第2話 (3)
楓の住むマンションは、サトの住む家に比べ、随分としっかりとしたつくりのようだ。
美森は楓の後に続き、二階へ続くコンクリートの階段をゆっくりと登って行った。
楓は、美森のことを振り向きもせず、ずんずんと廊下を進んでいく。そして、一番奥のドアの前に行くと、歩みを止めた。
「ここが俺たちの部屋だな!・・・・今日は、母さんいないんだよなー。だから、オネーチャンの寝る部屋は、母さんの部屋でいいよな」
「・・・うん」
楓は美森が返事をする頃には、淡いオレンジ色の光で照らされた中で部屋の鍵をあけていた。
美森は、どぎまぎしながら楓に続き、部屋に足を踏み入れる。
楓が部屋の明かりをつけ、映し出された部屋の景色は、美森が初めて目にするそれだった。
天井も、床も、壁も、木の板を思わせる模様になっており、全体的にとても落ち着いた雰囲気をかもしだしている。
「おーい!何してんだよ」
「!」
楓が美森を呼ぶ声が聞こえた。
どうやら、いつの間にか立ち止まっていたらしい。
「・・・」
美森は、楓のいる部屋を目指してゆっくりと足を踏み出した。
楓は、キッチンの四角いテーブルの前に立ち、何かをしていた。彼の掌の上には、揚げ物らしきものが乗った皿がある。
「!・・・」
すると、突然そこから、暖かそうな湯気がたちはじめた。
楓は、湯気がたつのを見ると、その皿をテーブルの上に戻し、また違う皿を手に取る。
・・・どうやら、楓の持つ夏の力というやつで食べ物を温めているようだ。
「母さんが作っておいてくれてよかったよ・・・」
楓がそんなことを呟くのが聞こえた。
「・・・」
美森が黙ったまま楓に近づくと、彼がこちらに振り返った。
「ちゃんと、オネーチャンの分もあるから大丈夫だよー」
「・・・・」
美森は楓の言葉を聞いても、その場から動く気にはなれなかった。
何が大丈夫なのだろうか。
今の自分は、何もかも大丈夫ではない。
エターナルの真実を知ったところで、不安な気持ちはちっとも無くならなかった。
ただ、変わったこと言えばあの銀色の青年の名前が“トワ”だと分かったことだ。
「私・・・もう駄目だ・・・」
美森は、いつの間にかそう呟いていた。
「は?何言ってんだよ。夕食ならここにあるぞ?」
楓が困った顔で、こちらを見ている。
「・・・」
美森は泣きたくなった。
もし、自分が楓の立場だったらどんなに良いだろう。
「?・・・どうしたんだー。速くこっち来いよー」
美森は、一歩一歩楓に近づいた。しかしその歩みは、すぐに止まってしまう。
「もしかして、俺がオネーチャンのことをレストの民だと勘違いしたこと、まだ気にしてんのか?」
「違う・・・」
「だったら何なんだよ!・・・その顔!」
美森は楓の大声に、思わずビクリとする。
すると楓がこちらにずんずん近づいてきた。そして、その青色の瞳で美森のことを見据えた。
「せっかく、俺んちに来たっていうのに・・・」
「・・・」
「俺はなー、お前みたいな奴を見てると・・・」
『!!』
と、美森の足もがふらついた。
そして、何の前触れもなく、周りの景色が目にもとまらぬ速さで次々と後ろへ流れ馴染めた。
「何これ!?」
美森は、周りをキョロキョロと見渡す。
まるで、ビデオを巻き戻している世界に、自分だけが取り残されてしまったようだ・・・。
と、後ろから何か強い力が、体全体を引っ張った。
「っ・・・!」
(倒れるっ・・・!)
美森は思わず目をつぶる。そして、勢いよく床に倒された。
「・・・!!」
美森は次の瞬間、度肝をつかれた。
美森が目を開いて見た景色は、楓の家の中ではなかった。
いつの間にか美森は、楓のマンションの前に立っていたのだ。
しかも、今まで夜だったはずがいつの間にか夕方になっている。
(もしかして・・・寝ちゃったのかな)
居間で眠りこけた美森を、楓が怒ってここまで運んだのかもしれない。
(でも・・・)
美森は服にこびりついた土を払い落して、ゆっくりと立ち上がる。
と、その時、隣に生えている木の影から、楓が飛び出してきた。彼の大きな青色の瞳には、明らかに焦りの色が浮かんでいる。
「一体どうなってんだ?」
どうやら、楓の様子からして、彼も美森と同じ状況に陥ってしまったらしい。
「よく分からない・・・」
美森は、楓も一緒にいたことに安心はしたが、今の状況が全く理解できないので完全には安心できなかった。
エターナルに来てしまったことさえ、まだ受け入れたくないと思っているのに、まさかこんな意味のわからないことが起きるなんて・・・。
「まさか・・・“時間移動”したのか!?」
「えっ・・・」
時間移動なんて・・・。そんなこと本当にあり得るのだろうか。いや、今、自分はまさに“異世界”にいるのだからそのことだって十分にあり得ることかもしれない。
楓は、黙りこくっている美森はを見上げ思いついたように言う。
「ほらだって、オネーチャンさ・・・“時の民の印”持ってんじゃん!やっぱり本物だったんだなー。オネーチャンがこの時刻に時間移動させたんだろ!?」
「!・・・」
美森は楓の言葉に耳を疑った。
・・・そんなこと自分にできるわけない。それにまだ、時間移動したと決まったわけでもないのに。
「違うよ。私にそんなことできるわけない。それにまだ・・・」
楓は、美森がぼそぼそと話している間に、スタスタと美森の前から離れていく。
・・・どうやら、楓は美森の話を聞く気はないようだ。
美森は楓に置いて行かれないよう、慌てて彼の後に続いた。
一方、楓は、美森には見抜きもせずに周りをキョロキョロ見渡しながら、夕焼け色の町中を進む。
と、楓が小声で叫んだ。
「隠れろ!」
「!?」
美森は、意味が理解できぬまま、楓に続き道端の茂みに身を潜める。
すると、楓が言った。
「ほら!あれ俺だよ!やっぱり時間移動してたんだっ・・・。オネーチャンがそんなことできるなんて・・・思いもしなかったし!」
「・・・!」
楓の目線の先に目をやると、確かにそこに楓がいた。
・・・女の子の姿の楓が。そして彼(彼女)は、両手に抱えるぐらいの大きなジョウロで、背の高い向日葵のような花に水をやっている。
・・・今、気づいたが、今、美森たちはサトの家の前にいたようだ。
「だって、俺、今日、あの花に水やったし・・・。おっ・・・やっぱ女の姿のほうがしっくりくるな~」
楓はそう呟く。
しかし美森は、違うことを考えるのに頭が一杯で、楓の呟き聞く余裕さえなかった。
(楓君が二人いるなんてっ・・・。本当に過去に来ちゃうなんて・・・──どうしよっ)
楓は美森がやったと言っているが、自分にそんなことできるはずがない。
それに・・・このままもとの時間に帰れなかったら・・
「あのっ・・・楓く・・」
「おーい!楓―!水やりは終わったか!?」
突然、サトの家の中から声がした。・・・おそらく、サトの声だ。
「終わった~」
さっきまで水やりをしていた女の子の楓はそう言うと、空になったジョウロを片手で持ち、すたすたとサトの家へ入っていく。
すると楓が呟いた。
「そうそう!この後、じーちゃんに頼まれて、木の種を探しに森にいくんだよなー。でも、結局見つからなかったけど・・・」
一方、美森の頭の中ではある考えが渦をまき始めていた。
(もしかして・・・今の私は・・森のなかに・・)
しかし、そうであっても、自分がエターナルに連れてこられたという現実は、変えることはできないだろう。
と、女の子の楓がサトの家からでてきた。
「よーし!後をつけるぞ!」
楓はとても楽しそうだ。
「・・・」
美森はどうすることもできず、楓の後に続いた。
楓と美森は、木の影を移動しながら、女の子の楓の後をつけていた。
「楓ー!」
と、誰かが町を出ようとした女の子の楓に声をかける。
その声の主は中年の男性で、彼は女の子の楓に駆け寄った。
「そーだ。果物をおすそわけしてもらったんだよな。ほんと、女の姿でいるといろいろ運がいいんだよな・・・」
女の子の楓は、丸い果物が入っているらしいビニール袋をおじさんから嬉しそうに受取り、来た道を急いだ様子で引き返す。
(・・・たしかに女の子の楓君は可愛いけど・・)
どうやら、町の人もそう思っているらしい。
美森は隣にいる楓の横顔をじっと見つめた。
(でも・・・男だよね・・・?)
と、楓がこちらに振り向く。
「俺は果物をじーちゃんのところに持ってってるから・・・よーし!先回りだっ。・・・って言うか、何見てんだよ?」
「なっ何でもないよ・・・」
楓は不審な目つきで美森を見た。しかし、興味をなくしたらしく、すぐに顔をそらすと言った。
「何だよー。変な奴だな!・・・まぁいいや。行くぞ!」
今の楓をとめることは、今の美森には難しいことだ。
美森と楓は、薄暗い森の中を早足で進んでいく。
「このまま行けば・・・オネーチャンがいるはずだな?」
楓はにやりとして、斜め後ろを歩いている美森に振り返った。
「・・・」
(どうしよう・・・おお泣きしてるところ見られたら・・・)
そんなところを楓に見られてしまったら、彼に何と言われるか分からない。もしかしたら、年下の楓に馬鹿にされるかもしれない。
そんなことを考えていると、楓の動きがピタリと止まった。
「!!・・・」
そして美森は見た。・・・“美森”を。
もう一人の美森は、薄暗い森の中、仰向けになって眠っているようだ。
ここからでは、顔までは確認できないが、間違いなくあの人は“美森”だ。