第4話 (3)
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私はいつも鏡を見ている。そう感じた。
私が笑えば向こうも笑うし、私が泣けば向こうも泣く。それは当たり前で自然なこと。
そして、私の隣に双子の片割れである海月がいることも当たり前で自然なこと。
(でも・・・)
海咲は授業中にも関わらず、頬杖をつきボッーっと黒板を眺めていた。
黒板に書かれてあることをノートに書き写さなくてはいけないはずなのに、それもできない。
家にいるときは笑っていられる。しかし、そのこともできるか最近、不安になってきた。
(・・・だって、美森ちゃんがいるし)
海咲が笑わなくても美森が笑えば、海月は十分なのだ。そればけで海月は楽しいのだ。
(家にいたくない・・・)
いや、家にもいたくない。
学校には友だちはいる。しかしそれは海咲と海月の友だち。海咲だけの友だちではない。
認めたくないが、友だちに人気があるのはどちらかと言えば海月だ。自分は海月の次。
「─・・・」
海咲は黒板から、自分の斜め前の席に座っている海月の横顔に視線をうつす。
海月はノートから顔をあげては、真剣に黒板の文字をノートに写していた。
自分と同じ顔。同じ背丈。同じ声。ほとんどが同じだ。
同じ人なんて二人もいらない。みんなが本当に必要としているのは海月だけ。
家に帰れば二人だけだったので、そのような考えは頭の隅に追いやることができた。
しかし、美森がきてからはそうもいかなかった。
─海月は自分だけ、を必要としなくなってしまった。
(あーぁ・・・)
私って欲張りだ。自分だけを必要とする人はいない、そんなこと当たり前って分かっているはずなのに。・・・・分かっているはずなのに、怖くなる。
美森がきて・・・不安からの唯一の逃げ道は断たれてしまったのだ。
「・・・・であるから、世界で一人しかいない自分を大切にしようね」
国語の先生の発した、授業のしめ言葉が海咲の耳に届いた。
海咲はその言葉になぜがドキリとする。
「先生ーでもね、このクラスには同じ人が二人いるんだよー!」
一番前の席に座っている人が、面白そうにそんなことを言う。
先生はその言葉聞くと、その目を海咲のほうへ向けた。
「!・・・」
海咲は思わず、先生の目から逃げるように俯いた。
とその時、授業終了のチャイムが教室に響き渡る。
先生はチャイムが鳴り終わる前に「今日はここまで!」と言うと、手に持っていた教科書をパタンと閉じた。
──・・・そして、教室は一気に騒がしくなった。
「この世界でたった一人しかいない自分」
よく聞く言葉だが、はたしてそれは自分にあてはまるのだろうか。
だって、私の隣にはいつも鏡があるんだ。
そう─・・・私がこの世界にもう一人いるみたいに。
海咲は授業が終わって清掃の時間に入ると、こっそりと校舎内から抜け出した。
海咲の清掃の担当場所は、昇降口。
同じ担当場所の生徒も数人いるし、その子たちがおしゃべりに没頭している間にそのから抜け出せば、海咲がいなくなったことも気にしないだろう。
海咲は後ろには振り返らず、正門を抜ける。そして、住宅街を抜け、街の中央広場にでた。
その広場の中心には、見上げるほど大きな一本の桜の木が植わっている。
その桜の木は、海咲が生まれる・・・いや、それよりもはるか昔からここにあるらしい。
淡い青色の空に映る、美しいピンク色。
この広場には、桜の花びらが、ひらりひらりと絶え間なく舞い落ちている。
海咲は、その桜の木の下にあるベンチにゆっくりと腰をおろした。
広場には数台のベンチがあるが、どうやらこの広場にいるのは海咲だけらしい。
海咲はほっとした。
だって、こんな時間にこんな場所で、学校の制服を着た人がたった一人でいたら、いかにも不自然ではないか。
・・・・この桜の木は街に住む人々と一緒に生きている。海咲は前々からそう感じていた。
不安で嫌でたまらなくなったときは、こうやってこの広場に来れば、この気持ちが桜の花びらのように軽くなる気がする。
たしか昔、海月と話したっけ・・・。
「嫌なことや悲しいことがあった時、ここに来れば、この桜の木に宿る神様がその気持ちを舞い落ちる花びらの一枚に変えてくれるんだって!」
・・・みたいなこと。
海咲はその話を信じているわけではなかった。・・・でも、信じたかった。
海咲は、ひらりひらりと舞い落ちる花びらに、そっと手を差し伸べる。
しかし、その花びらは、海咲の掌をすり抜けて地面に舞い落ちた。そしてそれは、瞬く間に地面に吸い込まれるように消えてしまう。
なぜか私たちは、桜の花びらだけには触れることができない。
やっぱりそれは、桜の花びらには人の悲しみがつまっていて・・・それを私たちが拾わないようにするため・・・?
「はぁー・・・」
海咲は深い溜息をついた。
それが、何に対する溜息なのか自分でもよく分からない。
海咲は学生鞄から、あるものを取り出した。
・・・・清掃の後はすぐに下校なので、いつも清掃場所に鞄は持ってきていた。どうせ学校に戻るつもりはなかったので、鞄もここに持ってきたのだ。
そのあるものとは・・・今までに撮った写真だ。
但し、海咲と海月が映っているものだけ。
なぜか二人で写っている写真を見ると、自分のことが大嫌いになってくる。
海月を似ている自分が、嫌で嫌で仕方なくってくる。
だから、アルバムから抜き取った。
違くなりたい。・・・でも、なれない。
海月は自分よりもみんなから好かれているし、自分よりもきれいな瞳の色を持ってるし・・・。
“海月と違う”なら、そんなこと気にする必要なかったのに・・・。
海咲は手に持っている写真の束を、力をこめて折りたたんだ。
(ほんと・・・私なんて・・・──)
「私なんて・・・何?」
「!」
海咲がドキリとして横に振り向くと、隣には、髪を頭の上でおだんごに結わえた女の子の姿があった。
「びっくりした・・・」
思わず口から本音が漏れる。
さっきまではたしかに、一人でこのベンチに座っていたはずなのに。
(って言うか、さっき・・・私って声だしてたっけ?)
その少女は、その後ただ沈黙を守って、そこに座っているだけだ。
海咲はその沈黙が嫌で、彼女の顔をちらりと盗み見る。
・・・彼女はまだ幼いのに、こんなところにたった一人でいる。──彼女にも、私と同じように誰にも言えない悩みがあるのだろうか。
「あっ・・・」
ふと、彼女の首にかかったネックレスが目にとまった。
そのネックレスには見覚えがあった。
・・・美森の首にかかっていたものと同じだ。
「・・・美森とは友だち。“仲間”ではないけど・・・友だちになった」
「え!?」
彼女が呟くように言った言葉に、海咲は自分の耳を疑った。
─まるで彼女は、自分の心を覗いているかのようだ。
女の子は、海咲の明らかな動揺の様子は気にする様子なく、また口を開く。
「それに私がここにきたのは、悩みがあるからじゃない。・・・あなたを捕まえるため」
「!?」
海咲が反射的に女の子を見ると、彼女はその真黒な瞳で海咲のことを見ていた。
その顔には、無の表情しか浮かんでおらず、さきほど彼女が発した言葉が、本気であったかさえも分からない。
すると、なんの前触れもなしに海咲の体が石になったように動かなくなった。手に力を入れても、足に力を入れても、ぴくりとも動かない。
「何これ!?」
海咲は思わずそう叫ぶ。
女の子は、焦りの色で染められた海咲の瞳を見据えた。
「私と一緒に・・・」
が、女の子はそこで言葉を止める。そして、微かに表情を歪めた。
「・・・じゃない」
「?」
女の子は何かを呟いたが、それが小さすぎて聞き取ることができなかった。
すると彼女は、今気づいたように、海咲が手に持っている写真の束に視線を落とした。そして、その写真をすばやく抜き取り、折り曲ったままのそれを広げる。
それとほぼ同時に、海咲の体も自由を取り戻した。
写真を凝視したままの女の子は、無表情に近かったが先ほどよりは明らかに動揺しているように見える。
「いったい何・・・!?さっきの・・・」
海咲は、思わずベンチから立ち上がると、女の子のことを見下ろした。
彼女は写真を見たまま、顔をあげようとしない。が、次の瞬間に「双子・・・か」と呟いた。
「・・・」
海咲が沈黙を守っていると、女の子はその写真の束を海咲にさしだす。
相変わらずその顔からは、表情らしい表情は読み取れない。
「・・・」
海咲も黙ってそれを受け取った。
とその時、差し出された女の子の手の上に、花びらが舞い落ちた。
「あっ!」
それは女の子の手を通り抜けることなく、彼女の手の上にとどまっている。
「触れるの!?」
海咲は、思わずそう言った。
女の子はスッと瞳を細めて海咲を見ると、一回だけ頷く。
「・・・私は、この街の人じゃないから」
「そうなんだ・・・」
女の子は、手を傾ける。
その花びらは地面に向かって舞い落ちた。
海咲は地面に消えた花びらを見届けた後、口を開いた。
「・・・美森ちゃんと同じ街からきたの?」
この子は美森の友だちらしいし、そのことだって十分にありえる、海咲はそう思った。
「違う・・・」
しかし、女の子の口にした答えは、海咲の予想とは違っていた。
「・・・そっかぁ」
もし、この子が美森と同じ街からきてるなら、美森をつれてもとの街に帰ってくれればいいのに。
・・・──その思いは、簡単に打ち砕かれてしまった。
「その写真」
女の子は突然、パキッとした声をだした。
海咲はその声にはっとする。
「・・・何で折り曲げたりしたの?」
「!・・・えっ・・・」
海咲は女の子から目をそらした。
・・・こんなこと、今、会ったばかりの人に言えるわけない。
「別に大した理由はないけどっ・・・」
「・・・──それならいいよね?」
「!?」
女の子は突然、海咲の腕を掴んできた。そして、グイッと自分の方に引き寄せる。
・・・やけに力強い。・・・怒っているのだろうか。
「あなたの心を・・・見ても」
時は少しさかのぼり・・・
美森は、玄関の戸を開けた。
さすがに二日目になると、家にいるだけでは気がめいる思いがした。
それに、トワの言葉を聞いてしまったのだから、家でじっとしている方が落ち着いていられない。
・・・だから、二人が帰ってくるまでこの街を歩いてみよう、と思ったのだ。
海咲と海月の家は、住宅街に建っている。そのため、周りを見渡しても見えるのは家々だけだ。
(大通りの方にでてみよう・・・)
そう、雫の買い物をした、あの通りだ。
(あっ・・・でも)
美森は後ろに振り返る。
そこには、あの大きな桜の木があった。
その桜は満開に咲いており、ここからでもそのピンク色がよく目に映った。
あんな大きな桜の木を見たのは、美森にとって初めてだった。
(・・・近くまで行ってみよう)
美森はあの桜の木を目指して、住宅街を黙々と歩く。すると、意外とはやくその場所に行きつくことができた。
その桜の木は、住宅街のほぼ中央にあるようだ。そして、その木の下は小さな広場のようになっている。
美森は広場の入口で歩みを止めた。
(きれいだなぁ・・・)
その広場には桜の花びらが、ひらりひらりと降り注いでいた。
いつまで見ていても飽きないほど、美森にとって優しくて美しい景色だった。
(これが・・・この世界で一番大切なもの・・・かも)
美森は頭の隅でそんなことを思う。
(でも・・・違うよね)
だって“もの”ではないし、こんな美しい景色を手に入れる─自分のものにするなんて、美森には絶対にできない。
美森は少しばかり心を弾ませ、広場に足を踏み入れた。
桜の花びらが、次々と美森の頭の上から降りてくる。
美森はそんな中を、幸せな気分に浸りながら歩いていた。
人気もないし、この光景をゆっくりと味わうことができる。
「あっ・・・!」
少し歩くと、太い幹の近くにあるベンチの一つに二人分の人影が見えた。
・・・その人影は雫と・・・(髪が短いので)海咲だったのだ。
(なんであの二人が・・・)
美森はドギマギしていた。
もしかして雫は・・・パーツをさらいに来たのだろうか。
・・・いや、そんなはずはない。パーツは海月の方だし、それに雫がそんなことをするなんて似合わない。
美森はそう考えながら、ゆっくりと二人に近づいた。
どうやら二人は、美森がきたことに気付いていないらしい。
とその時、ベンチに座っていた雫が、前に立っている海咲の腕を掴んだ。
「!!・・・雫ちゃん・・・海咲ちゃん」
美森はとっさにそう口にした。
それとほぼ同時に、二人が美森の方へ振り向く。
「あっ・・・美森ちゃん!」
海咲は驚きの声を上げた。
雫はそんな海咲から、すんなりと手を離す。
海咲は美森の方に駆け寄ってきた。
「美森ちゃんもここまできたんだね」
「あっ・・・うん」
美森は海咲に返事をしながらも、雫の方を一瞥した。
雫はベンチから立ち上がろうとせず、こちらを見ている。
美森はこのままでは雫が気の毒だと思い、とっさに雫に声をかけた。
「雫ちゃんもここまできたんだね・・・」
海咲の笑顔が一瞬、途切れたように見えたが、美森はできるだけ明るくそう言った。
「・・・・」
雫の表情には、あまり変化が見られない。
すると海咲が口を開いた。
「美森ちゃん・・・あの子・・・──」
「?」
海咲の表情には、明らかに戸惑いが入り混じっていた。
(何か・・・あったのかな)
「私が海咲の“心”を見ようとしたから」
「!」
そう言う雫は、美森の方を見ていない。
海咲も雫の次の言葉を待つように、彼女のことをじっと見据えていた。
「えっ・・・どうして?」
美森はとっさに疑問を雫にぶつける。
「私・・・許せなかった。海咲が写真を・・・・」
「だめ!!!」
海咲の力強い声が、雫の言葉を遮った。
海咲は思った。ぜったいにこの気持ちを、美森が知るようなことがあってはいけない。
自分勝手な考えが嫌になる。
・・・それに美森を傷つけてしまう。
美森は戸惑いを隠せなかった。
雫の言葉に・・・そして、海咲の言葉に。
雫の口から“許せない”という言葉を聞いたのは初めてだ。それに、海咲があんな大声をだしたのも・・・。
と、海咲が手に持っていた何かを、制服のスカートのポケットに入れようとする。
「!」
が、それはポケットに入ることなく、海咲の手を離れ地面に落ちる。
それら─・・・写真は、海咲と美森の足元にばらまかれてしまった。
「私は・・・一枚も持ってないのに」
「!」
美森は雫の声に、さっきまで彼女がいたはずのベンチを見る。・・・が、そこに雫の姿はなかった。
「・・・」
そして美森は、即座に写真の方に目を落とす。
──その写真は、海咲と海月、二人で写っているものだけだったのだ。しかも、それらの写真の中央にはくっきりと折り目がついている。
みんな、大切な思い出の写真のはずなのに・・・。なんで折り目が・・・?
海咲は即座にしゃがみ込み、それらを拾い集めようとする。
美森はそれを手伝うはずべきはずなのにそれができず、その場に立ちつくしていた。
(アルバムに写真がなかったのは・・・もしかして・・・──)
「海咲―!美森ちゃーん!」
背後から、誰かに名前を呼ばれた。
美森と海咲は、弾かれたようにそちらの方に振り向く。
(海月ちゃん・・・)
そこには学生カバンを手に、こちらに向かって走ってくる海月の姿があった。
すると突然、美森の前にいる海咲が写真をすべて拾い集める前に、スクッと立ち上がった。
「ほんと・・・嫌だ。双子なんて」
美森の耳に、海咲の呟くような声が入った。
「!・・・」
そして海先は、ベンチに置いてある学生カバンを持ち、海月から逃げるようにして広場からから去ってしまった。
美森は海咲の言葉を聞き、そして地面に散らばったままの折曲がった写真を見て、心がズキリとした。
海咲は確かに笑っていた。あんなに楽しそうに。
でも・・・。違った。
あの笑顔の下には、海咲の本当の気持ちが確かにあった。
美森はそれを知っていた。・・・悲しそうな表情を浮かべた海咲を見て、確かに知っていたはずなのに。
“笑顔”があるから大丈夫だと思った。自分が何もしなくても、笑顔さえあれば大丈夫だって・・・。
でも、全然大丈夫じゃなかった。
「あれ!?海咲、何処行ったの?」
海月は驚いた表情で、海咲の後ろ姿を目で追い、美森の前で立ち止まる。
「あのっ・・・えっと・・・──」
美森は、海月になんと伝えればよいか困った。
美森に分かるのは“海月が苦しんでいる”ということ。
そして海咲が呟くように言った「双子なんて嫌だ」という言葉だ。
「あれ・・・これ・・・うちらの写真じゃん!」
海咲はそう言いながら、その場にしゃがみ込んだ。そして、それらの写真のうち一枚を手に取り、それをしげしげと眺める。
美森はただ、そんな海月を眺めていることしかできなかった。
海月は何も口にすることなく、散らばった写真を一枚一枚ゆっくりと拾い集めていった。
(どうして何も・・・言わないんだろ)
海月は必ず、どうして写真がここにあるのか、どうしてそれらの写真は降り曲がっているのか、と美森に聞いてくると思ったのに。
海月は全ての写真を拾い集め、それらをバッグにしまい込むと立ち上がった。
「よし。それじゃ、帰るか!」
「え・・・」
海月は意外な言葉を、意外に明るく口にした。
「海咲ちゃんは・・・?先に帰っちゃって大丈夫?」
美森は慌ててそう質問する。
「大丈夫、大丈夫」
海月はただそう言って・・・ピンク色の瞳を歪ませ、笑っただけだった。
桜の花びらは、ゆっくりとゆっくりと舞い落ちる。
美森の肩に舞い落ちても、彼女はそれを知らない。
花びらは地面を目指して落ちてくるのに、美森がそれを遮ってしまったことを彼女は知らない。
でも、海月は知っていた。
たとえその花びらに、触れることはできなくても。
たとえその花びらが、地面にとどまることをしなくても。
海月は・・・知っていた。