大切なのは
「坊ちゃん、またそんなとこにいらしたのですか?」
「洋ちゃん!」
「坊ちゃん、洋ちゃんではなく洋谷でございます!」
「あはは!洋ちゃん!洋ちゃん!」
幼い頃から、洋谷がそばにいてくれた。
「坊ちゃん!そんなところにいては危ないです!」
「坊ちゃん、好き嫌いはいけませんよ〜」
「坊ちゃん」
「坊ちゃん」
「坊ちゃん」
あまりにもそう呼ばれるものだから、初めは自分の名前は坊ちゃんだと思っていた程だった。
***
(!父様だ!)
仕事ばかりでうちにほとんど居ない父親が玄関にいるのが見えたから、とても嬉しくて、階段の上から声をかけようと思ったところだった。
「いつまでこんなところに住まわせておくつもり?」
「ちょっと待って、母さん。」
「せっかく百合子ちゃんが一緒に住んでもいいって言ってくれたのよ?」
「父様、百合子ちゃんってだあれ?」
「あら翼ちゃん、貴方の新しいお母様よ」
「やめてくれ母さん!」
どうやら、新しく母ができたようだった。
結局あれから僕は母と会うことはなかったけれど、そんなことよりも、自分が邪魔者で、お城のようで大好きだった家が、自分を閉じ込めるための家という事実がショックだった。
次第に、どうやって自分を認めてもらうかだけを考えるようになった。取り繕った笑顔を張りつけて、話すこともできるようになった。猫を被って生きてきた。
周囲からの評判もよく、縁談話も来ている。何一つ欠けているものは無い、完璧な令息。
そのはずなのに、満たされない。何か足りない。
それなのにあいつは、落合千尋は、僕にはかなわないはずなのに、俺よりもいいものを持っている。
あれはいつだったか、落合が入学して初めての合同演習。あいつは俺の事をまるで鼠でも見るように一瞬で切り捨てた。
(僕は羨ましいのか。僕よりずっと持っているものが少ないのに、いつもまっすぐ正攻法で乗り越えようとするあいつが、、、)
「、、、ちゃん、坊ちゃん!」
「、、、洋谷」
(僕の部屋か、、、。)
金がかかっている割に、相変わらず殺風景な部屋だ。ずっと寝ていたせいか身体が痛い。
昔のことを考えたから、心が重い。
「洋谷、今なんj」
「なんてことをしたんですか!」
「、、、ッ」
洋谷に手を振り払われる。普段なら絶対しない行動に目を見開く。
「話は聞きました。洋谷は、洋谷は、、、残念です!坊ちゃんは、本当は優しい子なのに!どうして!」
洋谷が泣いている。
こんな気持ちになるのは初めてだった。さっきまで複雑に絡んでいた感情が、どうでも良くなる。
どうしてだろう。あんなにひねくれてた心が、解けていく。
目が熱い。
「ごめんなさい、、、、ごべんなさい、、、、洋ちゃん、、、」
洋谷が少し驚いている。ただ謝るしかできなくて情けない。
「、、、坊ちゃんは、大人になる途中で、どこかに欠片を落としたのかもしれませんね。」
「気づけなかった私にも責任はあります。今は謹慎ということになっていますから、謹慎が開けたら、一緒に謝りに行きましょう。」
「、、、あぁ」
***
「大変申し訳ございませんでした!」
(えぇ、何事)
以前との変わりように驚きが隠せない。
朝、千尋が身支度中、寮のチャイムがなったと思えば、見知らぬ初老の男性が自分をいじめていた男の頭を抑え、土下座をしているではないか。
あまりにも声が大きいので、人が群がってきている。
「どうしたんですか!とりあえず、顔をあげてください!」
「うちのバカが貴方にした非礼を詫びにまいりました。」
「ばっっっ、え?」
「ほら坊ちゃん、貴方が謝らなくてどうするのです!」
「たっ大変申し訳ございませんでした」
「足りないとは思いますが、こちらお詫びの品で、、、」
「もっもういいですから、お父さんも、」
「お父さん?いえ、私は執事の洋谷と申しまして、、、」
「いやいやもうどっちでもいいですから、、、」
***
「で?なんで、この人がここに?」
本当ならばレンゲ、剛田と共に朝食を食べるつもりが、なぜか泉もいる。
「いちゃ悪いか!」
「悪いに決まっています。貴方、あの様子じゃあこないだだけじゃないでしょう。」
「そうですよ。いつも散々でかい顔してたくせに、仲間に見放されてこっちに来るなんて、有り得ません。」
「まあまあまあ、落ち着いて。」
「「落ち着けるか!」」
レンゲと剛田の意見が一致したところで、これはまずいと事の顛末を説明した。
どうやら、例の一件と今朝の土下座で泉の取り巻きは泉を見限り、1人になったそうだ。
「しょうがないだろ、席他にないんだから」
僕たちの隣の席以外、空いていなかったようだ。
「私は納得いきません。」
「俺もだ。」
やっぱりレンゲと剛田の意見は一致していた。
(自分のことを庇ってくれて嬉しいけれど、なんだか気まずくなってしまうなぁ)
僕があたふたしていると、泉が口を開いた。
「、、、あれから考えたんだ。落合、お前はどん底にいるはずなのに、下を向かず、ひねくれず弟のためにただぶつかってる。誠実で、教官や同期からも信頼されて、、、」
「俺はお前が羨ましかったんだ。」
その言葉は、紛れもない本心に聞こえた。
せっかく理由がわかったのに、何故かスッキリしない。
「、、、僕はそんな人間じゃありませんよ」
「え?」
口をついて出た言葉に、泉は目を見開いた。予想もしていなかったらしい。
「僕はね、ある意味、泉先輩に助けられていました。」
「僕は強くなんてない。弱い人間です。もやしです。家を助けるためとか思ってるけど、僕は出世にがっつくなんて、できそうもない。自分の世話だけでいっぱいいっぱいでした。」
「でも泉先輩が僕に意地悪するから、可哀想なふりして少し泣けたんです。ガス抜きができたんです。僕はどこも恨めないから。」
「もちろん嫌でしたよ、、、。でも今、こうして目を見て話せてます。貴方が、僕に本心を伝えてくれたから。」
僕はそう言って、少し笑って見せた。
「千尋さんが言うなら、何も言いません。」
「俺も。泉先輩も、人間だったんですね。」
泉さんはその日、涙目で食べていた。




