第6話 (3)
アカリは家に帰ってからも落ち着かなかった。
テレビをつけても、お気に入りの本を開いても全くその内容が頭に入らない。
アカリはしおりを挟むと、本をぱたりと閉じた。
(勇に会いに行こう・・・)
勇は、表面上は平気なふりをしているが、きっと本当は寂しい思いをしているだろう。長い間一緒にいて、突然、離れ離れになってしまったのだから。
雫の記憶は消されてない。きっかけがあれば、勇と雫は元どおりの関係に戻れる。
アカリは、そのきっかけを作ってあげようと決意した。
アカリは、勇の家の前に来ていた。
勇の家は、アカリの家の近いところにある。大通りにでて、道沿いを歩けば、十分もかからない。
アカリは一息つくと、玄関のチャイムを押した。
家の中から、誰かが近づいてくる足音が聞こえる。止まったかと思うと、玄関の扉が開いた。
「あら。アカリちゃん」
「おはようございます」
アカリは、勇の母親に向かって軽く頭を下げた。
勇の母親とは、家が近いこともあり顔をあわす機会が多かった。
「どうしたの?朝から」
勇の母親は、とても親しみやすい笑顔でアカリに問いかけた。
「あの・・・勇君に用事があって」
勇の母親はあら。という顔をすると、玄関のすぐ近くにある階段から、二階に向かって「勇ー!アカリちゃんが来てるわよー」と呼び掛けた。
しかし、返事はない。
勇の母親は、その場で玄関に立っているアカリに向きなおると言った。
「アカリちゃん。勇、自分の部屋にいると思うから行ってもらえる?ごめんね」
「あ・・分りました」
勇の母親は、困ったような笑みを浮かべると、アカリに背を向け家の奥へ歩いて行った。
勇は、自室のソファ代わりになっているベッドに座っていた。
机の上に置いてあるデジタル時計は、AM9:20。
起きたはいいもの、何もやる気がおきない。
(だりぃ・・・)
勇は、そのまま仰向けに倒れる。
カーテンは閉まっており、部屋は薄暗い。
勇は、灰色に染まった天井を見た。
・・・自分はなんのために組織にいるのだろう。
勇は、この世界に特別な不満は感じていなかった。
この世界を平等にするためにパーツを集める?勝手にやってくれ。どうだっていいそんなこと。
しかし、どうだっていいことを、組織に入っているからにはやらなければならなかった。
自分は、組織に入って少しは強くなれただろうか。・・・否。全くなれていない。逆に自分の弱さを、思い知らされた。
雫がいなくなってから、余計にそうだ。
大切な人から離れると、誰でもそうなるのだろうか?
それとも、自分が弱すぎるだけなのだろうか・・・?
アカリは、ゆっくりと階段をのぼって二階へと上がった。
勇の部屋へ行こうと思ったが、その前に雫の部屋を覘いてみようと思った。
雫の部屋には、前に一回だけ行ったことがある。
自分のことをあまり話さない雫が、部屋に入れてくれたことは珍しいことだった。
(・・・あれ?でも、何しに行ったんだっけ・・?)
アカリは、あけっぱなしになっている雫の部屋を覗きこむ。
「!・・・」
しかし、そこは部屋というより物置に近い状態だった。
ダンボールが何個も積み重ねてあり、埃をかぶった本や漫画が、ところ狭しと並べてある。
「そうか・・・」
雫は、いないことになっているのだ。もちろん、雫に関係する全てのものもなくなっている。
アカリは、それは当たり前のことだと分っていながらも、どこか胸が締め付けられる思いがした。
雫がこの部屋を使っていたことは、間違いなく事実なのに。
「・・・」
アカリは、勇の部屋の前まで戻ると、そこで足を止めた。
扉は閉まっている。中からは何の物音も聞こえない。
(・・・ほんとにいるのかな?)
勇は、そのまま目を閉じた。
「・・・・」
自分がやったことは、本当に正しかったのだろうか。
"美森"の記憶を閉じ込めてしまったこと。そして、"アカリ"としての記憶を植え付けたこと。
おそらく、今の美森は幸せだろう。しかしそれは、偽りの幸せだ。否、偽りの幸せでも、"幸せ"だということには、かわりないのだろうか。
少なくとも自分から見て、美森は幸せではない。"可哀そうなやつ"だ。
自分が弱いばっかりに、美森を可哀そうな奴にしてしまったのだ。
自分の弱さは美森を・・・・そして雫を犠牲にした。
自分が弱いばっかりに!!
勇は、唇を強く噛みしめた。
(強くなりたい・・・)
アカリは、勇の部屋の扉を軽くノックした。
「勇。いる?」
しかし、返事はない。
その代り、人のいる気配がした。
カーテンを勢いよく開ける音・・・忙しそうに歩きまわる足音。
そして扉が開いた。
「アカリ。おはようさん!」
「おはよう」
勇の眠そうな顔がのぞく。
アカリは、勇の顔を見て軽く微笑んだ。
勇はまだパジャマ姿のようだ。
「ごめんね。朝から。・・・話したいことがあって」
勇は、頭をポリポリかくと言った。
「お~。分った。でも、顔だけ洗ってきていいか?」
「大丈夫だよ」
アカリは笑顔で言った。
勇は、アカリの言葉を聞くと、横を通り過ぎて階段を下りて行った。
(もっと遅い時間に来ればよかった・・・)
アカリは勇に迷惑をかけてしまったと思い、少し悲しくなった。
アカリは、勇が戻って来るのを待って、勇の部屋に入った。
「でっ、話って何?」
勇は、ベッドに腰を下しながら言う。
「あの・・・」
アカリは、勇がベッドに座るように促したので、そこにゆっくりと腰をおろした。
目の前にある大きな窓からは、朝の陽ざしが燦々と降り注いでいて、部屋を明るく照らしている。
勇の部屋は、思ったより片付いているようだった。
「話って何~?」
「・・・」
勇は、自分の太ももに肘をついてアカリのことを見ている。
「・・・雫が・・・この街に来てたよ」
「!!・・・」
勇の瞳が、大きく開かれたのが分かった。
「雫が!?」
アカリは一回だけ頷いた。
「何で雫が・・・」
勇の表情は驚きの表情から、困惑の表情へと変わっていた。
「・・雫はちゃんと覚えてたよ。・・勇のことも」
「そんなわけねーだろ。雫の記憶は、俺がちゃんと消したはずだ!!」
「雫は・・・記憶を消されたふりをしていたんだって・・・」
沈黙・・・。
アカリは、その沈黙に耐えきれず太ももに目線をおとした。
「・・・何でそんなこと・・・アカリに分るんだ?」
勇の声は、先ほどとは違い、とても落ち着いている。
アカリは、目を伏せたままそれに答えた
「私・・・雫と話したの。近くの公園で・・・。
雫が言ってた。勇のために雫は全てを忘れたふりをして、勇から離れたって」
「・・・・」
アカリは、顔を上げないで下ばかり見つめていた。
今の勇の表情は・・・見たくなかった。
「・・・何でそんなこと・・・俺のためって。・・・俺だって雫のために!!」
「・・・きっと雫は、勇の気持ちに答えるために"勇が思っている雫の幸せ"になるために、そう・・・したんだと思う・・」
「何でっ・・・それじゃ今、雫は不幸なのか!?
そうすれば・・・絶対に雫は幸せになれると思った。本当の家族といたほうが、絶対に幸せになれると思った!」
「違う!」
アカリは叫んだ。
勇の表情が、微かに動いたのが分かった。
「雫は・・・幸せだと思う。家族と一緒にいれて不幸だと思う人はいないから・・」
「・・・それならっ」
「でも!」
アカリは、勇の言葉を遮るように力強く言った。
「勇と一緒にいることも雫にとって、幸せなことなんだよ・・・。私たちがもっている"幸せ"は、一つだけじゃないでしょ・・・?」
「・・・・・それじゃ・・・何で・・・雫は、俺に会いに来てくれなかったんだ?雫は、俺に会いたくないってことじゃないのか?」
「・・・」
アカリは唇を強く噛みしめた。
「そんなわけない。雫も勇に会いたくてたまらないはずだよ。
でも・・・"勇にとっての幸せ"になれてない雫と、勇が会ってしまったら、勇はこれじゃダメだって・・・また苦しい思いをするでしょ・・・。
・・・雫は、勇が雫のことを大切に思っているように、雫も勇のことを大切に思っているんだよ・・・」
「・・・・」
アカリは、ゆっくりと顔をあげた。
・・・勇は、ただ前を見据えていた。
表情は、とても穏やかだった。
「・・・よかった」
勇の声は、呟くようだった。
「本当によかった」
勇は、その顔をアカリにむける。そして、にっこりと笑った。
「また励まされたな」
アカリは、勇に微笑みを返した。
「ありがとな。・・・・・ 美森」
勇は、最後の美森という言葉は、アカリには聞こえないように・・・呟いた。
勇は、美森と話しているように感じた。表面上はアカリだが、たしかにその中に美森の心があった。
きっとアカリは、美森に戻ることができる。
否・・・絶対に戻してみせると勇は思った。