第5話 「灰色の空は、ずっとそこにあり続けるのかな」(1)
今までにない、冷たい空気が美森を包んだ。
それと同時に、美森は、おそるおそる目を見開く。
「!!」
美森の目の前には、今までに見た事のない、銀世界が広がっていた。
周りを見渡しても、目に映るのは真っ白な雪野原だ。
「・・・」
いつの間にか、自分の身に着けている衣服も、冬に合ったものになっていた。コートにマフラーにブーツ。
きっとノワが気を利かせてくれたに違いない、美森はそう思った。
「!!」
と美森は、自分の足元に、海咲が倒れているのに気づいた。
美森は慌ててしゃがみ込むと、海咲の体を軽く揺さぶる。
「海咲ちゃん?」
「うっ・・・」
海咲はすぐに、淡いピンク色の瞳をゆっくりと開いた。
「ここ何処!?」
海咲はそう叫び、勢い良く体を起こした。そして、信じられないような表情で周りの景色に目を凝らす。
「レストの民は?・・・それに何!?この格好・・。足も・・・撃たれたはずなのに痛くない・・・」
海咲も、美森と同じような冬服になっていた。そして、彼女の足から血がでている様子もなかった。
「んー・・・と、私も気づいたら此処にいたの。・・・つまりそれは、自分たちが此処に居るべきってことで・・・」
美森は、ぎこちない自分の発言に、内心焦った。
この場合、何と言って海咲に説明すればいいか美森には分からなかった。
「・・・海月は?・・・・海月はどうなったのっ!?」
海咲は、美森の発言は気にする様子なく、そう叫んで美森の肩を激しく揺さぶった。
美森は、海咲の行動に驚いた。よほど海月のことが心配で、たまらないのだろう。
「・・・大丈夫だよ。海咲ちゃん・・。海月ちゃんは絶対に生きて、海咲ちゃんのところへ来るから・・・」
美森は何の躊躇いもなく、そう言っていた。
必死な海咲を見ていると、自然とその言葉は自分の口から発せられていた。
海月が海咲のもとに帰ってくるかどうかなんて、もちろん美森には分からなかった。しかし、楓がそうだったように、帰ってくる可能性だって十分にあるのだ。
「・・・」
美森が海咲の目を見据えて弱く微笑んで見せると、海咲は美森の肩から手を離し頷いた。
と、海咲は何かに気がついたらしく、遠くに目を凝らし、呟いた。
「・・・あれ何だろ?」
「!・・・」
海咲が指差した先に目をやると、小さめの看板がポツリと立っているのが見えた。
看板に積もっている雪のせいで、見づらくなっているが、そこには太い字で[ウィタの街]と書かれてあるようだ。
「行ってみる?」
「・・・うん」
美森と海咲は、立ち上がる。そして、真っ白な雪の上に一歩を踏み出した。
看板の前まで行くと、そこには何もなかった。目の前に広がるのは、真っ白な平原と灰色の空だけだ。
「何もないんだけど・・・」
海咲がボソリと呟いた。
「・・・」
美森は思った。
確か、春の民の街でもそうだった。見た目は何もなさそうに見えて、一歩踏み出すと・・・
(もしかしたら・・・)
美森は思い切って、一歩踏み出した。
「!!」
その瞬間、目の前に、さっきまでなかった町並みが広がった。
真っ白な雪の上に、ひっそりとそれは広がっている。
とその時、隣に海咲が音もなく現れた。
海咲は、目の前の光景に目を丸くした。口もポカンと開いている。
「凄いっ!あれがウィタの街!?」
海咲が目を丸くして、美森に問いかけた。
「・・そんなかんじかも・・・」
美森は呟くように答えた。
ノワの言っていた神山凛という人物は、ここの町にいるだろうか。いや、いるはずだ。ノワが美森たちをここに連れてきたのだから。
「!・・・」
と、町中へ続く道に沿って立っている街灯のうちの一本に目がとまった。
いや、正確にはその街灯の下にある二人分の人影に目がとまった。
一人は街灯に寄り掛かるように座っており、一人はその人を見下ろすように佇んでいる。
「海月・・・!?」
突然、海咲がそう口にした。と同時に、彼女はその人影に向かって走り出す。
(え?海月ちゃんがこんなところに・・・?)
美森は戸惑いながらも海咲の後に続く。
雪のせいで足場がとても不安定だ。
そのような状況にも関わらず、海咲は必死な様子で走っている。
「海月ちゃん!」
人影がはっきりしてくるにつれ、美森も街灯に寄り掛かるように座っている彼女が、海月だということが分かった。
海咲は佇んでいる人には目もくれず、意識のない海月の体を大きく揺さぶる。
「海月!海月!」
美森は足を止めると、佇んでいる彼のことを一瞥した。
・・・彼は海月の知り合いなのだろうか。
彼はその琥珀色の目を細め、海咲と海月のことを見ている。
「あれ?ここどこ?」
「海月!!よかった・・・!」
海咲は、目を覚ました海月の背中に腕をまわし、ギュッと彼女を抱きしめた。
(よかった・・・)
美森もそんな二人の様子を見て、心底安心した。
海月は無事に、海咲のもとへ戻ってきてくれた。
「!」
が、海月の瞳の色が目に入った瞬間、美森は絶望した。
今の海月の瞳の色は・・・あの時の楓の瞳の色と同じだ。
「海月・・・目の色が・・・黒いよ?」
海月から体を離し、彼女の目を見据えた海咲は震えた声でそう言った。
そう・・・今の海月の瞳は、鮮やかなピンク色ではなくなってしまった。
美森は不安の渦巻くなか、海月の反応を待つ。
海月は、大きく目を見開く・・・
「そうなんだぁ。前の色もけっこう気に入っていたけど、今は黒いんだぁー・・・」
すると、海月は美森に笑いかけた。
「それじゃ、美森ちゃんとお揃いだね!」
「!・・・・・うん」
美森は、予想外の反応に驚き・・・そしてほっとして、海月に微笑みを返すことができた。
綺麗な瞳の色を、海月は少なくとも気に入っていたはずなのに・・・。
そう言って笑える彼女が、美森にはとても大きく見えた。
「海月・・・」
海咲も海月の言葉に、引きつっていた表情をすっと和らげた。
すると、佇んでいた彼が、突然、この場から立ち去る。
「!・・・」
美森はそんな彼の表情を目にし、ドキリとした。
踵を返す瞬間の彼の表情は、普通ではなかった。唇を固く閉じ、その瞳には嫌な何かを感じさせるものがあるように思えた。
(あの人・・・どうしたんだろう)
彼は海月のすぐ近くにて、彼女を気にかけていたように感じたのに。それなのに、何も声をかけることなく去ってしまった。
そして彼の後ろ姿は、町中へ消えて行った。
美森は久々の寒さに、マフラーに顔をうずめてウィタの町をゆっくりと歩いていた。
ウィタの町は海咲と海月の住む街とは違い、全体的に落ち着いた雰囲気がある。そして、町並みの向こう側には、背の高い塔のようなものがひっそりと建っているのが見えた。
それに、この町はあまり音がなかった。
ただあるのは、人が地面を踏みしめる足音と、時々耳に入ってくる人の話し声。
・・・海咲と海月は自分たちの街に帰って行った。
春の民の能力があれば、自然とその場所が分かるらしい。
海咲と海月が、帰りぎわに「離れていてもずっと友だちだからね」と言ってくれた。とても嬉しかった。別れるのはとても寂しいけど、二人に出会えて本当によかった、そう思う事ができた。
次に美森は、自分のすべきことを考える。
(はやく見つけないと・・)
ノワがわざわざ、美森をウィタの町に連れてきてくれたのだから、よくない状況に陥っている神山凛という人を早く見つけないと、彼女に悪いことをしてしまう。
それに、美森自身も、早くその人に会いたかった。
「!!・・・」
美森はある光景を見て、足を止める。
さっき通りがかった、こじんまりとした喫茶店・・・その店内に、“普通ではない表情をして立ち去った彼”がいた。
本当は、彼のあんな表情を見てしまっても自分にはどうすることもできないし、関係ないないと思っていた。
が、その考えは間違いだったようだ。
マグカップを持つ彼の手・・・そして、服の袖から覗いている手首には、変わった形の痣が刻み込まれていた。
(もしかして・・・あの人が・・・)
ここからでは、その形まではしっかりと確認することはできないが。
美森は、頭の中がいっぱいでこの場に立ちつくしていることしかできなかった。・・・が、早まっていく心臓の鼓動が、そうすることを拒んでいる。
「・・・・・」
美森は、喫茶店の入口に向かう最初の一歩を踏み出した。そして、一歩一歩ゆっくりと入口に近づき、その前に立つ。
美森はドアノブに手をかけた。
「・・・」
美森は覚悟を決める。そして、ドアを押し開けた。
ドアに取り付けられた呼び鈴と共に、美森は店内へ入る。
店内は客、店員を含め数人しか見当たらず、ガランとしていた。ただ、穏やかな音楽だけが、そこを満たしている。
美森は彼の方へ目をやった。
彼は美森の方を気にしている様子はない。
シンプルなエプロンをつけた店員が「空いている席へどうぞ」と美森に声をかける。
「・・・」
美森はそれに軽く頷くと、彼の方へ一歩一歩近づいた。
彼は壁際の席に座っており、こちらに背を向けた状態だ。
美森は彼の隣へ足を動かす。そして、彼の横に立った。
「あのっ・・・神山凛君ですか・・・?」
美森の声に、彼が大きく開かれた瞳でこちらを見る。
「そうだけど・・・」
彼は、神山凛だった。
美森の心は、安心感と嬉しさで一杯になった。
「で・・・何の用?」
美森は凛の声に、はっとする。
「えーっと・・・」
凛が向かい側の席に腰かけるよう促したので、美森はそのようにした。
美森が一番初めに、彼に訊きたいことは・・・
「凛君は・・・地球からきたんだよね?」
「そうだよ。・・・君も地球からきたんだろ?」
凛の答えに心臓がますます速く波打った。
「え!?何で分かったの・・・?」
美森の驚きように、凛は小さく笑う。
「その瞳の色、見れば分かるよ。それに君、レストの民にはみえないし」
「あっ・・・そうか」
凛の落ち着いた口調に、当たり前のことを訊いてしまった気がして、美森は恥ずかしさを覚えた。
そして沈黙。
美森は次に訊くべきことを必死に考える。
伝えたいことはたくさんあるはずなのに、なかなかそれを口に出すことができない。
と、その沈黙を破ったのは凛の方だった。
「・・・何で君は俺が地球から来たって思ったの?それに名前まで知ってたし・・・」
「・・・名前はノワさんに訊いて・・」
凛は美森が口にした、ノワという名前に顔色を曇らせる。
それがどうしてかは分からなかったが、その理由を訊く気にはなれなかった。
「・・・ノワは俺のこと、何か言ってたか?」
凛はその琥珀色の瞳で、美森を見る。
その瞳は美森に、「早く答えろ」と促しているように感じた。
「り・・・凛君がよくない状況になってるから、助けてあげてって言われたんだけど・・・」
凛は意外そうに表情を変え、しばらく黙りこくっていた。そして、その表情はみるみるうちに陰っていく。
「助けるって・・・俺、助けられることなんてないぞ?」
凛はボソリと、そう口にした。
「え・・・」
(それならどうして・・・)
「・・・まぁ、早く地球に帰りたいとは思ってるけど」
「!!・・・私も!」
美森は思わず、大声をだしてしまった。
そう、凛と話したかったのは“このこと”だ。
凛が自分と同じ考えを持っていることが分かって、美森はとても嬉しかった。
突然、大声をだした美森を、驚いた様子で凛が見る。
「あはは・・・」
美森は恥ずかしさを隠すため、控えめに笑った。
凛も美森と一緒に小さく笑う。が、彼はすぐに口元から笑みを消してしまった。
「でも、この呪いの印が消えない限り・・・帰れないな」
凛はそう呟くと、服の袖を捲った。
「!!」
美森はそれを見た瞬間、背筋が凍りつく思いがした。
凛の手首には、太陽の形の呪いの印が刻み込まれていた。そして、その印は美森の印に比べ、異様に濃い。
美森はその色に、恐怖に似たものを感じずにはいられなかった。
「・・・どうした?」
思いが顔にでたようだ。
凛が微かに眉間にしわを寄せ、こちらを見ている。
「なんでもないよ!私も早く、呪いの印、消したい・・・!」
美森は即座にそう言って、笑って見せた。
・・・凛に、自分の呪いの印を見せることは絶対に出来なかった。もし、そのようなことがあったら、彼は美森の印と自分の印の“違い”が分かり、落ち込んでしまうだろう。
「そうだな。・・・きっと君になら出来るよ・・。ここまで来れたんだしな」
凛はその腕を、袖の中にしまいながら寂しげに言った。
美森は笑うことを止め、凛を見る。
「・・・それなら凛君にもできるよ。凛君も、私と同じようにここまで来れたじゃん。・・とても大変だったけど・・・」
美森はそう言うことで、精一杯だった。
「・・ありがとな。"この世界で一番大切なもの"必ず・・見つかるよな?」
凛は不安が入り混じっている瞳で美森のことを見て、微笑んだ。
「うん・・」
美森もそのことについて、不安でたまらなかったが、凛に「お前ならできる」と言われて、少しだけその不安が薄らいだ気がした。
「・・・で、君の名前、何ていうの?」
「・・・あっ・・日菜野 美森だよ」
「そっか。それじゃ、美森って呼ぶけどいいよな?」
「あっ・・・うん」
美森は戸惑いながらも頷いた。
改めてそう言われると、少しばかり恥ずかしかった。
凛は、そんな美森のこと見て微笑みながら言った。
「これからも、お互い頑張ろうな。美森」