第3話 (9)
「・・・・」
「・・・・」
すると、今まで眉間にしわを寄せながら黙っていた勇が、口を開いた。
「おっーと!秋の民の人!雫に変なことを言うな!!こいつは結じゃなくて雫!お前の妹じゃなくて、俺の妹!!」
勇はそう言いながら雫の手を掴むと、雫を自分の隣まで引き寄せた。
初音は勇の言葉に顔をしかめた。そして鋭い目つきで勇を睨む。
「・・・どうして私の妹って分かったの?」
「!!!」
勇の表情が固まった。
初音は勇の表情を見るとすぐ、雫の目線まで自分の顔を持ってきて、優しい声で雫に語りかけた。
「・・・結?お姉ちゃんのこと忘れちゃった?・・・結とのかくれんぼ、すごく楽しかったんだよ。また一緒にやるって約束したじゃない」
そして初音は、雫のことを優しく抱きしめた。
「っ・・・!」
短い沈黙の後、雫は突然、大きく目を見開きその表情を歪める。
「・・・――――!!痛いっ・・・痛いよ!・・・兄さんっ・・!!」
雫は、頭を抱えて地面にうずくまった。
「―――・・・」
勇はそんな雫のこと見て、表情を歪めるとうずくまった雫の頭の上にそっと掌をかざした。
すると雫は、静かになり、ごろんと地面に倒れた。雫のまぶたは余ほど痛かっただろう、涙で濡れていた。
勇はそんな雫の姿を見ると、初音を刺すような目つきで睨んだ。そして、憎しみのこもった声で言った。
「雫を苦しませるな・・・」
「・・・」
初音は、勇の言葉に顔をしかめると叫ぶように言う。
「この子は結よ!!!」
そして初音は、勇と無理やり目を合わせた。
「・・・・何で見えないの?」
勇は驚いたように目を見開くと、口元に笑みを浮かべた。そして嫌みたらしい声で言った。
「残念だったなぁ。俺の心も、見えなくて。ハイーンド・マイーンド飲んでてよかった!なっ?!美森?」
「!!!」
勇は2人の会話を静かに聞いていた美森に、わざとらしく笑いかけた。
美森は、一瞬視界が真っ白になるほどやばい、と思った。
初音は、驚きと疑いの入り混じった瞳で美森を見る。
「美森、私のこと・・・」
「あ~、便利だよなぁ。ハイーンド・マイーンドって!隠し事がばれることもないし!なっ?!美森?」
「!!!」
いつの間にか美森の隣まで来ていた勇は、美森の頭を自分の方へ引き寄せた。
「!・・・」
美森はこれ以上、初音に誤解されるのは嫌だった。
美森は勇気を振り絞って叫んだ。
「初音さん!!・・・違うの!」
「・・・・」
初音は軽蔑した目つきで美森を見た後、目を逸らす。
美森はそんな初音の様子を見て、絶望した。
「・・・―――っ!」
(・・・何でっ・・・何でこうなるの?)
初音には感謝の気持ちで一杯なのに。ただ自分は地球に帰りたいだけなのに。
それだけなのに──・・・自分は初音を裏切ってしまった。
勇は呆然と立ち尽くしている美森を気にする様子なく、陽気に言った。
「あんな奴はほっといて、さっさと印、消しちゃうか!?」
勇は黙ったままの美森を気にする様子もなかった。そして、美森のブラウスの襟もとを掴むと、印に手が触れることのできるように、それを押し広げた。
「それじゃ、いくで~!」
勇は自分の掌を、美森の時の民の印に押し当てる。
「・・・・」
美森はどうでもよくなった。今、起きていることすべてが。
・・・この呪いの印を消してもらえば地球に帰れる。そして何もかもともおさらばだ。
「―――――・・・・?」
しかし少し経っても何も起こらない。美森は不思議に思って勇の顔を見た
「・・・?」
勇は得意そうな表情のまま固まっていた。
周りを見渡しても、動いているものは何1つなく、しんと静まり返っている。初音でさえ、表情を引きつらせたまま固まっていた。
(いったい・・・何?)
美森は怖くなって、一歩後ずさった。
美森が動いても勇は、そのままの格好で固まっている。
「こんにちは!美森さん」
「!!」
美森が弾かれたように横に振り向くと、そこにはニコニコと笑みを浮かべながら立っているトワの姿があった。
「・・・トワ」
美森は少し気が抜けた。
「それにしても危なかったねぇ~。丁度、僕がここにいて良かったと思うよ」
「・・・・」
美森はトワの言葉に顔をしかめた。
(私にとってはいいところだったけど・・・)
そう、勇にこの呪いの印を消して貰えさえすれば、自分は地球に帰れたのだ。
トワは黙ったままの美森の表情を伺っていたらしく、わざとらしい笑みを作ると言った。
「美森さん?僕は最初に言ったはずだよ。“この世界で一番大切なもの”を見つけて印を消さないと、地球には帰れないと」
そして、トワはその顔から笑みを消すと言葉を続ける。
「もしもそれ以外のことで印が消えるようなことがあったら、美森さんは一生、地球に帰れない。おばあさんになって死ぬまでね」
「!!・・・」
美森はトワの言葉にぞくりとした。
・・・あと少しで自分は、一生地球に帰れなくなるところだったのだ。
それに、自分のことが嫌になった。自分は何もせず、楽をして地球に帰ろうとしていた。今、思えばそう簡単に地球に帰れるはずがないのに。・・・自分はずるくて卑怯な奴だ。
(・・・駄目だな・・じ・・・)
「美森さんは駄目じゃないよ」
「!」
美森はトワの突然の声に、俯いていた顔を上げた。
そこにはいつものトワの表情がある。
「誰だって自分の世界とまったく別の世界に来てしまったら、一刻も早く帰りたいと思うのが普通だと思うよ」
「・・・」
トワの一言が、じんわりと美森の心にしみる。
自分は駄目じゃないんだ、完全にそう思うことは難しいけど、その一言で少し気持ちが楽になった気がした。
「そうだよね・・・・ありがとう」
美森は呟くようにそう言った。
トワは美森の言葉を聴くと、驚いたように目を見開いた。しかしすぐに、それはいつもの穏やかな表情に戻る。
そして、トワはクスリと笑う。
「美森さん・・・いいの?僕にそんな言葉を言ってしまって。僕は美森さんを、ここの世界に無理やりつれてきた人物なんだよ」
「―――・・・」
美森は何も言い返すことができなかった。
確かにそのことに関しては、トワをすごく憎んでる。しかし、今の美森にとってはトワを少し許せるような感じがした。
「・・・美森さんは、速くあの子を連れてここから離れたほうがいいと思うよ。僕の力もそろそろ限界だからね」
トワはニコッと笑うと、楓の方に目線を移す。
「・・・うん」
美森はトワの言葉に押され、小走りで楓のところに駆け寄る。そして少し戸惑いながら、時の流れが止まったままの楓を腕で抱き上げた。時間がとまっているためか、楓の体重は感じない。
美森はトワのところまで戻ると、彼の顔を一瞥する。
トワは、相変わらず穏やかな表情で言った。
「それじゃ、頑張ってね!美森さん」
「・・・・うん」
その時美森は、なんとなくだがトワが始めて会った時と、どこか違う気がした。・・・しかし、いつもと変わらない気もする。
美森がどこが違うのか考えていると、トワが美森に微笑みかけてきた。
「・・・」
美森は、とっさにトワに微笑みを返す。
・・・・トワに微笑みを返すことができたのは初めてだったので、自分でも少しそのことが以外に感じられた。
美森は少し戸惑った後、トワに背を向ける。
そして、止まったままの楓を抱き上げたまま、森の方へと走り出した。
森の入口まで来ると、突然、時が流れだした。
心地よい風が頬に当たる。木々のざわめきも聞こえる。楓の体重も、彼を抱きかかえている腕に感じたし、かすかな寝息も彼から聞こえてきた。
美森は一息吐くと、後ろに振り返る。
あっちの方は大丈夫だろうか。・・・しかし、大丈夫でないにしても美森は、できる限りここから離れるべきだ。
遠くに見えた数人の人影から離れるように、美森は森の中へ足を踏み入れた。
(まず楓君をサマの町に送ってあげないと・・・)
美森は大股で森の中を歩いていく。
そのようにして何分か歩くと、さすがに疲れてきた。楓を抱き上げている腕も痛い。それもどんどん気温が上がってきている気がする。・・・やはり夏の民の町が近づいてきているからだろうか。
美森は歩みを止めると、近くに生えていた太い木に楓を丁寧に寄りかからせた。
楓はまだ起きる様子はない。
「ふぅー・・・」
美森も服の袖をまくりをしながら、楓の隣に腰を下ろした。
(疲れた・・・!)
と眠っていた楓が、もぞもぞと動いた。
美森はドキリとして楓のことを見る。
(・・・起きたら何て声をかけよう・・)
美森は、今にも起きそうな楓にドギマギしながら視線を送る。
すると楓がゆっくりと目を開いた。
「――――!!」
美森は声をかける前に、言葉を失った。
楓の瞳の色は、美森が少しだけ見るのを楽しみにしていた美しい青の瞳ではなかった。・・・彼の瞳は美森のよく知っている色―――黒色をしていた。
「雫、大丈夫か?!」
「・・・うん」
勇と雫はレスの街に戻ってきていた。
気がついたら美森とパーツはいなくなっており、その場に立ちつくしているのは勇と初音だけだった。そして、勇は初音から雫を遠ざけるためにこの街に戻ってきたというわけだ。
勇はまだ顔色が窺わしい雫の顔を覗き込む。
雫はうっとうしそうに勇の視線から、顔を背けた。
「大丈夫だから」
雫の声は力強い。
「分かった、分かった」
勇は雫をなだめるように言うと、雫から目を外した。そして、口を開く。
「それにしても腹、すかないか?」
「・・・別に」
「・・・そこの喫茶店で食べたいな!」
勇が指差した先には“喫茶店イヌのはな”と書いてある看板が立った、洒落た雰囲気の漂う店があった。
勇は不機嫌な顔の雫を引っ張って、その喫茶店の扉を押し開けた。
店の中は、人のざわめきで溢れかえっている。正午どきであるためか、空いている席はまばらにあるだけだ。
「何名様ですか?」
勇と雫に気がついた店員がこちらに近づき、わざとらしい笑みを作って聞いてきた。
勇も、それに笑顔を作って答える。
「2名で」
「・・・こちらへどうぞ」
店員に案内されたのは、窓際の席だった。壁はすべてガラス張りになっており、外の景色が良く見える。
店員が立ち去った後、勇と雫は向かい合わせになっている椅子に腰を下ろした。
勇は早速、テーブルの隅に置いてあったメニューを手に取ると口を開く。
「さてとっ。何にすっかな~」
「・・・・」
雫はそんな勇のことは関係なしに、不機嫌な表情を浮かべたまま、頬杖をついて窓の外を眺めていた。そして彼女は、そのままの格好でぼそりと言った。
「私・・・美森と会ってからのこと思い出せないんだけど」
「・・・・」
勇はメニューをめくっていた手を止めると、雫の顔を見る。
「あ~と、雫、もう忘れっちまったのか!?物忘れが激しいなあ~」
「・・・そう。私、忘れっちゃったからその時のこと教えて?兄さんが薬を飲んでなかったら簡単にわかるんだけど」
こちらに視線を送る雫の目は、いつも以上に険しい。
「あ~と、それはだな・・・」
「お久ぶりですね。勇君、雫ちゃん」
「!」
同時に二人は、声の方に振り向いた。
そこには勇よりやや年上の青年、留維の姿があった。
「お!久しぶり!留維」
「・・・」
勇は内心でかなりほっとする。留維がここにいて声をかけてくれなかったら、雫の言葉から逃げることのができなかったかもしれない。
雫は留維の姿を見て、顔色を曇らせた。
・・・どうもこの人は苦手だ。
雫にとって留維は、何を考えているのか分らない雰囲気を持っている。そのせいで、彼の本当の心をのぞくのはとても恐ろしい感じがした。
「勇君・・・ちょっと話があるんですけどいいですかね?」
「おう!」
雫は2人の会話を聞いて、ここに居るべきではないと思った。と言うか、速くここから離れたかった。
雫は黙ったまま席から立つと、留維に席を譲る。
「・・・どうも」
留維は雫に軽くそう言うと、その席に腰を下した。
雫はそれとほぼ同時に口を開く。
「兄さん、私店の外で待ってるから」
「わかったよー」
勇は、背を向けて歩き出した雫に軽く手を振る。
留維も遠ざかっていく雫の姿を、口元に薄い笑みを浮かべながら見送った。