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第一幕 第四話:「月讀宮 ― 影封じ」(前編)

白く揺らめく影が、月の社へと誘う──。

朱音の言葉と月の光が、義輝とひまりを新たな局面へ導きます。

今回は商店街での出来事、そして占いで告げられる「影封じ」の言葉が物語を動かします。

月明かりの下で忍び寄る影、その正体とは……?

<月に示される道>


 転校してから数日、島田ひまりはすっかり学校の雰囲気にも慣れ、笑顔を見せることが多くなっていた。

 教室では休み時間ごとに誰かが彼女に声をかけ、昼休みになれば女子数人に囲まれて談笑する姿がよく見られる。


 その様子を、少し離れた席から眼鏡の奥でそっと見つめる少女がいた。

 藤原充瑠(ふじわら みつる)──ひまりより少し背が高く、柔らかな輪郭を持つ。ふっくらとした体つきは本人には小さなコンプレックスだが、周囲からは落ち着きや温かさを感じさせる雰囲気として映っている。


 普段は控えめな性格と読書好きな気質から、教室の隅で文庫本を開いていることが多い。

 だが今日は、ページをめくる指先がほとんど動かなかった。


(……話してみたい。でも、何を話せばいいんだろう)


 胸の奥がそわそわして、本の文字がまるで記号のように流れ去っていく。

 ひまりの笑い声が耳に届くたび、机の下で充瑠の指先はぎゅっと本の端を握りしめていた。


 昼休み、意を決して立ち上がると、充瑠はひまりの机へ向かった。


「……あの、島田さん。お昼、一緒に食べない?」


 ひまりは顔を上げ、ぱっと笑みを浮かべた。


「うん、ぜひ!」


 その即答に、充瑠は肩の力が抜けたが、声をかけて良かったとほっとした。


 二人は中庭のベンチに腰掛け、お弁当を開く。

 控えめに会話を始めた充瑠だったが、本や歴史の話になると自然と声が弾んだ。

 ひまりも興味深そうに耳を傾け、時折質問を挟む。話題が恋愛に及んだのは、食後のお茶を飲んでいるときだった。


「そういえば、島田さんって……誰か気になる人とかいる?」


「え?」ひまりは少し驚いたように目を瞬かせ、そして微笑む。


「……気になる、っていうか。今はまだ、自分でもよくわからないかな」


「ふーん……」充瑠は頬杖をつきながら、ちらりと義輝の方角を思い浮かべた。


(でも……あの視線の交わし方、普通じゃない気がするんだよなぁ)


 するとひまりが急に立ち上がる。


「ねえ、放課後……行ってみたい場所があるんだけど、一緒にどう?」

「どこ?」

「評判のタロット占い師さん。街の商店街の奥にあるんだって」


 興味を引かれた充瑠は、即座に頷いた。


挿絵(By みてみん)


 放課後、ひまりと充瑠は、校門を出て駅前の商店街を歩いていた。

 夕方の柔らかな光が通りを照らし、パンの香ばしい匂い、鉄板で焼けるソースの香りが風に混じって漂ってくる。


「ねぇ、ここの通りって何でもあるよね」


 充瑠が眼鏡越しに看板を眺めながら言う。


「古本屋も、カフェも、雑貨屋も…」

「ほんとだね。歩くだけでも楽しいかも」


 ひまりが小さく笑う。


 その時、充瑠の視線がふと止まった。


「……鍼灸院?」


 通り沿いに、木の看板が掛けられた落ち着いた雰囲気の店があった。

 扉は半分開き、涼やかな鈴の音が風に乗って外へこぼれる。


 植木鉢に水をやっていたのは──朱音だった。

 夕日を受けて、黒いロングカーディガンの裾が揺れる。

 生成りのリネンブラウスと落ち着いた色のワイドパンツは、軽やかでありながら大人の品を感じさせる。

 髪はゆるく後ろで束ねられ、小さな銀のピアスが光を受けて微かに瞬く。

 初めて会った時のミステリアスな印象はそのままに、今はどこか柔らかな空気をまとっていた。


「……あら、ひまりじゃない」


 朱音は気づくと、ふわりと微笑みながら近づいてきた。


「偶然ね。放課後にこんなところで会うなんて」

「朱音さん、こんにちは」


 ひまりが頭を下げると、充瑠が小声で「知り合い…?」と問いかける。


「ここの鍼灸院、私のお店なの。美容鍼灸から整体まで、いろいろやってる

 わ」


 朱音が軽く説明すると、充瑠の目がなぜかキラリと光った。


「美容鍼灸……! それって、顔がキュッと引き締まって、小顔になったり

 するやつですよね?」


 やや前のめりな口調に、ひまりは思わず笑みをこぼす。


「ええ。血行が良くなって肌も明るくなるわ」


 朱音が穏やかに返すと、充瑠はほんの一瞬迷ってから、さらに興味深そうに頷いた。


「ふふ……もしかして、好きな人に可愛いって思われたいとか?」


 朱音のからかうような声に、充瑠は「えっ……そ、そんな……!」と真っ赤になる。

 視線を逸らし、しばし逡巡した後、小さな声で続けた。


「……背が高くて、運動神経が良くて……明るい人」

「ふぅん……剣道部だったりして?」

「……はい」


 朱音が微笑む横で、ひまりは(え、義輝くん……?)と一瞬胸がざわつく。

 だが「明るい」という言葉で大琥の姿が浮かび、安堵しつつも、理由のわからない小さなもやもやが心に残った。


「今度、時間があったら施術してあげるわ。きっと似合うと思う」


 朱音の言葉に、充瑠は少し照れた笑顔で頷いた。


 二人が店を後にしようとした時、朱音がひまりにだけ聞こえる声で言った。


「……近いうちに、また動きがあるかもしれない。気をつけて」


 一瞬、空気がきゅっと張り詰めた。

 ひまりは背筋を伸ばし、「はい」と短く返す。

 その眼差しの奥で、昨夜の女神の言葉が静かに蘇っていた。




 商店街を抜けると、夕暮れの色が街全体を柔らかく染めていた。

 充瑠が足を止め、通りの端を指差す。


「ねぇ、あそこ……」


 古びたレンガ造りの建物の一角。小さなランプが灯る窓の奥に、「TAROT & FORTUNE」の文字が見える。

 扉の横には、手書きの看板──「今日のカード:月(THE MOON)」。


「評判いいんだって。この前、図書館の司書さんも当たったって言ってた」


 充瑠が目を輝かせる。


「月(THE MOON)……?」


 ひまりは首を傾げるが、充瑠はもう迷う素振りもなく店へ向かっていた。


 店内は柔らかなオレンジの光と、かすかなハーブの香りに包まれている。

 棚には古びたオカルト書や、星座盤、色とりどりのクリスタルが並び、中央の丸テーブルには深い藍色のクロスが掛けられていた。


「いらっしゃい」


 低く落ち着いた声と共に、奥から一人の女性が現れた。

 年齢は三十代半ばほど、黒髪を後ろでまとめ、ラベンダー色のスカーフを巻いている。

 その瞳はどこか遠くを見通すような鋭さを帯びていた。


 充瑠が少し緊張したように口を開く。


「二人とも、お願いできますか?」

「ええ、どうぞお掛けなさい」


 まずは充瑠から。カードを切り、机に広げると、占い師の表情が僅かに変わる。


「あなた……近く、心を大きく揺らす出来事があるでしょう」

「……えっ」

「それは悪いこととは限らない。ただ、選択を誤れば、流れは変わります」


 続いてひまり。カードの並びを見た瞬間、占い師は少しの間、言葉を失った。


「……とても強い光をお持ちですね。けれど、それを覆う影も……」

「影……?」

「近く、その光を試す時が来ます」


 ひまりは表情を変えずに頷いたが、心の奥で昨夜の女神の声がよぎる。


 ──(闇は必ず、月をも覆い隠そうとする。)


 二人が店を出ると、外は夕暮れに包まれていた。

 赤く染まった空の下、商店街の喧騒が少し遠くに感じられる。

 まだ形を持たぬ影が、心の水面をそっと撫でていく感覚があった。




<影の兆し>


 占いに行ってから、数日が経った。

 学校は相変わらずざわざわと賑やかで、昼休みには大琥が購買の焼きそばパンを勝ち取っただの、義輝がまた小テストでクラス最高点を取っただのといった話題で盛り上がっていた。


 放課後──

 ひまりと充瑠は、図書館の隅の古書棚の前にしゃがみ込んでいた。

 二人は商店街へ行ったあの日から仲良くなり、よく一緒にいるようになった。

 充瑠は好きな歴史の話を思う存分しても、熱心に聞いてくれるひまりをとても気に入っていた。


 埃をかぶった本の中に、充瑠が面白そうな一冊を見つけた。


「これ……かなり古い郷土史だよ。ほら、紙が黄ばんでる」


 充瑠は眼鏡を押し上げ、表紙をそっとめくった。

 裏表紙に、墨で書かれた走り書きが見える。


 ──「月宮」「影封じ」──


 かすれた文字は古びて判読しづらいが、その響きだけで妙な重みがあった。


「……なんだろうね、これ」

 ひまりが覗き込むと、充瑠はページをめくりながら首をかしげる。

 その時、窓の外を“白い影”がスッと横切った。

 ひまりは一瞬だけ息を呑むが、充瑠は気づかなかったようだ。


「風かな……」


 そう呟きながらも、その“白い影”の存在は胸の奥に小さく引っかかったままだ。


 図書室を出ると、廊下で義輝と大琥が待っていた。


「お、やっと来たか」


 大琥が笑いかけながら、自然とひまりの横に歩み寄る。

 その視線の端で充瑠を捉え、わずかに複雑そうな表情を見せた。

 充瑠は一瞬きょとんとしたが、すぐに控えめな笑みを返す。

 しかし、その笑顔の奥に「何か言われるのでは」というわずかな緊張が見え隠れしていた。


 義輝はひまりの顔を見て、「何かあった?」と小声で訊く。

 ひまりは少しだけ考えてから、「あとで話す」とだけ返した。


 帰り道、夕暮れの空はうっすらと雲がかかり、街灯がひとつずつ灯り始めていた。

 その時、ひまりのスマホが震える。

 画面には朱音からの短いメッセージがあった。


 ──『月の不穏を感じたら、知らせて』──


 何の前触れもなくそんな文面が届き、ひまりは思わず空を見上げる。

 雲間から三日月が顔を覗かせ、その輪郭が淡く揺れていた。

 胸の奥が、かすかにざわつく。




 夜──

 自分の部屋の机で宿題をしていたひまりは、ふと占いの店の看板に書かれた手書きの看板「月(THE MOON)」のカードを思い出した。

 窓の外に目をやると、月の周囲に淡い光輪がかかっている。

 それは静かで穏やかな光景なのに、どこかで目を離せない不思議な引力を持っていた。


「……もう、始まってるのかもしれない」


 小さく呟いたその声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。




 翌朝。

 ホームルーム前の教室で、義輝はぼんやりと物思いにふけるひまりを見つけた。


「……どうした? 寝不足か?」


 顔を上げたひまりは、ほんの少し迷ってから口を開く。


「昨日、図書館で……“白い影”を見たの」


 義輝は眉を寄せた。「白い影?」


「窓の外を、すごく静かに横切ったの。充瑠さんは気づかなかったけど……

 あの瞬間だけ、空気がひやりとして、息を吸うのが重くなった。音が少し

 遠のく感じもして……」


 義輝はすぐにポケットからスマホを取り出し、朱音にメッセージを入れた。

 メッセージには短く──『白い影を見た。月宮・影封じという言葉も』──とだけ打ち込む。


 間もなく返ってきた朱音からの返信は、いつもよりも早かった。


 ──『放課後、会える? 詳しく聞かせて』──


 その短い文面には、張り詰めた気配が滲んでいた。


 放課後、義輝とひまりは、朱音の鍼灸院を訪れていた。

 落ち着いた香りが漂う室内で、朱音は二人の話を静かに聞き終えると、深く息をついた。


「“白い影”……そして“月宮”“影封じ”ね」


 朱音の声は低く、慎重だった。


「月宮は、古い伝承の中で月読命を祀る場所を指すことが多いわ。影封じは

 ……何かを封じ込める術式、あるいは結界の呼び名かもしれない」


「じゃあ、その白い影は……」と義輝が口を開く。


 朱音は少し間を置き、ゆっくり首を振った。


「まだ断定はできない。でも、月の相と関わっているのは間違いない。……

 特に今は三日月。満ちる過程の月は、影にとって力を蓄える時期になる」


 ひまりは膝の上で指を組みながら、静かに尋ねた。


「……どうすればいいですか?」

「不用意に動くのは避けて。もし再び同じ影を見たら、すぐ知らせて」


 その目は真剣で、同時に何かを思い出すような遠さもあった。

 義輝とひまりは頷き、店を後にする。

 夕暮れの通りは朱に染まり、影が長く伸びていた。




 一方その頃、充瑠はひとりで図書館へ向かっていた。昨日見つけた古い郷土史がどうしても気になっていたのだ。


 閉架書庫のカウンターで本を受け取り、人気のない閲覧席に腰を下ろす。

 表紙に触れると、乾いた紙の感触が指先にざらりと残る。ページをめくるたび、かすかな紙擦れの音が静かな室内に溶けた。


 中ほどに差し掛かった時──紙面の隅に描かれた六芒星の印が、淡く光を帯びたように見えた。


「……え?」


 思わず瞬きをするが、光はすぐに消える。

 気のせいだと思おうとしたが、その瞬間、窓の外を淡い白光がスッと走った。

 まるで、昨日ひまりが言っていた“白い影”のように。


 胸の鼓動が早くなる。

 けれど好奇心が恐怖をわずかに上回り、充瑠はページを繰る手を止められなかった。




 その夜。

 義輝の部屋の窓から見える三日月は、いつになく大きく、刃物のように鋭く輝いていた。

 その光は雲を淡く透かし、街を青白く染めている。


 ひまりもまた、自室の窓辺でその月を見上げていた。


(……この光、昨日とは違う)


 二人が別々の場所で同じ月を見て、同じように異変を感じている時、街のどこかで──

 ひそやかに影が形を取り始めていた。




<白き影のささやき>


 翌日の放課後、図書館の窓から差し込む光は白く冷たく、夕暮れにはまだ早いのに、室内はしんと静まり返っていた。棚の奥から漂う古紙の匂いが、妙に濃く感じられる。

 充瑠は昨日の郷土史を再び机の上に広げ、付箋とノートを横に置いた。


(やっぱり、この六芒星……普通の歴史書には載ってない)

 ページの余白に、かすれた墨文字──「月宮」「影封じ」──。

 昨日はただの古い落書きかと思ったが、今はなぜか視線が離れない。


 ふいに、紙の上で影が揺れた。

 窓際に人影はない。だが、光を遮る何かがすぐ近くにあるような、説明できない気配が背筋を這い上がる。


「……誰?」

 小さく声を漏らすと、耳からではなく、頭の内側から滲むような囁きが響いた。

 ──……ミツ……ル……。


 全身の毛が逆立つ。

 振り返った瞬間、視界の端を白い影が滑るように通り過ぎた。

 それは人の形をしているようでいて、輪郭が水面のように揺らぎ、足音ひとつ立てない。


「………っ!」


 立ち上がった拍子に、机から郷土史が床へ落ちる。開かれたページから、かすかな風が吹き出すように空気がざわめいた。


 廊下から入ってきた司書が「どうしたの?」と声をかける。

 充瑠はとっさに笑顔を作って「なんでもないです」と答えるが、胸の鼓動はまだ早かった。


(あれ……本当に、風じゃない……)




 同じ頃、帰宅途中のひまりは、駅前の雑踏の中でふと立ち止まった。

 ざわめきの向こうから、一瞬だけ届くかすかな声──


 ──……ヒカ……リ……


 振り向くと、群衆の流れの中に、白い着物を思わせる輪郭がゆらりと浮かんでいた。

 その白さは夕方の街に溶け込まず、異質にきらめく。


 ひまりはその場で一瞬だけ立ち尽くす。周囲の喧騒が、妙に遠くに引いていった。

 次の瞬間には、何事もなかったかのようにその輪郭は消えていた。


 スマホが震える。画面には朱音からのメッセージ。


 ──『影の気配が強まっている。義輝くんとすぐに合流して』──


 ひまりは、無意識のうちに足を速めていた。

 胸の奥で、昨夜の月の光と朱音の張り詰めた声が重なっていく。


挿絵(By みてみん)


 朱音からのメッセージを受け取ったひまりは、息を整える間もなく駅前の雑踏を駆け抜けた。

 人々の笑い声や店先の呼び込みが、やけに遠くぼやけて聞こえる。程なくして義輝と合流すると、彼もまたただならぬ表情をしていた。


「……お前も見たのか?」

「ええ。ほんの一瞬だったけど、確かに」


 言葉を交わす間にも、街の空気がじわりと冷え込んでいくのを感じる。

 朱音の鍼灸院の扉を押し開けて中へ入る。ドアベルの鋭い音が響き、その余韻はやがて店内の静けさへと溶け込んでいった。


 室内のランプの光がやけに暖かく感じられる。

 朱音はカウンターの奥から出てくると、二人を椅子に促した。


「……来たわね。話して」


 義輝とひまりは、それぞれの見た“白い影”を順に語った。

 朱音は静かに聞きながら、手元の小さな木札を指先でなぞっている。


「共通しているのは、“存在感はあるのに、形が定まらない”という点ね」


 その声は低く、しかし明確だった。


「これは、月讀命にまつわる“影の使い”の伝承に似ているわ。…ただ、普

 通は人前には現れないはず」

「じゃあ、なぜ俺たちの前に?」


 義輝の問いに、朱音はしばし考え込み、目を伏せた。


「……何かを探しているのかもしれない。あるいは──呼び寄せようとして

 いる」


 その瞬間、店の外でガラス窓がコツンと鳴った。

 三人の視線が同時に向く。

 外には何も見えない──はずだった。


 だが、街灯の明かりの下、ほんの一瞬だけ白い輪郭が浮かび、揺らめいた。

 まるで、こちらの様子を窺っているかのように。


 朱音が低く告げる。


「……今夜は、覚悟しておいた方がいいわ」


 その言葉は、室内の暖かな空気を一瞬で凍らせ──夜の気配を呼び込んだ。




 その夜、義輝の部屋には机の灯りだけがともり、窓の外には淡く光る月が浮かんでいた。

 三日月は昨夜よりもわずかに満ち、その輪郭は鋭い刃のように夜空を裂いている。

 昼間の朱音の言葉が耳に残っていた。


 廊下の先で、コツリ……と硬質な音が響く。

 風でも、家鳴りでもない。

 耳を澄ますと、それは規則正しく近づいてくる足音のようだった。


 義輝はペンダントを握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。

 足音は階段を上り切ったところでぴたりと止まり、次の瞬間──

 窓の外を白い影がスッと横切った。


 空気が一気に冷え込む。

 机上のペンがカタリと転がり、月光が白く鋭く差し込む中で、影は輪郭を曖昧に揺らめかせていた。


(……あれは、昼間と同じ)


 影はゆっくりと顔をこちらに向ける。

 瞳はないはずなのに、確かに視線が突き刺さる。

 口元がわずかに開き、かすかな声が頭の奥に流れ込んできた。


 ──……ツ……キ……


 声はそこで途切れ、影は霧のようにほどけて闇に溶けた。


 机の上のスマホが震える。

 画面には朱音からのメッセージ。


 ──『影、動いたわ。月讀宮で合流して』──


 義輝は短く息を吐き、パーカーを羽織ると窓の鍵をそっと外した。

 階下からは両親のテレビの音がくぐもって聞こえる。

 靴を手に持ち、忍び足で庭に降りた。

 夜気は鋭く肌を刺し、背筋を冷たく撫でていく。




 同じ頃、ひまりもまた、自室で月を見上げていた。

 カーテンが風もないのに揺れ、月光の中に白い着物の袖のような形が一瞬だけ浮かんだ。


「……誰?」


 呟いた声に応えるように、耳の奥で囁きが滲む。


 ──……ミ……ヤ……


 指先が震えた瞬間、スマホが鳴る。


 ──『影、動いたわ。月讀宮で合流して』──


 迷っている暇はなかった。

 家族に気づかれぬよう、そっとドアを開けて廊下を抜ける。

 玄関は避け、裏口から外へ。

 足元の砂利が音を立てないよう慎重に踏みしめ、通りへ出た。




 夜の街は、月がすべてを見下ろす静けさに包まれている。

 義輝は住宅街を抜け、ひまりは別の道を駆ける。

 二人の足音が、見えない糸に引かれるように同じ場所──月讀宮へと収束していく。

 その鳥居の前には、すでに朱音の姿があった。

お読みいただき、ありがとうございます。

「月讀宮 ― 影封じ」前編をお送りしました。

白い影や「影封じ」の謎が、物語を静かに、しかし確実に動かしていきます。

続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

次回も、月明かりの下でお会いしましょう。

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