第7話(5)
「星夜、やれ!」
「!!」
美森は凛の右腕を、そして凛の呪いの印を力強く掴んでいた。
「美森!邪魔するな」
凛の怒りのこもった声を聞いても、美森は手を離さなかった。
「やめてよ!凛君!!こんなの・・・間違ってるよ・・・」
「何が間違ってるんだよ!俺には分からない!!」
凛は、勢い良く美森の手を払いのけた。
「っ・・・・」
「俺は今まで探し回ったんだ。“この世界で一番大切なもの”を。誰の手も借りずに。でも見つからなかった!まったくな。
でも何でだよ!?後からエターナルに来た美森の呪いの印の方が、間違いなく薄かった!
美森は俺と初めて会ったときから、春の民のやつと一緒にいた。一人じゃなかった。
俺は一人で頑張ってきたのに、何だよ!?この差は?」
凛は、呪いの印を美森の目の前に突き出した。
凛は言葉を続ける。
「そんな美森に、間違ってる何て言われたくない。
俺は組織が作る世界で“この世界で一番大切なもの”を見つけるって決めたんだよ!」
「―――・・・・」
美森は凛の本音と、苦しみと怒りに歪んだ表情を目の当たりにして泣きたくなった。
しかし駄目だ。泣いては。
きっと、美森以上に涙を流したくてたまらないのは、凛のほうだ。
「―――私は・・・絶対に地球に帰らない」
「!?」
美森の言葉に凛の表情が動いた。
「凛君と一緒に、地球に帰ることが出来るまでは!」
「・・・・」
凛は表情を歪める。
「・・・・そんなの分からないだろ!」
「分かる!!」
美森は声を張り上げて言った。
「凛君は、私にとても優しくしてくれた。お礼を言っても足りないぐらいに。・・・でも、私は凛君に何も出来なかった。
本当は苦しんでいるはずの凛君を・・・見つけてあげることもできなかったん・・・だよ・・」
何で自分は、こうも無力なのだろう。
他人から与えてもらうばかりで、自分は何もしていなかった・・・・。
「だから私はっ・・・せめて凛君と一緒に帰りたい。凛君が見つけるまで待ちたい!絶対に待ってるから・・・。
だから・・・この世界を闇に変えないで。
トワが言ってた。この世界にしか“この世界で一番大切なもの”はないって。トワとノワさんがいなくなった世界には無いんだよ・・・。
だからこの世界でもう少し探してみて・・・よ。私待ってるから。絶対に大丈夫だから・・・」
「―――・・・・・」
凛の顔にはもう怒りの表情は、浮かんでいなかった。その代わりそこにあったのは、悲しみに歪んだ表情だった。
私も悲しくてたまらないよ・・・。
たくさんたくさん頑張ってきた凛君が、こんな表情をしなくちゃいけないんなんて。
そして凛が静かに口を開いた。
「何で美森は・・・トワのことを信じてるんだ・・・?トワやノワが嘘をついてたらどうするんだよ?」
「それは私がっ・・・」
「ほぉ。そんなに星夜に時の裂け目を作ってもらいたくないならば、お前が作ったらどうだ?日菜野 美森」
「えっ・・・!?」
美森は瞬時に千世の顔を見た。
千世は不気味な笑みを浮かべている。
美森は助けを求めて、凛の方へ視線を移す。
凛の顔は、ほとんど無表情だったが、その琥珀色の瞳は微かに歪んでいるように見えた。
「美森!!千世から離れろ!!」
「!!」
勇の怒鳴り声が、美森の後ろから響く。
美森は駆け出した。だが、遅かった。
美森の髪を、千世に力強く掴まれた。
「痛っ・・・!」
次の瞬間、千世の掌が美森の後頭部を掴む。
「残念だがお前には、時の裂け目を作れる条件がそろってないらしいな。だが、私がその条件を満たす手伝いをしてやるよ」
千世の手に力が入った。
「・・・その条件とは“憎しみの心”だ」
千世の言葉が聞こえた瞬間、美森は激しい頭痛に襲われた。
・・・頭が割れてしまいそうだ。
「うっ・・・・」
美森は頭を抱えて、床にうずくまる。
千世の手は離れたが、その痛みは休むことを知らず、ますます激しくなった。
美森のそばに誰かが近寄ってきたのが分かった。しかし、誰なのかは分からない。
この痛みのせいで、目を開けている余裕させなかった。
とその時、その頭痛に混じって誰かの声が聞こえてきた。
《なぜお前はエターナルにいるんだ?》
「・・・!」
その声が聞こえた瞬間、頭が割れるような痛みはピタリとやんだ。
美森は不思議に思い、ゆっくりと目を開ける。
「!!」
美森は何もない“闇そのもの”の中に一人で立っていた。
(ここは・・・どこだろう?)
しかし、不思議と怖い感じはしなかった。それどころか、ずっと昔からここにいたような、そんな安心感が美森の心を満たしていた。
《なぜお前はエターナルにいる?》
《・・・それは時の民のトワに、無理やり連れてこられたから》
誰かの声に自分の声が応える。
美森は全く話しているつもりはない。しかし、自分の声が確かに聞こえる。
この声は・・・自分の心の声なのだろうか。美森はそんなことをぼんやりと考えた。
《なぜお前はエターナルに連れてこられたんだ?》
《そんなの分からない。でも私が何もしてないことは確か》
自分の声には怒りが混じっているように感じた。
そうだ・・・。何もしてないのに・・・私は・・・たった一人でエターナルに連れてこられたんだ・・・トワに。
「私・・・何も悪いことしてないのに」
今度の声は自分の口から発せられたようだ。
自分の口を動かして、美森はそう言った。
いつの間にか、美森の目の前に蹲っている一人の少女がいた。
《私、何も悪いことしてないのに!!!》
その少女は美森と同じ言葉を口にした。
少女は両目から涙を流し、その顔は悲しみに歪んでいる。
いや、悲しみの表情ではない。あれは・・・・憎しみの表情だ。
美森には分かる。
なぜならあの少女は・・・・自分だ。
《早く私を地球に帰して!!トワ!!!》
「トワが憎いだろうな。美森?」
「・・・憎・・・い」
美森の目からは涙が溢れていた。
それらの涙は次から次へと床に落ち、そこに丸いシミを作る。
涙が止まらない。苦しくて、辛くて、不安だ。
見上げるとそこには千世の顔があった。
千世は憐れむような瞳で美森を見下ろし、そして微笑んだ。
千世は美森の前にゆっくりとしゃがみ込むと、穏やかな口調で言った。
「さぁ、ここに掌を当て“トワなんて消えてしまえばいい”と願うんだ。そうすれば、その涙を止めることができるぞ?」
千世は片方の手で美森の襟もとを押し広げ、そして指先で“印”を指示した。
「・・・・」
美森はゆっくりとその印に掌を持ってくる。そして、その手を呪いの印にかざした。
(これでいいんだよね・・・?私はトワのことを憎んでるんだから・・・)
「美森、本当に憎んでるのかよ!?千世に・・・」
「そう。それでいいんだ。美森」
美森は、千世の言葉しか耳に入れることが出来なかった。
勇の言葉は自分には関係のない言葉に聞こえる。
美森は呪いの印に意識を集中させた。
(トワなんて・・・)
「憎いじゃない。“憎かった”んだろ?美森」
背後から、凛の低い声が聞こえた。
「・・・・え・・」
(憎かった・・・?)
それならなぜ、自分は今、涙を流しているんだろう。“憎かった”んなら、今の自分は涙を流す必要なんてないのに。
「その涙は、自分の過去のためにある涙よ」
「!・・・」
美森が声のほうに顔を上げると、そこには金色の瞳を持った美しい女性=ノワの姿があった。