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第一幕 第八話:「Aとア」

第八話「Aとア」では、大海大琥が朱音の治療を受けながら自らの「在り方」を見つめ直し、また、ひまりが磐音の指摘により「在り方」の芽吹きを示し、義輝が火之迦具土から問いかけを受けます。


それぞれが“自分は何者なのか”という核心に近づく、大切な節目です。

今回は神話の断片や象徴を織り交ぜながら、彼らが抱く「迷い」や「決心」を描きました。

<大琥の治療>


 施術院の奥。畳の上に据えられた施術台に、大琥は横たわっていた。

 全身にまとわりついた邪気の余韻はまだ消え切らず、額には汗がにじみ、胸の鼓動は落ち着かない。


挿絵(By みてみん)


 朱音は静かに鍼を整え、大琥の呼吸に合わせるように一本ずつ打ち込んでいく。

 ほのかな薬草の香りと、規則正しい息遣いだけが室内に漂っていた。


「……なぁ、朱音さん」


 大琥が横になったまま、ぽつりと問いかけた。


「どうして、命の危険があるのに……あんたは浄化を続けるんだ?」


 朱音は手を止めず、淡々と答える。


「私は“整える人”だからよ」


 大琥は怪訝そうに眉をひそめる。


「……整える人?」

「人の身体を整えるのも、場や心を整えるのも、それが私の生きる道。逃げたら……私は私じゃなく

 なるの」


 その声は揺るぎなかった。

 大琥は言葉を失い、しばし沈黙する。

 朱音は彼を見守りながら、ふっと息を吐き、問いを重ねた。


「大琥くん。あなたは“どんな人”?」


 大琥は喉を鳴らし、目を伏せる。

 頭に浮かぶのは、己を見失い、アマノジャクに飲まれかけた自分の姿だった。


 ――俺は、何なんだ。


 朱音は姿勢を正し、声を落として語り始めた。


「大琥くん。人の代は神武天皇の時代から令和元年まで続いた“不合の時代”だったの。

 “和合=龍神の時代”から、“不合=蛇神の時代”に変わった象徴が――宇賀野不合、ウガヤフキアエズ。

 神武天皇の父とされているけれど、本当は人の名じゃない。“時代の性質”を示すものなの」


 大琥は驚きに息を呑む。

 朱音はさらに言葉を重ねた。


「不合の時代とはね――“ア”と“A”を切り離してしまった時代でもあるの。本来は同じ“神の言葉の

 始まり”なのに。

 “ア”はカタカナ、“A”はアルファベット。わざと繋げないようにして、人と言葉を分断したの」


 そして、朱音はふと問いかける。


「大琥くん、“バベルの塔”の話を知ってる?」


「……えっと、人が天まで届く塔を建てようとしたら、神さまが怒って……言葉を全部バラバラにした、

 って話だよな?」


 朱音は頷く。


「そう。それこそが“不合の始まり”の象徴。人が力を合わせられなくなり、分断の時代に入って

 しまったの」


 大琥は目を見開いた。

 旧約聖書の話と、日本の神話がひとつに繋がっていく――想像もしなかった展開に、胸がざわめく。

 朱音は静かに続けた。


「でも――令和は違う。“Aとア”が再び結び直された。“令”という字はその象徴。

 “和を以て貴しとなす”。和合の時代――神代の始まりを告げる元号なのよ」


 大琥は小さくつぶやく。


「……じゃあ、俺たちはもう……神代に生きてるってことか」


 朱音は頷き、核心を告げた。


「ええ。そして――神代に相応しくない生き方をする者は、淘汰されると伝えられている」


 大琥はぎょっとして顔を上げる。


「淘汰……?どうやって?」


 朱音の声は淡々としていた。だが、その言葉は重く響いた。


「ノアの方舟では従わなかった人々は水に呑まれ、モーセの十戒では掟を破った者に災いが下った。

 ソドムとゴモラも同じ。――世界中に残る“選別”の物語は、すべて同じ真実を示しているの」


 大琥の背に冷たいものが走る。

 朱音は最後の鍼を抜き取りながら、声を落とした。


「……能登半島の地震を覚えているでしょう?」


 大琥は思わず息を呑む。


「ああ……テレビで見た。あれ、龍神と関係があるってことか?」


 朱音は静かに頷く。


「能登の地震は、“日本列島という龍神”が、ほんの少し手を動かしただけで起きたの。

 もし完全に目を覚ませば、この大地も海も形を変えてしまうでしょう。――そう語り部からは

 聞いたわ」


 室内に、張り詰めた沈黙が落ちた。

 大琥は拳を握りしめる。


「……じゃあ、あれは始まりにすぎねぇってことか」

「そう。迫り来る刻限は、確実に近づいているの」


 朱音の声音は冷静だが、その奥には深い緊張が宿っていた。

 だが次の瞬間、その眼差しは優しさを帯びた。


「だから私は整えるの。身体も、心も、場も。整え続けることが、私の天命だから」


 大琥は天井を見つめ、静かに息を吐いた。

 恐怖と不安の奥に、小さな光が灯る。


「……なら、俺は……俺らしく“守る人”としての生き方を探す。もう二度と、心を飲まれねぇように」


 朱音は微笑み、頷いた。


「ええ。それでいいの。あなたの心が整えば、必ず道は見えてくるわ」


 施術院の空気が、わずかに柔らかく揺らいだ。

 それは、大琥の心に新しい光が差し込んだ瞬間でもあった。




<磐音の稽古場>


 夕暮れ、舞踊教室の板張りの稽古場。

 ひまりと充瑠は、磐音の指導を受けて舞の稽古に励んでいた。窓から射す橙の光が板の間を染め、静かな空気を満たしている。


 扇を手にしたひまりが、一連の型を舞い終える。

 しかし磐音は首を傾げ、柔らかい笑みを浮かべながら問いかけた。


「ひまりさん。動きはきれい。でも、八劔神社で見せてくれた舞とは全く違う――あなたの舞は、

 もっと大切なことを伝えたいって感じるけど、どうかしら?」


 思わぬ一言に、ひまりは困惑した。


「えっ……わ、私は……」


 言葉が出ない。神楽舞は神社で学んできたし、日本舞踊の所作の意味は磐音に教わってきた。けれど「何を伝えるか」と問われたことは、一度もなかった。


「……神様に捧げるために、です」


 やっとの思いで口にした答えに、磐音は首を横に振る。


「それは形の答えね。けれど――あなた自身は、何を伝えたいの?」


 ひまりは視線を落とし、言葉を失った。

 心臓が速く打ち、喉が渇く。まるで自分の中に空っぽの部分を見つめさせられているようだった。

 充瑠が、ひまりを応援するかのように口を開いた。


「……あの、大祓のときの神楽舞、凄かったな」


「大祓……」ひまりは顔を上げる。


 充瑠は静かに続ける。


「ひまりちゃんが舞った時、農家の人たちが“やっぱり神社を大事にします”って祈ってたよね。そして、

 ひまりちゃんが天火明命に教えられたひふみ祝詞を詠んだ時、私も農家の人たちも理由がわからずに

 涙が流れたの。

 ……あの時にね、私、感じたの。ひまりちゃんの舞は、ただの型じゃなくて……神さまと人を“つなげる

 糸”みたいだった」

「……糸?」

「うん。舞の所作ひとつひとつに“神さまと人々の縁をもう一度繋ごう”っていう気持ちが込められてる

 から、あんな風に神さまが応じてくださったんじゃないかな」


 ひまりの胸に、ドクンと強い脈動が走った。

 自分が意識していなかった想いを、友人の口から突きつけられた気がした。

 磐音はゆっくりと頷き、二人の間に言葉を落とした。


「そう……それこそが、ひまりさんの“あり方”。あなたは“(ただ)す人”。“(ただ)す”というのはね、糸をより合わせて一本にすること」


 ひまりは呟き、胸に手を当てた。


(ただ)す人……」


 充瑠は優しく、勇気づけるように言葉をつなぐ。


「ひまりちゃんは神さまと人、人と人――離れた心を結び直す存在なのかもしれないね」


 磐音は扇を掲げ、軽やかに所作を見せた後、ふと肩の力を抜いて笑った。


「ひまりさんがそんなに自信が無いのなら、いっそ天宇受賣命(あめのうずめのみこと)みたいに、

 おっぱいを放り出して一心不乱に踊ってみたら?」


 突然の言葉に、ひまりは目を丸くする。


「……えっ!?」


 磐音は扇で口元を隠しながら、いたずらっぽく笑った。


挿絵(By みてみん)


「冗談よ。天宇受賣命(あめのうずめのみこと)のその姿勢は、無我の境地を現していると私は思って

 いるの。だって、自然体で舞うひまりさんは意図しなくても、観ている人達を感動させる力があるの

 だから」


 磐音は何かを思い出したかのように、話を続けた。


「…そういえば、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)の逸話で“上半身を裸にして舞った”というのに

 は、実は深い象徴があるの。牧野先生が話していたわ――

 『おっぱいはπ(パイ)、そして“π”は『一』と『八』から成り立って、“元”を意味する』って」


 充瑠が興味深そうに身を乗り出した。


「元……つまり、始まりってこと?」

「ええ。“一”は“始まり”を、“八”は伊邪那岐と伊邪那美――天地を生んだ二柱を象徴すると言われている

 の。だから“π”は“大元”を現す形でもあるの」


 磐音はさらに言葉を重ねる。


「ただし“元”といっても“始まり”じゃない。“元々=丸八の世界”の次に派生するもの。だから“元”は“隠さ

 れた本当の始まり”の影でもあるの。そう。アメノウズメが上半身を晒して舞ったのは、

 “π=オッパイ”という象徴でもあったの。πは円、円は始まりの神の領域。……つまり、あの舞は

 “元の場所のヒント”を隠していたのよ」


 ひまりは頬を赤らめながらも、胸の奥に熱を覚えた。


「……私の舞が、“元”へと還す力……」


 磐音はやさしく頷く。


「そう。あなたは“糺す人”。縁を繋ぎ直し、人を元に還す役目を持つ存在なのよ」


 ――その言葉は、ひまりの心に小さな灯をともした。

 だがその灯が“芯”と呼べるほどの強さを持つかどうか、彼女にはまだ分からなかった。




<火之迦具土の問い>


 まだ陽も昇りきらぬ神社の境内。

 竹刀を振る義輝の動きは、朝の冷たい空気を裂いて鋭く響いた。


「はっ!」


 踏み込むたび、砂利がざらりと鳴り、吐く息が白く散る。

 その瞬間、拝殿前の空気が揺らめき、見えない炎が地を這うように広がった。

 義輝の胸元――水晶のペンダントが熱を帯び、脈打つように光を放つ。


「……っ!」


 思わず一歩退いた義輝の前で、炎が渦を巻き、人の姿を結んでいく。


 烈々たる光を背にした神。

 長い黒髪は燃え立つ炎のごとく揺らぎ、瞳は溶岩のように赤々と輝く。

 その身を包む火は猛々しくも清らかで、禍々しさではなく畏怖と畏敬を呼び起こした。


「……火之迦具土(ほのかぐづち)……」


 義輝の口から自然に名が漏れる。

 顕現した神は、低く、しかし胸の奥を震わせる声で告げた。


「義輝よ――炎は災いを退けるものにして、民を導く光でもある。剣もまた光で邪を祓い、行く末の

 指針ともなる。義輝よ、お前は何のために技を磨くのだ?」


 火之迦具土の問いかけに、義輝の胸は強く脈打った。

 竹刀を握る手が熱を帯び、視界に淡い炎の揺らめきが広がっていく。

 ――次の瞬間、世界が止まったかのように、すべてが黄金に染まった。

 義輝の目の前に“幻”が展開した。


 挿絵(By みてみん)


 黄金色の光に包まれた大地に、炎を背負った火之迦具土が立っている。

 その周囲では、子どもを背に乗せた姿や、鹿を連れた村人たちが微笑み、果実や穀物を手にして神へと捧げていた。

 人々は恐れではなく、喜びと感謝の眼差しを注いでいる。


 空には虹がかかり、花びらが舞い落ちる。

 天へと伸びる光の柱が世界を照らし、炎は守護であると同時に、人々を導く輝きそのものとなっていた。


「――炎はただ災いを祓うだけでなく、民を導き、暮らしを照らす光となる」


 火之迦具土の声が胸奥に響き、義輝はその幻想に息を呑む。

 自らの在り方を深く問われていることを悟った。


 手の中の竹刀を握りしめ、義輝は必死に言葉を絞り出す。


「俺は……仲間を守るために、技を磨いています」


 その答えに、火之迦具土の瞳がわずかに細められた。

 炎が大きくうねり、境内を赤く染める。


「仲間を守る――尊き志だ。だが、それだけでは炎は籠もり、光は届かぬ」


 穏やかでありながら、抗えぬ重みを持つ声。

 義輝の胸を突き刺し、喉を塞ぐ。


「囲う炎は己の腕で限られた者を庇うに過ぎぬ。

 だが導く炎は、多くの心を一つに束ね、苦難を払い、喜びを分かち合い、更に輝きを増す。

 ――義輝よ、お前は“囲う者”で終わるのか、それとも“導く者”となるのか?」


 義輝は言葉を失った。

 竹刀を握る手が震え、視線が揺らぐ。


「……俺は……」


 その続きを紡ぐ前に、火之迦具土の姿は炎と共に淡く消えていった。




 冷えた朝の空気が戻ってきても、義輝の胸にはまだ赤熱した問いが燃え続けていた。

 胸元で脈打つ水晶の温もりが、その火を絶やさぬ証のように灯っている。


 火之迦具土の問いは、義輝の胸奥にまだ熱を残していた。

 ――守るのか、導くのか。

 答えを見出せず、竹刀を握る手はかすかに震えている。


 そのとき、境内に清らかな風が流れ込んだ。

 朝霧を払うようなその風は、迷いで曇る義輝の胸をそっと撫でていく。


「……心に迷いがあってもよいのです、義輝」


 声に振り返れば、拝殿の影に天雅が立っていた。

 白と淡い金の白拍子装束に身を包み、扇を掲げると、落ち葉が渦を描いて舞い上がり、光を帯びながら境内を巡る。


「迷うことは、道を探している証。ですが――忘れてはなりません」


 天雅の瞳は朝の光を映し、凛と輝いていた。


「兆しはすでに芽吹いています。人が祈りを取り戻せば、神の御姿は再びこの地に降り立つのです」


 その言葉に呼応するように、扇がひときわ強く光を放った。

 次の瞬間、境内の屋根の上に淡い金色の光が集まりはじめる。


 義輝は思わず目を細めた。

 光はただのきらめきではなく、意志を宿したかのように脈動し、やがてひとつの姿を結んでいく。


 ――翼を持つ、うさぎの姿。


 ふわりと宙に舞い上がった小さな神龍は、柔らかな羽を広げ、夜明けの明星のように境内を照らした。

 榊の葉が光を受けてきらめき、拝殿の屋根や石畳までも淡く金色に染まっていく。


挿絵(By みてみん)


 義輝が息をのむ傍らで、天雅は静かに告げる。


「……兆しは既に芽吹いています。人が祈りを取り戻せば、神の御姿は再びこの地に降り立つのです」


 羽ばたく光は境内全体を包み、浄めの風となって吹き渡った。

 ――だが義輝の目に映ったのは、かすかな光の揺らめきだけ。

 その存在の輪郭を確かに見ていたのは、天雅ただ一人だった。


「……見えてはいないのですね」


 天雅は小さく微笑む。


「ですが、確かに“兆し”はここにあります。あなたが心を鍛え、仲間と祈りを結ぶとき――この光は

 真の姿となり、あなたを導くでしょう」


 神龍はひとたび羽ばたき、金色の光の粒を散らしながら、淡く消えていった。


 境内に残るのは、冷たい朝の空気と義輝の荒い呼吸だけ。

 竹刀を見つめる手には、まだ答えを握りきれぬ震えがあった。


 けれど――胸の奥には、確かな温もりが残っていた。

 それは「守る者」を超えて「導く者」へと歩み出すための、小さな炎のように灯っていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第八話では「Aとア」というテーマを通して、分断されていたものが再び結ばれる兆しを描きました。

大琥は一歩を踏み出し、ひまりは自覚を芽吹かせ、義輝は精神的に成長する転機に立ちました。


まだ迷いや不安を抱えながらも、小さな光を手にした彼らが、今後どのように道を歩んでいくのか――。

次回以降も見守っていただければ嬉しいです。


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