第4話 「あの一本の木のように、一人で美しく咲くことができたらいいのに」(1)
「う・・・ぅ」
美森はゆっくりと目を開いた。
とても眩しい。それに肌寒かった。
美森はゆっくりと体を起こす。
そして美森はその光景を見て、目を丸くした。
目の前に広がる光景は海だった。しかし、海といっても美しい青色をしているわけではない。その海には色がなかった。ただの透明だった。空はあんなに青いのに。
美森はそんな海の浜辺に寝ていたらしい。
美森は着ていたはずのブラウスが、ないことに気づいた。今は下に着ていた、黒のタンクトップだけだ。
(そういえばあの時、やぶれちゃったんだっけ・・・)
美森はあの時のことを思い出して、身震いした。
・・・あんな経験はもうしたくない。
「・・・」
美森は自分の頬に、そっと手を触れてみる。そこに傷はなかった。
(・・傷・・消えてる・・)
傷が消えていることには驚いたが、それを深く考える気にはなれなかった。
ただ今はとても疲れていた。
美森はまた浜辺に横になる。
優しい波の音と、空から降り注ぐやわらかな日差しが、美森の体全体を包み込んだ。
(あー・・・気持ちいい・・・)
美森は目を閉じた。
と、その時・・・・
「・・・美森」
「!」
美森は突然の声に驚いて、体を起こした。
横を見ると、そこには浜辺に腰を下ろしている雫の姿があった。
「・・・雫ちゃん」
「美森はどうしてこんなところにいるの?」
雫はその丸い瞳で、美森のことを見据えながら聞いてきた。
「え・・・分からない・・というかここ何処?」
雫は美森の答えに少し顔色を曇らせると、沈黙をおいて口を開いた。
「ここはチェリー島。ここに春の民の人たちが住んでるみたい」
「あっ・・・そうなんだ・・・島かぁ・・・」
美森は、視界いっぱいに広がる無色の海を見ながらそう呟く。と、同時に美森の頭にとある疑問が浮かんだ。
「・・・どうして雫ちゃんは此処にいるの?」
「あの日・・・何があったか知りたくて」
「・・・あの日?」
「ファルの街の入り口で、美森と兄さんと私が会った日・・・私、その日の美森と会ってからのこと思い出せないの」
「・・・」
美森はその日のことを思い出していた。
最近のことのはずなのに、随分昔のことに感じられた。
今まで沢山のことが、ありすぎたためだろうか。
・・・・そう、あの時の状況は普通ではなかったように思えた。勇は何かを隠している、美森はそう思った。しかし、その勇の隠している何かは、今でも何のか分からない。
「初音さんが雫ちゃんのこと・・・結って呼んでた。それに自分の妹だって。でも・・勇君も雫ちゃんのこと自分の妹だって言ってた・・・私もその時の状況、よく分からなかったの・・・でも初音さんは、雫ちゃんに会えて凄く喜んでた・・・」
美森のはっきりと分かっていることはそれだけだった。
美森にとって、その時のことを話すことは辛かった。初音のことを思い出す。
初音は・・・まだ怒っているだろうか。
雫は美森の言葉を聞いても、顔色を変えずにただ海を見つめていた。そして静かに言った。
「私・・・よく分からない。でも・・・結って名前は、どこかで聞いた覚えがある」
美森は、雫の静かすぎる声に少し戸惑った。
「・・・勇君に聞いてみた?」
「・・・兄さんは何も教えてくれない」
雫は呟くようにそう答えた。
「よぉーす!」
「!!」
突然、美森と雫の前に、勇が爽やかな笑みを浮かべて現れた。
「・・・兄さん」
「・・・」
「美森久しぶり~!元気してたか?」
勇はそう言いながら、美森の隣にドカっと腰を下ろす。
「―――・・・」
美森はできるだけ勇と目が合わないように、前を見ながら頷いた。
「・・・兄さん。この島に何しに来たの?」
雫が、美森越しの勇に問いかけた。
「この島に春の民のパーツがいるって聞いてな。で、今日はその偵察。この島、初めてだからよく分からないんだよー」
「・・・あ、そう・・・」
雫は気の抜けた返事を返す。
「・・・それにしても美森!露出度の高い服着てんな~。またそんなにキスされたいか?」
勇はそう言うと美森の顔に自分の顔を近づけた。
「・・・!!」
「・・・なーんてね!」
勇は二カッと笑うと、美森の顔から自分の顔を離す。
「・・・・」
美森の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
顔から湯気がでそうだ。
「くくっ。美森、また顔が真っ赤だぞー。かっわいい~」
勇は面白がってそう言うと、美森の頭をグリグリとなでる。
(・・・さいあく・・・)
美森はそんな勇に何も言い返すことができず、顔を真っ赤にしたまま顔を伏せた。
「・・・美森。その印、前より薄くなったと思うんだけど」
「・・・え?」
美森は雫の言葉に、はっとして顔をあげると、雫のほうを見た。
雫はたんたんとした表情で美森を見ている。
美森は時の民の印を見てみた。
(・・確かに・・薄くなってきてるかも・・・?)
「何だって!?」
勇は低い声でそう言うと、困惑した表情で時の民の印を覗き込んできた。
「やっべぇ~!速く印を消しちまわないと“力”がなくなっちまう!」
勇はそう言うと、その印を手で力強く押さえつけてきた。
「・・・!!」
美森はなすすべなく砂浜に倒された。
必死に勇の手を払いのけようとしたが、美森の力では到底かなわない。
勇も手を放してくれる様子はない。
「・・・――っ」
手で押さえつけられた部分が、異様に熱い。その熱さは全身にどんどん広がっていくように感じる。
・・・あまりの熱さに意識が朦朧としてきた。
「兄さん・・・やめて。美森が嫌がってる」
雫の声が聞こえるのと同時に、肌が焼けるような熱さも引いた。
「・・・」
勇は顔をしかめて雫を見た。
雫は無表情の顔で勇を見据えている。
「・・・・分かったよ」
勇は静かにそう言うと、印からゆっくりと手を離した。そして美森を不機嫌な表情で見下ろした。
「地球に帰りたくなかったのかよ!?」
「・・・」
自分の心臓がまだバクバク音をたてており、美森はそれに答えることができなかった。ただ今は“助かった”という感情で胸が一杯だった。
勇はそんな美森の様子を見ているだけで、何も言ってこない。
美森は自分の心臓の鼓動が少しずつおさまるのを感じながら、ゆっくりと体を起こした。
すると、勇が口を開いた。
「美森のところに、帆風ってやつこなかったか?」
「・・・きた」
「そっかぁー。帆風の妹になんなかったんだ。なってたら毎日一緒に遊べたのになー。つまんねぇーの」
「・・・」
勇は、美森の肩に腕をまわしてきて、美森のことを見ると顔に満面の笑みをつくる。
「俺たちのところにきたくなったら、いつでも来いよ!!俺はいつでも大歓迎だからな♪」
「・・・」
美森は勇の言葉が、少し嬉しかった。頼れる人がいない美森にとって、初めて頼っていい人ができた気がした。
「うん・・・」
美森は、勇に微笑んで見せた。
すると、勇は突然立ち上がった。
「さてとっ!・・・行くかぁ!!」
「「どこに?」」
美森と雫が勇のことを見上げ、同時に言う。
「どこにって・・・あっち!」
勇が指差したのは、島の奥のほうだった。
美森と雫は、同時にその方向を見る。
「!!」
二人はその光景に息を飲んだ。
海岸が終わった辺りから、満開の桜の木が一面に生えていた。そのせいで、島全体がきれいなピンク色に染まっていた。
「・・・こんなところに人なんているの・・?」
雫がぼそりと疑問を口にする。
勇はそんな雫の言葉も気にする様子なく、その方向に向かって走り出した。そして、肩越しに振り返ると、美森と雫に向かって叫んだ。
「あっちまで競争!!ビリの人は罰ゲーム~!」
「・・・・」
雫はそんな勇の姿を見て、呆れているようだ。
「美森・・・。歩いていこ。張り切っているのあの人だけだし」
「・・・うん」
(かわいそう・・・。勇君・・)
遠ざかる勇の背中を見ながら、美森はそう思った。
海岸の終わりまで歩いて行くと、勇が不機嫌な顔をして待っていた。
「何だよっ!二人とも!俺だけバカみたいじゃんか!!」
「・・・ごめん。兄さん。私たち兄さんのテンションについていけない」
勇は雫の言葉に明らかにショックを浮かべた。
「罰ゲームは受けてもらうからな!!」
勇はそう言うと、すばやく足元にあった砂を大量につかんで、それを団子状に丸めだした。そしてそれを美森と雫に向かって投げた。
「!!」
それが運悪く、雫の顔面に当たった。
「・・・・」
雫は鋭い目つきで勇のことを睨む。
「・・・はは」
勇はごまかすように、小さな笑い声を漏らした。
「・・・大丈夫?・・雫ちゃん?」
美森はまだ勇のことを睨んでいる雫を見ながら、控えめにそう言う。
「うん・・・」
雫は流すように答えると、顔の汚れを洋服のそでで拭った。
「美森いこ・・・」
雫はそう呟くと、勇の横をすたすたと通り過ぎて、島の奥へと続く階段をのぼり始める。
「ごめんな雫!!・・・でもこういう時は、俺に向かって投げ返すもんだぞー!」
「・・・・」
雫は勇の言葉に耳を傾けている様子はない。
「ごめんー!雫ぅーーー!!」
勇は、遠ざかっていく雫の背中に向かって大声で叫んだ。
しかし、それに答える声はない。
美森は少しだけ、勇のことが可愛そうに思えてきた。謝って許してもらえないことはとても辛いことだ。
(・・・でも、あんな謝り方じゃ仕方ないか・・・)
まだ叫び続けている勇を見ながら、美森はそんなことを思った。
「美森!!俺らもいくぞ!」
「!!」
勇は美森に振り返ると、全力疾走でその階段をのぼり始めた。
「!・・・」
美森も急いで勇のことを追いかけた。
そして、美森は息を切らして、最上段まで駆け上がった。
・・・勇と雫は待っていてくれているだろうか。
「!・・」
美森は辺りを見渡す。しかしそこに、二人の姿はなかった。
ただ辺り一面に、綺麗な桜の木があるだけだ。
(・・・先に行っちゃったのか・・・)
勇と雫が待っていることに期待していたので、けっこうショックだった。
(・・・でもあんまり迷惑かけちゃ悪いしね・・・。待っててくれなくてもいいか・・・)
美森はそんなことを考えながら、二人に追いつくことができるよう、歩調を速めた。
「わっ!・・・」
その時、真正面から強い突風がたくさんの花びらと共に吹き抜けた。
美森は思わず目を閉じる。
「!!!・・・」
美森は目を開いた瞬間、広がった光景に言葉を失った。
その時の光景は、先ほどとはとは全く違っていたのだ。
一面に広がる桜の木々はそこになかった。
そこには都市が広がっていた。
車も走っている。ビルや建物も、たくさん建っている。目の前を通り過ぎる人々は皆、忙しそうだ。
そして何よりも目に付いたのは、都市の真ん中に堂々とそびえ立つ、桜の木だ。
周辺に立っているビルよりも、断然高い。
「すごい!!」
思っていたことが思わず口に出た。
「すっごいよなー!」
「!」
美森が横に振り向くと、そこには勇と雫の姿があった。二人とも、目の前の景色に見入っている。
(・・・先に行っちゃったわけじゃないんだ・・)
美森は心底、安心した。
「・・・ここにいる人たち、やっぱり春の民みたい」
雫が勇のことを見上げながら言った(もう怒りは冷めたようだ)。
「・・・よし!!遊ぼう!!」
「!!」
勇は興奮気味にそう叫ぶと、美森と雫の顔を交互に見ながら言った。
「な!?な!?こんな大きな街にきて、遊ばなきゃもったいないだろ!?・・・金ならある!!」
「・・・」
美森は勇のあまりのはしゃぎぶりに、返す言葉が見つからずその場で固まっていた。
それに比べ雫は、鋭い口調で勇に言い返す。
「偵察にきたんじゃなかったの!?」
「偵察なんて遊びながらでもできるだろー?本当は雫も買い物とかしたいくせに~!よし!!行くぞぉ!!」
勇はそう言い放つと、道路沿いの道を歩き出す。
「・・・」
雫は図星をつかれたらしく、何も言い返さなかった。そして小さな声で、美森に問いかけた。
「美森・・・私たちも行こう?」
「あっ・・・うん」
(・・・たまにはこういうにもいいかも・・)
「ねぇ・・・。雫ちゃん」
美森は隣で黙々と歩いている雫に声をかけた。
雫は何も言わず、こちらを見た。
「私たち・・・こんな街中、堂々と歩いてて大丈夫なの?・・・またレストの民だみたいなこと言われて、騒がれたりしないかなぁ・・・?」
「・・・」
雫は美森の質問を聞くと、美森から目線を外して前を見た。
「このチェリー島はレストの民に対しての面識がないみたい。私たちは今まで、この島に一度も来たことないと思うし・・・。パーツが生まれたこともこの島にとっては初めてのことなんだと思う」
「あ・・・そうなんだ」
それっきり、雫との会話は途絶えた。
しかし、美森の顔には安堵の表情が浮かんでいた。
美森にとって安心して街を歩けることは、この街が初めてだった。しかも隣には雫もいる。
こんな些細なことで、嬉しがってる自分が少し変に思えた。
「・・・美森嬉しそう・・・。顔・・・にやけてる」
「え!?・・・うん・・・まあ・・何か嬉しい。・・雫ちゃんと一緒にいられるし」
美森は、思っていたことを口にだしてしまったことに恥ずかしさを覚えた。
雫は美森の言葉に少し驚いた表情を見せた。
「私も・・・美森と一緒にいられて嬉しいよ・・・」
雫はそう言うと、何事もなかったかのようにまた前を向いた。
「・・・」
その雫は気のせいだろうか・・・一瞬、微笑んだように見えた。
「美森・・・この店入ろう?」
美森と雫が立ち止まったのは、可愛らしい洋服や雑貨が売っている店だった。
「うん・・・。でも勇君は?」
美森は、すでに遠くの方を歩いている勇の後姿に視線を動かす。
勇は歩いている途中、こちらに振り向きもしなかった。やっぱり今もこちらを気にしている様子はない。
「兄さんなら大丈夫。あの人・・・私たちがいなくなったのも気づかないタイプだから・・・」
雫は早口でそう言うと、店へと入って行った。
「・・・」
(まぁ・・・大丈夫か)
美森は、遠くにある勇の背中から視線を外し、雫の後に続いた。
「いらっしゃいませ」
店に入るや否や、店員の元気な声が響き渡った。
店内には、数人のお客さんらしき人がいた。皆、美森と同じぐらいか、少し年上ぐらいの年齢に見えた。しかも皆、おしゃれだ。
店内にも、おしゃれな洋服やかわいい雑貨が、ずらりと並んでいる。
「・・・・」
美森は自分の格好を見て、恥ずかしくなった。
自分は今、黒のタンクットプにジーパン。明らかに、この店では浮いている。
美森は助けを求めるように、雫のところに駆け寄った。
既に雫は、何着も選んだ洋服を腕に抱えていた。そしてまだ、ハンガーにかかった洋服をかき分け、それを選び続けている。
美森がそんな雫の姿に見入っていると、雫が振り向きもせずに言った。
「・・・大丈夫。美森のぶんも一緒に選んであげる。美森・・・選ぶの遅そうだし」
「あ・・・ありがとう・・」
黙々と洋服を選んでいる雫に、かける言葉はそれしかなかった。
しばらくすると、会計を済ませた雫が両手に袋を持って帰ってきた。
雫は無表情の顔で、片方の袋を美森に突き出す。
「これ・・・美森のぶん」
「あっ・・ありがとう」
美森は雫から袋を受け取った。
(・・・雫ちゃん、お金持ってたのかな・・)
「・・・持ってるよ。カードだけど」
「!!・・・」
雫は美森の心を見たらしく、美森の目を見て淡々と答えた。そして雫は、ポケットの中からそのカードを取り出して、美森に控え目に見せてくれた。
「あっ・・・そうなんだ・・」
そのカードは何も文字は書いてなく、500円玉ぐらいの大きさの四角いカードだった。
雫はそのカードをポケットにしまいながら、そっけなく言った。
「ここで着替えちゃえば・・・?」
一言で言えば、雫のセンスは良かった。美森が着替えた洋服は、可愛いうえに動きやすかった。
上は薄いピンクを基調とした重ね着の洋服に、下は七分丈のジーパンをはいた。
「・・・いいんじゃない」
雫は試着室からでてきた美森の姿を見て、一回だけ頷く。
「それじゃ、店から出ようか・・・」
「あっ、うん!」
美森は少しだけ心が踊っていた。
やっぱり、買い物は楽しい。
「!・・・」
ふと、入口付近くに並べてあるネックレスに目がとまった。美森は立ち止って、そのネックレスをしげしげと眺めた。
そのネックレスは、真ん中にキラキラした十字架の飾りがついていて、その他には、水色やシルバーの小さな飾りがついていた。
「かわいい・・・」
美森はそのネックレスを手に取る。
「それ・・・買う?」
いつの間にか隣に来ていた雫が、そのネックレスを見ながら呟いた。
「え!?・・・大丈夫だよ!洋服買ってもらっちゃったし・・・」
美森は丁寧にそのネックレスを棚に戻す。
「遠慮しなくていいのに・・・」
雫はその丸い瞳で、美森のことを見ながらそう言う。
「・・・・それじゃ・・・雫ちゃんも、私とお揃いで買おう?・・・友だちになった記念に・・・」
美森は雫の返事を、ドキドキしながら待っていた。改めて自分の気持ちを口にすると、思いの他、照れくさい。
雫は美森の言葉に何も答えない。・・・やはり、唐突すぎただろうか。
すると、少したった後、雫が静かに口を開いた。
「友だち?」
「うん・・・。一緒にいて嬉しいと思える人は友だちかなぁって思った。だから・・・私と雫ちゃん友だちかなって」
「・・・・」
美森はとぎれとぎれに、何とか思っていたことを口に出せた。
雫は何の反応も示さずに、美森のことをみている。
すると雫が口を開いた。
「うん・・・。友だち。私・・・美森と一緒にいられて嬉しいし・・・」
「うん・・・」
美森は雫の言葉が嬉しかった。そして、ほっとした。
美森と雫は店の外へ出ると、さっそくそのネックレスをつけてみることにした。
「・・・何か嬉しい・・」
「・・・」
美森はそう呟いたが、雫からは何の反応もない。
「・・・・」
美森は恐る恐る雫のほうに、目をやった。
「!」
雫は笑っていた。微かに。
美森は雫が笑った顔を初めて見た。雫にとっては珍しい、子どもらしく、可愛い表情だ。
美森はそんな雫の姿を見て、思わず自分も笑みがこぼれた。
とその時、近くで何かが割れるようなもの凄い音がした。
「!!」
美森と雫はそちらの方に素早く振り向く。
「!!」
割れたのは隣の店の壁になっている、大きなガラスだった。
その周辺には、たくさんのガラスの破片が散らばっている。
「兄さん・・・」
雫が呟いた。
そこには勇がいた。
しかしここからでは何をやってるかよく見ることが出来ない。
美森と雫はその光景に見入っている人々の間をすり抜けて、勇のところまで駆け寄った。
「!!」
勇は、美森と同じぐらいの歳の女の子の首元を掴んで、地面に押さえつけていた。
そして、彼女の顔にはガラス片で切ったのだろう、切り傷が何箇所かついている。
勇はガタガタ震えている女の子の顔を、勝ち誇った表情で見ていた。
「雫!パーツを見つけたぞ!!」
「!・・・」
勇は女の子の首元を押さえつけたまま、目線だけをこちらに向けて言った。
「・・・ちょっと派手にやりすぎたんじゃない?」
雫は半ば呆れた口調で言う。
とその時、その店内から美森と同じ歳ぐらいの女の子が飛び出してきた。
そして彼女はその光景を見ると、悲鳴に似た叫び声をあげた。
「海月!!」
勇はその叫び声を気にする様子なく、その女の子─海月を押さえつけている。
海月は恐怖の涙を流していて、対抗することもできず、震えた声を漏らした。
「海咲・・・・助けて・・・・」
その声を聞くと、もう一人の女の子─海咲は必死になって叫んだ。
「海月を放してください!!お願いします!!」
勇はその言葉を聞こうともしていない。
美森はその光景を見て、ぞっとした。
改めて、勇が自分と全く別の世界を生きている人だと実感してしまった。
(何で・・・?女の子があんなに怖がってるのに、平気な顔してられるの・・・?)
とその時、勇がぼそりと呟いた。
「眠らせてからつれていくか」
「やめて!!」
美森は無意識のうちに叫んでいた。
勇と雫が目を見開いて、美森のことを見る。
「・・・美森も言うようになったなぁ!」
勇は口元に面白がっている笑みを浮かべ、美森を見ながらそう言った。
まだその手は海月をとらえている。
「お願い・・・。勇君・・・その人を放してあげて」
美森の声は今にも消えてしまいそうなほど弱弱しい。
「やだー!」
勇はふざけたような声で答える。
「・・・・やめて・・・」
美森は俯いて、唇をギュッと噛みしめた。
こんな恐ろしい光景を一秒でも早く終わらせたかった。
しかし美森には、勇を止める勇気さえなかった。それに、ここで勇を止めてしまったら、完全に敵同士になってしまう気がして怖かった。
雫はその光景を何も言わずに見ている。そして俯いている美森を一瞥すると、力のこもった声で言った。
「兄さん・・・今回は諦めてあげよう・・・」
「!・・・」
勇は目を見開いて雫を見た。
「何でだよ・・!?」
「・・・・・こんな大勢の人達の前でパーツをさらったりしたら、私たちが面倒ごとに巻き込まれることになる。それに・・・」
「わかったよっ・・・」
勇は海月の首元から手を離した。
そして、不服そうな表情を浮かべたまま、勇の姿はとけるようにしてその場から消えた。
「・・・・」
雫は勇が消えた空間をしばらく眺めていると、美森のほうに向きなおる。
雫は、美森の目をしっかりと見据えた。そして微かに・・・本当に微かに笑うと、自分の首にかかっているネックレスにそっと触れた。
「!・・・」
美森も慌てて、自分の首にかった雫と同じネックレスに手を触れる。
しかしそれとほぼ同時に、雫は姿をかき消してしまった。
「・・・・」
美森はしばらくの間、その場に立ち尽くしていることしか出来なかった。
「・・・あ!」
美森はやっと、目の前状況を見ることができた。
美森の目の前には海月と海咲がいた。海月はまだ地面に倒れており、それを海咲が一生懸命、肩を組んで立ち上がらせようとしている。
美森は二人のもとへ駆け寄ると、海咲に恐る恐る声をかけた。
「あの・・・手伝います」
海咲は美森の声に気がつくと、顔だけを動かして美森を見た。
そして、少し驚いたような表情を見せると、微かにその淡いピンク色の瞳を歪ませて言った。
「ありがとう」