第6話 (4)
「あの子の記憶を安定させる方法が分かったって・・・本当ですか?」
留維は、開けた車のドアを閉めなおして、吏緒の顔を見た。
吏緒は、満足げな笑みを浮かべる。
「ああ!・・今のあいつの記憶に、今までにない強い記憶を与えるんだよ。そしたら、その強烈な記憶が、あいつの精神を支配する。
美森だったころの記憶を、思いだす余裕がなくなるほどにな!」
「・・・」
留維は、少しの沈黙をおいた後、クスリと笑う。
「・・・吏緒にしては、いい考えじゃないですか。やってみる価値は、ありそうですね。それで、その強烈な記憶をどのように与えるかは、分っているのですか?」
吏緒は、留維の言葉に鼻で笑った。そして、口元に不気味な笑みを浮かべる。
「あぁ。・・・この前、勇がつれてきただろ?冬の民のパーツをよ。そいつを利用するんだよ」
次の日・・・
アカリはいつものように、朝起きると台所に立って、朝食の準備をしていた。
いつもは、アカリが朝食を作るのだが、昨日は兄さんたちに作らせてしまった。でも、今日は大丈夫みたいだ。留維にいさんも吏緒兄さんも起きてきてない。
アカリは、油ののったフライパンに、生卵をのせた。ジューといい音をたてて、卵が広がる。
(今日は・・・目玉焼きでいいや・・)
とそのとき、誰かが階段を下りる音が聞こえた。
(兄さんだっ・・・)
いつもこの音で、二階で寝ている、留維と吏緒がいつ起きたか分かる。
毎朝早く起きるほうは・・・
「おはようございます。アカリ」
留維が台所に顔をだした。
「おはよう」
留維は、アカリの顔を見ると、洗面所に向かうため台所を後にした。
留維は朝だからといって、機嫌が悪いということはないようだ。
アカリは目玉焼きののった皿を三枚、テーブルに並べた。それから湯気のたったごはん、などなど・・
アカリが、朝食の準備を終えるころに留維が茶の間に入ってきた。
留維は、自分の定位置のテーブルの前に腰を下ろした。
・・・吏緒が席についてから朝食は始まった。
(・・・何だろう)
二人の様子が、いつもと違う。
朝食を食べ始めてから、二人は何かをひそひそと話している。
もちろん、アカリには二人が何を話しているのか聞き取れない。
しかし、アカリは「何話してるの?」と聞く気にはなれなかった。
自分は、知る必要のないことだと思ったし、アカリがそのことを口にしたら、二人が焦ってしまうことが目に見えていた。
アカリは、ただ黙ってごはんを口に運んだ。
「アカリ」
「!・・・」
アカリは留維に声をかけられ、留維の顔を見た。
留維の目は、ただまっすぐアカリのことをみている。隣に座っている、吏緒の顔にも真剣さが現れていた。
「―――・・・」
アカリは、静かに茶碗と箸をテーブルの上に置いた。
(・・・いったい何なんだろう)
「アカリ・・・私たちの仕事に協力してくれませんか?」
「えっ・・・」
アカリは、予想もしてなかった留維の言葉に驚きを隠せなかった。
(・・・兄さんたちの仕事って・・・)
「私たちの仕事は、この世界を平和に、そして住みやすくするために活動することなんです。
アカリにかできないことなんです。協力してくれませんか?」
「・・・――」
アカリは、ただ黙って留維の穏やかな顔を見ていた。
(・・・―私にしか出来ないことって・・・あるの・・?)
「アカリには"時の裂け目"を作る力がある」
吏緒が低い声で言った。吏緒は言葉を続ける。
「アカリの首元に変わった形のあざがあるだろ?それが、その証拠なんだよ」
「・・・」
確かに、アカリの首元には変わった形のあざがある。
アカリはそのあざを、昔から何となく特別なものだとは思っていた。何か大切なことがこのあざには、ある感じがしていた。
(・・・そういうこと・・だったのか・・)
「私・・・やってみたい」
アカリは呟くように言った。
留維と吏緒は、アカリの言葉を聴いて微笑んだ。
アカリは今、必要とされている。
留維と吏緒の気持ちに答えたかった。必要とされているのに、断るなんて出来なかった。
「よし!」
吏緒はそう言って立ち上がる。
「それじゃ、さっそく行くぞ」
吏緒は、アカリの隣まで来ると、座っているアカリの手をとった。
「!」
アカリはドキリとした。
吏緒の掌は、とても大きかった。そして、怖かった。
・・・どうしてこんな気持ちになるんだろう?
吏緒兄さんの掌に触れるのは、初めてじゃないはずなのに。
「ほら、行くぞ」
吏緒はアカリの手を、力強く引いた。
「あっ・・でも、片付けが・・・」
まだ朝食の食器が、テーブルに並べてある。
「大丈夫だろ!帰ってからやれば」
「・・・うん」
アカリは、吏緒に促されるまま立ち上がった。そして、そのまま玄関へ向かう。
留維は、ただ黙って二人の後に続いた。
アカリは最後に、肩越しに振り返った。
・・・留維越しに、朝食が並んだままのテーブルが見えた。
そらは目を覚ました。
そらは、明るい部屋のベッドの上に横になっていた。
(・・・ここは・・・どこ?)
そらは起き上がると、ぐるりと辺りを見渡した。
何もない部屋だ。
白い壁にカーテンのついてない窓。その窓から、太陽の光がさんさんと降り注いでいる。
自分は、レストの民にここに連れてこられた。それだけは分った。
自分が、あの塔から抜け出したばっかりに。
・・・でも、これでよかったのかもしれない。
自分が住んでいた街=ウィタの街にからは魔物がいなくなった。これで、街の人々は、せいせいするはずだ。
そらはベッドの上で、ギュッと唇を噛みしめた。
(もういいの・・・。姉さんにも・・街の人にも会えなくて。私には・・・美森さえいてくれれば・・・)
姉さんも、街の人も、空が塔に閉じ込められて以来、一度も会いに来てくれなかった。
でも、美森はそらに会ってくれた。
自分は、魔物ではないと認めてくれた。
そらは、ベッドから降りると、素足のまま、窓の外を覗きに行く。
初めて見る風景だ。
沢山のレンガ造りの建物。そして、下方ではウィタの街ではほとんど見られない車、というものがたくさん走っていた。
空は、綺麗な色。
青色と、ところどころに、白い色の曇が広がっている。
ウィタの街で見る、灰色の空ではなかった。
とその時、後ろのほうで扉の開く音が聞こえた。
ドキリとして振り返ると、そこには黒髪の男の人が立っていた。
「だ・・れ?」
そらの声は、震えている。
その人の身にまとう、オーラがとても怖かった。
まるで、今にもナイフを持って切りかかって来そうな雰囲気だ。
彼は、そらの目の前までゆっくりと歩いてきた。
「!・・・」
(なんて恐ろしい目なの・・・)
彼の瞳は、光のない夜の空の色だった。そらが、毎日、塔の中から仰いでいた夜空の色。
光が見えない"闇の色"だ。
彼は、そらの後ろに回り込むと、そらの口に布のようなものをきつく巻きつけた。
「!!」
そらは、抵抗しようとしたが、彼の手が空の手をとらえており、この場から動けない。
「入っていいぞ!」
彼は、しまっている扉に向かってそう怒鳴った。
すると、その扉から帽子をかぶった青年と・・・・
(美森!!)
しかし美森は、そらの姿を見ても一瞥しただけで、すぐにそらから目をそらしてしまった。
「んー!んっー!」
美森に声を掛けたくても、この状態では言葉を発することも難しい。
「手間をかけさせましたね。吏緒」
帽子の青年=留維は、空のことをとれている黒髪の青年=吏緒に、そう言った。
すると、留維が空に掌を突き出した。
「!!」
たちまちそらは、全身の力が抜けて立っていられなくなる。
そらは、重力にされるがまま床に仰向けに倒れた。
(美森っ!)
立ち上がろうとしても、力が入らない。指の一本も動かせない。
これでは、美森の姿でさえ、とらえることが出来なかった。
ただ、声だけが空の耳に入ってくる。
「あの子のことを殺しなさい。それが、"力"を使うために必要なことなんですよ」
「・・・・ほんとに?・・・そうしないと、力は使えないの・・・?」
「そうですよ」
(美森が私を殺す?美森がそんなことするわけない・・。・・・一体、何の話をしてるの?)
数々の疑問がそらの頭をよぎったが、今のそらでは天井を見つめていることしかできない。
すると、そらの耳元で靴音がした。
おそらく吏緒が、美森のほうへ移動したのだろう。
「そーだよ!力を使うためには、仕方ないんだよ!」
「絶対に・・・そうしないと駄目なの・・・?」
「あぁ!」
美森の声は他の二人とは違い、弱弱しく震えているようだった。
「はやくしなさい。アカリ」
(・・・!)
そらは、その言葉に目を見開いた。
(どうしてアカリと呼ぶの?・・・この声は、間違いなく美森・・・)
「!!」
突然、そらの目の前に何か黒いものが現れた
それは・・・銃口だった。
そらは、自分の目を疑った。
銃越しに見えたのは、美森の苦痛に歪んだ顔だった。
・・・美森の震える指先が、銃の引き金にかかった。