の顔を立ててやるとかの心配りを……期待するだけ無駄か。
そりゃそうだ。初穂ほど自分だけが大切なヤツはそういない。それに対して正論で臨んだところで返り討ちにあうのがおちってものだ。
「それに、かーちゃんはどうやってあの娘を捜すつもりなのかしらン? かーちゃんがOKしてくれたら、あたしの情報網を使って捜してあげてもいいわよン」
ぐらりと乎子の体が揺れたような気がした。気持ちはわからないでもない。初穂の持つ情報網といえば世界屈指。迷子を一人捜し出すぐらい、数時間足らずでやってのけるだろう。
乎子のヤツがわたしを情けない目で見る。どうやら宗近の捜索を手伝ってもらいたいようだ。ま、初穂が先に手に入れたら何をされるのかわからないという気持ちはわからないでもない。
「迷子の九十九捜しなんて、わたしには役不足だよ。それに見極めがあるのを忘れたわけではないでしょ」
乎子はぐぅの音も出ない様子だった。
正直なところ、わたしもあの宗近を初穂への供物として差し出すのは道義的にどうかと思わないでもないが、今は何よりも優先しなければならないことがある。
「あの、差し出がましいようですけど、私がお捜ししましょうか? 探し物は得意ですし、それに紅玉ちゃんも一緒ですから」
乎子の後ろでずっとわたしたちの話を聞いていた娘が初めて口を挟む。
宿曜であれば確かに失せものを捜すのにはうってつけだろう。
迷子の九十九捜しは話がまとまりそうだし、わたしのほうは己の役割を果たすことにしよう。
席を立つ。
「どちらへ?」
「鬼子に会いに行くよ。もともとわたしのするべきことは決まっているし、そのためにここに来たんだから。時間があったら宗近を捜してみよう」
それがわたしの精一杯だ。
「頼みますよ」
乎子の言葉を背に、わたしは部屋を後にした。