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エターナル  作者: 夕菜
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第5話(4)



 暗闇がはけたかと思うと、美森は塔の前に立っていた。

 雪はまだ降っており、それは頬に当たるたび冷たかった。

(外に出れたんだ・・・)

 美森は振り返り、さっきまで自分がいた塔を見上げる。

 そこにある窓には、あの女の子の姿は映っていなかった。

「・・・」

 このまま雪にあたっていては寒くて仕方ないので、美森は宿に帰る道を歩き出す。そして、歩きながら考えた。

(あの女の子は、そらちゃんだ・・・)

 そう、一生出ることのできない場所に閉じ込められてしまった、葵の妹・・・そらだ。

 だから、あの子はあんなにも哀しそうな声をしていたのだ。

 そらは、美森に小さな声で「会いに来て」と言った。

 必死になるのではなく、ただ小さな声で会いに来て、と。

「・・・──」

 美森は、会いに行こうと思った。魔物ではなく“そら”に。

 きっとそらは、もう諦めてしまったのかもしれない。誰かが自分に会いに来てくれることを。そして、その理由を“自分が魔物だから”と思ってしまっている。

 美森は悲しかった。

 あんなにも小さな女の子が、こんなにもさみしくて苦しい思いをしなくてはならないなんて。

 自分が少しでも、そらの支えになれるのならば、そらに会いに行かなくては、と美森は思った。






 次の日の朝、美森は寒さに震えながらも塔の方へ向かった。

 空は相変わらず灰色一色で、今にも雪がふってきそうだ。

「!」

 塔の前に近づいたとき、美森はあることに気付いた。

 塔の前に誰かが立っている。

その人は、ほとんど動かずじっと塔を見上げている。

(誰だろ・・・)

 塔の周りはいつも人気があまりないし、民家も建っていない。こんなところに何の用事があると言うのだろうか。

 美森はそう思いながら、塔へ近づく。それと同時に、その人の後姿がはっきりと見えてきた。

「あっ・・・」

(葵さんだ・・・)

 塔を見上げている人は、葵だった。

 美森は声をかけるべきかどうか迷い、ひとまずその場で立ち止まった。

 葵は美森が来たことに気付く様子もなく、ただじっと窓を見上げていた。

「・・・」

(もしかして・・・)

 葵はそらに会いにきたのだろうか。そらは、誰も会いに来てくれない、と言っていたが、葵の妹はそらだ。本当は、葵はそらに会いたくて仕方ないのかもしれない。

 しかし、様子が違う。葵はただ窓を見上げているだけで、他に何もしようとしない。

 とその時、葵がこちらに振り返った。

「!・・・」

 美森は、振り返った瞬間の葵の表情を見てドキリとした。

 葵は、今にも涙がこぼれそうな、とても哀しげな表情をしていた。いつもの葵とはまったく違う。

 葵は美森がいることに気付いたらしく、一瞬歩みをとめる。そして、早足でこちらに歩いてきた。

「・・・生きて帰れたんだ。どうだった?魔物は。怖かったか?」

 葵は、さっきの表情が嘘だったかのように、口元に薄い笑みを浮かべ、美森にそう問いかける。

「・・・魔物じゃないよ」

 美森がはっきりとそう口にすると、葵は目を見開いた。

「葵さんの妹の・・・そらちゃんだよね?」

 葵は美森の言葉に、また表情を引きつらせていた。しかし、すぐにいつもの落ち着き払った表情に戻る。

「へぇ。そんなことまで知ってるんだ。・・・そうだよ。魔物は私の妹。でも、もう一生会えないけどね」

 葵の表情はどこか寂しげだった。・・・そらと同じように。

 葵は、美森から視線を外すとまた歩き出す。そして、彼女の後姿は街並みの方へ消えてしまった。






 美森は塔の前に立つと、窓の方を見上げた。

 そこには、そらの姿は見えなかった。

 ・・・きっと葵も美森と同じように、誰もいない窓を見上げていたのだろう。

「・・・」

 なぜ葵は、ここまできてそらに会おうとしないのだろう。会えなくては、会おうとしなかったことと同じになってしまうのに。

 せめてそらが、葵がここまできていたということを知っていれば、少しはその悲しみを癒すことができるはずなのに。

 とその時、美森は重要なことに気付いた。

(っていうか・・・どうやって中に入ればいいんだろ)

 ここにさえくれば、そらがあの氷のトビラをだしてくれるもんだと思っていた。・・・しかし、その考えは甘かったらしい。

 美森は他に塔の中に入る場所がないか、周りを歩いてみる。

「あっ」

 塔の裏の壁にドアを見つけた。

 ここから入れそうだ。

 美森はドアノブに手を伸ばし、それに手をかける。が・・・

(開かない・・・)

 いくらドアノブを回しても、それは開くことがなかった。

 どうやら鍵がかかっているらしい。

「はぁー・・・」

 美森は落胆した。

 もうこれで塔の中に入る手段がなくなってしまったのだ。

(どうしよ・・・)

 美森はひとまず、塔の表側に戻ってみる。

 窓の方を見上げてみたが、やっぱりそこには空の姿はなかった。

(ほんとにどうしよ・・・)

 美森は焦った。

 このまま帰っても、きっと後悔する。

「・・・会いに来たよ!!」

 美森は大声で窓に向かってそう叫んだ。

 ・・・ひとまずそうするしか方法がなかった。

 窓ははるか頭上にあるし、それに加えきっちりと閉まっている。

 声が届かないってことは分かっているけど・・・。

 反応は・・・やっぱりなかった。

「・・・──」

(もしかしたら・・・まだ寝ているだけなのかも)

 美森はその可能性があることに気付いた。

 朝起きて、すぐにここまで来たわけだし、もしかしたらそうかもしれない。

(また少したったら来よう・・・)

 美森はそう判断し、宿に引き返そうとした。

 そのとき・・・

 目の前に、氷のトビラがスッと現れた。

 美森は突然現れたトビラに息をのむ。

(これで中に入れる!)

 美森は、一歩、トビラに歩み寄った。

 するとトビラは、美森のことを待っていたかのように、静かにその口を開いた。

 今度は、足が勝手に動くことはない。

 ・・・美森は自分で足を動かし、トビラの中へ足を踏み入れた。








 闇が消えると、美森は塔の中にいた。

 窓際にある小さな椅子には、そらが座っており、彼女は机の上に広げたスケッチブックにクレヨンで何かを描いている。

「あの・・・」

 そらに声をかけると、彼女は手の動きを止め、こちらを見た。

 その琥珀色の瞳は大きく開かれ、美森が来たことに驚いているように思われる。

「・・・まさか、本当に来てくれるとは思ってなかったわ」

 そらは、そう声を上げると、嬉しそうに笑った。そして、椅子から飛び降り、美森に抱きつてくる。

「すごく嬉しいっ・・・」

 そらはそう呟きながら、美森のことをより強く抱きしめた。

(よかった・・・)

 そらに喜んでもらえて。

 彼女の体温は相変わらず冷たかったが、美森の心は安心感と嬉しさで一杯だった。

「・・・何の絵、描いてたの?」

 美森は何となく気になっていたことを質問する。

 そらは美森から離れると、「窓から見た景色を描いてたの」と嬉しそうに言って、机の方へ歩み寄った。そして、その上に広げてあるスケッチブックを手に取った。

 美森もそらの隣に立ち、スケッチブックを覗き込む。

「─・・・」

 そこには白いクレヨンで描かれた三角屋根の家と、グレーのクレヨンで塗りつぶされた空しか描かれていない。

 シンプルで少し寂しい絵だ、と美森は思った。それでも美森は、「上手だね」と言ってそらに向かって微笑んで見せる。

「だって何度も描いているもの。もうこの景色を描くのも飽きちゃったわ。・・・ねぇ、あなたも一緒にお絵かきしましょ?」

「うん・・・!」

 そらはスケッチブックの紙を一枚切り取って、美森に渡してくれた。

「ありがとう」

 美森はそう言いながら、紙を受け取る。

(何の絵、描けばいいんだろ・・・)

 美森がそう考えている間にも、そらを黙々と作業を始めている。

「・・・」

 美森はしばらく考えた後、あの絵を描くことに決めた。

 使う色は・・・緑、青、こげ茶、白・・・。

 机の半分を使わせてもらい、美森も黙々と白い紙に絵を描いていった。

「変わった色で空を塗るのね」

 そらが興味津津な様子で、美森の絵を覗き込む。

「?」

 美森は青色のクレヨンの持っている手を止め、そらを見た。

(そうだ・・・ウィタの街では一年中、雪が降ってるから・・・)

 青空がないのだ。そして、白い雲も。そして、夕焼け空も。

「・・・うん。私の住んでいる場所では、空はこの色なんだよ」

 そらは、美森の言葉を聞くとその瞳をより輝かせる。

「素敵だわ!あなたはこんな色の空を見たことがあるのね。私、いろいろな色の中でも、青色が一番好きな色なのよ」

「うん。私も青色、好きだよ」

 空がとても嬉しそうに話すので、美森も思わず笑みがこぼれた。

「青色の空は、やっぱり綺麗なんでしょう?」

「うん」

「・・・私も、そんな綺麗な空が見てみたいわ」

 すると、そらは窓の外にゆっくりと目を向けた。

 美森もつられて外を見る。

 そこには、真っ白な雪で覆われた街が広がる。

 朝方まで雪が降っていたのか、歩道にも雪が積もっていて、まるで白のクレヨンで塗りつぶしたような景色だ。

 次に美森はそらの横顔に目を向ける。

 彼女の横顔は、今までとは違い、哀しげだった。

「でも、私には無理だわ。“魔物”はこの塔から出てはいけないもの。・・・だから私は、どこにも行けないの」

「・・・違うよっ」

 美森が思わずそう言うと、そらは不思議そうに美森を見た。

 ・・・いつから、美森の目の前にいる女の子が魔物になった?

 ・・・とても嬉しそうに笑ったり、哀しげな瞳で話したりする女の子が、魔物のはずない。

「魔物じゃない・・・“そら”でしょ。葵さんの妹のそらちゃんだよね・・・?」

 美森はそらの目を見ながら、静かにそう言った。

 美森の言葉を聞いた後、そらは少しだけ俯いた。すると、彼女の目から涙がこぼれた。

「そうだ・・・私、そらだった・・・」

 そらの目からこぼれた涙は、次々と机の上に丸い染みを作る。

 そらは嗚咽の漏れる中、必死に言葉を続けた。

「・・・その名で私を呼んでくれる人は、もういないと思っていたの・・・。私、すごく不安だった・・・。みんな、私の名前を忘れてるんじゃないかって・・・。そして、私もいつかは自分の名前を忘れちゃうんじゃないかって・・・」

 すると、そらは顔を上げた。

 その綺麗な琥珀色の瞳からは、涙が溢れ、それらはそらの頬を伝う。

「っ・・・──やっぱり私、そらでいたい。私は“そら”だから」

「うん・・・」

 美森は静かに頷く。

 そらは、小さな手で右と左の目から溢れている涙を一生懸命に拭うと言った。

「私・・・あなたの名前を訊いてなかったわ。名前、何ていうの?」

「美森だよ」

 美森は微笑む。

 そらはにっこりと笑った。








 美森はそらに別れの挨拶をしてから、塔の外へでた。

(これからも時々、そらちゃんに会いに行こう・・・)

 美森は自分の中でそうきめて、街の方へ歩きだす。

「・・・」

(そういえば・・・)

 美森は葵が言った言葉を思い出した。

 葵は「そらには一生会えない」と言っていた。

 ・・・絶対にそんなことないと思うのに。

(今日のこと葵さんに話してみようかな・・・)

 きっと葵は、そらがあの塔の中でどのような様子か気になっているはずだ。

「魔物の様子はどうだった?」

「!」

 その声に振り返ると、少し離れたところに制服姿の葵が立っていた。

彼女は制服の上からきているコートのフードを頭にすっぽりと被り、目もとが半分隠れている。そのせいで表情がよく分からなかった。

「・・・葵さん。そらちゃんに会いに行ってあげて・・・」

 ・・・きっとそらも葵が会いに来てくれれば、嬉しいはずだ。

「私はそらには会いたくない」

 葵は強い声でそう言った。

「!・・・」

 美森は葵の思わぬ応えに口を紡ぐ。

 葵は美森に近づくと、言葉を続ける。

「そらは私のせいで、あの塔に閉じ込められた。・・・泣きわめくそらを、私は助けることができなかった。指一本触れることも、優しい言葉をかけてあげることもできなかった。

きっとそらは、私のことを憎んでいるだろうね。・・・きっと、毎日泣いているだろうね・・・」

 葵の声は最後には弱弱しくなり、彼女は俯く。

「だから私はそらに会いたくない!!」

 葵は顔を上げると美森の目を見て、力強い声で言った。

「──・・・」

そらは泣いていた。しかし、それは憎しみの涙でも、悲しみの涙でもなかったことを、美森は知っていた。

それに空が、最後に見せてくれた表情は・・・・笑顔だった。

「・・・違う・・そらちゃんは・・笑ってた」

 美森の言葉に、葵の表情が少しずつ少しずつ穏やかになっていく。

 葵はフードを外し、美森のことを一瞥すると目を伏せ呟くような声で言った。

「それは・・・本当か?」

「うん・・・笑ってたよ」

「・・・そうか」

 すると葵は、すぐさま美森に背を向け歩きだした。

「・・・・・」

 背を向ける一瞬の葵の表情は、とても穏やかだった気がした。






 そして、次の日の朝。

「美森」

「・・・――?」

美森は誰かに呼ばれて、目を覚ました。

ベッドから体を起こす。

「――あれ?」

しかし、そこには誰の姿もなかった。

ただ、カーテンから漏れている日差しが、部屋を明るく照らしているだけだ。

「!」

一瞬、冷たい新鮮な空気が、美森を包んだ気がした。その途端、目の前に、そらがフワリと現れた。

「そらちゃん!」

「・・・おはよう。美森」

「おっおはよう」

美森は驚いた。こんなところに、そらが来るなんて思いもしなかったからだ。

美森はベッドから降りると、そらの隣に立った。

美森は、穏やかなそらの表情を見ながら、できるだけ冷静に言った。

「そらちゃん・・こんなところにいて大丈夫なの?」

そらはにっこりと笑った。

「本当はだめなの。誰かに気づかれたら、どうなるか分からないわ」

「・・・それじゃどうして・・」

「美森に会いたかったからよ」

そらは少し恥ずかしそうに言うと、かわいく笑った。

「だめだな~。勝手に抜け出しちゃ」

「!!」

誰かの声がしたかと思うと、そらが美森から、急に引き離された。

「だから俺に捕まっちゃうんだよ!」

「――!!」

勇は、そらの両腕を捕まえながら、彼女の後ろに立っていた。

そらは首だけを動かし振り返ると、目を見開いて勇のことを見た。

「・・・レストの民」

そらが、そう呟くのが聞こえた。

「勇君!やめて!!」

美森はいつの間にか叫んでいた。

勇は、そんな美森のことを見て、余裕そうな笑みを浮かべる。

「やーだよ。俺もパーツを捕まえないと、やばいんだよ!・・・だから、ごめんな。美森!」

「っ――」

(どうすればいいの・・。このままじゃそらちゃんが・・)

「うおっ!なんだ!?」

「!!」

勇の方を見ると、そらの腕を掴んでいる勇の指先が凍り始めていた。

「そのまま氷づけになってしまいなさい・・」

そらは勇のことを睨みながら、呟いた。

「っ―!しまった!」

勇の顔には、焦りの表情が浮かんでいる。

が、次の瞬間、勇は口元に笑みを浮かべた。

「なーんてな」

勇はそう言うと、片方の手をそらから離し、ズボンのポケットから何かを取り出した。

それは大きな鎖で造られた、ネックレスのようなものだった。

勇はそれをすばやくそらの首にかける。

バチッ!!

その途端、その鎖に青色の電流が走ったように見えた。

「!」

すると、勇の指の氷は瞬く間に溶けていった。

「この鎖は、パーツの能力を使えなくする鎖さ!ちょっとやそっとじゃ外れない!そういう鎖なんだよ!一応持ってきてよかった!ごめんな!美森」

勇はとても嬉しそうだ。

「・・・」

そらは勇の手から離れようと必死になっていたが、彼女の力では到底かないそうにない。

「みっ美森!助けて!!」

そらの小さな手が、美森へと伸びる。

「っ――・・・そらちゃん」

美森の心臓が高鳴った。が、すぐに胸が締め付けられる思いがした。

自分は、そらのために何ができるだろう。

自分に、勇からそらを取り返すことなんてきっとできない。

「・・・」

美森は、頼りない自分の手をそらへと伸ばした。

そらも、それを必死に掴もうとする。

が、勇が後ろに飛びのいて、それを妨げた。そして勇は、不気味な笑みを浮かべ言った。

「美森には無理だよ~。パーツを取り戻すなんてね。・・・それじゃーね!」

勇はその言葉を最後に、姿をかき消した。

苦痛な表情を浮かべたままのそらも、勇と共に消え去った。

「―っ・・」

美森はその場から動けなかった。

嫌になる静けさが美森を包む。

そらは美森に助けを求めた。最後まで諦めずに。

しかし美森は諦めてしまった。自分には何も出来ないと。

そして・・・何も出来なかった。

美森は悔しかった。

どうして、いつも自分はこうなのだろう。

どうして、自分はこうも弱虫なのだろう。

美森は、唇を強く噛み締めた。

涙がでるよ。自分が弱すぎて。

美森は目のふちを濡らした涙を、指でぬぐった。

(何とか・・しないと)

美森はゆっくりと、ドアに向かって歩き出した。

おそらく、この状況を知り、そしてこの状況を変えること出来るのは、美森しかいない。

美森は精一杯頑張ろうと思った。今までの自分を、少しでも見返すことのできるように。

おそらく、そらは最後のパーツだ。早くしないと手遅れになる。

トワも、ノワも消える。今、ここにある世界も、幸せではなくなる。

美森は、ドアを開けると宿の出口に向かって走り出した。






宿から出た。その瞬間、冷たい風が、美森の頬をたたく。

美森が歩き出そうとしたとき・・・

「!」

宿に入ろうとしていた誰かと、ぶつかってしまった。

「すみません・・」

美森は慌てて、その人に軽く頭を下げて謝った。

「美森?」

「!」

聞き覚えのある声がした。

その人は―・・・凛だった。

凛は、驚いたように琥珀色の瞳を大きく見開いて、美森のことを見ていた。

凛の姿を見て、美森の心は安心感で満たされた。

しかし、安心なんてしていられる状況ではない。

「凛君っ・・どうしよう!そらちゃんが、勇・・レストの民の人にさらわれちゃったの!」

「!・・」

凛は目を見開いたまま、必死になっている美森のことを見ている。

とその時、美森と凛の間に穏やかな風が吹き抜けた。

「!!」

人の気配がして、横に振り向くと、そこにはウェブのかかった長い金髪を持っている女性が立っていた。

「?・・」

美森はしばらく、彼女のことを見ていた。

彼女が帽子を深かめに被っているので、その顔をよく確認することができなかった。

(・・誰だろう?)

美森は黙ったままの彼女に対して、どう対応してよいか分からず、助けを求めるように凛のほうに目をやった。

「!」

凛は明らかに美森とは、違った反応をしていた。

凛は、これまでにない引きつった表情で、彼女のことを凝視している。

すると、彼女が静かに口を開いた。

「久しぶりね。神山 凛。そして日菜野 美森」

彼女は、帽子を浅く被りなおした。

「!!」

途端に、彼女の金色の瞳が目に入った。

「・・・ノワさん」

ノワは静かな表所のまま、美森のことを見る。

「美森・・・助けることが出来なかったようね」

「・・・え?」

すると、ノワはゆっくりとその顔を凛に向けた。

「神山 凛のことを」

凛は、引きつった表情のままだ。

「・・・でも凛君は、大丈夫だって・・・」

美森はそう小声で言うことで精一杯だった。

ノワは凛に顔を向けたまま、言う。

「いいえ。大丈夫ではないはず」

ノワは凛の手を静かに取ると、彼の服の袖をたくしあげた。

「!・・・」

そこの手首には、呪いの印が刻まれていた。怖くなるほど濃い色の。

「これを見れば分るでしょう?凛が、どれほどよくない状況に陥っているか」

「っ・・・」

美森はノワの言葉に言い返すことが出来なかった。

・・・確かにそのとおりだ。

「――離せよ!」

凛は乱暴に、ノワの手を振りほどいた。

「・・・」

ノワは何事もなかったかのように、言葉を続ける。

「・・・そして、私たちも大変な状況に陥っているの。このままでは、取り返しがつかなくなる。

私は・・・もうほとんど力が残っていない。時を止めることさえも出来なくなってしまったのよ。・・・だから、普通の人間の振りをして、ここに現れた。

神山 凛をこの世から消し去るために」

「―――・・・え?」

美森はノワが言っていることが、理解できなかった。

そして信じられなかった。

凛はより一層、険しい表情を浮かべる。

「嫌だ。俺はこの世界で一番大切なものを見つけて、もとの世界に帰る。絶対に」

「・・・それは無理なこと。私があなたの命をここで奪えば、あなたの魂は地球に帰ることはないから」

ノワは淡々と言葉を続ける。

「あなたの心が変わらない限り、すべてが終わるのよ。

・・・美森でも、あなたの心を変えることが出来なかった。

そして希望はなくなった。私たちが助かるための。そして、この世界を救うための。

でも、一つだけ希望は残っている・・。それは、あなたが消えることなのよ」

凛はノワの言葉を聴いて、一歩、後ずさった。

「おまえは、俺をこの世界に勝手に連れてきておいて、そして勝手に俺のことを殺すんだな。やっぱり、お前のことを信じなくてよかったよ」

「・・・」

「俺は帰るんだ・・。地球に。“この世界で一番大切なもの”を見つけて」

ノワは、浅くため息をついた。

そして、刺すような目つきで凛のことを見ると、右手の人差し指を彼の胸辺りに向けた。

「・・・残りわずかな力を振り絞って、あなただけの時間をまき戻しする。・・・そしてあなたは消滅する」

その途端、ノワの指先から強い光が放たれた。

「──!!」

美森はその光が、目に入るか入らないかのうちに、凛の腕を掴んで走り出していた。

自分で自分の行動に驚いた。

ただ、凛がいなくなってしまうことを考えると、自分の体が勝手に動いていた。

「美森!」

「!」

美森は凛の声を聞いて、慌てて凛の腕から手を離した。そして、立ち止まると後ろに振り返り、凛の顔をみた。

凛は、驚きの表情で美森のことを見ていた。

「美森は俺のことを助けてくれたのか・・?」

美森は荒い息を整えながら、こくんと頷いた。

「私・・凛君がいなくなっちゃうの嫌だから。凛君が、地球に帰れなくなるの・・嫌だから・・・」

凛はしばらくの間、困惑した表情で美森のことを見ていた。

しかし、何かを決意したように表情を引き締めると、静かに口を開いた。

「・・・美森の呪いの印・・・俺に見せてくれないか――・・・?」








ノワは、二人のことを追いかけようと、足を一歩踏み出した。

「そこらへんにしとけば?ノワ」

ドキリとして振り返ると、そこにはニコニコと笑っているトワの姿があった。

ノワはトワのことをギロリと睨みつける。

「トワは神山凛のことをほっといていいと思ってるの!?あの子が行動すれば、すべてが終わってしまうのよ。日菜野美森も地球に帰れなくなる。それでもいいの?」

トワは、ノワの言葉にクスリと笑う。そして、落ち着いた口調で言った。

「・・・いいわけないよ。そもそも凛君をエターナルにつれてきたのは、ノワじゃんか。

・・・そして、最悪の状況になっちゃったね。でも、僕はそっちのほうがいいな。"ゲーム"らしくて」

トワはにこっとノワに笑いかけた。

ノワはトワを睨みつけたまま、表情を変えない。

「トワは、すべてが終わってしまってもいいと思ってるの?」

「・・・ノワ。まだ全てが終わったわけじゃないよ。まだ時間はある。少しだけどね」

トワは相変わらずの笑顔でそう言った。







美森は凛の言葉を聴いて、固まってしまった。

美森と凛の呪いの印は、違いすぎている。それは凛が見て、一瞬で分かってしまうことだった。

そして凛は、必ずショックを受ける。

美森はそんな凛のことを見たくなかった。

「美森・・・見せてくれないのか?」

「・・・」

凛は、焦っている美森の瞳をじっと見てきた。

美森はしばらく黙っていたが、彼の視線に、自分の心が耐え切れなくなってくるのが分かった。

きっとここで見せなかったら、凛に怪しまれることは、間違いないだろう。

美森は意を決して、首元の洋服を印が見えるように押し広げた。

凛の表情が、みるみるうちに変化していく。

・・・悲しみの表情に。

美森はすぐに洋服をもとに戻した。

すると凛が、呟くように言った。

「・・・やっぱりな。俺が印を見せた時、印を見せようとしなかったわけが分かったよ。・・・美森は、あと少しで地球に帰っちゃうんだな。・・・美森は・・俺と違って優しいからな・・」

「・・まだだよ!凛君だって優し・・」

「そう言って、いざとなったら、とっとと帰っちゃうもんだよ・・。俺を一人残してな」

「・・・」

美森は言葉が出てこなかった。その代り、もやもやした嫌なものが、心の中に入り込んできた。

もう、凛の瞳は美森のことを見ていなかった。

「っ・・・どうしてそういうこと言うの・・・?」

凛は美森の言葉を聞くと、静かに言った。

「・・・俺は、美森よりもずっと前からここの世界にいる。・・・でも抜かされた。頑張っているのにな」

「・・・」

「そしてノワは、俺のことを殺そうとする。

この世界で一番大切なものを手に入れたら帰れるって言っておいて、結局は帰らせてくれるつもりはないんだな・・」

「・・・」

美森は凛の言葉を、ただ聞くしかできなかった。

・・・凛が、あまりにも悲しそうに話すから。

「俺はまた、寂しい思いをするんだ」

美森は凛の言葉を聞いて、唇をギュッと噛みしめた。

・・・こんな弱気な凛を見るのは初めてだった。

美森は、そんな凛に対して発する言葉を、必死に探す。

「私・・・まだ見つかったわけじゃないよ。・・それに、もうすぐで見つかるって、決まったわけでもないよ・・・。私・・・全然わかんないよ・・・見つけられるかどうかなんて・・」

「・・・」

凛は、顔を引きつらせたまま黙っていた。

美森は震えた声で言葉を続ける。

「私も・・・寂しかった。怖かった・・・。みんなに出会うまでは。

私・・・凛君に出会うことができてよかった。・・・すごく安心できたから」

「・・・」

「だから・・・凛君と一緒に地球に帰りたい。一緒に探そうよ・・・。この世界で一番大切なもの」

凛の表情が、ほんの少しだけ穏やかになった気がした。

しかし、凛は口を開かない。

しばらくの沈黙のあと、凛は琥珀色の瞳で美森のことを見据え、言った。

「ごめん。美森。・・・俺は自分のことしか考えてない。でも、ここまで来たら、もう後には引けないんだ」

「・・・・?」

「あいつに頼まれたんだよ。美森を連れてくるように」

「・・・え?」

美森は、意味を理解することが出来なかった。

ただ、自分の心臓の鼓動が、速くなるのを感じた。

凛は、歪んだ顔をこちらに向け、呟くように言った。

「この世界での俺の名前は・・・星夜だ。レストの民の・・・星夜なんだ」

凛は、ズボンのポケットから白い布のようなものを取り出すと、それを美森の口にそっと押しあてる。

・・・そして、美森の意識はなくなった。



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