十三 「自問」
マスターの言は絶対。
困難な内容であっても、それを必ず成し遂げる方法を模索する。
一号機、二号機と接触した時点で非常に危険だ。
というよりも本来接触してはいけない。
しかし接触しなければならない。
2体、いやマスターは自分を人間として考えろと命令された。ということは1号機、2号機もまた人であるということだ。
以後、マスターとの意思疎通阻害を避けるため1号機を『外科医』、2号機を『顔なし』と仮称する。
マスターより命令があった場合は随時変更する。
外科医は所在が固定している。
メンテナンスや緊急の場合を除き、所定の施設から動くことはない。
先に外科医と接触して懐柔が失敗した場合、外科医が直接マスターを襲撃あるいはワタシの追跡に就く可能性は小さい。
流動的な任務は顔なしに委ねられる。
顔なしと先に接触して懐柔が失敗した場合は、おそらくそのまま顔なしがワタシを追跡し、AUCの実働部隊がマスターを襲撃するだろう。
とすると当然順位は決まる。
まず接触すべきは顔なしだ。
そしてここで必ず懐柔に成功しなければならない。
マインドコントロールを解除し、自由意思の浮かび上がる余地を作っておき、その上でこちらに付くことにメリットを認めさせなければならない。
メリットは実利なのかそうでないのか。
自問してすら不明なものだ。
顔なしの感じるメリットなど想像だにできない。
ワタシの、ワタシ達の思うことはただ一つ。
すべてはマスターのために、だ。
マインドコントロールを解除するための方策は目下不明だ。
マインドコントロールプログラム自体を入手して逆の手順を行うしかない。
プログラムは研究施設からAUCに回収されている。
AUCのネットワークに侵入することはできない。
そうなるとAUC自体に侵入して記録媒体または内部で端末に接続し、気づかれずに盗み出す必要がある。
数億の手順をシミュレートするも現実的な確率を弾き出せない。
マスターの安全にも関わることだ。
その場の奇跡的偶然に頼って行動することはできない。
幸いにも今のところ時間はワタシやマスターの敵ではない。
じっくりと構えて、チャンスを待っていてもなんら問題はない。
ただし研究の再開や、研究成果の再利用等でダミーが起こされたら問題だ。
ダミーであることが発覚した瞬間に、マスター、氷見博士、ワタシのすべてが危険になる。
現在のところAUCにそういった兆候はみられないが、研究内容が極秘なだけに秘密裡に行われる可能性が高い。
計画本体ではなくても周辺情報からそうした動きが表れないか、常時監視している必要がある。
ともあれ条件を少しずつ変更しつつあらゆる侵入方法を検討するが、曲芸まがいのものしかない現状では、状況の変化を待つしかない。
それまでは仮初めの平和だ。
ワタシのアルバイトは実に順調で、売上の上昇曲線も非常に緩やかか横ばいを維持している。
発注、商品展示、キャンペーンの利用など手段は限られていながらも存在する。
しかし劇的な成績を収めても仕方ない。
それでなくても店長はワタシをFC本部へと推薦しようと言ってきた。
無論好意でのことだが丁重にお断りした。
昇進や収入増など望んではいない。
マスターと離れて転勤などあり得ない。
「三村さんは一人暮らしなの?」
同じ時間帯で働く男が話しかけてくる。名前は勝亦有と言ったか。
「いいえ」
「実家住み?」
「いいえ」
「え?じゃあ誰と住んでるの?」
マスター、といいたいところだが、それはダメだ。
沢村さん、でもあたらない。
ご主人様、でも恐らく誤解を招く。
この場合一般的に表現するには・・・
「カレと住んでいます」
こう言ったことをマスターに知られたらお叱りを受けるだろうか。
「うええ、マジで?オレ三村さんていいなあと思ってたのに。残念」
勝亦有の人物評は軽薄である。
性的に奔放な面もある。
一般的にも個人的にもあまり好感が持てない。
拒絶はわかりやすく、強い方がいい。
「それは光栄ですが、カレがいますので」
「三村さんてクーデレだよねー。そこがいいんだよなー」
クーデレ、近年の造語であり、通常クール、冷淡な言動、振舞いをするが恋人の前や心を許した相手に対しては甘えるような態度を取る性質を指す。
ワタシは感情をあまり出さないのでクールという印象を与えるかもしれない。
しかしマスターに甘えることはない。
マスターに甘えては行動に支障をきたす。
よって「デレ」に相当する性質は持ち合わせていないので、その評価は誤りである。
勝亦有にわざわざそれを教える必要もないので黙っている。
「カレシって何してる人?」
「大学生です」
「学生かー。いいとこ?」
「普通だと思います」
「どこで会ったの?」
「道です」
「マジでー!?ナンパかー!カレシやるじゃん」
何をやるというのか。
しかもナンパが声をかけることだというのならワタシからナンパしたことになる。
「ワタシから声をかけました」
「ちょw嘘―!」
「嘘ではありません」
「逆ナンかよ!マジでかー。カレシすげー。イケメンなの?」
「普通だと思います」
「わかんねー意味わかんねー」
わからなくて結構だ。
その後も勝亦有の興奮状態は店に客が入って来るまで続いた。
凡人というなら勝亦有もまた凡人だ。
何を持って凡人、非凡というのか。
先日マスターと話したことであるが、正義と悪の線引きのように、凡人、非凡の境界もまた曖昧なのだ。
その線の見極めに意味はあるのだろうか。
少なくとも今のワタシには見出せなかった。
マスターはマスター。
ワタシはワタシ、なのか・・・?
昨日の買い物で、なかなか鮮度のいいシロギスを見つけた。
天婦羅が一般的だが、ちょっと洋風のものを作ることにした。
エスカベッシュ。スペイン風南蛮漬けといったところか。
小麦粉をつけて揚げたキスをマリネ液に漬けて一晩寝かす。
南蛮漬けに慣れた日本人にはもともとのレシピでは少々酸っぱすぎるので甘酢に近い味付けにアレンジしてみた。
ニンニクと黒胡椒でアクセントをつけたのでエスカベッシュ本来の味からはそうそう逸脱していない。
おおまかに言えば日本での南蛮漬け、フランスでのマリナード(マリネ)、南米でのセビチェ、そしてスペインでのエスカベッシュなどに明確な違いやレシピがあるわけではない。
これだけだとちょっとさっぱりしていて物足りないので、ジャーマンポテトを作る。
通常のソーセージに変えてチョリソーを使ってみる。
黒胡椒の味わいとはまた違い、エスカベッシュとの取り合わせもいいのではないかと思ったのだ。
「いただきまーす」
マスターに好き嫌いは無い。
食べる量は人並みだが、とても美味しそうに召し上がってくださる。
「バニラのご飯はいつもおいしいです」
美味しいという感想は必ず言ってくださる。
口に合わない時は何もおっしゃらない。
これはたとえ外食時でも同じだ。
マスターのご両親はとても善い方だというのがそれだけでも判る。
得難い平和。しかしこれはあくまでも仮初めのもだということを肝に銘じなくてはならない。
大学というのは学生でなくても簡単に入り込める、とマスターが言われた。
何かしら事件が発生すれば入口に守衛が立ち、IDの提示を求める等の措置を講じるかもしれないが、比較的治安のいい日本では、大学構内で凶悪な犯罪が起こることも稀で、目立たなければ容易に入ることができる。
アルバイトがたまたま休みになったので、ワタシはマスターについて大学に行ってみた。
「薫さんが知識として新たに得られることは無いでしょうが、講師の主観を交えた講義内容というのはまた新鮮かもしれませんよ」
確かに。
知識は事実の蓄積を指すが、それをどう解釈するかが知恵だ。
ワタシには無限に近い知識があるが、その解釈や利用方法については限定的だ。
要は先人の知恵を知識に組み込んでいる。
自分で新しい解釈を生み出すことはない。
人間とそうでない存在の違い。
いや、これは考えてはいけない。
見慣れない人間が混ざっても平気なように人数の多い講義に紛れ込む。
マスターの通っている大学は仏教系なため、宗教に関する講義がいくつかあった。
ワタシが(勝手に)受講したのは宗教学だった。
神学は信仰を前提として修める学問で、キリスト教では特に体系化が進んでいる。
宗教学はどちらかというと宗教を一歩引いた視点で見る学問で、宗教の発生した立地や背景、民族などから成り立ちや発展のメカニズム、特徴、問題などを考察していく。
ワタシという存在からするともっとも縁遠い学問の一つであり、人間が自ら生み出した人間以上の存在に対してのアプローチが非常に興味深い。
潜りこんだ講義は比較宗教学にあたる内容で、講師はわかりやすく学生の興味をひくことを信条とするタイプらしく、内容については主観やアレンジが過多であるという印象だったが、それでも講師の眼を通した考え方が聞けて貴重だった。
マスターはこの講義を選択していないにも関わらずワタシにつきあって下さった。
「宗教学も面白いですね。飯のタネになるとは到底思えないけど」
そのような感想もあるか。
「世の中に無駄な知識などありませんよ、沢村さん」
「それを薫さんが言うと非常に説得力があります」
マスターは苦笑した。
その後マスターは語学の講座に向かった。
ワタシには語学は必要ないのと、講座の人数が少なめであるため、ワタシが目立つ恐れがあり別行動となった。
都会のキャンパスはやや敷地が狭いが、それでも充分に広い。
隣接して公園もあり、学生たちは休憩する時は裏門から直接公園に入っていくようだ。
楽しそうに笑いあう学生たち。
彼らには学ぶ楽しみがある。
ワタシの知識はメモリーに蓄積されたデータでしかない。
まっさらの乳児に世界がまるごと詰まったコンピューターをつめこんだようなもの。
探究することもなく既にそこにある知識。
これに一体どれほどの価値があるのだろう。
「薫さん、お待たせしました」
マスターに肩を叩かれた。
「なんんだか寂しそうでしたね。つまらなかったですか?すいません」
「いえ」
ワタシは寂しそうな顔をしていたのか。
感情。
機械には芽生えない。
ワタシの脳は生体と機械が混在している。
生体脳はコンピューターの持つ情報を引き出し、この体がそれを利用するための仲立ちとして存在する、はずだ。
これはマインドコントロールを施されていないための情動なのか、それともワタシたち試験体には起こりうることなのか。
人間の体に載せたコンピューターがワタシなのか。
ワタシはコンピューターを載せた人間なのか。
いくら自問しようとも答えは出ない。
答えのない問いを繰り返すとは、それもまたワタシらしくない。
いつもありがとうございます。
ランキングとか貼ってみたのでまたよろしくお願いします^^




